一堂に会する
延々と続く行列を作って中山道を上っていき日暮れ頃に佐和山城下に着いた。
日が暮れても蒸し蒸しと暑い。床几に腰掛けて掘っ建て小屋を建造する様子を眺めるものの、団扇をあおぐ手が止まらない。
暑くてやってられないので篭手を外そうと思いきや、マリオが馬でやって来た。腰を上げてかちゃかちゃと歩み寄っていくと、兜姿のままのマリオは跨ったまま言う。
「軍議ゆえ」
「あっしもッスか?」
「簗田殿も連れて来いとおおせだ」
おれは溜め息をついてねじり鉢巻きを呼び出し、クリツナに跨ってマリオのあとに付いていく。
団扇を動かしながら佐和山城の門をくぐる。本丸の曲輪の門前で下馬すると、その先に織田永楽銭の白い陣幕が張り巡らされていた。
かがり火がお祭りみたいに焚かれていてものすごく熱い。バカじゃねえのか。とはいえ、さすがに信長の前で団扇なんか使っていたらボコられるのは確実なので、背中の綱に差し込む。
武将が十五、六人ぐらいで大きな机を囲んでいた。おれは末席のほう、目立ちたがりの赤装束のマタザの脇が空いていたのでそこに座る。向かいはサルで、その隣にはウザノスケだった。二人とも顔は正面に向いているが、横目で睨み合っている。
上席から視線を感じて見やってみると、睨みつけてくるのは真敵ゴンロクだった。フン。睨んでられるのも今のうちだけだ。そもそも、くだらねえ睨みをあんまりきかせてくるんなら鬼神を派遣してやるぞこの野郎。
まあ、あえて相手にしないおれはクソゴンロクの視線をさらりとかわしつつ、隣のマタザに小さい声で話しかけた。
「それにしてもあちいッスね。湖で泳ぎたいッスね」
「明日は川渡りなんだろ? 存分に浴びれるじゃねえか」
「そんな暇あるんだったら泳ぎたいッスけどね」
信長が誰か若い奴を連れて入ってき、おれとマタザは背すじを伸ばす。
信長は上座に腰掛け、若い奴は並んだ列の上座にもっとも近い場所に腰掛けた。見かけないイケメンであった。軍議に参加するのは初めてなので、あんな若い奴でも重臣になれるのかと驚いていたら、違った。
「浅井総大将の新九郎だ」
お市様の旦那だった。浅井新九郎は爽やかな微笑を浮かべながら、湖の上をすべる風のような声で言う。
「今回、兄上の上洛行軍と聞いて駆けつけて参った。各々に近江武者の力を見せたい所存だ」
あんなイケメンがお市様の旦那だと思うとやるせなくなってくる。どうせならおれみたいなキモオタだったら救いようがあった。
あのお市様にこのイケメン、夢がない。
「三河殿もだ」
すると、がちゃっと鎧を鳴らしながら、おれの列のいちばん上席で立ち上がった。
え――?
背丈はともかく、おれに系統の近そうなデブなんだが……。
三河殿って、徳川家康だよな。
「このたびは上総介殿の上洛行軍と聞いて駆けつけて参った次第であります。各々に三河武者の力を見せたい所存でございます。どうぞよろしくお頼み申す」
そう言ってデブは座ったんだが、おれは狐につままれた思いであった。一応は武将の風体だが、言ったことは浅井新九郎の言葉をそのまま引用しているわ、なぜかいちいち立ち上がったわで、田舎者臭さはなみなみならないし、デブだしで、おれの想像していた徳川三河守じゃない。
まあ、シロジロなんかに二百貫を預けちゃうような奴だからな。
「三左」
と、信長が言うと、ゴンロクの脇に座っていた森サンザが立ち上がり、長い棒を手にして机に広げられた観音寺城周辺の地図を指し示した。
「明朝に佐和山を出立。着陣はここ、愛知川を挟んで和田山城と向かい合う。明後日早朝より渡川、三方面より城攻め。和田山攻め先鋒は氏家殿、稲葉殿、安藤殿、よろしいか」
西美濃三人衆が揃って立ち上がり「ありがたき幸せっ」と信長に頭を下げた。
「佐久間殿、新九郎様は先鋒に続く手筈と。一方で観音寺城にも攻めかかる。柴田殿、赤母衣、黒母衣、それと拙者が可児勢。先鋒は赤母衣」
「承知いっ」
と、マタザが隣で大声を上げておれはびっくりしたものの、サンザの話で可児という言葉が出てきていたので引っかかった。
サンザは東美濃可児郡の所領主になっているのだろうか。
「滝川彦右衛門、木下藤吉郎、丹羽五郎左はおやかた様とともに箕作城攻め。三河殿もこちらで」
「異論はあるか」
信長が言う。
おれの名前が出てねえんだが、まあ、マリオにくっついていれば文句は言われねえだろう。マリオの与力だと誰もがそう思っているのだろうし。
てか、暑い。おれがどこの配置なのかというよりも、早くこのキャンプファイヤーから逃れたい。汗が止まらなくて喉もカラカラだ。
「このいくさ、明後日の明け方までに終わらせる」
一同、えっ、と、顔を上げた。さすがのウザノスケでさえびっくりしている。
信長は諸将の驚き顔も放っておいて去っていく。各武将は信長の最後の言葉に戸惑っていて、なかなか腰を上げられない。
さっさとキャンプファイヤーから逃れたいおれも重臣連中が出て行ってくれないので腰を上げられない。
「おやかた様は本気でおっしゃっていられるのだろうか」
長ヒゲ佐久間が眉をしかめており、ゴンロクも腕を組んでしかめっつら。
「総攻撃ならまだしも、三方面に分けての城攻めで明後日までとは、いささか無理がすぎんか。先を急いてむやみに兵を殺させることになりかねんが」
「違いましょう」
と、腰を上げ、浅井新九郎が中央の大地図の前に進み出た。
「和田山城、観音寺城に主戦を置くと見せかけて、義兄上の本隊が迂回して箕作城を攻めるということなのでしょう。力で攻めるのは容易でありますが、兵は詭道なり。策を講ぜずにむやみにいくさをするような義兄上だとは思いませんが」
若武者に諭されて、長ヒゲ佐久間とゴンロクはうーむと唸る。てか、さっさと出ていけよ。おれはもう喉がカラカラなんだ。
「しかし、明後日の明け方とはなあ。いかにも」
「まあ、いいじゃないですか」
と、生意気な口を叩いたのはウザノスケ。
「俺が先鋒です。終わらせましょうぞ。それにそちらのほうが鬱陶しい人もどきと共に戦わずに済む」
にやつきながらウザノスケはちらっとサルに目を向けた。
「なんだぎゃあと?」
挑発されたサルが顔を真っ赤にしながら腰を上げる。
「おりゃあはおやかた様と共に箕作城に向かいますだりりゃあ、仰せの通り、おりゃあが明日一晩で箕作城を片づけてやりますだぎゃあ。でやから、皆様もおやかた様の命じられた通り明後日にまでには片づけられい」
「お前みたいな人もどきに言われる前に叩き潰してやるわ。むしろ、お前こそその言葉忘れんなよ。おめおめと逃げ帰ってこねえようにな」
と、ウザノスケがにやにやしながら捨てゼリフを吐いて、ようやく外へと出ていってくれる。
「偉そうな口を叩きおって。人真似しかできんから身の程をわきまえることも知らん」
ゴンロクもつまらなさそうにしながら外へ出て行く。ゴンロクはおれの前を通っていく途中、睨みを飛ばしてきたが。
ゴンロクが出て行ったことで、各武将もぞろぞろと出て行く。
「まあ、落ち着け、藤吉郎。内蔵助ごときでそう熱くなるんじゃねえ」
マタザになだめられたサルだが、フンと鼻を背けて出ていった。おれもサルに続いてそそくさと出ていく。
警備についている雑兵に井戸のありかを教えてもらい、水を求めて小走りに向かった。
まったく。いつまでもごちゃごちゃと喧嘩しやがって。
桶を井戸の中にぶん投げて縄を引いて水を持ち上げてくる。両手ですくって口に運んで喉を潤す。足らないので桶の中に顔を突っ込んでガブガブと飲んでいく。
かちゃかちゃどすどすと足音が聞こえてくるので振り返った。
「ああ。水、水。喉がかわいたわ」
手拭いで兜の下の額をぬぐいながら徳川三河守だった。おれはどうぞと言って桶をゆずった。三河守は右手をおれにかかげて頭をちょこっと下げてき、桶の中に顔を突っ込んだ。兜が邪魔をして突っ込めなかった。
「ここに柄杓があったッス」
と、おれは渡した。
下膨れの顔から舌を犬みたいに出しながらぜえぜえと言っている三河守は柄杓を受け取ると、がぶがぶと水を飲み始めた。
「いやあ、生き返った」
三河守は柄杓をおれに渡してくる。おれは柄杓で水をすくってがぶがぶと飲む。柄杓を三河守に渡す。三河守もがぶがぶと水を飲む。
柄杓を交換しながら水を飲み続け、目の前にいるのがおれみたいなデブなので大丈夫だろうと、おれは団扇を抜いてきて顔に風を送った。
「暑くてたまらんですな」
「ほんとッスね」
「もう朝からずっと汗が止まりませんわ」
手拭いで汗を拭き取っているデブに団扇で風を送ってやる。
「おお。気持ちいい」
と、デブが恍惚の表情を浮かべたのでおれはさんざんあおいでやった。
「だいたいかがり火を焚きすぎなんスよ。ここはよっぽど暑いじゃないッスか」
「いやあ、まったく。扇子部隊でも置いてもらいたいものですな。わしのような太っちょには」
三河守は自分で言って自分でげらげらと笑っているので、おれもそう思ったと言うと、二人で笑いながら来た道を戻っていく。
「失礼ですが、おたく様は?」
「あっしは沓掛城の簗田牛太郎ッス」
「ああっ、おたく様が」
と、三河守はくりくりお目目を広げながらおれを見上げてくる。
「噂にたがわぬ巨漢の御仁で」
「いや、巨漢って言えばそうかもしんないんスがねえ」
「桶狭間はしてやられましたわ」
「いやいやそんな」
軍議が行われた陣所に戻ってくるとサンザがマリオと話していたので、おれは団扇を背中に差し込むと三河守に一礼し、サンザに駆け寄っていった。
「サンザ殿、ちょっとお話が」
「何用だ」
と、振り向けてきたサンザの目つきはいくさ前とあってなかなか厳しい。
「サンザ殿が言っていた可児勢っていうのは、東美濃の可児のことを言ってんスか」
「左様だ」
「あの、実は――」
おれはマリオをちらっと見やったあと、言った。
「あっしの沓掛勢に可児の出身の若い奴がいまして、そいつが、お母さんが病気だからってこのいくさのあとに足軽を止めて可児に帰る予定なんス。そうなったら、もしよければサンザ殿の軍勢に入れてくんないッスか」
サンザはきょとんとしてマリオを見やった。マリオもきょとんとしておれを見やってきた。
「才蔵のことか、簗田殿」
「あ、はい」
「才蔵であれば可児勢のお力になれるかと」
「左様か。まあ、別に構わんが。可児勢の誰か足軽組頭にそう伝えておく」
「ありがとうございます」
「しかし簗田殿、足軽下々の者のことまでよく知っていたな。沓掛に戻らんから足軽下々のことなんぞ気にかけていないと思っていたのに」
マリオにそう言われたので、「いや」とおれは烏帽子頭をぽりぽりと掻きながら自嘲した。
「前にサンザ殿に家臣を三人ぐらい付けろって怒られたんで、サイゾーをそうしようと思ったら、実は、だなんて言われちまったんで、それで」
サンザとマリオは顔を見合わせて、苦笑に近い感じで口許を緩めた。
それと自分たち沓掛勢がマリオの児玉勢と一緒になっていればいいのか確認し、おれはサンザとマリオの前から踵を返した。
と、門に体を向けたら、デブの三河守が手拭いで汗を拭きながらこちらを眺めていた。デブがおれを待っていたみたいにして右手をかかげてきたので、おれは苦笑しながら頭を下げる。
デブの隣には変な奴がいる。鹿の角みたいなのを炎のように生やした変な兜を被っている若者だった。おれが歩み寄っていくと、
「こちらは本多平八郎というわしの家臣ですわ。平八、こちらの御仁は沓掛の簗田牛太郎殿だ」
平八郎とかいうファイヤー兜は「本多平八郎と申す」と口をへの字に曲げたまま頭を下げてきた。
「どうも」
どちらからともなく歩み始め、肩を並べながら門をくぐっていく。
「それにしたって、簗田殿は臣下思いなのですな」
「へ? 何がッスか?」
「さきほどの、足軽の話」
「ああ。そういうあれじゃないッスよ。だって、食い扶持がなくなっちゃうじゃないッスか」
ハンザに口輪を取られてクリツナが待ち構えている。
「それでは。いくさ、気張っていきましょうか」
と、言って、三河のデブはファイヤー兜ともに右手をかかげて去っていった。
ハンザが肩をすくめて縮こまっている。ハンザはおれと一緒に出てきたデブが三河守を一目でそれだとわかったらしいが、三河のデブはハンザをハンザだと知らないのか気付かなかったのか。
「お前、三河殿とは面識がないのか」
「いえ、元服のさいに一度だけ。ただ、おやかた様は父の顔は覚えていても拙者ごときは」
「ふーん」
ハンザの手を借りて眠たげなクリツナにまたがる。手綱を手繰ってクリツナを歩ませる。
サイゾーの再就職先は斡旋しておいて、ハンザの復帰は頼まないというのも変な話だが、ハンザはおれの唯一の家来である。おいそれとお返しするわけにはいかん。
それに、
「お前、べつに三河に戻りたいとかはないだろ?」
「はい。むしろおやかた様のお許しはいただけないかと。それに旦那様へご恩はまったくお返ししておりません」
「お前をおれの家来にしているってのはまずいのかな?」
「父だったらそうかもしれませんが」
シロジロもまずいがな。
翌早朝、佐和山を出て南近江愛知川を目指していったのだが、おれは腹が猛烈に痛くなっていた。おそらく、井戸水をそのままがぶがぶ飲んだせいだ。絶対に変な菌が混ざっていやがった。あの暑さの中でどおりで井戸に人が群がっていなかったわけだ。
ぎらぎらと照りつける日差しを受けて、冷たい汗を垂らしながらもおれはなんとか我慢していたものの、クリツナの背中に揺れているうちに脱糞した。
すると、雑兵に口輪を引かれていたクリツナが止まってしまい押しても引いても動かなくなったので、おれは仕方なく下りた。おれが下りたらクリツナは歩き出すのだった。
おれは足軽が引いていた松明の荷車の上によじ登りその上に揺られながら心置きなく脱糞する。
荷車を引いている足軽たちがくさいくさい誰かが漏らしたと騒いでいたものの、おれは無視。
やがて愛知川に到着し、ハンザに綱を外してもらうと、周囲の目を盗みながら川の岸辺に下りていく。一人でなんとか甲冑を外していって、きょろきょろと確認したあと、袴の紐を解いていき、ふんどしも緩めていく。川辺で袴とふんどしを洗っていく。
すると、もう一人、若干遠めの岸辺でおれと同じようにして、フルチン姿の奴がいた。ただし、三河守は従者にふんどしを洗わせており、その後ろで座って腕組みをしながらじいっと固まっていた。
おれと目が合うと、三河守はどうもという具合で苦笑しながら頭を下げてくる。おれもどうもという具合で頭を下げる。
おれは徳川家康とはどうやら気が合うようだ。
幅広の愛知川の向こうには木々と城郭に巡らされたなだらかな山があり、その向こうに大きめの山が昼中の日差しにかすみながらも並んでいた。
川には十隻以上の舟が船首を下流に向いて一列になって急ピッチで並ばれていく。どこから持ってきた舟なのか不明だが、マリオの話によればクローザたちが手配していたらしい。
舟と舟とを縄で繋ぎ、その上に大きな板を並べて橋にしていく。
こうして見ると橋が架かっていないってのは不便だ。もっとも橋を架けてしまったら勢いを増した川には流されてしまうのだろうし、こうした川もひとつの防御線なのだろう。
近在の村々の住人たちも織田が大軍を引き連れてくると知ってどこか遠くの寺にごっそりと避難していったらしく、対岸の世界はおそろしいぐらいに人気がなかった。
ただただ舟を繋いでいく雑兵たちの声が響いており、ただただ油蝉が鳴いている。川波ちゃぷちゃぷと岸辺に寄せてきて、嵐の前の静けさならぬいくさの前の静けさか。
「あすこが観音寺城、あすこが我らが攻めかかる箕作城であるが」
マリオが鞭の先でかすむ山を指し示しながらおれや自分の与力たちに伝えてくる。
「おやかた様の下知だと明日までには落とさなくてはならぬ」
シンパチのオッサンや種橋のオッサン、与力や家臣たちは「まことですか」と訝しげな顔つきだった。
ハンザを引き連れているおれは箕作山を黙って望む。
半兵衛は信長に大して腑抜け攻めでいいと言っていたけれど、それを伝えてこないところ、本気でやらせるつもりらしい。マリオと離れ、自陣に戻ったおれは沓掛勢の足軽組頭たちを呼び集め、自分たちは児玉勢とともに箕作山を攻めるが本気にならなくていいと伝えた。
「どういうことだ」
と、組頭が言い、シンパチのオッサンも眉をひそめる。
「簗田殿。それではいかんぞ」
「いや――」
おれは口外しないようきつく前置きしたあと実際の作戦を教えた。
「手柄を取るつもりなら体力を温存しておけ。だからって昼間にサボるのは駄目だからな。適当に手を抜きながらやってろ」
「それを存じているというのか、簗田殿は」
シンパチのオッサンが言うので、おれはうなずく。半兵衛とサルと信長の席におれも同席していたと。
そうしたら、シンパチのオッサン以下、組頭たちは顔つきを変えて若干ながら驚いていた。おれが極秘作戦の場にいただなんて思いもしなかったのだろう。
「お前らはバカにしているけれど、おれはこう見えて桶狭間勲功第一だからな」
「まあ、そうだけど、そんなに殿が偉い人だとはな」
組頭は他所の組頭に同意を求め、うなずき合う。
「バカ野郎、能ある鷹は爪を隠すんだ」
「それを言っちゃ、隠してねえじゃねえか」
笑い合っている組頭どもをとりあえず肩パンしていき、解散すると、おれは足軽たちの輪の中にサイゾーの姿を探す。掘っ建て小屋の日陰で脇差しを研いでいた。おれは歩み寄っていき、サンザに話をしたことを伝えた。
「ま、まことでございますかっ」
「まあべつにお前ぐらいの人間だったらおれが言わなくても済んだだろうけど」
「いえっ、とんでもございませんっ」
サイゾーは姿勢を正座にし、茣蓙の上で深々と頭を下げてくる。
「かえすがえすも恩に着ます。明日のいくさ、必ずや、殿のために大功を打ち立てる所存でございます」
「まあまあ」
おれはサイゾーの肩を叩いたあと、自分の掘っ建て小屋に戻っていく。甲冑のまま寝転がって、団扇で顔をあおぐ。
「あっちーな。しかし」
ハンザがぼけっと突っ立って、おれを見つめてきていた。
「なんだよ」
「拙者、旦那様の家臣となれて感慨もひとしおでございます。上総介様とともに策を練るというお立場でありながら、足軽雑兵にまで目をかけておられるとは」
「たまたまだ。まあ、ハンザだって三河に帰りたいならそうしたっていいんだからな」
「いえっ。拙者はどこまでも旦那様に付いていく所存でございます」
「ああそう。おれは昼寝するから何かあったら起こしてくれ」
おれは寝返りを打ってハンザに背中を向けた。
褒められるのはいやじゃないが、あんなに真面目な顔を向けられると照れくさい。
それにそういうことはバカ息子の太郎の前で言ってもらいたいものだ。いいことをしたときに限って太郎はいないんだもんな。
日の出前、動き出した。
うっすらと夜空がうすまり、湿った風がほどよく吹いている中、岸と岸を繋ぎ終えていた舟橋をいちばん最初に渡っていったのはマタザの赤母衣衆、ウザノスケの黒母衣衆だった。引き続いて長ヒゲ佐久間、サンザ、川に落ちてしまえばいいゴンロク、ついで和田山攻めの西美濃三人衆が渡っていく。
東の空は赤くなっていた。クリツナに跨るおれは周囲を沓掛勢で固めながら、マリオの児玉勢がぞくぞくと舟橋を渡っていくのを見届けていく。
「夜か」
と、おれは一人つぶやいた。
長い一日になりそうだった。
けれども、織田は勝てるという自信はあった。おれがやれるかどうかであった。
対岸の向こうからすでに半鐘の音、太鼓の音が風に乗って届いてくる。
朝日が昇ってきて、川波が黄金色に輝いた。クリツナを小走りに走らせて舟橋を渡っていく。向こう岸の新たな世界にたどり着くと、マリオの児玉勢に付いていって上流へと上っていく。
朝日にまぶされたクリツナのたてがみがきらめいている。
さゆりんの顔が頭をよぎった。
「もう終わりにしてやる」
おれはいまだ揺れている自分にそう言い聞かせ、伊那谷のあの日のことを記憶から打ち消した。




