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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第五、二章 よめとり物語
74/147

あいにむくわれる男

 あてもなく大野川沿いを下っていたら、徳川勢の雑兵に取っ捕まった。

 正体を明かす気力もなかったおれは長篠城に連行され、身ぐるみ剥がされて牢屋にぶち込まれたが、脇差しの桔梗紋は土岐源氏の末裔が使うので、もしかしたら美濃の人間なんじゃないかということで、牢屋から解放された。

 長篠城城主の奥平美作守という奴が直接尋問してきた。

 おれは沓掛の簗田牛太郎と名乗った。

 証明するものは一切なかったが、噂に聞く巨漢だというのと、あまりにも顔つきがゾンビ化しているお情けで、とりあえずは客間を与えられて、とりあえずはメシを馳走してもらった。

 それでいて、奥平美作守は徳川三河守家康のいる岡崎城に早馬を飛ばしたようで、岡崎城の徳川三河守も沓掛に早馬を飛ばしたらしく、沓掛の連中に確かにおれが行方不明になっているというのを聞いて、徳川三河守は長篠城の美作守に手厚く保護しろと命じたようで。

 それでなくとも、奥平美作守はいい奴だった。三食は毎日ともにしてくれたし、どうして長篠をさまよっていたのか、どうしてゾンビ化しているのか、そういったナイーブなところは訊ねてこなかった。

 おれが岐阜に帰りたくないと漏らすと困り顔でいたが、とりあえずは気の済むまで休んでいけとも言ってくれた。

 それに信長が北伊勢に攻め込んでいるという話でもあった。

 さゆりんが本当に六角勢の手下なのかどうかわからなかったが、もしもそうであるとおれはべらべらと喋っていたわけだから、本気で帰りたくなかった。信長に殺されるんじゃないかと怯えた。

 それに、あんなのひどすぎる。

 おれが何をしたっていうのか。

 おれはいつだってこんな思いをしなくちゃならないじゃないか。

 何もかもやる気がなくなっていた。何もかもから閉じこもりたかった。おれは死にたい死にたいとしか考えなかった。

 そんなおれのところに美作守の息子が遊びに来たのだった。

 九八郎という十三歳の、すでに元服を済ましているガキで、桶狭間の話を聞かせてくれと。

 おれは嫌だと言ったのだが、九八郎は次の日にも次の日にもしつこくやって来るので、仕方なしに話してやった。

 暇だったし、九八郎が熱心な顔つきで聞くので、わりと詳しく話した。

 ハットリ君が喚いていたことや、マタザが乗り込んできたこと、桶狭間ではオジャマロと正面切って向かい合ったこと、ハットリ君が突っ込んできて、毛利新助とともに格闘していたこと。

 話し終えて、おれは何をべらべらと喋っているのだろうと嫌悪感が湧いた。べらべらと喋っているからさゆりんに騙されたんちゃうか?

 おれは再び塞ぎ込んだが、九八郎が長篠城を案内すると言って聞かないので、おれは長篠城の城郭を巡って歩いた。

 桶狭間の話をしてもらったお礼とばかりに九八郎は長篠城のすみずみまで熱心に説明するのだった。

 おれは九八郎の一生懸命な姿を目の当たりにしていると、同年代の太郎を思い出した。

 太郎が心配になった。

 太郎は馬廻衆だから、きっと、信長とともに北伊勢のいくさに参加しているに違いなかった。

 そもそも、太郎の初陣じゃねえか。

「簗田殿には――」

 夕食のとき、美作守が言うのだった。

「九八郎と同じぐらいの倅殿がおるそうですな。織田様の馬廻を務めてらっしゃるそうで」

 美作守はおれの息子のことを誰かに聞き、あえて九八郎を寄越したのかもしれなかった。

 おれは面目ないと言って、美作守にどうして長篠付近をさ迷っていたのかを話した。武田に追われて、と。

 無論、忍びに騙されたとは口にしなかったけれども。

「長い間、お邪魔して申し訳ございませんでした。明日には沓掛に帰ります」

 おれは九八郎にも別れを告げ、美作守の家来の帯同で長篠城を発った。

 徳川三河守に挨拶しなくちゃならないと思っていたけれども、美作守がそれはいいと言ってくれた。自分から伝えておくと。

 美作守は人見知りのおれの性格を知ってくれているようだった。

 沓掛勢は北伊勢のいくさには駆り出されなかったようで、久方ぶりに顔を合わせた連中は何があったんだと詰め寄ってきた。おれは何も話したくなかった。

 北伊勢のいくさも終わったということだった。太郎は無事に岐阜に戻っているとも聞いた。ねじり鉢巻きやクリツナ(仮)も無事らしい。

 それを知ると、また、帰りたくなくなった。

 おれは沓掛城に閉じこもった。

 信長になんて言えばいいのか。

 きっと、ねじり鉢巻きはバカだから、太郎の耳には入れているはずだった。おれの身柄は女忍びに任せていると。

 太郎には確実に説教される。それはそれでいい。けれども、信長にそれが知られていたら、なんて言えばいいのか。

 おれは何を喋ってしまったのだろうかか。おれが喋ったことでどんなことになってしまうのか。それが怖かったし、さゆりんに裏切られたことを思い出せば死にたいほどに苦しかった。

 もういやだった。どこにも行きたくなかった。

 しかし、案の定、太郎が沓掛にやって来て、おれを布団の中から引きずり出そうとし、おれは嫌だ嫌だと言って太郎の手を振り払った。

「何があったかは知りませんが――」

 どうせ太郎は予想できているくせに、あえて突っ込まずに言うのだった。

「細流は大河と成らないのですか」

 三日三晩、太郎に説得され、おれは布団から出た。ねじり鉢巻きとクリツナ(仮)を連れてこなかったので、太郎と二人で岐阜に向かった。

 歩き慣れた道をゾンビのように行きながら、信長に会いたくないとおれはごねたが、太郎が睨みつけてきた。

「いい加減にしてください。ご無事だったのはなによりですが、すぐに帰ってこずに長篠城で居候していただなんて」

「隠居ってことにしてくれないかな」

「いい加減にしてください」

 岐阜の屋敷に帰ってくると、シロジロやあいりんが涙目で出迎えてきたのだが、おれは下僕どもを無視して廊下を突っ切っていき、風呂にも入らず居室に閉じこもった。布団を引っ張りだしてきて、その中にくるまった。

「父上っ!」

 太郎がぎゃあぎゃあと騒いでいたが、おれはゴホゴホと空咳を払った。頭が痛いと言った。腹も痛いとも言った。今まで我慢していたけれど歩けないぐらいに体調が悪かったんだと言った。

「何をおっしゃってるんですかっ! おなごに騙されたなら騙されたでそれでよろしいでしょうっ! けじめは付けてくだされっ!」

 太郎がとうとう言ってしまったので、おれは泣いた。思い出して泣いた。

「丹羽様があれほどおっしゃっていたじゃありませんか。女の忍びには気をつけろと。武田の常套手段なのですよ」

 太郎の言葉を聞いてふと気づいた。

 そうか、おれと一緒にいたっていう女忍びは、みんな、武田の忍びだと思い込んでいるんだ。

 だったら、おれが事実を明らかにしなければ、信長に殺されずには済むんだ。悪いのは武田信玄なんだから。

 だからって、布団から出る気はなかった。

 あいりんが食事を運んでくるのだが、女は特に信用ならなかった。布団の隙間からあいりんを覗きこみ、あいりんが目を向けてくると布団を閉じた。

 女は必ずおれを裏切る。

 でも、でも、さゆりんはおれを裏切ったのか?

 さゆりんはあんなに優しかったじゃないか。おれを勇気づけてくれたじゃないか。結局はおれを殺さなかったじゃないか。

 さゆりんがおれを見つめたあの瞳は、絶対に嘘じゃないんだ。

 嘘じゃない。

 ……。

 死にたい。

 岐阜に生還したおれのもとにはくだらねえ連中がここぞとばかりにやって来た。マタザ、サル、インチキ芸能記者、それにサンザ。

 病気だから帰ってもらえとあいりんに告げているのだけれども、毎度のごとく連中はおれの居室に勝手に上がり込んできて、布団の中のおれに、何があったのか、さっさとおやかた様に報告しろと言ってくる。

 おれは無視した。

 わかっている。わかっているんだ。

 けど、嫌なんだ。もう、やりたくないんだ。

 戦国時代で武将をやりたくないんだ。

 だって、いつも、ろくな目に合わねえんだもん。

「牛いっ! でてこいっ!」

 ……。

 一度耳にしたら絶対に忘れられない甲高い声が屋敷中に鳴り響いている。

 まずい……。

 とうとう、親分まで乗り込んできちまった。

 おれはどうしようか迷った。体を起こし部屋の中を見回してうろたえた。

 そうだ、ハッタリで切腹の真似をしよう。

 そう思って腰を上げ、刀箪笥に手を伸ばそうとしたのだけれども、バチンッ、と板戸が叩き開けられ、

「貴様っ! 登城もせずに何をしていやがるっ!」

 小袖着流しの親分が登場してしまい、おれはあわててその場に平伏し、ずかずかと歩み寄ってくる信長に対してビビリながら声を張った。

「も、申し訳ありませんっ! や、病にかかっておりましてっ!」

「ほざけっ!」

 ガツンッ、と、後頭部を踏んづけられ、ぐりぐりと足で押さえつけられ、おれは必死で申し訳ないと喚く。

 すると、信長は髷を引っ掴んでき、鼻血を垂れ流すおれの顔をぐいっと引き上げると、目玉を剥き出しにしておれを覗きこんできた。

「貴様には愛想が尽きたわ。梓をめとって梓に殺されろ」

「へ?」

 おれの頭をぶん投げ捨てると、信長はどかどかと居室を出て行ってしまう。

 あいりんとシロジロがおれに駆け寄ってきて、大丈夫ッスか、大丈夫ですか、と、おれの肩に手をやり、大丈夫じゃない、と、おれは言う。

「仲人役には村井民部殿をつかわすとおやかた様はおっしゃってましたんで」

 誰かが間口で喋っているので、鼻血ボタボタのままで顔を上げてみると、小姓の竹がにやにやとしていた。

「いずれ、民部殿がお訪ねに参りましょう。それでは」

 竹が去っていき、おれは呆然としてシロジロを見やる。あいりんを見やる。

 あいりんが懐から手ぬぐいを取り出してきて、おれの鼻の下に手ぬぐいを添える。

「お、おやかた様が、な、何を言っていたんだか、よくわからないんだが」

「誰かを娶って殺されろっておっしゃってたッス」

「梓様とおっしゃってました」

「え?」

 おれはあいりんの手から手ぬぐいを受け取り、鼻を押さえながら腰を上げる。よろよろと廊下に出る。信長の姿も竹の姿もない。

 おれはシロジロとあいりんに振り返る。状況がまったく飲み込めないので訊ねる。

「結婚しろってこと?」

 シロジロがうなずく。

「梓って言ってたの? 間違いなく?」

 あいりんがうなずく。

 どういうことだか訳がわかんねえ。梓って誰だよ。まさか、デザイアのことを言っているんじゃねえよな。まさか。



 夕暮れ、村井吉兵衛こと、通称、村井民部少輔むらいみんぶしょうゆうがおれの屋敷にやって来た。

 齢五十手前というわりに総髪白髪の見た目ジジイである。

 いくさ場には出てこないが、信長の足下で政務諸事に当たっているらしく、西美濃三人衆のところへ人質を受け取りに行ったのもこのジジイだった。

 広間の上座に座らせて、太郎はへこへことしている。

 おれは鼻の穴に綿を突っ込んでふてくされる。

「ついさきほどおやかたに話を聞いたばかりでわしも驚いたのだが、牛太郎と梓の仲人役を務めろということで、祝言の日取りを決めたいと思うのだが」

「い、いや、民部殿」

 勝手に話を進めようとしているので、おれは当然、疑問を投げかける。

「梓って誰ッスか?」

「柴田の梓じゃ。知らんのか?」

 腰を低めている太郎はおれに顔を向けてくる。

 太郎くんは言葉が出ないようである。おれの表情をうかがうしか為す術がないようである。

 鼻血マンのおれは笑うしかない。

「いやいや、冗談きついッスよ」

「うむ。確かにわしも最初は冗談かと思ったが、おやかたは本気だそうじゃ」

 小袖の上に肩衣をピシッと羽織る民部ジジイは手前の湯のみ茶碗を手にし、背すじを伸ばしたまま白湯をちびりとすする。

 アハハ……、と、おれは笑っているしかない。

 太郎は沈鬱な表情で顔を伏せており、広間の敷居の向こうにはあいりんとシロジロ、それに鉢巻きまでもが膝を並べて固唾を飲んでいる。

 そして、なぜか、墨壺を首からぶら下げているインチキ芸能記者も。

「森三左が言っておったのだが、牛太郎の嫁は誰がよいかと話し合ったそうじゃ。のう、又助」

「はい。左様でございます」

「お主は働き者のときと怠け者のときの差が激しいそうじゃな?」

 おれはむっとして唇を尖らせながら、ぽりぽりとこめかみを掻く。

「おなごには甲斐性なしともおやかた様は申しておりましたな」

 縁側でインチキ芸能記者がろくでもないことを言っているので、睨みつける。あいりんがうつむいている隣で、太田のクソ野郎はにやにやと笑っている。

「そういうわけで、おやかたが決めたのだ。牛太郎には梓がよいと。梓は行き遅れであるが、しっかり者ゆえな。かぶいているのはさておき」

「いや、さておきって部類じゃないッスよ」

「昔はしっかりしておったではないか。わしも考えてみたのだが、牛太郎のような者には梓のような気の強いしっかり者がよいと思うのじゃ」

「気の強いしっかり者どころじゃないッスよ。ウザノ――、佐々内蔵助殿のキンタマを殴っていたんスよ。あっしはこの目で見ていたんスよ」

「それは内蔵助が悪さを働いたのだろう。お主も殴られればよいではないか。しゃきっとすること間違いない」

「無理ッス。いくらなんでも無理ッス。だいたい、柴田ゴンロク殿が許すわけないじゃないッスか。柴田殿はなんて言ってたんスか」

「権六には明日、おやかたが直々に伝え申す。おやかたの命じゃ。権六とて逆らえん」

「無理ッスよ。あっしは無理ッス」

 すると、民部ジジイは前のめりになっておれを見据えてき、顔に似合わない唸り声を吐き捨てた。

「わしの顔に泥を塗るか?」

 おれはがっくりと首を垂らす。

 恫喝したあとは民部ジジイが勝手に日取りを決めてしまい、約一ヶ月後の吉日だとし、挙げ句の果てには風呂に入れさせろと図々しい有り様だった。

 シロジロに薪を焚かせ、ジジイが(ちゃっかりインチキ太田も)風呂に入っているさなかも、おれは太郎と二人、広間でうなだれていた。

「父上。おやかた様の下知では。こればかりは」

 おれは声も出ない。かぶりを振るだけである。

 確かにだ、三十を越えて未婚のおれは異常かもしれないし、武田の忍びに騙されたと思っているだろう信長やサンザの言うことも間違っていない。

 きっちりとした奥さんがいたら、おれはさゆりんなんかに溺れなかったかもしれないし、チヨタンには目もくれなかったかもしれない。

 しっかり者で、優しくて、綺麗な奥さんがいたら。

 でも、バカの信長とバカのサンザがおれの嫁として選んだのは、デザイアだ。

 ふざけんな……。

 民部ジジイが口にする何もかもが、織田家中の行き遅れ同士をくっつけさせるための口実にしか聞こえねえ。

 かたや行き遅れの暴れ猫、かたや無能の鈍牛、祝言だのなんだのなんて、織田家中のトンデモ野郎同士をくっつけてしまうだけの茶番劇にしか思えねえ。

 どうせ、信長のことだ、サルと寧々さんのときにウザノスケをけしかけたときみたいにして、キャッキャと笑っているに違いねえ。

 そんな、くだらねえ戯言のために、おれは結婚という人生の墓場に埋められるわけだ。

 デザイアという地獄の血の池に沈められちまうわけだ。

 終わりだろうが、おれの人生。

 どうして、デザイアなんかと。

 あのとき、清洲の門前町でおれをさんざん侮蔑したあのデザイアと。

 あの目、あの表情、今でも胸に焼き付いて離れねえ、あの声。


 ――手柄を上げたからと言って浮かれているようなそんな顔なんぞ、見ているだけで反吐が出る


 村井民部とインチキ芸能記者が帰っていくと、あいりんとシロジロが広間に夕飯を用意していった。ねじり鉢巻きと太郎の五人で輪になって夕飯を囲むも、おれは箸さえ持つ気力がない。

「父上。食べないと体が持ちませんよ」

「お前はいいのかこれで。あいつがお前のお母さんになっちまうんだぞ。それでいいのか」

「仕方ないじゃありませんか。どうにもなりません」

 太郎は吐き捨てるように言った。

 他の連中はどうしておれと太郎がお通夜みたいになっているのかわからず、お互いがお互い顔を見合わせていたが、でしゃばりのシロジロがうかがうようにして訊ねてくるのだった。

「どうして旦那様も若君も晴れない顔なんスか。柴田様の妹様だったら、いいんじゃないんスか。重臣の柴田様と縁戚じゃないッスか」

 太郎は御飯をぱくぱくと食べて何も答えない。おれは落ち窪んだ瞼でシロジロを睨みつける。

「お前、見たことねえのか。ゴンロクの妹を」

「いえ、ないッス」

「私は耳にしたことがあります」

 と、あいりんが言う。

「奇抜な格好をされている方だと。でも、あず様と町の人からは好かれていて、悪い評判はそんなに」

「織田家中の評判はよろしくありませんよ」

 なぜか太郎はあいりんにだけは受け答えし、なぜかあいりんにだけは敬語である。

 おれはむしゃくしゃのあまり太郎をぶん殴りたくなってくる。このクソガキはあいりんを好きなんだろうが、一つ屋根の下、主人の息子の太郎と奉公娘のあいりん、クソガキはもはやゲットしたも同然だ。

 それなのにおれは……。

「旦那、女を選べるあれじゃねえんだから、いさぎよく身を固めろ」

 わあああぁぁっ、と、おれは発狂した。

 刀掛けからアケチソードをひったくると、刀身を抜いて鞘をぶん投げる。

 びっくりして仰け反った連中を前に、黒糸の柄を逆手に握りしめると腹に刃先を向けた。

「死んでやるっ!」

「だ、旦那様っ!」

「何やってんだ旦那っ!」

 鉢巻きとシロジロが腰を上げておれに駆け寄って――こようとしたところを、がばりと腰を上げた太郎が左手を突き出して、鉢巻きとシロジロを制した。

 太郎は吼えた。

「構うなっ! 父上の好きにさせろっ!」

 あいりんが肩を震わせながら、涙目でいる。

 左手を伸ばしたまま、太郎が十五歳のガキとは思えない据わった眼差しでおれを睨んでくる。

 ぶるぶると両手を震わせて、おれは太郎を見つめ返す。

「どうぞ。皆とともにに父上の最期を見届けます」

 ぶるぶると両手を震わせて、おれは太郎を見つめ返す。

 死ねるわけもないおれはアケチソードをぽとりと落とすと、がっくりと両膝をついて、突っ伏して泣き上げた。

 太郎に両脇を抱えて起こされ、広間から居室へと連れ出される。

「おれはどうすればいいんだよお! 太郎おっ!」

 発狂してやまないおれの肩に腕を回し、太郎はおれを慰めてくれるのだった。

「何かあれば拙者が父上を守りますから」

「おれはもういやだ」

「そう言わずに。今まで何度も乗り越えてきたじゃありませんか」

 何度も――。

 乗り越えても乗り越えても次の峠があるじゃないか。一体、何度乗り越えりゃいいんだ。

 毎度毎度のように登らなくちゃいけないってのか。

 終わりを知らず延々と。

 人生ってクソだ。



 翌日、どうしてこういうタイミングでやって来るのか、浪人の明智十兵衛が屋敷を訪ねてきた。

「いやはや、今日は風が強くて」

 もちろん、デザイアとの結婚を知って冷やかしに来たのではない。

左馬頭さまのかみ様(足利義昭の官職)の使者として岐阜に参った次第でありまして。上総介殿からは折りよいお返事を頂戴できそうです」

 上洛の担い手ということらしい。

 聞きたくない話である。

「簗田殿もこの岐阜にお住まいということで。不躾ながら立ち寄ってしまいまして。しかし、前に菩提山でお会いしたよりも痩せられましたな? もしや、患っておられるのですか?」

「いえ。健康ッス」

 風の強さに閉めきった腰高障子をそろそろと開けて、あいりんが広間に湯のみ茶碗を運んでくる。

 十兵衛の前に差し出しながら、自分は明智庄の娘だと言った。十兵衛は驚いて、誰の娘かと訊ねた。あいりんは誰それの娘だと言い、しかし、父は死んだとも言った。

「左様か。すまなかった。ひもじい思いをさせて」

 十兵衛はあいりんに向けて姿勢を正し、深々と頭を下げる。

 あいりんは恐縮して頭を下げ返す。

「簗田殿には重ね重ね恩義ばかりで」

 と、十兵衛はおれにも頭を下げてくる。

「しかし、左馬頭様が次期征夷大将軍となれば、上総介殿も、そして直臣の簗田殿にも何かしらの恩返しはできる所存でございますので」

「いや、十兵衛殿、そんなにかしこまらないでくださいよ」

 おれは話し込む気力なんてまったくなかったのだが、十兵衛があまりにも低姿勢すぎるので恐れ多くなってしまった。

「それはそうと――」

 あまりぶり返したくなかったのだけれど、気になっているので、訊ねてみた。

 上洛となると南近江でいくさをするのだろうか、と。信長は問題なく京都まで運べるのか、と。

「南近江でいくさはないと考えますが」

 十兵衛は言った。

 実は信長よりも先に将軍奉戴をほうぼうに頼み込んできていたのだと。越前の朝倉、越後の上杉謙信、それに南近江の六角承禎。それらはお茶を濁すばかりだったので、足利左馬頭は信長を指名したのだと。

「いくさがあるとすれば、松永弾正か三好三人衆かと」

 おれは憑き物が落ちていくかのようにほっとした。

 なんだ、六角はすでに頼まれていたんじゃねえか。南近江ではいくさなんてしないじゃねえか。

 だったら、おれのお喋りが影響を及ぼすわけでもねえ。

 おれは笑顔を浮かべた。

「そうスか。そうなんスか。いやあ、十兵衛殿も大変でしたね。でも、大丈夫ッス。我ら織田が左馬頭様を間違いなく将軍にしますんで。任せてくださいッス」

「そう言っていただけると心強い」

「旦那様」

 障子の向こうであいりんの声がした。

「柴田様のお女中で、お貞さんという方がお見えなのですが。どうしても旦那様にお伝えしたいことがあると」

 憑き物が落ちていたはずのおれの胸にはまたしても憑き物が生まれてくる。

「はあ? そんなの追っ払えよ。おれは今、十兵衛殿と話しているんだ。追っ払え」

「いえいえ、簗田殿」

 十兵衛は腰を上げてしまう。

「長居をするつもりでもなかったので。お忙しいところ申し訳ございませぬ」

「いえ。いいんですよ、今日は泊まっていてくださいよ」

「お言葉かたじけない。連れの者を待たせておりまして。次に来たときには是非」

 あいりんに広間の外へと導かれ、十兵衛は帰ってしまった。

 代わるようにしてシロジロが入ってきた。

「なんだテメー」

「片付けッス」

 そのくせ、湯のみ茶碗を盆に乗せていく動きがえらい遅い。柴田家の女中が来たものだから盗み聞くためだろう。

 おれはシロジロの頭を引っぱたき、さっさと持っていけと怒鳴り散らす。

 シロジロはささっと敷居まで逃げたのだけれど、障子戸を開ける動きは実に緩慢である。

 そうしたらあいりんが、ババアを連れてきてしまう。ババアは敷居の向こうで両膝と両手を揃える。

「風が吹き込んでくるんで入ってもらうッスか?」

「いい。開けろ」

 入れさせたくなかった。

 シロジロとあいりんが障子戸を全開にしていき、渦巻く春一番の風が床の間を背中にしているおれにも届いてきた。

 お貞ババアが頭を下げている。

「申し訳ございませぬ、お忙しいさなかに突然に押しかけてきてしまいまして」

 おれはむっとしてお貞ババアの結い上げた白髪混じりの頭を見つめる。

「なんだ」

 と、おれは語気を荒らげた。

 そもそも腹立たしいのは、忘れもしねえ、初めて出くわしたときにこのババアはおれを存分に侮蔑してくれていたわけだ。乞食同然だとおれに吐き捨てていたし、清洲のボロ家にやって来たときだって、おれをさんざんなじってくれたのだ。

 ところがどうだ、このざまは。

 沓掛三千貫の城主となった途端にこの態度。

 一度会ったきりのおれをわざわざ訪ねてくる十兵衛みたいな奴もいれば、こういうカスもいるこの世の中。

 ふざけんじゃねえ。

「さきほど、権六郎様がおやかた様からお話を頂戴し、梓様を簗田様にと」

「だからなんだ」

「私はただ、梓様のことで、簗田様にお伝えしたいことが」

「聞きたくもねえ! 帰れっ!」

「恐れながらっ、私は柴田の家に何十年も仕えてきた身ではありますけれども、梓様がお嫁ぎになられるとあらば、私も簗田様の家に共に移ることとなるのです」

「ああそう。それで挨拶に来たってわけね。はいはい。わかったわかった。さっさと帰れ」

「なので、もはや、柴田の家に仕える身ではなくなるので、あれからずっとわだかまっていた思い、このさいはっきりと申し上げさせていただきます」

 お貞ババアはおれに向けて顔を上げ、ババアらしくもない切り結んだ目許でなかば睨みつけてくるので、おれは拳を握りしめる。

「はっきりと申し上げたいことだと? なんだこの野郎」

 喧嘩でも吹っ掛けに来たのか、このババア。

 しかし、ババアの声は訴えかけてくるように裏返った。

「簗田様っ。あのときっ、桶狭間のいくさが終わったとき、梓様は決して簗田様をお嫌いになってあのような真似をしたのではないのですっ」

 おれの怒りは拍子抜けして沈んでいった。

 拳もほどき、前のめりになっていた姿勢からも力が抜けていった。

 おれの家に奉公しちまうもんだから、ババアは命乞いに来たのだろう。

「はいはい。わかりました。今後ともよろしく。あいりん、このバアサンを叩き出せ」

「梓様はっ、梓様は――、簗田様を、お慕いしていたのですっ」

 おれは腰を上げた。

 聞いちゃいられなかった。

 ババアの脇をすり抜けて広間を出ていこうとする。

 しかし、ババアはおれの前に膝をすべらせて行く手を塞ぎ、色あせたしわしわの唇を震わせながら、おれに哀願してくるのだった。

「まことなのですっ」

「うるせえ! 今更なんなんだっ! どけっ!」

 ところがババアは蹴飛ばす勢いのおれの足にしがみついてきて、涙さえ浮かべている。

「信じてくだされっ。梓様は、あのとき、簗田様に、簗田様とお約束されたと、この貞に嬉しそうに話しておったんです。それで、それで、梓様は兄上様に、申されたんです。簗田様がもし桶狭間でお手柄を立てたら、簗田様に、嫁がせてほしいと」

 横殴りの強い風が庭の植木を揺さぶっていた。障子戸はがたがたと鳴っていた。

 シロジロもあいりんも驚きで口をわずかに開きつつも、おれの表情をうかがってきていた。

 お貞ババアはおれの足にしがみつき、嗚咽で体を震わせる。

「兄上様は、いっときは良いとおっしゃったのですが、桶狭間のいくさが終わるや否や、それはならんとおっしゃってしまい、梓様はお怒りになったのですが、兄上様は頑として譲らず、何か理由を付けて簗田様を織田から追い出してもいいのだとおっしゃり――」

「だから梓殿はあんな真似をしたって言うのか? だから梓殿は変な格好をし始めたって言うのか? ふざけんじゃねえ! くっだらねえ作り話だ! 帰れっ!」

「作り話ではありませんっ! まことなのですっ! あのような出で立ちをすれば夫婦の話も出ないとあって、あのような姿をしているのですっ! おわかりくださいっ!」

「信じられるかっ! だいたいお前みてえにおれが出世した途端に頭を下げるような奴の話なんか聞けるかっ! お前覚えてねえのかっ! おれをさんざん虚仮にしてくれたことをよっ! 帰れ帰れ帰れっ!」

「旦那様っ!」

 あいりんが進み出てきて、お貞ババアの背中を抱きながらおれに訴えてくる。

「この方が虚言を申しているとは思えませんっ。きっと、本当なんですっ」

「あいりん。いいかい。おれはそうやってさんざん騙されてきたんだ。わかるか、あいりん。今回ばかりはおれは騙されねえんだっ!」

 おれはお貞ババアを振り払うと、居室に駆け込み、戸をぴしゃっと閉めた。

 どいつもこいつも嘘だらけのクソどもめ。


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