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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第五章 門出
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甲州へ

 岐阜から甲府まで、天候良好でも五日はかかるという絶望的な旅路である。

 東美濃の岩村城というところから東山道をひたすら東へ下っていき、信州(信濃国)の諏訪まで行って、歩みを甲州街道に変える。またひたすら甲府を目指して南下するというものらしい。

 どうしておれが……。

 武田信玄に会いに行くご一行はカモンの手下三人と信長から派遣された雑兵十人である。

 雑兵一人一人が背負っている荷物の中身は武田信玄におもねるためのおみやげだそうで、信長が選んだそうだ。

 扇子だの掛け軸だの刀剣だの。そんなことをしたって武田信玄とは仲良くできないんだから無駄だ。だったら、おれに出張手当でも出せって話だ。

 東美濃の岩村城という武田方の豪族の城で一泊すると、そこから木曽谷という山間部を縫うように歩いていき(クリツナ(仮)が)、なんだか知らない寺で一泊。

 翌日には峠を越えて、伊那谷というところに出る。

 行く道行く道、右も左も山ばかりだったが、意外なことに雪はまったくなかった。

 信州長野県と言えばおれは全部が全部豪雪地帯なんだと思っていたが、空はからからに青く、山は湿り気もなく茶色に枯れている。

 まあ、雪がないとはいえ、五日間も山道を行かなくちゃならない。

 荷物を担いでいる雑兵たちは峠越えのたびにさすがにへばる。

 カモンの馬なんかも山道に嫌になっちゃって止まるときがある。そのつど、カモンが鞭でビシビシと引っぱたき、カモンの手下たちが馬のケツを押す。

 クリツナ(仮)も止まるときがある。

 しかし、おれのペットは嫌になって止まっているのではなく、勝手に道端の草を食べ始めるのだった。腹を満たすとまた歩く。

 普段は寝そべっているばかりなのに、なかなかどうして、役目をわかっているようだった。

「やはり桶狭間勲功第一の簗田殿は所有されている馬も質が違いますなあ」

 おもねりカモンの言葉にねじり鉢巻きも鼻高々である。

 綺麗な湖が広がる諏訪郡に着くと、高島城という山城のふもとの居館に宿泊することとなった。

 面倒くせえことに諏訪の高島城は武田方の重要拠点らしく、武田重臣の長坂釣竿斎ながさかちょうかんさいとかいうハゲの年寄りに挨拶しなければならなかった。

 当然、おれはそういうのが嫌なのだが、織田の直臣の城主がそういうわけにもいかないとカモンに言われ、しぶしぶ、カモンと並んで居館の広間に平伏した。

「釣竿斎様におかれましてはお顔を拝見するたびにますます英気ほとばしるようで、この掃部助も齢四十に近くなるにつれ、是非とも釣竿斎様の――」

 などと、カモンはだらだらだらだら喋るわけだった。もっとも、カモンの口上というのは唄うようなリズム感があって、おれみたいな卑屈者じゃなければ、わりと心地よく聞けるようであった。

 釣竿斎とかいうハゲのおっさんは「うむ」「うむ」と頬を緩ませながら上機嫌にうなずいており、

「つきましては、今回のご訪問ではこの簗田牛太郎を伴っております」

 と、カモンがおれを紹介したときには、

「ほう。簗田牛太郎殿」

 などと、釣竿斎は大袈裟に瞼を大きくした。

 おれは頭を床に付くか付かないかまで下げていき、とりあえずのかしこまりで自己紹介した。

「沓掛城主簗田牛太郎と申します。お見知りおきのほどを」

「うむ。名は聞いたことがある。どこでだろう」

「こちらの者、七年前の桶狭間のいくさにて当家勲功第一の手柄を立てた者でございます」

「ああ。例の綱鎧の」

 な、なんと、こんな山奥のオッサンがおれのことを知っている。

 おれは態度には出さなかったけれど驚いた。にやにやした。ほほう。やはり桶狭間勲功第一というのは素晴らしい勲章のようである。

 だろうなだろうな! 時代を変えたんだからな! 綱鎧ってのが気に入らないがな!

「聞いた通りに巨漢よな」

 しかし、残念ながら、おれの話題はそれきりだった。

 岐阜は繁盛しているようだがどうなのか、稲葉山攻めのときはどうだったのかと釣竿斎は訊ねてきて、カモンがそれに対して当たり障りなく答えていく。

 なんだよ、もうちっと、おれのことを話してくれたったいいんじゃねえのかと思いつつ、相槌を打っていたら、夕飯の膳が運ばれてきた。

 むむ……。

 どうやら、この釣竿斎はエロハゲのようである。膳を運んできた小袖姿のおにゃの子たちはすべてが若くて、すべてが美人だった。ましてや髪を後ろに結い上げたうなじからはエロスを漂わせている。

 たくっ。同じ城主とは言えおれとは雲泥の差じゃねえか。武田家ってのはそんなにいいところなのかい?

 んで、おにゃの子はおれの隣に腰を下ろし、夕飯と一緒に運んできた銚子を手にする。

「お酌をさせていただきます」

 そう言っておれに向けて微笑みを浮かべてくる。

 瞼がぱっちりと開いた、どちらかというと猫目のおにゃの子で、鼻が丸くて団子鼻なんだけれども、それが愛嬌になっているというか、エロさをいやみったらしくさせていないというか、それでいて年は十七、八歳かな。

 盃を手にすると、おにゃの子は猫目の長いまつ毛を伏せながら、銚子から酒をなみなみ注いでいく。

「頂戴します」

 と、カモンが盃を掲げたので、おれも真似して釣竿斎に頭をちょこっと下げた。

 夕飯を箸で突っついているあいだも、おにゃの子たちはおれやカモンの隣に張りついていた。

 ときおり、箸が休まったタイミングで銚子をかたむけてくる。おれはにやにやしながら頭を下げる。おにゃの子はにこにこと笑みを浮かべる。

 おもねりカモンは信州の料理はうまい、この前の甲府のときに御馳走になったあれはうまかったなどとべらべら喋っていて、釣竿斎を心地よくさせていたが、おれもおれでおにゃの子から漂ってくる香りに心地いい気分だった。

 なんとなく柑橘系の香りが――、爽やかでいてほんの少し刺激的な甘さの香りが鼻孔からすうっと入ってくる。ハア、たまらん。胸の中に青々とした草原が広がっていく感覚である。

 クッソ。エロハゲ釣竿斎が羨ましすぎる。おれだってマリオの監視がなければ――。

「いやあ、掃部殿との酒はいつも愉快だ。しかし、わしも老体ゆえ、いささか眠たくなってしまった」

 そう言ってエロハゲは腰を上げた。

「掃部殿と簗田殿にはそれぞれ部屋を用意してある。この者たちが案内するゆえ、わしは先に上がらせてもらうぞ」

 釣竿斎が右手を掲げながら広間から出て行くので、おれはカモンの真似をして頭を下げながら釣竿斎を見送る。

 なんだい、エロハゲ様は気が利くじゃねえか。

 ここまでは鉢巻きや雑兵どもと一緒に雑魚寝だったから最悪だった。しかし、やっぱり城主というのは違う。さすがは勲功第一、天下の武田家からもVIP待遇で迎えられるのだ。

「簗田殿、少々よろしいか」

 釣竿斎がいなくなると、カモンがおれに目配せしながら腰を上げ、おにゃの子たちを置いて広間の外におれを手招いてくる。

「はあ。なんスか?」

 カモンはおれに耳を貸してくるよう片袖を引いてくる。おれが耳を寄せるとひそひそと言う。

「あの女ども、部屋の中まで付いてくるから気をつけてくだされ」

 えっ!

「武田は諜報に女を使います。くれぐれも惑わされぬよう。織田のことを迂闊に喋らぬように」

 おれはうなずく。にやつきを押さえるので必死である。

 部屋の中まで付いてくるだと?

 惑わされぬようにだと?

 フヒヒ。

 さすがエロハゲ様だぜ、旅の慰めにおにゃの子を与えてくれるなんてやることが違う。

 武田家って最高じゃないか!

 これは太郎より先に大人になれるチャンス――。

 んで、明日も朝は早いからということで座はお開き、猫目のおにゃの子に部屋まで案内される。

 おにゃの子が膝を付きながら戸を開けると、なんと、畳部屋! すでに布団が敷かれていて、行灯の光が淡く染みわたるエロ部屋!

 恐れ多い畳の上にそろりと踏み入る。

「お酒をお持ちいたしますので、少々、お待ちください」

 おにゃの子は戸を静かに閉めていき、おれはチンコの位置をぐいっと整え直した。

 吐息を震わせながら畳の上に腰を下ろす。畳の目を撫でる。にやにやは止まらない。

 やべ、緊張してきた。

「失礼します」

 おにゃの子の声が板戸の向こうから届いてきて、おれは背すじを張り立たせる。

 戸がすうっと開き、銚子と盃が乗った膳を部屋の中に入れると、なめらかな指先で板戸をすうっと閉めていく。

 二人きり……。

 おにゃの子はおれの前に膳を置くと、そのままおれの隣に腰を下ろし、銚子をかたむけてくる。

「どうぞ」

「あ、ども」

 おれが手にした盃になみなみ注がれるあいだ、おれは鼻の穴を膨らませておにゃの子の香りを嗅ぐ。うう……、たまらん……。匂いだけでもチンコが……。でも、大丈夫。さきほどチンコの位置は直した。チンコは張ってもふんどしテントは張らないようにしている。

 盃をずずっとすすって、膳の上に戻す。

 おにゃの子は首をかしげた。

「お酒はあまりお好きではありません?」

「え、ええ。まあ、そこまでは。はい」

「もったいないですわ。私が代わりに飲んでもよろしい?」

「あ、は、はい。どぞ」

 おにゃの子はおれが今口づけた盃を手にし、両手ですうっと口の中に酒を入れていく。

 盃を下ろすと、ふうっ、と、なまめかしい吐息をついて、口許を緩ませながらおれを見上げてくる。

「実は私もお酒は苦手なのです」

「え? そ、そなんですか?」

「ええ。なんだか、酔ってしまいました」

 エロい……。おれを見つめるその瞳は潤んでいて、おれに何かをほんのりと訴えてきている。

「私、さゆりって言いますの。あなた様は?」

「あ、は、はい。ぼ、ボクは簗田牛太郎って言います」

「簗田様? 桶狭間勲功第一の?」

「し、知ってんスか?」

「ええ、もちろん。ご高名ですわ」

「そ、そうッスか。こ、光栄ッス」

「どうして甲府に行かれるの?」

「えーと、その、武田信玄殿のお姫様がうちのおやかた様の息子さんと結婚するって話になったんで、それでお土産を持って、はい」

「へえ。織田様は浅井様ともご同盟されるんでしょう?」

「あ、そうッス。あの、お市様っていうお姫様を輿入れさせて」

「織田様はご同盟ばかりされるのね。どうして?」

「そ、それは、もちろん、上洛ッスよね。京都に行くために」

「上洛?」

 おれはさゆりんを見つめる。

 さゆりんは猫目の瞼をぱちくりさせて、微笑を浮かべながら首をかしげる。

 おれはちょっとおかしいなと思った。思ってから、おれがべらべらと喋ってしまっていたことにようやく気づいた。

「キミさ、どうして関西弁なの」

「関西弁?」

 おれはさゆりんが化けの皮を剥がす前の今のうちにとりあえず味わっておこうと思い、手をこっそりとさゆりんの背後に伸ばしていって、お尻をそおっと撫でた。

 途端、さゆりんの瞳が光った。さゆりんの手がさっと背後に回ってきて、おれの手を握った。

 瞳の光を消したさゆりんは再び微笑する。

「駄目です」

「い、いや、そのさ、キミさ、甲州信州の人じゃないだろう? あっちの京都とかの人だろう?」

「ふふ」

 さゆりんは再び瞳に光を灯し、微笑に不敵な陰をしのばせた。酔ったと言ってとろけていた顔は成りをひそめており、なまめかしさよりも独特の危うさを漂わせてきている。

 すると、さゆりんは急にふうっと耳に息を吹きかけてきた。

 おれはぞくっと背すじを立たせたとともに、あわててさゆりんから離れる。

 何しやがんだこの小娘っていう思いもあれば、息を吹きかけられてドキドキとしてしまっている心持ちもあり、おれは呆気に取られてさゆりんを眺める。

 さゆりんはイタズラ娘みたいにしてにやにやと笑っている。

「簗田さんの言うとおり私は信州の生まれやないよ。鋭い御仁や」

「いや、ちょっと待って」

「何?」

「その、一つ言っておくけど、おれから話をいろいろと聞き出そうっていうんなら条件がある」

「べつに話を聞き出そうなんて思てないけど?」

「ヤらせてくれたらいいよ」

「は?」

「その、裸と裸でさ」

 おれはにやにやと笑っていたが、さゆりんは眉をしかめている。

「話はそっからだ。情報をただで上げるわけにはいかない。そうだろ?」

「あんた、何を言うとるん? 阿呆ちゃうん?」

 急に顔をしかめたさゆりんは刺々しく吐き捨てると、膳を手にして腰を上げてしまう。

「しょうもな。そういうのは口に出すもんやないで。駆け引きやで。ほんま、あんたって尾張の田舎モンやな。教えとこか? あんたみたいなのを下衆って言うんや。上のモンに伝えといてやるわ。桶狭間勲功第一の簗田は下衆な男やって」

 吐き捨てるだけ吐き捨てたさゆりんはバチンと戸を閉めて、おれはちーんとしてそこに座っているしかなかった。

 ……。

 どうして怒られたのか、よくわからん。




 旅路は順調そのもので、岐阜を発って五日目の昼過ぎには甲府に到着していた。

 タイムスリップ前にも甲府には一度だけ来たことがあるが、そのときとは比べ物にならないほど、甲府盆地は寂しいところだった。

 季節柄のせいかもしれないし、広大な尾張美濃の真ん中で暮らしてきたからかもしれない。

 天下の武田信玄の本拠地のわりにはからっ風が冷たいのである。

 唯一、連なる山並みから覗ける雪を被った富士山の存在が、武田信玄という名前の響きと重なっていた。

 青く澄み渡ったナントカ川には橋が掛かっており、そこを渡ろうとしたところ、向こう岸に十名ほど赤装束の騎馬武者が並んでいた。

 ねじり鉢巻きがぼそっと呟く。

「あれが赤備えか」

 カモンが下馬したので、おれもクリツナ(仮)から落っこちないようにゆっくりと下りる。

「簗田殿」

 振り返ってきたカモンは若干、顔をこわばらせていた。

「山県三郎兵衛尉殿がお出迎えです」

 ヤマガタサブロウビョウエノジョウ? 長ったらしい名前だ。

 カモンのあとに付いていって橋を渡っていくさなか、赤鎧の連中はがちゃがちゃと下馬していく。

 だいたい、どうして甲冑を着込んでいるか不明である。いくさじゃねえんだから普通の格好でいいだろうが。

 赤備えだかなんだか知らねえが、おおかた、目立ちたがり屋の集団なんだろう。馬にまで赤い防具を付けさせている。おれはそういうのはどうかと思うわけだ。

 やっぱりね、馬はうちのクリツナ(仮)みたいにスマートじゃなければカッコよくないんだよ。

「これはこれは山県殿。天下に名高い勇壮な赤備えでお出迎えいただくとはかたじけのうございます」

 カモンがへこへこと頭を下げた相手は、さすがに甲冑姿じゃなかった。烏帽子を被り、簡略礼服の素襖をまとっている。

 薄茶色に染められた幅広の袖をそよ風に揺らしながら、山県三郎兵衛とやらは鼻頭を傲岸不遜に突き上げたまま、野太い声で一言、

「遠路はるばる、ご苦労」

 と、言った。

 なんだ、こいつ。偉っそうに。こっちは頭を下げているってのに。

 おれより少々年上だろうか。彫りの深い顔立ちで、眉毛は目許から鋭く伸び上がっており、鼻すじは角張っていて、鼻の下には髭をちょっとだけ伸ばしている。

 眼光は鋭く、唇をへの字に曲げ、いくさ場を駆け巡ってきたいかにも武骨者という感じで腰が据わっており、織田の武将からはあまり感じ取ることのない重々しさがある。

 でも、頭は下げないという礼儀知らずのクソ野郎だ。

「こちらは尾張沓掛城主、簗田牛太郎と申します」

「お初にお目にかかります。簗田牛太郎です」

「左様か」

 それだけ言って、山県クソ三郎はくるりと背中を返す。

躑躅つつじがさきまで案内いたす。付いて参れ」

 目立ちたがり屋集団の中へすたすたと歩いていくと、赤防具の馬にひらりと飛び乗る。甲冑姿の武者たちもがちゃがちゃと一斉に馬上となって、全馬が鼻面を向かう先へひるがえす。

 冷たいからっ風が川面を撫でながら吹いてくる。真っ赤な地に四つ菱が白く抜かれた旗指物が音を立ててたなびいている。

 赤い鎧兜は燃えたつように日差しに照っている。

 やけに自信に満ち溢れた後ろ姿だ。

 どうやらあの連中は、その姿からして武田騎馬隊の中核を担っているようである。

 偉そうにされたぶんだけ、おれはなんとなく気分が悪い。何が武田騎馬隊だ。いずれは長篠の戦いでテメーらは鉄砲三段撃ちの餌食になるんだ、バカが。




 躑躅ヶ崎館は山城を背後に従えて、なんともおもむきのある城館だった。古風というか、風雅というか、綺麗な水の流れる堀と木々に囲われて、信長の住まいの千畳敷みたいに感じとしてぎらついていない。

 落ち着いたたたずまいでいて、いかめしさをひっそりと漂わせている。

 真っ赤な目立ちたがり屋集団に前後を挟まれながら大手門をくぐっていき、水堀で囲われたそれぞれの曲輪を通っていくと、本丸館の庭先に平伏させられた。

 カモンの手下や雑兵たちは後ろに並べ、烏帽子に直垂ひたたれ姿のおれとカモンは軒先に頭を垂らして、武田信玄の到着を待つ。

 山県クソ三郎はおれの斜向かいに立っており、縁側にもすでに数人のゴリラ武将が座していた。

 とても静かである。

 一口に戦国大名と言っても、それぞれ雰囲気は違うのだなと思う。

 織田家っていうのはもうちょっとがちゃがちゃしている感である。良く言えば華があって若々しい。

 比べてこの武田家っていうのからは若々しさは感じられない。岩のようなどっしり感がある。山県クソ三郎を初めとして、お喋りではない。どちらかと言えば寡黙である。そのくせ目つきだけは鋭いのである。

 やはり、親分の性格ってのが反映されるものなんだろうか。

 そもそも信長はおれと同じ三十三歳、武田信玄は五十前って話だからな。

 縁側を来る足音が聞こえてきて、山県クソ三郎が片膝立ちになった。ずっと頭を下げていたおれは背すじに力が入ってしまった。

 武田信玄――。おれは思わず唾を飲み込んでしまう。

「遠路はるばる大義であった」

 縁側から頭上に降り注がれてきたその声は、思ったよりも甲高かった。おれとカモンが「ははっ」と頭を低めると、武田信玄らしき男は着物の生地を床にしっとりとこすらせながらそこに腰を置いた。

 山県が言う。

「右なるはご存知の織田掃部助殿、左なるは尾張沓掛城主簗田牛太郎殿でございます」

「ほう」

 と、武田信玄が声をこぼすと、すかさずカモンが這いつくばりながら口上を述べる。

「ご多忙のさなか、お目通りのほど恐悦至極でございますっ。先年、織田三郎が美濃取りにおきましては、これもひとえに甲斐大僧正様のお取り計らいの賜物と三郎も申しておりましたゆえん、是非とも大僧正様のお顔を拝見して御礼を申し上げたき所存と、まるで父親を思う子のようにして口にしていた次第であります。尽きましてはっ、つまらぬ物かもしれませぬが、織田三郎より預かりし宝物の数々を運んで参りましたので、是非ともお受け取りのほどを」

「ふむ。左様か。まあ、掃部助、それに簗田殿、おもてを上げい」

 カモンがゆっくりと顔を上げていくので、おれも早まる鼓動をおさえながらゆっくりと顔を上げ、武田信玄をこの目にした。

 ん?

 武田信玄?

 そこにタヌキの置き物みたいにしてひょっこり座っているのは、ただのハゲたオッサンだった。小柄だった。なで肩だった。鼻の下にはブラシヒゲをたくわえており、目尻に皺を集めながらゴマ粒みたいに小さいお目々を細め、にこにこと笑っている。

 風格ゼロ。威厳ゼロ。もうちょっと恰幅がいいものだと思っていたのだけれど、ただのチビハゲオッサンだ。小さな近所の公園のベンチで日向ぼっこしてそうなオッサンだ。

 ビビって損した。何が武田信玄だい。名前負けしてただけだぜ。

 武田のオッサンはにこにこしながらおれに顔を向けてきており、うんうんとうなずいたあと、おれに話しかけてきた。

「沓掛の簗田殿とは、桶狭間の勲功第一の簗田殿かな?」

「左様でございますっ」

 と、頭を下げたのはカモンで、おれはうなずくようにしてちょこっと頭を下げただけ。

「大僧正様がご存知の通り、この男、先の今川方とのいくさにて織田に勝利をもたらしたものでありまして、恐れながら、この者の話、今川方と向かい合う大僧正様のお役に立てるかと」

 おれは思わず眉をしかめてカモンを見やる。いや、そんなこと聞いてねえんだけど。武田でも珍奇衆やれって言うのか? ちょっと勘弁してくれよ。

 でも、武田のオッサンは言った。

「桶狭間の成り行きは存じている。上総介に進言した。そうであろう、簗田殿?」

「あ、はい。そうッス」

 すると、オッサンの後ろに控えていた狐目の男がオッサンの脇にそそくさと進み出てきて、

「どうした、修理」

「恐れながら」

 と、シュリと呼ばれた狐目の男はオッサンにこそこそと耳打ちした。

「ほう」

 と、オッサンは笑った。そうして、おれにゴマ目を向けてくる。

「なかなかの策士だそうだな、簗田殿」

 おれは首をかしげる。

「上総介もお主がおらなんだ、桶狭間も美濃取りもなかったのではないか?」

「そうッスかね?」

 おれはへらへらと笑いながら頭をぽりぽりと掻いた。

「いやあ、大変だったんスよ、おやかた様ったらいっつまでも美濃攻めしてくれないから。大僧正様だったら一年で斉藤なんか滅ぼせたんじゃないんスかね」

 武田信玄のオッサンは声を立てて笑った。膝をぺちぺち叩きながら笑った。

「よく言うわ」

 おれがへこへことしていると、オッサンは「源四郎」と言って山県クソ三郎に顔を向けた。

「なかなかのおもしろい御仁だ。今晩は簗田殿に湯村山の温泉でも馳走してやれ」

 お、温泉っ! 

 なんだいなんだい、やっぱり武田家って最高じゃねえか。温泉があるなんて。フヒヒ。今日もまたおにゃの子を用意してくれるのかな?

「しかし、おやかた様」

 と、山県が不本意そうな表情をしている。

「湯村山の隠し湯をくれてやるとは――」

「もてなせ」

 オッサンがぴしゃりとそう言って、山県クソ三郎は「はっ」と素直に従う。

 おれとカモンは深々とお辞儀。

 冗談一つでご機嫌になるだなんて、大したことねえオッサンだな。信長に比べたらちょろいぜ。

 カモンもおべっかばっかり使っているから愛想を尽かされているんだろう。

 フッ。そんなら、明日にでもまた面会を求めて、お姫様を岐阜に輿入れしてくれるようおれがオッサンに約束を取り付けてやる。

 

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