まだまだ道は長い
クリツナ(仮)に跨って小牧山まで来たんだが、なんだか、ケツと腰が痛い。
馬丁のねじり鉢巻きが言うに、鞍にどっかりと座っているかららしい。クリツナ(仮)の歩みに合わせてそれなりに自然と上下運動しなくちゃ駄目だと乗馬クラブの先生じゃるまいし、いちいち口うるさい。
チッ。結局は自動車さえあれば済む話だ。
そんなこと言ったところで何もならんが。
半兵衛の予測だと、織田勢の美濃浸出ルートは二手に分かれるということだった。
しかし、二手に分かれる気配がない。
本当に攻めるんだろうか。
それとも、信長は戦術とかがわかっていないカスなんだろうか。
小牧山に集まった軍勢は全部で一万五千。
不快なことに、おれはマリオの春日井児玉勢の傘下となってしまっている。言わば、与力というらしい。
簗田牛太郎は信長の直臣なのだけれど、マリオに貸してやるという格好で、マリオの家臣みたいにさせられてしまっている。
沓掛勢は小牧山ふもとの小さな寺社に駐屯しているが、やって来たマリオが親分ヅラをして言う。
「五日後、三河に向かう」
「えっ? 美濃攻めじゃないんスか?」
「いいや。おやかた様からは一言も出ておらんぞ」
マリオは当然のように言った。さっさと寺から去っていく。
沓掛で城主っぽく「敵は稲葉山にあり」と叫んでしまったおれである、イエモン以下沓掛勢の連中は白い目で見つめてくる。
「なんだよ、その目っ」
下僕どもは無言で何も答えない。
とんだ赤っ恥だ。
でも、どうして三河なんだろう。西美濃三人衆の連判状が届いているんだから、絶対に稲葉山に攻めるべきだ。
それに五日も駐屯だなんて。
信長って実は無能なんじゃねえのか。
と、思った翌日の早朝、急に小牧山城の法螺貝が鳴った。
赤母衣の騎馬がすっ飛んできて、出陣だと叫んでくる。
おれはあわてて沓掛勢を率いて児玉勢と合流し、信長本隊の行列とも合流、太鼓の鳴りにはやし立てられて小走りに、小牧山城下から東海道を北へ上っていく。木曽川へと進んでいく。
「ゴロザ殿! 五日後に三河じゃなかったんスかっ!」
甲冑姿のマリオは馬に揺られながらおれを無視する。
チッ。ハメやがった。やっぱり稲葉山城だ。
五月に墨俣に砦を築城したときみたいに信長は斉藤方に流言をまき散らしたのだ。だから、おれたちも騙された。
まあ、結局は攻めるんであれば、それでいい。沓掛勢に搦手をよじ登らせてさっさと手柄獲得である。タツオキをさっさと殺して沓掛に帰還、チヨタンにプロポーズである。
イエモン以下雑兵どもは重たそうな具足をかちゃかちゃと鳴らして走っている。
おれはクリツナ(仮)の馬上なのでラクチンである。
西美濃三人衆の裏切りもあるので楽勝である。
ところが、稲葉山城を目前にして着陣したとき、マリオからとんでもないことを聞いた。
「村井民部殿と島田所之助が人質を接収するために西美濃に向かったのだが、それは昨日のことなのだ」
つまり、織田勢は人質の到着を待たずして稲葉山まで来てしまっているらしい。
おそらくマリオは稲葉山攻めを知っていたはずだ。
しかし、そのマリオでさえ出陣の日取りは五日後だと思っていたわけで、信長はなんと勇み足を踏んでいるのである。
怒りが沸いた。何をやってんだ、あのバカ、と。
今までちんたらとやって来たくせに、いざ決戦となったら前のめりにして突っ込んできている。おれの長年の苦労も台無しにして。
さすがのおれもブチ切れて、信長の本陣へ乗り込もうとした。いくらなんでもそりゃねえだろうと怒鳴り散らすつもりで信長本陣の所在を聞き回った。
信長は馬廻衆や赤母衣黒母衣を引き連れて稲葉山を登っていったという。
「え?」
おれはパニックになった。
だって、どこの世界に敵の本城へ「お邪魔します」と挨拶してのこのこと上がっていく奴がいるんだ。
それにおれたち下々の者には伝令が届いてきていない。
パニックになったのはおれだけならず、織田勢の連中も皆がパニックになっていた。
クリツナ(仮)の馬上のおれは、ねじり鉢巻きに命じてあわてて自分の持ち場に戻っていき、西日のかかる稲葉山を呆然として見上げているマリオに詰め寄った。
「ど、どういうことなんスか! おやかた様は登っていったって話ッスよ!」
「い、いや、あれは稲葉山本城ではない。本城はあちらだ。こちらは瑞龍寺とやらがある峰だ」
「だ、だって、敵がいるんじゃないんスかっ」
「うーん」
頼りにならないマリオと思ったら、瑞龍寺とやらの方面から火の手が上がる。
訳のわからないおれはマリオたちとともに唖然として眺める。
ややもすると、赤母衣の騎馬が飛んできて、瑞龍寺山は落ちた、本陣は瑞龍寺山、と、叫んで駆けていく。
「や、簗田殿はここで皆と待っておれ。わしが行ってくる」
マリオが馬に鞭を入れてすっ飛んでいく。
イエモンがしゃしゃり出てきた。
「どういうことなんですか、殿」
おれだって知らねえと怒鳴り散らす。
おれたちが混乱していたように、敵方も混乱してしまっていたらしい。
稲葉山と一帯となって峰をかたどっている瑞龍寺山を、自分の家のようにして登ってくる信長本隊に対し、斉藤方は自分たちの味方なのか敵なのかわからなくなって、あれよあれよとうちに駆逐されていき、信長があっさりと乗っ取った。
さらに信長がまき散らした流言によって、稲葉山には斉藤方の全軍が集結されていないそうだ。
軍議から帰ってきたマリオがおれにかくかくしかじかそう説明したとともに、これから稲葉山を鹿垣で囲むから、長良川の河原から石を拾って運んでこいと言い始める。
それでもって児玉勢には近隣の農村から百姓を無理やり駆り出してこいと言う。
どういうことなのかいまいちわからなかったが、鹿垣というのは簡単な土塁みたいなもののようで、要は土木工事だった。
「イエモン、頼んだぞ。お前らは得意だろ」
搦手を攻めるつもりでいるおれは、いまさら土方などやる気にもなれない。雑兵どもが建築した掘っ立て小屋の中に茣蓙を広げ、寝転がる。
掘っ立て小屋の脇ではクリツナ(仮)も脚を曲げてごろりと寝そべっている。おれと同じく無駄なときには無駄な動きはしない。やはり名馬は違う。
おれがすやすやと眠り、足軽どもが鹿垣を建築している間、信長の指令で柴田ゴンロク勢や長ヒゲ佐久間勢といった連中が城下の町に放火して略奪暴行を働いたらしく、翌朝になると真っ黒い煙がそこかしこから立ち昇っていた。
また、その日の朝から、鹿垣を建設しているのをかたわらにして、馬廻衆が稲葉山の大手口から攻め上がって戦闘を始めた。
おれはクリツナ(仮)の馬上から城郭の戦闘の様子を眺めており、長良川を背中にする搦手に回って戦功をもぎ取りたいところであったが、沓掛勢が土方作業に駆り出されているのであきらめる。
昼過ぎには瑞龍寺山の本陣に西美濃三人衆が駆けつけてきたという話があった。
勝利は決定的になった。
あとは稲葉山城に立て籠もっている斉藤方をブルドーザーが進むようにして潰していくだけだ。
しかし、稲葉山城の抵抗は激しかった。
おれは迂闊な行動を取らないよう、軍議に参加しているマリオからよく話を聞いて、一気に喉元に噛み付くためのチャンスを狙う。
鹿垣も出来上がって、沓掛勢は待機である。
精鋭馬廻衆が勝手に攻めてくれている。
数日間、稲葉山城の攻防は繰り広げられた。
馬廻衆に代わって、長ヒゲ佐久間やゴンロクが大手口から攻め上がったそうだが、城兵の抵抗にあっけなく敗退して戻ってくる。
なかなか大手口が突破できずにあえいでいるところ、マタザが調子に乗ったらしい。信長に名乗り出て、赤母衣衆や馬廻衆を率いて大手口に攻めかかった。
ところが、兜の佩楯に鉄砲の玉を食らったマタザは、ビビッて逃げてきたそうである。
まったく、情けねえ野郎だ。森部のときの槍の又左も今は昔だな。
業を煮やした信長は、総攻撃をかけるという下知を軍議で放ったという。
「翌朝、ありとあらゆる口から攻め上がる。わしらは大手口に配置された。敵の抵抗は激しいが臆することなく戦え」
と、マリオは言い、おれはついに来たとほくそ笑む。総攻撃のときが来れば敵方も守兵を分散させなくてはいけないわけだ。搦手はますます手薄になるわけだ。
そして、ウザノスケ、お前も同じことを考えていたんだろう、お前が攻め上がろうとしているのは東坂、そこは死地だ。
グッバイ、ウザノスケ。
翌朝、太鼓と半鐘の音がところ狭しと鳴り響く中、バカの一つ覚えで大手口に進み入っていこうとするマリオの児玉勢から沓掛勢百七十余名とともに無断で脱出し、
「お前らに勲功を取らせてやる! 付いてこい!」
鼻息を荒くした連中ともども鹿垣沿いに山麓を大きく回っていく。
山上から落ちてくる激闘の喧騒を聞きつつ、長良川の中に入ってじゃぶじゃぶと波で脚を洗っていき、やがて、稲葉山城本丸の天守館が望める真下にやってくると、絶壁と絶壁の間の茂みに踏み入っていき、あまりにも急斜面なので、おれはクリツナ(仮)から下りて、名馬はねじり鉢巻きに託し、ふかふかの土にたびたび足を滑らせながらも、
「この先は搦手だ! ここを登り切れば本丸曲輪に突入できるぞ!」
あとから続いてくる沓掛勢を鼓舞しながら登っていき、やがて、せり立った断崖絶壁の前にやって来たのだが――、
なんと、甲冑姿のサルがいた。
クソが。さすがはサルだ。カネと手柄に貪欲すぎて、嗅覚が冴え渡っていやがる。
おれと沓掛勢が到着したときには、サルが引き連れている三百人ほどが、赤土に剥き出た山肌を蟻ん子みたいにしてよじ登っていっており、手を滑らせて落下する奴もいれば、絶壁から張り出た岩で休息している奴もいて、
「なんだぎゃ、おみゃあっ! 誰に断ってここに来てんだぎゃっ!」
と、おれを見かけたなり、下から指示していたサルはヤクザのシマを荒らたわけでもねえってのに物凄い剣幕で詰め寄ってきた。
おれは負けじとサルに詰め寄り返す。
「誰に断ってって何を滅茶苦茶なこと言ってんスかっ! 敵の弱点があったらそこを攻めるのは当然じゃねえッスか!」
「おみゃあは丹羽五郎左に組み敷かれているだぎゃろうがっ! 無断で来たんかえっ! 軍紀違反もんだぎゃあぞっ!」
「そういうあんたはどうなんスか!」
「にゃっはー! おりゃあはこっそりおやかた様に進言して、許可を得ただぎゃ!」
目玉を剥き出しにしておれを煽ってくるスタイルに我慢ならず、おれは沓掛勢に振り返る。
「んなの関係あるかっ! おいっ! お前ら、木下勢に遅れを取るんじゃねえっ! この先に大将首だっ! 登れ登れっ!」
おれの号令に沓掛勢の足軽どもは一斉に絶壁に飛びかかっていき、
「やってんじゃにゃあだぎゃっ! おみゃあらは持ち場に戻りゃれえっ!」
「持ち場もへったくれもあるかっ! 登れ!登れ! 斉藤刑部の首を討ち取れば勲功第一だぞっ! 木下勢の足軽の足を引っ張ってでも登れっ!」
すると、サルはおれをドンッと突き飛ばしてきて、おれは登ってきた斜面をゴロゴロと転がっていってしまう。
「おおい! 旦那っ!」
ねじり鉢巻きが伸ばしてきた手を掴んで助かったおれだが、もう頭に来た、斜面をドカドカと登っていくと、絶壁を登ろうとしていたサルの足を引っ掴んで剥がし落とす。
「おみゃあっ! 味方に手をかけんのかえっ!」
おれはサルを突き飛ばして斜面に転がし落とすと、城主自らが山肌の根っこを掴んで絶壁に足を掛けていく。
くう。もうちょっと痩せておけばよかった。デブにはロッククライミングはきつい。
と、歯を食いしばっていたら、上からどんどんと人が落ちてくる。地面にたたきつけられ、斜面をごろごろと転がっていってしまう。さらには十数本の矢が降ってくる。
「殿っ! 上には敵方がっ!」
上の岩場で休憩しちゃっているイエモンが下を覗いてきながら騒ぐので、根っこを引っ掴んだままおれは怒鳴りつける。
「当然だろうがっ! それでも手薄なんだっ! 臆するなっ! 登れっ!」
ところがおれの隣をものすごいスピードで登ってくる奴がいた。まるで蜘蛛のようにしておれを追い抜いていくのは忌々しいサル!
「おみゃあは陣屋で寝ておりゃれえっ!」
サルはあろうことか、草鞋の左足でガシガシとおれの頭を踏んで蹴飛ばしてくる。
おれは怒り心頭に歯を軋ませながら、右手を離してサルの足首を掴み、サルを引きずり下ろそうとする。サルは引きずり下ろされまいと足を引っこ抜こうとする。
「おみゃあっ! 味方の邪魔をすんのかえっ!」
「邪魔してんのはあんただろうがっ!」
しかし、ブチッ、と、左手で掴んでいた木の根っこが切れてしまう。おれはサルの足首を掴んだまま、サルもろとも絶壁から落ちてしまう。
地面に落っこちると、そのままごろごろと斜面を転がり落ちていってしまい、木の幹にぶつかって止まったかと思えば、サルがおれに飛びかかってきて、猿みたいにして顔を引っ掻いてくる。おれはサルの首を締め上げつつ、ぶん投げ捨てる。反動でおれも落っこちてしまう。
結局、川岸まで落ちていってしまって、
「わかっただぎゃ、とりあえず冷静になろうだぎゃ。お互い、大将がいなくなっちゃ足軽どもも混乱しちまうだぎゃ」
「そう言ってまたあっしを蹴飛ばすんだろう。とりあえず離れてくださいよ」
「わかっただぎゃ。離れるだぎゃ。そういうおみゃあも離れろだぎゃっ!」
おれとサルは警戒し合いながらじりじりと後退していく。
ところが、そこへ川をバシャバシャと走ってくる奴がいた。振り向いてみたら抜き身の太刀を右手に握っているウザノスケだった。
鎧兜のウザノスケは黒風船を背負っており、同じく、黒母衣衆の六、七人を引き連れている。
「簗田ァ、テッメー」
やべ……。黒母衣衆の中には篭手に矢が刺さっている奴もいて、なかなかの激戦からお帰りになられたようで。
「沓掛の者どもが消えたっちゅうからもしやと思えばやはりこれか」
「なんなんだぎゃおみゃあっ!」
突如、サルがわめいた。
「黒母衣はおやかた様のお側だぎゃろうがっ! 馬廻のモンがいねえところを見ると、おみゃあ勝手に抜け出してきたんだぎゃあなっ!」
「だからなんだっつうんだゴラァ! サルが生意気に人の口叩いてんじゃねえぞゴラァ!」
「なんだぎゃあとおみゃあ。軍紀違反だぎゃあっ! 腹切れ腹切れだぎゃ!」
「上等じゃねえかゴラァ! テメーのハラワタこそ斬ってやるわゴラァ!」
抜き身の太刀を振りかぶったところ、他の黒母衣衆の面々に「佐々殿っ。やめいっ」と羽交い絞めにされて止められ、
「どうしたんだぎゃ! ほれっ! 斬れるもんなら斬ってみんかえっ! このオンナったらし!」
「なんだゴラァッ!」
「おみゃあがおりゃあの女房にちょっかいだそうとしているだなんて知っているんだぎゃあっ! おみゃあなんかテメエのキンタマ掻いて一人で慰めておりゃれえっ!」
「ぶっ殺してやるっ!」
サルとウザノスケがくだらねえ喧嘩をしている隙におれはダッシュ。斜面を再び上がっていく。
「抜け駆けすんじゃにゃあっ!」
サルが追っかけてくるので、おれは手にした土をぶん投げて目潰し。ついでにその後ろから追っかけてくるウザノスケにも土爆弾。
バカどもがぎゃあぎゃあ騒いでいるうちにおれは逃走、絶壁の下まで再び山肌にダイビング。
ところが、またしてもサルが蜘蛛のように這い上がってくる。顔面をガシガシと蹴飛ばしてくる。おれは無視して這い上がろうとするが、今度は左手からウザノスケが太刀をくわえてゴキブリみたいによじ登ってきて、太刀を右手にするとおれに唾を吐いてくる。唾が顔にかかってその臭さにヴォエっとむせ返ってしまう。
すかさずサルがウザノスケのほうに寄っていって、ウザノスケの兜を蹴飛ばす。ウザノスケは太刀をビュンビュン振り回す。おれはウザノスケの左足を握って引きずり落とす。一名脱落したところで、今度はサルがおれの顔面を蹴飛ばしてくる。おれはサルの足を掴んで引きずり落とそうとする。そしてまたしてもブチッと根っこが切れてしまい、絶壁から滑り落ちてしまう。
「何をやっているんですかっ!」
おれとサルとウザノスケが三つ巴で睨み合っているところに割って入ってきたのは、絶壁から下りてきた小一郎で、小一郎は断崖絶壁の頂上を指さしながら顔を真っ赤にして吼えた。
「もう終わりましたよっ! 兄さんも簗田殿も佐々殿も何をやっているんですかっ! 各々喧嘩している間に落ちましたよっ!」
山頂からは煙がもうもうと昇っていた。
おれとサルはなんとも言えない表情で見つめ合い、ウザノスケだけは歯ぎしりしながら怒っているので、
「ここは、戻ったほうがいいんじゃないんスかね」
「そうだぎゃ。見逃してやるだぎゃ。仲間割れしていたと知られたら大変だぎゃ」
斜面を登ってきた黒母衣衆たちも、おそらく、嫌々ウザノスケに連れてこられたっぽくて、今にも斬りかかってきそうなウザノスケを「まずいですよ。早く戻りましょう」となだめる。
「テメーらいつかぶっ殺してやる」
唾を吐き飛ばしたウザノスケは斜面を下っていった。
さて、おれもマリオのところにしれっと戻らなければまずい。
クリツナ(仮)とともに茂みに避難していたねじり鉢巻きを呼び、木下勢とともに絶壁を下りてくる沓掛勢に声をかける。
「気をつけろよ。おれは先に帰ってるからな」
「おみゃあのせいで手柄を取りそこねただぎゃ」
「は? そんなの藤吉郎殿が先に邪魔してきたからでしょうよ。こっちこそ取りそこねッスよ」
「もういいじゃないですか二人とも」
小一郎が呆れ顔でおれとサルに割ってくるので、おれは仕方なしに鼻をそむけて斜面を下っていった。
稲葉山城総攻撃の前の晩、斉藤家当主のタツオキは夜闇に紛れて稲葉山を下り、長良川から舟に乗って逃げ出していたらしい。
タツオキ側近のナントカって奴がタツオキ逃亡を隠しながら指揮していたが、総大将が逃げ出したことが斉藤方の兵卒たちに知れ渡っていくと、曲輪を守備していた連中は次から次へと投降していって、最終的に側近のナントカが居館を燃やして自害、長年に渡って繰り広げてきた斉藤方との戦いは呆気ない幕切れとなった。
勲功第一はサルである。一千貫という大型俸禄に跳ね上がり、信長の前でサルは嘘泣きで喜んで、おれの前では高笑いだった。
おれは……、
「貴様は出奔同然で行方をくらました件につき、蟄居処分三ヶ月だ」
と、非情すぎる裁定であったが、西美濃三人衆を寝返らせた勲功で謹慎は帳消し、どちらにせよ沓掛三千貫のままで終わった。
「まあしかし」
と、瑞龍寺山の本陣で信長は笑みを浮かべながら言った。
「貴様の働きはこれからなんだろう。なあ、牛」
「は、はい……、頑張ります……」
今回のいくさ、唯一の収穫は佐々内蔵助の一ヶ月の蟄居処分である。
結局、あのバカは、黒母衣衆の一部を引き抜いて無断で配置を変えてしまったのがバレたらしく、信長にボコられたそうだ。
ウザノスケがボコられている現場を目にできなかったのが残念だが、今回のいくさ、それだけは痛快だった。
後日、稲葉山ふもとの寺に駐在していた信長のもとに重臣たちが集められた席に、美濃攻めに功のあったおれやサルも呼ばれ、その前で信長は、本拠地を小牧山から稲葉山に移すと発表した。
「して、この地は岐阜だ」
信長の先生だとかいう同席していた坊さんが、岐阜とは周王朝のなんとかかんとかでどうたらこうたらと説明しており、おれはハイハイという気持ちで聞いていたのだが、長ヒゲ佐久間やゴンロクなどは「おおっ」だなんて大袈裟に驚き、
そして、
「これから、織田の公文には天下布武の印を使用する」
「天下布武、とは?」
長ヒゲ佐久間がいちいち大袈裟に質問すると、信長はご満悦そうに笑みを浮かべる。
「天下に武を布く。ゆえに天下布武だ」
「おおっ。天下取りですかっ」
それって昔におれが信長に言ったような気がするんだが、信長はべつに「牛の案だ」なんてことは言ってくれず、おれに向けての慰労の言葉はただ一言、
「サル、牛、貴様らの働きあっぱれであった。これからも死に物狂いで働け」
「ありがたき幸せっ。粉骨砕身、おやかた様のために精進いたしますだぎゃっ」
「ありがとうございます」
まったくもって不満しか残らない結末である。しかし、道は開けた。
天下布武――。
燃やされた稲葉山城天守館の後始末をする沓掛勢を監督しつつ、おれはクリツナ(仮)の馬上で山頂からの景色を望んだ。
稲葉山からの田園風景は当然初めてだった。なるほど、と、おれは思った。
裾野がそのまま広がるようにして濃尾平野の稲穂の風景が広々と渡っているのだった。
尾張なんて、はるか遠くにかすんでいる。
夏の終わりのような乾いた風が吹いてきて、稲穂を大きくそよがせていく。クリツナ(仮)のたてがみも日差しを浴びて金色にすら輝きながら、さらさらとなびく。
結局、おれは一体、何をやって来たのかわかっていない。
ラッキーパンチが当たって勲功第一になったかと思えば、必死こいて駆けずり回ると勲功なしの有り様である。
手柄を立てようにもバカどもに巻き込まれてしまう。
不満だ。
不満だが――、
「そこにいる牛は昨日玉野川の川べりで拾った気狂いだ。こいつは妙な話をしやがる」
「へえ。でも、気が狂っているようには見えませんよ」
「おい、牛、貴様はどこからやって来た」
「へっ? あ、あっしは、未来からやって来ました」
「はれまあ」
「どうだ、吉乃。気狂いだろう」
「でも、本当かもしれませんよ」
「なわけあるかい! 吉乃も狂ったか! して、牛、貴様がやって来た未来では、何者がもっとも高名だ」
「あっ、えっと、織田上総介様ッス。天下統一するッス」
「まあ。本当に申されているんですか、牛さん」
「あっ、はいっ」
「まあ、珍奇な仁」
「そうよそうよ、こやつは珍奇な者よ。俺がこの世を統べるとは笑わせる」
あのはるか遠くの尾張からここまで来たことを考えれば、この不満もやがては笑い話になってしまうのだろう。
まだまだ道は長いのだろうけど。
クリツナ(仮)がなんだか知らんが首を振っていきり始めたので、おれはたてがみ越しに首を撫でてやった。




