功名誰か復論ぜん(5)
小走りに駆けていく進軍途上、赤母衣衆の騎馬が雨弾をぬってひっきりなしに飛び交うようになり、二千の織田勢は二手に分けられ、さらに又左衛門が紛れ込んでいる沓掛勢は他の諸隊ともども進行方向を東の方面に迂回するよう、上総介の下知が赤母衣衆を通して申し渡された。
そして、違う赤母衣が駆け抜けていきながら叫ぶ。
「斉藤方は森部に向けて進行! その数六千! 大将は長井甲斐守及び日比野下野守!」
さらに違う赤母衣が駆けてくる。
「頚取り足立の姿あり! 各々これを討ち取り功名を上げろ!」
「ク、クビトリアダチっ? な、なんだ、そのやばそうな奴はっ」
と、前を走る牛太郎が山内伊右衛門の従者に訊ねており、中年の従者はかくかくしかじかと牛太郎に説明している。
(頚取り足立か)
又左衛門も噂に聞いたことがある。
日比野下野守与力の侍大将、足立六兵衛。巨漢の豪傑にて、斬馬刀を振り回し、これまでのいくさでも織田勢の部将をさんざん斬り殺してき、足軽たちを震え上がらせる無類の強さの者である。
「ざ、斬馬刀って、なんだよそれ。中国人でもねえのにおかしいだろ」
そう言いつつ、牛太郎は又左衛門を物言いたげに振り返ってくる。
又左衛門は陣笠の庇で視界を遮り、牛太郎を無視する。
「まっ、まあなっ。そんな奴と出くわす可能性なんてどうせないからなっ」
両手を震わせてしまっている牛太郎に呆れ返りながらしばらく走っていると、田植え前の田んぼの泥濘の中を赤母衣の騎馬が走り回り、一旦停止の伝令が放たれた。
さらに騎馬武者の指図が飛んで、散り散りに走ってきていた軍勢は、陣形を固めていく。
木曽川流域とあって、一帯は見渡す限りの田園地帯であろうが、今は、打ち付ける雨が見晴らしを不良にさせている。
走っている間はわからなかったが、草鞋の中には泥水が染み渡っており、足が冷え切っている。
(俺は赤母衣だったからな――)
陣笠の水滴の向こうにある灰がすみの景色を、又左衛門は見つめる。
どこに向かえばいいのかもわからない灰色の世界。行く先はいつだって見晴らせない。華やかな赤母衣も今は幻、泥水の冷たさをこの肌に感じている。
だが、それでも自分には帰りを待つ人がいる。自分を奮い立たせてくれる友がいる。
そして、前田又左衛門は槍を持つ。
斉藤方六千に対して、織田二千。
雨の中の強行軍も、軍勢を二手に分けたのも、敵方の虚をつくためだ。そしておそらく、上総介のことだから森部城の川村久五郎に伝令を放っているに違いなく、森部城の兵卒もこれに加わって三手から一斉に攻め立てる。
このいくさ、天の与えるところ。
黒い影の塊が前方にうっすらと見えてくる。
突撃の押し太鼓が響いた。
うおっと喚声が上がり、一騎、また一騎と豪雨の中へ飛び込んでいき、かまびすしい太鼓の音、半鐘の音とともに、黒い陣笠の足軽兵卒たちも波濤となって駆け出していく。
「牛っ! 何をやっていやがるっ! 行くぞっ!」
「えっ、いやっ、ちょっとっ」
又左衛門は陣笠の顎紐をぐいっと解き、箕と陣笠を跳ね飛ばした。
「我は尾張浪人前田又左衛門にて候! 沓掛の者どもおっ、付いて参れいっ!」
わっ、と、声が上がったとともに、又左衛門は槍を右手に握りしめ、泥水を跳ね飛ばしながら駆け出す。
「ちょっとお! マタザ殿!」
牛太郎が地団駄を踏んで叫んでいるが、又左衛門の瞳はすでにきらめいている。又左衛門の口からは白い歯がこぼれている。大勢の足軽兵卒たちとともに波の一端となって、又左衛門の狂気は雨粒を振り飛ばしていく。
(これだ――)
行く手は雨壺の視界だが、又左衛門の心は広く澄み渡っていた。
帰参ばかりを願って槍を振るっていた桶狭間のときとは違う。
ただひたすら駆け抜ける。泥の冷たさも、世間の風も忘れて。
なんのために戦うのか。なんのために槍を振るうのか。
戦国乱世に生を授かったからだ。
そこを駆け抜けていく覚悟は、ある。
(テメーもそうなんだろう! なあ! まつ!)
波の襲撃にあって虚を突かれて混乱しきっている者どもへ、又左衛門は突っ込んでいき、白い歯を剥き立てて笑いながら槍を振り下ろす。
陣笠の上から頭を撃ち抜かれて、敵方足軽が倒れる。
「うおらあっ!」
さらに振り抜く。穂先が首を掻き切って鮮血を飛ばす。
「どうしたおらあっ!」
さらに突く。喉元を貫いて串刺しにすると、その体ごと槍を振り回して敵方を薙ぎ倒していく。
又左衛門のあまりにも暴力的な凄まじさに怯んでしまい、足軽どもは後ずさりする。
そこへすかさず飛び込んでいって、槍で次々と斬り伏せていったのは長八郎。
又左衛門は破顔した。
「やるじゃねえか長八!」
「雑兵ばかり倒していても仕方ありませんよ、又左衛門様」
陣笠の庇から長八郎が微笑みを覗かせてきて、又左衛門は鼻で笑った。
ざんざんぶりの雨の中、泥水を跳ね上げ、血をしぶき上げ、耳をつんざく太鼓の音と鐘の音と、戦う者たちの咆哮、倒れていく者の叫び声、倒した者の叫び声、叱咤激励の怒号、互いが互い知った者同士のような罵声が飛び交う。
波と波がぶつかり合う混沌のうち、それを斬り裂くようにして又左衛門は槍を振るう。
もしも、参戦していなかったら、今頃は何をしていただろう。
雨に濡れる景色を縁側で眺めながら、きっと、自分の情けなさと、自分の愚かさに苦悶していたのだろう。
人の縁とは不可思議なものだ。
もしも、藤吉郎が現れなかったら、牛太郎が現れなかったら、長八郎がいなかったら、こんな気持ちにはなれなかった。
(そうだな。人生ってのは心意気かもしれねえ)
なにせ、殺せば殺すほど清々しい。
「く、頚取り足立だっ!」
足軽の叫びに又左衛門は槍を止めた。
黒く覆われた陣笠の群れの中からぽっこりと、具足につつまれたひときわ巨大な体が出現している。
雨粒をしたたらせる坊主頭は岩のようにいかめしい。斬馬刀をおおいに振り回し、織田方兵卒を次々と薙ぎ倒している。
口許を緩めた又左衛門は、血と雨と汗で濡れた顔を袖の内側で拭き上げ、吼えた。
「足立六兵衛! 尋常に勝負いたせいっ!」
足立の斬馬刀がぴたりと止まる。
又左衛門の口から一騎打ちの申し込みが放たれたとあって、周囲で争っていた者たちも手を止める。
織田方斉藤方両勢の者どもをかきわけていき、足立六兵衛の巨体の前に躍り出てくると、不敵に笑う。
「俺は尾張浪人前田又左衛門! 不足あるか!」
足立は声を立てて笑う。そして、足立もまた、掌で顔の汗水と血を拭い取り、斬馬刀を構える。
「聞こえ高き前田又左衛門、願ったりかなったり! 相手にとって不足なし!」
又左衛門は礼代わりの笑みを浮かべ、槍を構える。
刃と刃が向かい合う。
強者同士の交錯に、ここだけ、兵卒たちは敵味方関係なく、ただの観戦者となってしまう。
この隙に足立か又左衛門のどちらかを斬り伏せてしまう者など現れない。もしかしたら、それもまた、戦う者たちの心意気なのかもしれない。
彼らは他のところどころでの鍔迫り合いなど忘れてしまって、息を呑む。
静けさが包んでいる。
雨が刃をつたう。
先に飛び込んできたのは足立であった。巨体に似合わない素早さで間合いを一挙に詰めてくる。
又左衛門は槍を振り落とし、その柄で足立の斬馬刀を押さえつける。
跳ね上げようとする足立の腕力、跳ね上げまいとする又左衛門の腕力、力と力のせめぎ合いを繰り広げながら、又左衛門と足立はお互いに視線を重ね合わせ、笑みを浮かべる。
「やるじゃねえか、足立」
「お主こそ、前田又左」
又左衛門は後ろにはね跳んで、さらに足立の斬馬刀を穂先で跳ね上げる。坊主頭を目掛けて槍を振りぬく。足立は反ってよける。
足立が斬馬刀を振り上げて入り込んでくる。振り落としてくる。又左衛門は半身でかわす。斬馬刀は空だけを叩き込む。
槍の柄と刀の柄で競り合う。
あるいは蹴飛ばす。蹴飛ばされる。顔は泥にまみれる。転がってよける。足を掴んで引き倒す。田んぼの泥濘の中で泥まみれになる。
次第に観戦者たちから声が上がる。いくさなど忘れたかのように、闘鶏をはやし立てるかのように、兵卒たちは熱中する。
「何やってんスかっ! そこっ! そこそこっ! そこだってマタザ! さっさと殺せっ!」
(鈍牛がっ! ほざきやがってっ!)
又左衛門は足立よりも先に起き上がっていた。ぬかるんだ手で握りしめる槍は片膝立ちの足立の喉元を貫く。
勝った。
「頚取り足立っ、前田又左衛門が討ち取ったり!」
と、叫んだのは長八郎。槍を構えてさらに続けて叫ぶ。
「斉藤方! 逃げおおせるなら今のうちぞ!」
途端、観戦者たちは元の敵同士に分かれ、一斉に槍を構えた織田方の兵卒たち、斉藤方の者どもは侍大将が討ち取られたとあって一挙に背中を返して遁走を始める。
又左衛門は荒い呼吸で胸を波打たせながら足立の死に顔を見つめる。
そして、勝利の喜びが沸き上がってくる。とともに、もしもこれが自分だったら、と、死の恐怖にようやく背すじを震わせるのだった。
足立六兵衛が討ち取られたことは、斉藤方の士気を低めた。
森部城川村久五郎の寝返りの衝撃もあり、三手から挟撃された斉藤方六千はたちどころに崩れていって、さらには上総介馬廻衆が大将の長井、日根野の両名までも討ち取り、結果、非の打ち所のない圧勝劇となって森部のいくさは幕を閉じた。
森部城にて論功行賞が行われたとき、雨はすっかり上がっている。
雲間から日差しが幾重にも降り伸びてきており、ぽつりぽつりと滴り落ちる雨垂れは、いくさのあとの余韻を伝えてくる。
功のあった者は本丸館の庭先に次々に呼び出されていく。
沓掛勢率いる牛太郎は呼ばれない。こっそりぼやいているのが又左衛門にも聞こえた。
「俺が寝返りを誘ったっていうのに。桶狭間のときは勲功第一だったのに」
又左衛門は指摘しないでいたが、おそらく牛太郎に褒賞が皆無なのは、沓掛城の政務を怠けているせいと、調略の成功がたまたまだったと上総介が厳しい目を注いでいるからであろう。
もっとも、従えている兵卒の前でせめてもの面目を立たせてやろうと思い、又左衛門は牛太郎に歩みよっていくと、彼の肩を二度、軽く叩いた。
「お前がいなかったら俺はここにいなかった。俺が足立の首を取れたのも、お前のおかげだ」
牛太郎は溜め息をつく。
又左衛門の言葉よりも褒賞なのか、それとも植木にぶん投げ捨てられたのを根に持っているのか、「はいはい」などと無愛想にうなずく。
やがて、論功行賞もあらかた済んで、誰か名乗り出る者はないかとの声に、又左衛門は迷ったが、長八郎が微笑みながらうなずくので、又左衛門は進み出た。
「浪人前田又左衛門が首級を二、上げておる!」
又左衛門を見つめるのは塙九郎左衛門。
無表情のまま、くいっと顎を向けて又左衛門を庭先へと誘う。
足立を討ち取ったあと、もう一つ、名のある部将の首を取っている。数は桶狭間より少ない。上総介は何を言うであろうか。やはり許されないだろう。
しかし、それでも構わない。
やることはやった。そして、これからもやることをやるだけだ。
「前田又左衛門と名乗る浪人が、二人の首級を召し取ったと申しております」
九郎左衛門が言葉を向けた先には、烏帽子の頭に甲冑を着込んだままの上総介が床几に腰掛けていた。
脇には森三左衛門、柴田権六郎、丹羽五郎左衛門なども後ろに控えている。
又左衛門は敷かれた茣蓙の上に、切り取った首を並べる。膝をついて、平伏した。
「恐れながらっ、おやかた様のお怒りはなはだしいこと存じておりますが、このたび拙者前田又左衛門、懲りずに参陣つかまつった次第でございますっ」
上総介は何も答えない。目を配って川村久五郎に首を検分させる。首を確かめたあと、川村久五郎は上総介に答える。
「両名ともいかにも名のある部将にて。特に坊主頭のほうは足立六兵衛、頚取り足立の異名を取る豪傑でございます」
「左様か」
上総介はつまらなそうにうなずき、川村を後ろに下げた。
そのまま、平伏する又左衛門を無言で見下ろす。まったく微動だにせず、彫像のように固まって、ただただ冷ややかに見下ろす。
雲間から太陽が覗きこんできて、上総介は瞼をしかめた。
「おやかた様」
と、耐えかねた森三左衛門が上総介に顔を寄せる。
「前田又左衛門、この通り反省に反省を重ね、こたびのいくさでも足立六兵衛を討ち取って我らに勝利を――」
「黙れ」
三左衛門は口をつぐんだ。
「おやかた様、拙者からも」
と、柴田権六が進み出てくるが、
「黙れ」
上総介は一蹴する。
また再び沈黙する。
又左衛門はひたすら頭を下げ続けている。
「貴様は――」
と、上総介はようやく口を開くも、戦勝のあととは思えない声の低さである。
「よほどいくさ好きのようだな。俺には貴様なんぞ召し抱えるつもりがないこと、貴様にもわかっているだろう」
「承知しております」
「ご苦労。とっとと居候先に帰れ」
「おやかた様!」
「おやかた様!」
「恐れながらっ――」
森三左衛門と柴田権六が上総介に進み出ようとしていたところ、又左衛門は声を放って顔を上げ、しっかと上総介を見据えた。
「次のいくさも馳せ参じさせていただきたい所存っ! たとえ帰参がかなわなくとも、おやかた様のいくさがある限り、拙者は死んでも参陣させていただきますゆえっ!」
上総介は降り注いでくる日差しに瞼を細めながらも、ゆっくりと鼻先を突き上げ、
「フン」
と、笑った。
「左様か。勝手にせい。貴様がどうしようと俺は知らん」
上総介は口端を歪めて笑い、又左衛門はうなだれるようにして頭を下げる。
「ありがたき幸せ――」
「おやかた様っ、又左衛門は織田になくてはならぬ者っ」
「又左にわずかばかりの知行をお与えてくださいませっ」
権六と三左衛門の喚きを遮るようにして、上総介はがばりと腰を上げる。
キャッキャッキャッ!
突如、甲高い笑い声を響き渡らせた。
笑い終えると、皆が唖然としている中で、笑みを浮かべる。
「何をあわてふためいてやがる。冗談も通じねえか、貴様らには」
「え――」
と、またもや皆が呆気に取られ、上総介はらんらんと瞳をほとばしらせながら、又左衛門に歩みよってき、腰をかがめて又左衛門を覗きこんでくる。
「貴様、いい面構えになったじゃねえか」
胸中こみ上げてきた又左衛門は掌で瞼を覆い、上総介は背すじを伸ばして起き上がると、甲高い声を放った。
「前田又左衛門! 俸禄四百五十貫文! 赤母衣衆筆頭として召し抱えてやる!」
又左衛門は上総介の足下にひれ伏して、涙をこぼしながら叫ぶ。
「ありがたき――、ありがたき幸せっ! このご恩、生涯、生涯が尽きても忘れませぬ。ありがたき幸せにてっ!」
元いたときの俸禄は百五十貫文の又左衛門である。このときばかりは人目もはばからず泣いてしまえた。
人生意気に感ず――。
功名よりも大きな物を得た又左衛門がひれ伏す庭先には、雲間からの日差しが燦然と注ぎ込まれていた。




