そこに踏み込むための気概
年の瀬――。
おれは美濃攻略のころを思い起こすぐらいに摂津や河内を練り歩いた。
小寺官兵衛こと黒田官兵衛のバッタモンは、姫路に返した。機が熟しときに再び呼び戻すと伝えると、あいつは生真面目な顔でじいっとおれを見つめるばかりで、なんの反論もなかった。
「楽しみにしとります」
と、だけだった。
承兌は、相国寺から引っ張り出してきているが。
摂津・河内の調略の旅、伴っているのは、ネギ坊一人である。
「一日、二日ならともかくも、帰京の日がわからぬとあれば、和尚に叱られます」
「お前が叱られないよう、五十貫ばかし、なけなしの懐から寄付しておいてやる。言ったはずだ、お前を高見の見物から引きずり下ろすってな」
従者といえば、ねじり鉢巻きとクリツナは、そもそも京に連れてきていなかったし(目立つクリツナがいると、おれの居場所がすぐに知れてしまうし)、シロジロはおきぬに束縛されている。
「申し訳ないが、淀川航行までは、あと三ヶ月は待ってくれ」
頭を下げると、おきぬはものすっごく不服そうであったが、説得に説得を重ねた。派手な真似をしないようにも念押しした。
もっとも、さすがのおきぬとて、政治的解決がなければ、ゼニ儲けに走れないのは重々承知であった。
「しょせんは簗田はんの入れ知恵さかい、うちに限界があるんは当然どす」
しかし、
「せやかて、なんもせんわけにはいきません。三ヶ月後には、すぐに船が出せるよう準備を整えておきますどすえ。人も集めておくさかい、角倉はんから借りた三百貫から足が出るようなことがあったら、そんときは、支払い先には約束手形で泣いてもらいます。テ・ガ・タに」
口調は穏やかでも、目玉を剥き出しながらの、すさまじい剣幕であった。
いよいよ、やばい……。失敗したら、間違いなく京都所司代の村井民部のジジイのところに訴え出るだろう……。
もう止められないのである。
だが、やれる自信はある。
摂津・河内のほうぼうを訪れるために承兌を連れてきているのは、こいつに講釈を垂れさせるためではない。
おれの立ちふるまい、挙動、言動、それらをこいつに観察させ、おれの間違いを指摘させるためである。数々の武将たちを説得、あるいは翻弄するためには、おれは上等の詐欺師になるしかない。
「人は物質でもないのです。そもそもが、無なのです。無であるのに、物質として見えてしまうのは、それは、簗田殿が作り上げているからです。たとえば、簗田殿が苦手としているような性格の人でも、違う方にしてみれば苦手ではないかもしれません。なぜ、簗田殿はその方が苦手なのでしょう、なぜ、簗田殿はその方を忌み嫌うのでしょう」
せめて、相手と面談しているときは、感情さえも押し殺せ、と、承兌は口うるさく言う。
感情に染まらない、つまり、色のない世界で、相手を覗け。
そこに見えてくるのは、取るに足らない、ただの事象の羅列だ。
何も思うな。
「三箇殿は、イエスを信奉しているそうですが、拙者も京に滞在中、おやかた様のすすめもあって、宣教師の話を聞いてみました」
「上総介殿のすすめでございますか?」
「ええ。しかし、さきごろの戦いでおやかた様はこっぴどくやられてしまいましたゆえに、三箇殿も我らをなにぶん思いやられていましょう。石山の顕如を付け上がらせてしまう前に、我らも現状をどうにかしたいところですが」
河内の三箇伯耆守は熱心なキリシタンであり、サンチョなる洗礼名ももちあわせている。自分の縄張りに教会を立てては、寺社を破壊し、民衆に宣教師の教えを受けさせているという傾倒ぶりである。
信長はキリシタンの布教に寛大なので、サンチョにとっても織田勢の上洛は願ったりかなったりであったが、石山本願寺が参戦したことによって、今後の雲行きが怪しいのは明白だった。
「また、何かありましたら顔を出させてもらいます」
一度目の訪問は雑談だけで帰る。
サンチョをおれの手駒にする方策はすでに編み出しているが、計略は時と場合によって変化させなければならない。また、めぼしい連中に一通り会ってからでないと、計略の道筋は変わるかもしれない。
「あわてることはありませぬ。焦る者ほど怪しい者です」
承兌もそう言う。わかっているわ、そんなこと、と、唾を飛ばしたいところであったが、感情は押し殺さなければならない。おれがこいつを物質として見てしまうから、イライラしてくるのだ。こいつはただのネギなのだ。ネギが坊主になっているだけなのだ。
三好左京大夫の家臣、多羅尾右近大夫とやらに会ったときは、やはり、サンチョにしかけるのをとどまっておいて良かったと思った。
「簗田殿、確かに我らは上総介殿のおかげで息を吹き返しました。しかし、キリシタンの坊主どもを野放しにしておくのはいかがなものか。そこのところ、是非とも上総介殿にお伝えいただけないか。わしなどは上総介殿の御前など、もっての他であるし」
と、タラオは、大のキリシタン嫌いであった。特に、近所のサンチョ伯耆守が忌々しいそうで、おれが話すよりもはるかに多く、サンチョの悪口であった。
「やっぱり、摂津の大名ばかりに会うんじゃなく、その下の人間たちとも面識を持つべきだな。タラオは、うちのおやかた様に意見したいようだが、もちろん、そんなことはできねえ。けれども、あいつだって、おれと面識を持てば、言いたいことも言えるかもしれないってことだ」
「簗田殿、それはともかく、今、喜色ばんでいますね。それは、ぬか喜びにならないとも限らないのですぞ」
おれの機嫌は一挙に落ちた。
「簗田殿が相手を手玉に取ろうとしているように、相手も簗田殿を手玉に取ろうとしているのです。当然、さきほどの多羅尾殿も」
「んなこと、わかってるわ……」
「なら、よろしいのですが」
河内高屋城城主、遊佐河内守は、若干二十二歳ながらも河内守護代の職に就いているビッグネームであり、主人筋の河内守護、畠山右衛門督の擁立にも一役買ったという。
畠山右衛門督を三好三人衆の生贄とするならば、遊佐河内守は重要なキーマンである。
しかし、河内のキーマンだけあって、唐突にやって来たおれに疑念の眼差しを送り続けてくる。遊佐河内は、用心深くも、しっかりとした視力の持ち主である。
「拙者が知りたいのは、唯一つ。上総介殿が、いつ、いかなる手段でもって、石山と妥協し、三好三人衆を福嶋から追い払うおつもりなのか。それ以外に、拙者はなんら興味を持ちませぬ」
「左様ですか。であれば、拙者も、単なる想像を申しても意味がありません。次に参るまでには、上総介にその真意、問いただしておきましょう」
もちろん、遊佐河内ほどの大物となると、おれが信長に諫言し、逆鱗に触れて蟄居処分をくだされたことも存じている。
遊佐河内は疑い深い眼差しをやめはしなかったが、生真面目なおれの返答については、なんらかの希望を得たかのような光を、その若々しい瞳に見せていた。
簗田左衛門尉ならば、上総介の真意を聞き出せる――、と。
そう、混迷の途についているのは、なにも、織田勢ばかりではない。織田の威を借りる狐であった連中は、概して暗中模索なのである。
河内をひととおりめぐったあとは、摂津に入った。
摂津は、まあ、高槻や茨木などは、いまさら練り歩くほどでもなく、池田や伊丹を越え、今まで見過ごしてきたような山沿いの国人衆などを訪ねた。
さまざまな連中の話を聞いて回っているうちに、簗田左衛門尉の名前など通用しそうもない百姓半分の地侍のネットワークにまで入り込んでいった。
神社で執り行われた寄り合いみたいなものにまで参加させられて、
「織田のヤナダエモン様っちゅう御仁がせっかく来てくれとるさかい」
と、名前まで間違っているし、
「これから、この多田が乱世の中でどないするべきか、高説賜りまひょ」
などと、地侍の大人たちどころか、老人や子供まで集めてくる始末。
「去る越前敦賀のいくさのときには、浅井備前守の寝返りにあい、我ら織田勢にとっては青天の霹靂――」
誰もがときめく敦賀の合戦話で講演会に華を添えると、噂が噂を呼んで、織田を敵とするはずの一向門徒の国人衆に招かれた。
「ヤナ・ダイモン殿は、尾張の豪傑と聞きまして、是非とも、数々のいくさの話をご教示していただきたく」
八部郡まで来ると、名前も更に進化していた。
芝山源内は、三十前後の者である。
門徒のくせに、なぜに織田のおれの話を聞きたいのかと不思議であったが、どうやら、芝山源内は、一向の教えなど屁とも思っていないらしい。父親が門徒だったので、自らの意に反して、自然と門徒になってしまっているそうだった。
「顕如様が織田様追討の檄文を通達したせいで、ただでさえ身銭が少ないなか、拙者どもは石山にいろいろと物資を支援せねばならなくなりました。そういったことは、過激な連中だけでやってほしいところを、はた迷惑な話です」
それもなかなかのおもしろ話であったが、一点、おれは、気になることがある、と、芝山に訊ねた。
「こちらにお邪魔をしたときから、ほのかに茶の香りがしたのですが、つい今しがたまで、茶を点てていましたでしょうか」
「なんと、おわかりでしたか?」
「拙者、鼻には自信があるんです」
茶の湯の話を差し向けてむると、芝山はたいそう喜びはじめ、まるでヘタレ弥助と同類であるかのごとく、茶道具を運んできた。
茶を点ててくれた芝山の振る舞いを見ていたら、梓殿やヘタレ弥助にしごかれたせいか、芝山がなかなかの茶人であることがわかった。
「どなたにご師事されましたか?」
「いやあ、恥ずかしながら、名も知れぬ尼崎の商人でございます」
「左様でございますか。尼崎にはかように立派なお点前をお教えくださるかたが」
「残念ながら、先の焼き討ちのときに亡くなりましたが――」
「それは――、なんとも。しかし、どうでしょう、芝山殿は堺の田中宗易殿をご存知ですか?」
「田中宗易様っ? それはもちろんのことっ。織田殿の茶頭をお勤めの先生であらせましょうっ。ま、まさか、ダイモン殿は宗易様と――」
「ええ。友人です」
今にも飛んでしまいそうなぐらいに喜びをあらわにしている芝山源内に、タナカに伝えておくと言って、屋敷をあとにする。
最後に訪ねたのは、摂津国人の中でも、そこそこに大勢力の塩川伯耆守が在する川辺郡であった。
「こりゃこりゃ、池田をひっくり返した左衛門尉殿が、どないして、こんな辺鄙なところにまで」
と、白髪頭の塩川伯耆守は、声を裏返しながらに、へこへこと頭を下げてきたが、持ち上げられたからといって浮かれてはならないし、腰が低い老人だからって(六十歳手前だろうけども)、塩ジイをあなどってはならない。
塩ジイのそばには、塩川源六郎というジジイの息子がいて、こちらはおれよりも若干の年下、彫りの深い縄文顔かつ色白で、おれが見てきた摂津・河内の中で一等のイケメンである。
塩ジイはひょうひょうとして掴みどころのないタヌキであったが、源六は真っ直ぐな性格でいて、策謀とはまるで無縁そうだった。けれども、池田を降伏させた件で、なぜかおれを英雄視していた。
「どのようにして、あの池田衆に翻意を決めさせたのでしょう。池田衆は一族合議制の最たるようなものです」
川辺郡も、やはり、国人どもの集合体であった。塩ジイは国人衆の頭目に過ぎないのである。
支配体制の変化に激しい今の御時世、源六も将来を考えて、川辺郡の変化を望んでいる。
ましてや、川辺国人衆は、隣の山の向こう、能勢郡の国人衆どもと、因縁深い縄張り争いに火花を散らしているそうだった。
「体制の変革を望むとき、日々の中にひそんでいる好機を、見逃さないでいられるかどうか、さらには、そこに踏み込むための気概を持てるかどうか」
「かつての池田筑州殿は、おっしゃられる通りだったのですか」
「左様。しかし、筑州殿は、拙者の見る限り、主導権を握れたのをよしとして、すべての権限が自分に渡ったと勘違いしてしまったようです。いえ、むしろ、筑州殿が夢見ていたような絶対的な支配体制を敷くためには、四六時中を戦い抜く胆力と、従える下々の者すべてを思い考える男気と、そして、恐れを知らぬ狂気が必要なのです。例えば、拙者が主人の織田上総介のように」
源六は目玉を光らせて、おれの言葉に歓心していた。
旅も一段落、ここにきて、田舎者相手に承兌のような講釈を垂れるまでに、おれは成長してくれたようだった。




