章の途中ですが、これまでのあらすじ
現代から、永禄二年(1560年)にタイムスリップした牛こと簗田牛太郎は、織田上総介の配下として立身出世を果たし、ついには、左衛門尉の官位を朝廷から賜るまでにいたった。
永禄十三年(1570年)、我が世の春を謳歌しつつあった矢先、北近江の盟友・浅井備前守の裏切りにあい、一転、織田家崩壊の窮地に転落する。
その年の初夏、姉川の決戦にて、浅井朝倉連合軍に辛勝し、当面の危機を回避できたものの、かつて、簗田左衛門尉牛太郎が渉外担当をしていた北摂津池田の池田家にて、当主追放事件が発生してしまう。
幕府方≒織田方の北摂津池田であったが、政変により、反織田方の三好氏と通じるようになる。
これに乗じて三好氏は、四国阿波より摂津に軍勢を派遣する。
牛太郎は摂津の混乱を収拾するために、調略・工作に走り回り、結果、織田方の優勢を得た。
しかし、軍勢を率いてきた主君・織田上総介のもくろみは、牛太郎の摂津収束案とは異なっていた。
上総介は、この騒乱に乗じて、摂津石山に鎮座する本願寺宗家を叩き出そうとしていた。
石山本願寺は、三好方にも織田方にも与することのない、局外中立を約束していた。
また、牛太郎は、石山本願寺に手を出せば、織田の戦線が広域に拡大すると危惧していた。
摂津福嶋の三好方を大軍で包囲する一方、石山本願寺をも圧迫する主君を牛太郎は諌めるが、上総介の逆鱗に触れてしまい、激しく殴打されるとともに、蟄居処分を申し渡される。
憔悴の牛太郎は岐阜に戻った。家督を養子の左衛門太郎にゆずり、自らは隠居生活に入ろうとも考えたが、しかし、牛太郎の予見したとおり、石山本願寺の宣戦布告によって、織田の戦線は広域に拡大し、包囲網の危険性が高まった。
さらに、石山本願寺参戦を機に、浅井朝倉連合軍が、摂津の陣にある織田勢の背後を突こうと上洛をはかった。この一戦によって、牛太郎が慕っていた森三左衛門が、討死。
悲報を受け、苦悩のすえに奮起した牛太郎は、蟄居撤回の願いを乞うたのち、再度、上総介のもとに参上し、摂津騒乱の収拾に再び当たらせてくれるよう直訴する。
許しを得た牛太郎は、織田家苦戦の元凶となっている摂津の工作に着手することとなる。
北摂津の池田勢、摂津福嶋の三好三人衆、石山の本願寺、他、大小さまざまな豪族が乱立し、また、多くの利権の温床となっている摂津であるが――。
この地こそが、簗田左衛門尉牛太郎、大謀略劇の舞台となる。
この章の主要人物
簗田牛太郎
諱は政綱。異名は綱鎧の簗田。
尾張沓掛城主。桶狭間勲功第一。織田の成り上がり者。
官位は左衛門尉
中島四郎次郎
簗田家の奉公人。牛名はシロジロ。牛太郎が「薪は有りません」という紙を貼っていたので、簗田家の門を叩く。
牛太郎が京の呉服屋に丁稚奉公させている。
さゆり
さゆりは忍び名。牛名はさゆりん。通名は吉田早之介。本名は不明。
甲賀流出身の女忍。現在は、四郎次郎の団子茶屋で情報収集にあたっている。
あや
甲賀流出身の女忍。兄に、同じく甲賀流出身の大石新七郎。
簗田家の奉公人であったが、調略のために岐阜から呼び寄せられた。
茶屋彦左衛門
京・蛸薬師の呉服商。刀を探していた牛太郎とひょんなことから親密になった。
彼の邸宅を牛太郎がほぼ別邸にしている。
きぬ
茶屋彦左衛門の一人娘。未亡人。朗らかな性格の父親に成り代わり、商売の切り盛りをしている。
牛太郎を住まわすのと引き換えにして、彼に高額の反物を購入させた。
今井彦右衛門
堺の豪商にして、織田家の茶頭。上洛してきた織田家に取り入り、堺会合衆から矢銭を支払う見返り、鉄砲鍛冶の生産地である遠里小野の代官権を頂戴した。
先見の明から鉄砲百丁を牛太郎の沓掛勢に譲り渡す。結果、敦賀の戦いにて、沓掛勢が鉄砲の威力を天下に示したことから、織田家との二千丁の大商いを成立させた。
田中宗易
堺の豪商にして、織田家の茶頭。堺会合衆の一人。茶人として、世の武将たちと親交を持っており、荒木信濃守の師でもある。
荒木信濃守村重
信濃守は自称。通称、信州。牛太郎は彼の幼名の弥助と呼んでいる。
摂津池田の有力豪族。三好三人衆から茶器を頂戴したために、池田氏のクーデターに大いに加担した。
牛太郎を親友としている。
承兌
京・相国寺の青年僧。竹中半兵衛の紹介で牛太郎と知り合った。
小寺官兵衛
播州小寺氏家臣。姫路領主。
承兌の紹介で京にやって来た。




