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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第九章 国盗り物語
140/147

偉大なる復活

 だが。

 信長に啖呵を切ったが。

 わからん。

 摂津は爆発しているのだ。これをおさめるには、どうすればよいのか。

 わからん。

 

 なにせ、サンザはいないのである。

 いつもは最後、おれの背中を後押ししてくれた御仁が。


 途方に暮れる思いで、京の蛸薬師に戻ってきた。


 半兵衛にでも頼るか……。

 と、相国寺にあるという、奴の所在を訪ねた。

「拙者はわかりませぬ」

 これだ。

「簗田殿――。拙者は摂津に一度も関わったことがありませぬ。ゆえ、誰がどうなっており、何がどうなっているのか、まるで知りませぬ。ということは、拙者よりも簗田殿のほうが、摂津に関して言えば長けているのです」

「それは、お前が面倒がっているだ」

「左様」

「お前って野郎は……」

 おれは説教してやった。この情勢をかんがみて、面倒もへちまもあるか、と。

「簗田殿の悪い癖です。すぐに誰かに頼ろうとする」

 ――と。

「まあ、左衛門尉様――」

 あいだに割って入ってくる者があった。

 一人、坊主が同席していたのだった。二十歳そこそこの青くさい坊主である。

 相国寺の住職に命ぜられて、木下勢諸将の身の回りの世話をしている、承兌じょうたいとかいう作務衣の禅僧だ。

「竹中様は京市中の警固にお忙しく、たとえ天下の智将であれど、忙しさに忙しさが加われば、それこそ何事も手抜かりになってしまうのでは」

 なんだこいつ。

たい殿の申すとおりであります」

 と、半兵衛も言う。

「なんなら、お前、忙しさにかまけて死ぬか? あ? これは死ぬぞ? ん? 織田は終わりだぞ?」

「まあ、左衛門尉様――」

 またぞろ、承兌が割って入ってきやがる。

「拙僧の知己に、摂津に詳しい御仁がおります」

「おい。なんだ、お前は。摂津に詳しい人間なんざ、ざらにいるんだバカ野郎。おれが欲しいのはな、摂津の物知りじゃねえんだ。知恵なんだよ、知恵。世の中のあれこれを知らねえ青くさ坊主が、知ったふうな口を叩いてんじゃねえ」

播州姫路ばんしゅうひめじ小寺官兵衛こでらかんべえ殿と申されます」

「人の話を聞いてんのか?」

 すると、

「ほう。小寺官兵衛殿――」

 半兵衛が瞼を大きくしてしまう。

「さきごろの播州のいくさで、百数名の手勢で置塩赤松を打ち破ったとか」

「小官殿はいくさ上手ばかりではありません。常日頃から見識を広く持とうとされており、物事においては思慮深く、また、ご自身の才を天下に打ち鳴らしたいという大きな野心も秘めております」

「それがよろしい」

 半兵衛は、水を得た魚のように、あるいは面倒ごとから逃れられたニートのようであった。

「さっそく、兌殿に文でも書いてもらいなされ」

 とりあえずは、承兌ネギ坊に紹介の手紙を送ってくれるよう依頼したが、何が小寺官兵衛だ。黒田官兵衛のバッタもんかい。黒田官兵衛なら是非ともお願いしますと、こちらから頭を下げてやってもいいところだが、小官こかんとか言って、その略称からしてしょうもねえ野郎に決まっている。

 相国寺から茶屋邸に戻ってき、さゆりんに訊ねる。

「播州姫路の小寺官兵衛って知っているか」

「知らん」

 事情通のさゆりんが知らないとは、やはり、無名のバッタモンだ。

「播州のそれがどいないしたんや」

「さっき半兵衛のところに行ったら、相国寺の茶坊主がいて、小寺官兵衛ってのを紹介してきたんだ。半兵衛も名案だとか言ってやがった。摂津の攻略法でも見つけてくれるに違いないとかほざいてな」

「アホくさ」

 さゆりんはボコられた過去があるので、半兵衛が嫌いなのだった。珍しく、おれと同意見だった。

 と、思いきや……。

「なんで竹中半兵衛なんかに頼っているんや」

 おれの想像の斜め上を行っていた。

「あんないくさ狂いに何ができるんや。今の摂津はいくさでどないにもできんかった結果やないか。それをあんたは、阿呆の一つ覚えみたいに竹中半兵衛――」

「説教すんな。説教するなら建設的な意見の一つぐらい物申せ。おれが摂津をどうにかするためにどうすればいいか。信長に死ぬ覚悟でもって摂津をどうにかしてくると言っちまったおれが、これから先、首の皮一枚をつなげるにはどうすりゃいいか、ちっとは言ってみろ」

「知らん。てか、あんたこそ無策なん? あんた、何か策があるから上総介に迫ったんちゃうの?」

「一つ、ある」

 と、おれはさゆりんに顔を寄せてにじり寄った。さゆりんの太ももに右手を置いた。さゆりんはおれの右手を払いもせず、

「なんなん?」

 と、おれの陰謀の眼差しを見つめ返してくる。

「池田の中川瀬兵衛にカネを掴ませ、あいつから内部を崩壊させる」

「……ほんで?」

「現当主の九右衛門を追い出して、筑後守を池田に復帰させる」

「……で?」

「池田筑後守は織田方だ。ということは、摂津の敵は悪党三人衆と石山の本願寺だけになるってこった」

「解決しとらんやん」

「?」

「織田が窮地に陥ったんは、石山が参戦してきたからやで。それまでは織田が優勢だったんちゃうんか。そもそも、その前にな、中川瀬兵衛ごときに何ができるん? あんた、自分が池田を降伏させてときを忘れたん? あれの最初がうまくいかなかったのって、中川瀬兵衛がでしゃばって先んじて池田の上層部に話をつけてしまったからちゃうんか。織田の使者が来ているって」

「……いや、あ、あんときよりは、あのゼニゲバも力をつけてきているだろ……」

 しかし、おれは呆れ返るさゆりんの眼差しに怯えを感じ、さゆりんの太ももから右手を離し、そのまま腕組みし、恥ずかしさを隠すために悩む振りをする。

「うーん。なかなか難儀だ」

 すると、今度はさゆりんがおれににじり寄ってきて、なんと、おれの太ももに右手を置いてきた。「なあ、あんた」と言って、おれの上目に覗き込んでくるのだった。

「やっぱ、無理なんちゃう?」

「何?」

 おれの伸びきっていた鼻の下は、さゆりんの一言によりムッとして縮んだ。おれのでれついていた目尻は、さゆりんの健気な視線により、キッとして澄み上がった。

「そりゃ、あんたの心意気はわかるけれど――」

 などと、妙にいたいけな声音を聞かせてくる。森三左衛門の仇を晴らしたいという気持ちはわかる、織田の窮地のために男を立てたいという気持ちはわかる、しかし、

「どうあがいたって無力やん」

 むしろ、

「どうして、そうやって自ら進んで窮地に足を踏み入れるの」

 おれはもやもやとした。どちらかと言えば機嫌を損ねた。まさかまさかにさゆりんが色気を出してすがりついてくるこの展開は、おれにはまったく響かなかった。

 おれはさゆりんが置いてきていた右手を、そっとして払い、視線を逸らしていった。

「女にはわからねえことだ」

「勘やもの」

「何?」

「女の勘や」

 いったい、どうしてさゆりんがこんな目をしてくるのか、まるでおれに惚れてしまっているような目であった。

「あんたは怠け者のくせに、いっつも、いっつも、なんかしらの情が胸の内に入ると、空から落ちてくるツバメみたいに一直線になってしまうもの。いっつも……。池田の降伏のときもそうやったし、敦賀でも姉川でも。私はそのつどそのつど感じる。危なすぎるあんたが、いつか、死んでしまうような、ううん、なんか、とても大変な悲しみの底に落ちていってしまうような」

「笑わせるな」

 と、おれは笑った。非常に笑えた。このおれが「とても大変な悲しみの底に落ちてしまう」だと? な訳ねえだろう。そりゃ確かに信長にボコられたあとはうつ病にでもなっちまいそうだが、いやいや、この小娘がおれの愛人をやっていりゃ、とんでもない悲しみなんかあるはずねえんだから、まったく。

「らしくねえこと言ってんじゃねえ、バカ。お前の言葉を借りればな、気色悪いわ。てか、なんだ、おれに惚れたのか? ん? 抱いてやってもいいぞ? ん?」

「いちいち言うことが下衆いんや。阿呆」

 と、さゆりんはすぐにいつもの生意気さ加減を取り戻し、おれの部屋をさっさとあとにしていった。

 フン……。調子狂うぜ、まったく……。



 とはいえ。

 さゆりんの言うことは、ごもっともかもしれん。

 

 どうあがいたって無力やん


 残酷のようでいて、ひどく現実的なその言葉。

 まったくもって、骨のずいにまでこたえてくる。

 手立てがあるのならば、誰かがやっている。

 手立てがないからこそ、織田は窮地なのである。

 その手立てとやらは、信長にはない。ないからこそ、おれなのであるが、ゴロザにもない。ないからこそ、おれなのだが、サルにもないのだろうし、クローザあたりにもないのだろうし、当然ながら、長ヒゲ佐久間やゴンロクくそ野郎にもない。

 ないのだから、おれなのだが――。

 おれには何かがあるのだろうか……。


 どうあがいたって無力――、じゃないんだろうか……。



 さゆりんのお望み通り、あーやが蛸薬師にやって来た。

 が、やはり、何をしていいのだか、わからんのだった。

 あーやを呼び寄せたのは、元甲賀流の力でもって、調略活動の手となり足となってもらうためだが、肝心の調略は、何をしたらいいのかわからん。

 さらに、一つ、問題が発生した。 

「お女中はんか、小娘のお妾はんかは知りまへんけど、人が一人増えたぶん、払うもんは払うておくれやす」

 と、ゼニゲバ未亡人のおきぬ(・・・)が催促してきたのである。

「そ、それは、シロジロが奉公しているのとで相殺してくれれば……」

「何をおっしゃっとるんどす。今ん今まで、この四郎次郎はんがうちとこために銭の一文でも稼いでくれたんやかあ? ほんな気前のええ話、こん京都みやこのどこにありまっしゃろ」

 ひいい、と、まったくもって喚き出したい始末であった。茶屋のおとうちゃんが、まあ、おきぬ、と、制しても、なしのつぶてであった。

 しかし、

「それならば」

 と、おきぬに初対面のあーやが、思いがけずにきっぱりと言うのだった。

「私が茶屋様のために稼ぐ次第でございます」

「いやっ、あーやっ」

「さよですか」

 にんまりと笑ったのは、おきぬ。

「しかしかて、どないして文銭を稼ぐのどす? まさか、体を売ってこいやなんて、こんうちかて口にはできまへん」

「当たり前だ!」

 しかし、おきぬはあーやに膝を寄せていき、

「ほな、鴨川あたりで団子屋でもやってもらいましょ」

 と、手を取りながら荒唐無稽であった。

 何を言っているんだか……。おれは呆れたし、おとうちゃんも苦虫を噛み潰したような顔であった。シロジロもあーやもぽかんとしてしまう。

 おきぬばかりが、赤い唇をにたにたと歪ませている。

「四郎次郎はんに聞きましたどす。なんでも、岐阜では四郎次郎はんの営んでいた団子屋は繁盛してはったそうで」

「何を言ってやがる」

 おれは反吐を吐き垂らすようにして鼻で笑った。

「岐阜の田舎で通用したことが、この京で通用するわけねえだろうが」

 しかし、おきぬは聞く耳を持たなかった。さらにシロジロのバカが、

「そりゃ、名案ッスよっ、おかみさんっ!」

 と、小躍りしやがった。というのも、こいつは、あーやと共に団子屋を任せられるとなると、繁盛するかしないかはともかく、おきぬのスパルタ指導から逃れられるのだ。

 絹織物を徳川三河に売りつけるための道具としてシロジロを養成しているおれだ、団子屋の営業なんざ、大反対した。まして、あーやは調略活動のために呼び寄せたのである。いまさら、給仕など――。

「おきぬっ! いくらなんだって、おれの下僕どもを勝手に扱うんじゃねえっ!」

「ほならっ、あやはんがうちとこに住み着く分のお代金っ、あと、先日に買うてもろた西陣織のお代金、払うておくれやすうっ!」

「ぐっ……」

「かいらしいあやはんがお店に出れば、どんなものでも売れますどすえぇ」


 ということで、そういうことになってしまった。

 フン、さすがのあーやでも京で売れるか。

 しかし、よくよく考えてみれば、これもこれでありか。

 なにせ、摂津調略の一手を打つこともできない現状、あーやを蛸薬師でただの女中として置く以外にすべがない。


「四郎次郎とあやが団子屋をするなんて、どういうことや」

 さゆりんは普段、茶屋邸にはいない。近くの寺に寝泊まりしている。一日に一度、吉田早之介として、情勢報告にやって来る。

「おきぬには逆らえん」

「阿呆か。惚れとるんか、あの人に」

「そういうんじゃねえ。あの女ってのは、まったくもって、おれよか、一枚も二枚も上手なゼニゲバごうつくばりってこった」

 それはそうと。

「さゆりん、キミも団子屋で働いてみたらどうだい?」

「はあ?」

「むしろ、そうするべきだと思うんだがね。というのも――」

 おれはふと思い出したのだった。

 シロジロが岐阜の加納で団子屋をやっていたとき、たしかに、あーや目当てに男どもが列をなしていた。繁盛していた。

 だが、この時代は野蛮行為が野蛮でもなんでもないトンデモ時代であり、男どもが群がる、すなわち、あーやにとある危険が及ぶのである。

 加納の団子屋には、新七がいた。しかし、京には新七を連れてきていない。鴨川でやろうとしている団子屋には用心棒がいないのである。

「ということで、キミに白羽の矢を立てようかと思う」

「何を言っとるん? これから大事な時期なんやろ? それなのに私を団子屋の用心棒にするだなんてどうかしているんとちゃう?」

 矛盾ばかりの小娘め。

 昨日は「悲しみに落ちていってしまう」だなんて半べそかいていたくせに。

「今、手立てがない状態で無闇に歩きまわったって仕方がない。むしろ、下々の人間が出入りする団子屋で働いているほうが細かな見聞も入ってくるんじゃないのか」

「だったら、それはあやに任せればええんや。用心棒なんか、鉢巻きのオッサンにでもやらせればええ」

「いいや、お前は用心棒じゃない」

「はあっ?」

「お前はあーやと一緒に給仕をやれや。んでもって、用心棒兼務だ」

「……な、何を言っとるん」

「可愛いあーやと可愛いさゆりんが二人揃えば、そりゃ、団子屋も繁盛するだろうなあ。かいらしい姉妹がいるとあらば、噂が噂を呼び、全国津々浦々から集まってくる男どもも――」

「なんで、私がお茶くみなんかせんといかんのや! 聞いておられんわ!」

 かように、小娘はわめき散らしたが。

「おいおい。言っておくけどな、何もただ単純に給仕をやっていろってことじゃないんだぞ。団子屋が繁盛すれば、この京都みやこだ。ありとあらゆる情報が入ってきて、その辺の町娘ぐらいには口を滑らせるもんだろ」

 とか、

「てことは、あーやはごろつきに絡まれて嫌な思いをするのか。嫌な思いどころか、大切なものまで奪われちゃう可能性だってあるからな」

 とか、

「いや、別にやりたくないんだったらやらなくてもいいんだよー。京都(みやこ)でゆっくりお茶を啜っていたっていいんだよ」

 とか、

「さゆりんって本当は可愛い女の子なのにさ、おれのせいで汚い男の真似ごとをさせてさあ、たまには大っぴらに女の子のさゆりんに戻してあげたいなあって、おれも胸苦しいんだよな、いつもいつも。もう一回ぐらいさ、見てみたいよな、あの可愛いさゆりんを。なにせ、さゆりんなら、看板娘になるのも簡単だろうなあ。あーやも確かに可愛いけれど、初めてあったときのさゆりんに比べたら、そりゃ……、まだまだだからなあ」

 すると、

「うっさいわ! やればいいんやろ! やれば!」

 と、わめきつつ、茶屋邸のおれの部屋からすっ飛んで出ていった。

 ふむ。

 まさか、これしきのことで、あの小娘が賛同するとは驚きだ。

 そんなかんなで……。

 最初は、おきぬの荒唐無稽な提案から始まった、シロジロの団子屋事業である。が、結果的に、よきかな、である。

 なにせ、おれの愛人であるべき小娘が、ようやっと愛人への一歩として、女に戻ってくれるのである。


 以後、ゼニゲバおきぬが頭目となって(おれを蚊帳の外にして)、シロジロとあーやは鴨川の川べり付近に団子屋を初めた。

 摂津工作に手立てのないままのおれは、毎日を途方に暮らすままであり、気分転換の散歩がてらに団子やをちらりと覗いたところ、店はなかなかに繁盛していた。

 やはり、あーや目当ての客が多いようであった。が、あーやの他に給仕が一人、つまり、女に戻ったさゆりんがいた。


 なんで私がお茶くみなんかせんといかんのや!


 などと、わめき散らしていたくせ、小袖の袖をたくしあげて、さゆりんはなかなかどうして、健気に働いている。

 なかなかどうして、にこにことしている。

 なかなかどうして、客に愛想を振りまいている。

 なかなかどうして……。


 ……さゆりちゃん。


 可愛げのある小娘であった。

 それがたとえ、忍びの忍びたるゆえの可愛げであるとしても、団子屋の「さゆりちゃん」は、まばゆく見えた。

「いらっしゃいませえ!」

 などと、白い歯を浮かべて声を張り上げれば、

「はい、みたらし二本やね? ゆっくりしていってな?」

 などと、目尻を緩め、客に微笑みかける。

 無論、それらは、客から情報を仕入れるための愛嬌なのだろう。

 けども、おれは、陰でこっそり、「さゆりちゃん」を目で追いかけつつ、胸の痛みを覚えた。

 おれは、何をやっているんだろうか、と。

 半纏股引で京市中をぶらつく、まるで武将らしからぬ風体のおれが、こうして、巨体を陰に隠し、団子屋を覗き見している始末……。はたから見りゃ、これはどう見たって、あーやかさゆりんのストーカーである。

 いや、てか、おれのやるべきことってのは。


 どうあがいたって無力やん


「チクショオッ!」

 蛸薬師への帰路を辿りつつ、おれは砂を蹴っ飛ばした。

 無力かもしれんが、無力なら無力なりに、あの小娘は健気に頑張ってしまっているというわけだ!

 あの女狐が!

 おれを三度も殺そうとしたあの野郎が!

 さゆりちゃんが!

「チクショオッ!」

「どないしました?」

 背後からの声にびっくりして振り返ると、ゼニゲバ頭目のおきぬだった。

「そんな、えかい声を上げて」

「フン」

 ぷいっと顔をそむける。と、おきぬもいちいちくっついてくる。

「簗田はんが連れてきなさったさゆりちゃんが働き者どすから、うちの出る幕はあらしまへんわ。おかげさんで、うちはうちとこの商売に専念できます」

「ああ、そう。そりゃよかった」

「さすが、いくさ場でも簗田はんをお守りしてきなさったおなごどすな。やることなすことうちかてかないまへん」

「おきぬ。それは二度と言うな。吉田早之介はどっかに行った。そういうことにしておけ。わかったな」

「人の(えにし)は奇妙天外どすなあ」


 そうだな。

 いまさらではあるが、おきぬの言うとおりだ。

 奇妙天外だ。

 おれを三度も殺そうとしたさゆりんが、今では汗水垂らしつつ、結果的にはおれに健気に奉公しているちというザマなのだ。

 この縁――、おれをおれとしてつむいでいる糸の織りなしというのは、ひもといていけばキリがない。また、いまさら、振り返る必要もないぐらい、おれは振り返ってきもした。

 だから、おれは進まなければならないはずであった。

 死んだサンザのために、などという大それた思いは持ちたくはない。誰かのためにとか、何かのためにとか、そういう大それたことは――。

 だが、ひとつだけ、一人だけ、おれには真っ向からぶつかなければならん野郎がいるのだ。


「次にわしの前に現れるのもかなわず、その首が墓石の下になければ良いが」


 つい、忘れがちになってしまうが、奇妙天外の縁の行き着く先には、朱色のあの野郎がいる。

 浜松で睨み合ったとき、あのバカの目つきというのは、まったくもって、おれに勝負を挑んできているものだった。

 天下を目前にした織田上総介の直臣であるおれに、あるいは、甲府の湯村山にて殺し損ねたおれに、武田信玄の直臣として勝負を挑んできていた。

 天下を取るのは織田じゃない、武田だ、と。

 主人に天下を取らせるのは貴様じゃない、俺だ、と。


 だから、こんなところで、おれはもがいているわけにはいかん……。

 無力だからとあきらめるわけにはいかねえ。


 だからといって、何かが思いつくわけでもなかった。

 しかし、「さゆりちゃん」に感化された翌日、奇妙天外の縁が向こうからやって来た。

 黒田官兵衛のバッタもんこと、小寺官兵衛とやらだ。

 こんな野郎、おれはまったく忘れていたのだが、蛸薬師に転がり込んできてから一ヶ月も経たないうちに、例の相国寺のネギ坊が茶屋邸にやって来て、

「小寺殿が当寺にお見えです」

 と、こざかしい禿げ頭をテカらせたのだった。

「チッ」

 と、おれは舌打ちした。承兌の、世間ずれしたような涼しい顔つきがなんだか忌々しい。

 摂津攻略の手立てについて、にっちもさっちもいっていないという苛立ちに拍車をかけるものでもあった。

「時勢の変革は並大抵のものではないはずです」

 相国寺に向かう道道、このネギ坊は知った口をきく。

 なにをう……。

 見透かされているのやもしれんが、そうであっても、寺の中で寝転がっているだけの野郎に看破される筋合いなんざねえ。

「テメーに何がわかる」

「何もわかりません」

「だったら、わかったようなことをほざくんじゃねえ」

「しかしながら、この現世に、物事をわかっているような御仁など、おりはしませんでしょう」

「ほほう。何をおっしゃっているのかね、キミは。わかっているような人間なんざいないいだなんて、どうしてわかるんだい?」

「いいえ、わかりません」

「おいおい! 今さっき、わかっているようなことをほざいたじゃねえか!」

「ならば、なにゆえ、簗田殿は、拙僧がわかっているようなことを申している、と、わかるのですか?」

「わかるだろうが。お前はわかっているようなことをほざいているじゃねえか」

「なんと?」

「はあ?」

「拙僧はなんと申しました?」

「なんだとこの野郎。ナメてんのか、コラ」

「わかりません。なにせ、拙僧は自分自身のことでさえもわかりませんゆえ」

 バカとまともに話していると気が狂う。それきり、このクソ生意気ウンコバカ野郎とは口をきかなかった。

 そうこうしているうちに、相国寺の門をくぐっていた。

 小寺官兵衛――、

 とやらは、むしゃくしゃ三昧のおれに先んじて、寺の庫裏の一室にてあぐらを組んでいた。

 鳶色の大きな瞳の青年。

 おれを確かめるなり、

「簗田殿でいらっしゃいまっかあっ!」

 と、前のめりになって、どでかい声を放ってくる。

「う、うん……」

「これはこれはっ!」

 白い歯の一つ一つが数えられるほどに口角を広げ、まるで、長年来の友達に久方ぶりに再会したかのような大げさぶりであった。

「いやあっ! あっはっはっ! 小寺官兵衛にて! 拙者みたいなモンに声をかけとっただき、いやあ、喜び勇んで飛んできてしまいましたわっ!」

 うわ……。

 このバッタモンときたら、おれに言葉を失わせるほどのアクの強さである。

「天下の智将、竹中半兵衛殿から、まさか播磨の田舎者の拙者に文が届くとは驚天動地、ひっくり返る思いやったですよ!」

 おれはバッタモンの向かいに腰を下ろしつつも、顔をそむけながら無言。

 無言しつつ、涼しい顔つきの承兌を睨みつける。

 なんでこう、バッタはいちいち大声なのか。黙っておけば、一応はイケメン青年であろう。背丈も高く、鼻筋もすらりとし、笑い顔というのはどこか無邪気だ。

 しかし、うるさい。

「何ぞ、お気に召しまへんやったか!」

「いや、そのですね、声が大きすぎやしないですかね。あっしには、あんたの声がじゅうぶんに聞こえてきているんですけど」

「ああ! 申し訳ございませぬ! これは己への鍛錬の一貫でして! 拙者はガキのころ、それはまあ大層頼りまへん、やせ細ったモンだってんけど、ある日、気付いたっちゅうわけです! 常に腹から大きな声を出していれば陽気が湧いてくると!」

 ん?

 と、おれは、そむけていた顔を戻していく。

「失敬ながら――」

 おれはじいっとしてバッタを見つめつつ、問うた。

「陽気、とは、いかなる」

 すると、このバッタ。

 ニヤ、と、笑った。

「陽気の発するところ金石もよく透りましょ?」

 


「して! 簗田左衛門尉殿! さっそくせやけど、どないいたしましょ!」

「何が……」

「摂津やで、摂津! 簗田殿はお困りやっしゃろ!」

「いや、ちょっと待て」

 大声に押し出され、バッタ野郎のペースに持ち込まれそうだったが、まず、バッタ野郎の思惑を聞かなくちゃ始まらないのだった。

 バッタは摂津の騒乱とはほとんど関わっていないはずだ。

 それなのに、どうして、しゃしゃり出てくる気になったのか。

 摂津をとりまとめることが、要は、摂津を織田のものにすることが、果たしてバッタのメリットになるのかどうかってことだ。

 訊ねると、バッタはげらげらと笑い上げる。

「関係あらしまへんだっせ! せやけど、播州は摂津と同様、騒乱続き、収集のつかない状態が、拙者の生まれる前から続いとるんですわ」

 播州は昔から赤松家が牛耳っていたところなんだけれど、足利幕府の力が急激に衰えた時期から、一族争い、家臣争い、豪族争いが激しくなり、一族同士、家臣豪族同士、昨日の友は今日の敵みたいな状態らしい。

「そん中でわしら小寺が生き残るためには、織田上総介殿にお味方してもらうで他ありません」

「なんでだよ。三好三人衆だっているだろ。それに、おやかた様は今、いろんなやつを敵に回して劣勢なんだぞ」

「三好三人衆がなんぼのもんだすかあ?」

 すると、バッタは口許を歪めて、にやりと笑うのであった。

 その笑み――。

 悪党のしように似ていた。

 して、例の大声もやめて、囁くようにして口を開いたのだった。

「しょうみな話、織田上総介殿の御敵おんてきは……、時代――やあれへんか?」

 おれは、思わず、そむけぎみであった顔を持ち上げた。バッタの瞳から放たれる、きらめく色を見つめ返した。

 不思議な野郎だ、と、おれは率直に思った。

 口許には陰を浮かべているが、目はきらめいている。懐にすうっと入ってくるような、人なつっこさがあるが、触れたら切れそうな危うさも忍ばせている。

 とはいえ、どこかで、こいつに心を許してしまえそうなおれもいる。

「とどのつまりは――」

 承兌だった。

「さしずめ、簗田殿の御敵も時代なのでしょうか」

 バッタは、小さく、こくりとうなずくのだった。おれはあぐらの上に肘を乗せて、頬杖をついた。しばし、無言の時間が流れた。おれの存在をおれ自身が納得させるための時間――、そのような猶予をバッタとネギ坊に与えられたかのようであった。

「桶狭間に、池田にと、えらいもんをひっくり返してきた簗田殿や、それは重々承知しておりましょ?」

「フン」

 と、おれは鼻で笑い返した。

「当然だ」


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