表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二章 さあ、桶狭間
14/147

その生涯に光を放て


「攻めの三左」


 とは、森三左衛門を言う。諱は可成。

 三十七歳、将としてまさに油の乗った齢である。

 体躯は若さ衰えぬ筋骨隆々、彫りの深い顔立ちから放たれる眼光は静かな火として常々きらめいている。

 父祖代々、美濃国の守護大名であった土岐氏に仕えてきた。しかし、成り上がり者の斉藤道三が起こした下克上によって土岐氏が滅びると、逃げるようにして尾張にやって来、以来、織田上総介の配下となっている。

 当時、尾張は上総介の他、織田一族の長であったり、守護職の斯波氏であったり、群雄割拠入り乱れ混沌としていた。

 そのような中、三左衛門は一貫して上総介に従い続け、尾張統一を賭けた数々の戦場で勇名を轟かせてきた。


 年が明けて、永禄三年のある日、上総介近習のばん九郎左衛門が唐突に屋敷にやって来、三左衛門にこう伝えた。

「単騎、桶狭間に参られよ、と、おやかた様がおおせにございます」

 聞き慣れぬ地名に、三左衛門は眉をひそめた。

(桶狭間とは、これ一体何事か)

 上総介が人の思わぬ行動を取るのは今に始まった話ではない。昨年の秋に、道端で見かけた気狂いの巨漢乞食を召抱えたそうだが、かくいう上総介とて気狂いの節はある。一言で上総介を表すのなら、単純明快、「何を考えているのやら」。

 だが、上総介は発する狂気の裏に、鋭くも奥深い知性を隠し持っている。

 その知性を、上総介はなぜかひけらかさない。むしろ、知性の披露を嫌う。

 三左衛門が上総介から受ける魅力の一つだ。


 三左衛門は申し付けの通り、従者も下人も従えずに、単騎、寒風吹きすさむ冬の野を駆けた。

 清洲から目当ての桶狭間までは、二、三里ほど、那古屋を越えて、馬で駆ければ半刻もしないうちに辿り着く。

 尾張東部独特の低山が織り成す丘陵に囲まれた窪地であり、木枯れた山々の中で人の手がほとんど加わっておらず、曇天模様の下、ほうき草が時から捨てられたかのように静かにたなびいている。

「三左」

 その声に振り返れば、馬上から彼を呼びかけたのは佐久間出羽介であった。

「これは佐久間殿。貴殿もおやかた様に呼びつけられましたか」

「左様」

 佐久間はのっそりと下馬し、薄い唇をひしゃげ上げながら辺りを眺め見る。

「まさか、おやかた様は今川とのいくさをここでするつもりじゃあるまい?」

 さすがは上総介に古くから従ってきた佐久間である。今川方との小競り合いは何度も経験しており、己らが立っているこの位置からしても、今川領は目と鼻の先にある。

 だが、

「まさか」

 と、三左衛門も下馬しながら苦々しく笑う。

 なぜならこの窪地、両勢相まみえるには狭苦しい。

「治部が次に仕掛けるは、大きないくさに違いありませぬ」

「左様」

 と、佐久間は細髭をつまみつつ、うなずく。

「昨年、我らは大高と鳴海のこの二城の周囲に砦を築き、足軽一人とて通さないようにしておる。春にはきゃつらの兵糧も尽きるであろうし、大高と鳴海を失うは治部の痛手。田植えが済めば、必ずや救援の兵を全力で差し向けてくるはずだな」

「東海三州の兵をかき集めれば、治部の兵力は三万とも」

「まさか総動員というわけはなあ。ただ、我ら織田に対抗するからにして、一万から一万五千は下らん」

「そのとき、我らの足並み揃っておらんかったら、ちとまずい」

「左様。いまだ臣従しているのかどうかもわからん輩が多い」

 そんなふうに、上総介の大の重臣がこんなところで二人きり会話をしていると、ふと、丘の中腹から蹄が地を叩く音がしてきて、三左衛門は佐久間とともに音のするほうへ顔を向けた。

「なっ」

 と、声を上げたのは三左衛門である。

 音の主は、気づけば丘を颯爽と駆け下りてきた。

 馬上には素襖をめくって肩籠手を身につけただけの上体をあらわにした上総介。

 弓を引き絞ってこちらに矢を向けてくる。

 して、放たれた。空中を一直線状に見事に貫き迫ってきた矢は、佐久間の愛馬の耳を、ビュッ、と、かすめ、

「ああっ」

 と、佐久間が情けない声を上げながら愛馬に駆け寄る。急いで手綱を取る。混乱する馬をどうどうとなだめる。

 きゃっきゃっきゃ!

 高らかな笑い声が馬蹄とともに押し迫ってきた。

 上総介は、左手に下げる弓を指先だけでくるくると曲芸のように回しながら駆け込んでき、突っ込まれるのではないかと三左衛門があわてふためいたところ、彼の目前でぐいっと手綱を引くとともに馬首も絞り上げられて、その、振り上がった前脚で砂煙を浴びせてきた。

 三左衛門と佐久間がげほげほと咳込むのをよそに、上総介は愉快げに吼える。

「おおかた織田はまずいなどと話していたのだろう!」

「いいえっ。かような陰気な話などはっ」

 ひとしきりけらけらと笑ったあと、上総介はゆっくりと辺りを見回した。

 愛馬をなだめ終えた佐久間が恨みこもったふうに言う。

「おやかた様、なにゆえかような場所へ」

「策を張れ」

「はい?」

 三左衛門と佐久間の両名ともが首をかしげると、上総介は背負っていた矢筒から矢を一本抜き取ってき、その矢じりを西の方角へ向けた。三左衛門らが矢じりの先へ目を追えば、そこには低い山の頂きがあった。

「治部はあすこに陣を敷く」

「は?」

 上総介は矢じりを反対の東の方向に向け、

「あすこからやって来、」

 手にしていた矢じりをくるくると回したあと、足元に投げ込む。

 地にぐさりと刺さった。

「ここを進んでだ」

「ど、どういったご了見でございますか」

 佐久間が目を白黒とさせると、上総介はフンと鼻を突き上げた。

「あすこの山からはよく晴れた日ならば大高と鳴海の様相が手に取るように見れる」

 三左衛門は、あるじの言葉の真意がようやく理解できた。

 大高と鳴海の二城の救援に今川方が兵を差し向けてくるさい、その進路はこの窪地だろうと。上総介が矢じりで差した低山を仮に桶狭間山と称すると、桶狭間山に陣を敷く前、進軍の途上、この窪地で討ち取ってしまおうと。

 今しがた上総介が不意に駆け下りてきたようにして。

「雨が降ればこれ以上のことはないがな」

「なるほど」

 と、佐久間はさきほどまでの恨みつらみもどこへやら、ポン、と、手を打った。現金な人物ではあるが、気むずかしい上総介に従い続けてきた百戦錬磨の者だけあって飲み込みは早い。

 ただ、三左衛門は、上総介の口をついた一言には納得していない。

「しかし、おやかた様。今しがた、治部は、と申されましたが、かような尾張まで治部大輔が駿府からわざわざやって来ましょうか」

「来なければ意味がない。治部の首をここで討ち取るゆえ」

「いや――」

 三左衛門は言葉を失う。この人は何を申しているのだろうか。

 今川治部自らが腰を上げるかどうかの是非もそうだが、足軽と足軽との兵数が物を言うような戦い方になってきている今の時代にあって、部将の首級ならともかく、大将首を目指すいくさなど、源平時代の合戦でもないのだから、夢見がちもいいところである。

 なぜなら、当然だが、それは絶対にあってはならないからだ。主君そのものが戦場で葬られるなど、絶対にあってはならない。言うまでもなくその家の存続に関わるし、それに、大将首を取られたほうの部将たちは、一生の恥、どころか、末代までの不名誉に他ならない。

 だから、大将は死んでも守る。つまり、上総介が言う、死んでも守られる治部の首を狙うなどは、蛮勇であり、無謀であり、無策なのである。

 子供じゃないのだ、大将首を狙ってのいくさなど、この世の中の誰一人とてしない。

 するのは気が狂っている者だけだ。

「しょ、正気ですか」

 と、佐久間が言ってしまった。

 すると、上総介は佐久間の疑い深い表情など歯牙にもかけずに笑った。

「笑わせやがって。貴様らはこれまで俺が正気の者と思っていたのか」

 佐久間も三左衛門も口をつぐむ。皮肉にも、実に説得力がある。

「治部が来るかどうかを決めるのは俺じゃねえ。治部自身だ。だが、治部が腰を上げるようにすればいい。ゆえ、三左、貴様は調略しろ。佐久間、貴様は大高鳴海の周囲にさらに砦を築くよう下々に命じろ」

「しかし、治部の首を討ち取るなどという前提でいくさを始めるのはいささか無理が」

「貴様ら、存じているか?」

 上総介は口許に、彼らしい、それでいて彼らしくもない童子の悪巧みのときのような笑みを浮かべていた。

「玉野川で拾った呉牛を」

「噂には」

「きゃつが申した、今川治部をここに葬り、この上総介が天下を統べる男になると」

 三左衛門は佐久間と顔を見合わせた。お互いがお互い、呆れ半分、失望半分で苦笑した。

「かような戯言を申すのはこの世で一人きゃつだけだろう。だから気に入った。だが、貴様らはそうして戯言などと笑うのが関の山であろう」

 その通りである。むしろ、こんなうつけには付いていけないとさえ思ってしまう。

「つまらねえ者どもよ。貴様らのその大きな可能性も貴様ら自身で限度を勝手に決め込み、歳月を追うごとにその器を狭くさせていく。攻めの三左だか退き佐久間だか知らねえがな、たかだか尾張のこの狭い世の中だけのちっぽけな武勇よ。まあ、せいぜいそれで満足していろ。貴様らはそれしきの者だろうからな」

 にやにやと笑いながら言ってくるものだから、三左衛門はさすがにむかっ腹が立ってきた。

 佐久間も同じだったようで、顔を真っ赤にさせている。

 きゃっきゃっきゃ! 

 上総介は高らかに笑い上げた。ひとしきり笑うと、口許には笑みを湛えたまま、眼光ほとばしる黒い瞳で三左衛門らを見据えてきた。

「食って寝るだけの生涯はただの生涯だろう。しかし、己が光を放てばその生涯は死んでも光り輝くんじゃねえのか? まあ、攻めの三左だか、退き佐久間だか、この俺でもよく知らねえということだがな」

 それだけ言い残し、上総介は西へ馬を走らせていってしまった。

 三左衛門は、上総介が残していった馬蹄の軌跡をむっとして睨みつける。

(そのようにしてこの三左をけしかけおって……。まったく……。わしは若僧じゃないのだ。そのぐらいで発奮するもんかい……)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ