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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第八章 九死旅程
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不穏

 おれは明智十兵衛に迫った。

「石山本願寺が果たして中立でいるのか、公方様に確認させてくださいっ!」

 突如、火の玉のようにして飛び込んできては、前のめりになって迫り来るおれの様子に、十兵衛は唖然としていた。

「な、なにゆえ、さほどに慌てていらっしゃる」

「三好の輩は摂津中嶋とやらの城を改修しているそうじゃないッスかっ! ここは石山の目と鼻の先じゃないッスかっ! 尼崎から上陸してきた三好の賊徒が、伊丹を攻めずに中嶋に拠点を構えるだなんて、石山本願寺と手を組んでいるかもしれないじゃないッスかっ!」

「簗田殿。それは貴公が直接に聞いた話なのか。それとも、貴公の想像か」

「いや、まあ、想像ッスけど。でも、おかしいじゃありませんか。石山本願寺がこれについて、どう対応するつもりなのかぐらい、公方様に確認させてくださいよっ!」

 おれがあまりにも怒気はらませるものだから、十兵衛は押し切られる格好で、

「ならば、拙者が直に訪ねる」

 と、顕如の側近である下間三家老とやらに会いに、十兵衛は摂津石山に行った。

 翌日、十兵衛の屋敷に朝から居座っていると、昼過ぎには手甲脚絆に編笠の十兵衛が帰宅してき、おれは明智家の子女やら女中やらを押しのけて、玄関で十兵衛の返答を待った。

「三好方が危害を加えない限り、石山は中立を貫くと」

「本当ですかっ? 信用できるんスかっ?」

「簗田殿」

 と、十兵衛は語気を少々に荒げながら、お怒りであった。

「石山本願寺は公方様に局外中立の誓紙を差し出しておるのです。これを反故にすれば、天下に申し訳が立たないばかりか、一向宗の名誉にも関わると、石山の坊主たちも理解しておる」

 その眼光でもって、おれを蛇に睨まれた蛙のようにしてくれると、腰の大小を抜き取りつつ、それよりも、と、十兵衛は言った。

「石山も何も、上総介殿に一日でも早く出陣してもらわなければ、取り返しがつかなくなる」

 逆に責められた。

 蛸薬師に戻ってきて、丁稚のシロジロに白湯を差し出される。

 おとうちゃんが帳場机から前のめりに顔を出してくる。

「なんやか、難波津は騒がしいようどすな。京はどないなりましょ」

「賊徒が悪あがきをしているだけですから」

 雑談もそこそこに、自室に閉じこもる。

 信長が岐阜を立ったという話は、噂にもまったくない。

 ここにきて、おれは初めて、親分の様子がどうもおかしいと感じてきた。

 北近江の小谷城攻めを姉川の決戦に方針転換し、危険を承知で陣替えしたのは、摂津池田に謀反が起こったからで、一にも二にも、三好方の動向に対応するためであった。

 ところが、いざ、三好三人衆が動いたというのに、信長は遅々としている。

 こんなことは前にもあった。本圀寺を襲撃されたときだ。あのときも信長は三好の動きを察知しておきながら、なかなか岐阜を出ないでいた。

 謀略のためにだ。

 いざとなれば二日で京に来れるのだ。しかし、来ないのだ。

 我が親分は、きっと、今回もまた何かを企んでいる。だが、今回は何を企んでいるのか、おれには推理できない。

 ここは、一日でも早く、岐阜に帰らなければ、おれはまずいことになりそうな気がしてならない。悪い予感しかない。

 さっさと原田城が幕府方に寝返ってくれるのを待つばかりのおれであったが、翌々日、悲報が京市中に伝わってくる。

 和田伊賀守が吹田攻めに失敗したらしい……。

 思い通りに行かないのが人生だ。何事も自分の思い通りに行くと思ったら間違いだ。それでも、どうして、吹田城のような雑魚兵力相手に負けてしまうのか。

 さらには、悲報、とまではいかないにせよ、どうでもいいことでもない報せも伝わってきた。

 奈良の松永弾正のジジイが、三好方を警戒して信貴山城に入っており、上陸を聞いたとともに河内国へ出てきたらしいが、大和国で弾正ジジイと敵対しているツツイという奴が、この隙に出撃態勢を整えていたということで、ジジイは一転、河内国から大和国に戻って、ツツイの城に攻めかかっていったらしい。

 くだらねえ……。

 おれは再び地図を広げた。手に取って凝視する。

 吹田城を攻め落とせなかったのは、手痛い事態だ。幕府が吹田城が占領できて、初めて、原田城に圧力をかけられる。

 女狐ならどうにか――、と、期待できなくもないが、期待ばかりしていると、時間ばかりが虚しく過ぎ去っていってしまうのではないか。

 どうにか、手柄を。

 どうにか、この危険地帯から脱出を。

 三好方の中に、誰か寝返りそうな奴はいないか。

「クソッ!」

 地図をぶん投げた。

 誰が、摂津中嶋を埋め尽くしている敵方の中に潜入するというのだ。

 池田に乗り込んでいったときとは訳が違う。三好方は臨戦態勢を整えているのだ。殺伐とした空気が満ち溢れているに違いないのだ。ましてや、おれは三好の内情などまったく知らず、橋渡し役となりそうな武将はまるで見当たらない。

 さゆりんが手元にあれば、諜報にでも派遣させているのだが、当然、いない。連絡もつかない。

 新七郎を召集してしまおうか。

 あーやを召集してしまおうか。

 しかし、新七郎に関しては、太郎が応じるような気がしない。おれもあまり気が進まない。

 三好方が上陸してきた以上、いくさは目前にあり、沓掛勢も必ずや従軍するはずで、連戦続きで兵数は減ってしまっており、ましてや、新七郎は無双を働く武辺者、沓掛勢には無くてはならない人間だ。

 あーやに関しては、まあ……。

 さゆりんがわがままばかりだったのも、今となっては納得できなくもない。




 文月七月も過ぎて、葉月八月、おれは暑さひとしおに増していくこの時期、うだるような熱のこもる京都市中で、団扇ばかりを手に動かし、無為に過ごした。

 おれの耳には、刻々と変化していく摂津の情勢が入ってきている。

 摂津中嶋に着陣した三好方が、野田城、福島城の改修、拡張を終えたこと。

 三好方の第二軍が尼崎に上陸し、伊丹城に攻めかかったこと。

 若江城のフルハシと、高屋城のハタケヤマが、三好方に対応するため、古橋城に集結したこと。

 原田城の一報はない。毎日、民部ジジイの屋敷に通いつめたが、ハの字もない。

 まさか、さゆりん、殺されてしまっただろうか。

「きょうび、あの若武者はんを見かけへんけど、喧嘩したんやか?」

 と、おきぬは人の気など知らずに茶化してきて、相手にしてられん。

 朗報もあった。

 尼崎から上陸してきた三好方の第二軍、その数、千五百は、池田勢とともに伊丹城に攻めかかったが、伊丹大和守はこれを退けたらしく、伊丹勢の中には池田筑後守の姿もあったということだ。

 池田筑後守の武骨さは、不幸中の幸いである。原田城を刺激してくれるに違いない。

 しかし、もどかしい。

 生意気かつ、わがままかつ、素直でもないあの女狐の、働きを、生存を、神様仏様にすがりつくように祈るしかない事実は、もどかしさを越えて、癪にさわる。

 まあいい。計画したのはおれだ。おれが頭目だ。

 失敗したら優しく髪を撫でて励ましてやり、そのついでに匂いを嗅いでやるが、調略に成功したとしたら、褒めてやらん。働くことは当然のことだ。得意げな顔つきのひとつもさせてやらん。

 それに、摂津の対応もさることながら、おれは金欠状態を打破しなければならない。摂津ばかりに囚われているわけにもいかない。

 せいぜい、今年中には、デブの三河に返すための二百貫文を用意しなければならず。

 もちろん、年末には寄進札を開催するつもりでいる。それでも足りん。おきぬに五十貫文を押し貸しされてしまっている。

 深刻度を増していく摂津の状況と、からけつさを増していくおれの財布の中身が重なって、おれはなかなか苛立っていた。

 だが、無為に団扇を動かしているだけの日々にあって、おれは突如としてひらめいた。

 デブの三河に二百貫文も支払うだなんて癪だ、そもそも、どうしてこんなことになったのか、と、むかむかしていたとき、

「だったら、あのデブに西陣織でも押し付けてえもんだ」

 と、おれは一人で愚痴った。

 すると、はっ、と、した。

 田舎者のデブ三河に西陣の先織物を売りつければ、二百貫文を支払ったとしても、回収できるのではないだろうか。

 おきぬがおれに高級な反物を売りつけてくる。が、五十貫文で買った反物を、六十貫文で、田舎者のデブの三河に売りつければいいだけでは。

「シロジロ。お前、ためしに先織物を持って岡崎に行ってみろ」

 丁稚のシロジロは飛び跳ねた。

「そ、そんなの無理ッスよおっ。あっしは三河のおやかた様にこっぴどく嫌われているじゃないッスかあっ」

「んなもん、行ってみなけりゃわかんねえだろうが」

「せめて、二百貫文を返さないと……」

 それもそうだ。

 クニツナ、売っちゃおうかな……。

 もっとも、八月も半ばを過ぎたころ、銭勘定に励むゆとりはなくなる。

 摂津中嶋の三好方の軍勢が、河内古橋城に攻めかかり、フルハシとハタケヤマはさんざんに打ち破られて、若江城と高屋城に逃亡した。

 余勢を駆って、三好方は飯盛山城下の稲田という村を焼き払った。しかしながら、三好方は摂津中嶋に引き返し、京に攻め上がるのはおろか、河内国への進出さえ、古橋城を押さえたのみであった。

 そして、信長出陣の一報が入ったと、民部に教えられた。

 村井民部ジジイの他、洛中に駐在している織田の将たちは、織田二万の軍勢を入京させるための支度――宿泊先の手配であったり、兵糧の手配であったりに大忙しとなる。

 事務仕事に巻き込まれそうだったので、おれは蛸薬師の茶屋邸に引きこもった。

 信長がようやっと腰を上げ、状況は変わるだろう、と、期待する一方、おれは少なからず不安であった。

 三好方の動きに疑問があった。

 なぜ、摂津中嶋に戻ったのか。つまり、三好方は、来たる織田勢との戦場を、摂津の三角州地帯と定めたのだ。

 石山本願寺と共闘するつもりではなかろうか。

 十兵衛の言うとおり、石山本願寺が中立を保つとしても、三好方は織田勢を摂津におびき寄せ、石山本願寺を巻き込むつもりではないだろうか。

 しかし、石山が三好三人衆とつるんでいる証拠も、その様子も、まるで見当たらない。

 三好方が石山を戦場に巻き込もうとしても、策士、策に溺れて、本願寺が逆に織田方につかない可能性も無きにしもあらずだ。

 ただ、一つわかっていることがある。

 おれには、もうどうしようもないということだ。




 おれはクリツナを飛ばした。

 根来衆はどうなったのか、堺のイマイに訊ねた。

「畠山左衛門督殿のご助力もあり、織田様が摂津に着陣すれば、根来衆、及び、紀伊雑賀衆が必ずや馳せ参じましょう」

 ハタケヤマの助力だと……?

 しかも、紀伊雑賀衆ってなんだ? おれはそんなものまで要求してねえぞ。

 おれの疑念も構わず、イマイは得意になって二重あごを揺らす。

「その数は一万余。もしや、二万にも届くかもしれませんぞ」

 目玉まで張り出してきて、まるでテメエの手柄のようであった。

「織田様がご出陣とあって、私も、お出迎えに入京いたしましょう」

 京に帰る道中、クリツナの背中に揺られながら、夏の日差しにあぶられる汗水を拭いつつ、一人、声をぼそりと漏らした。

「駄目だ……」

 おれの考えが及ばなすぎる。

 三好三人衆もさることながら、イマイは要求以上のことを勝手にやらかしてくれる。ハタケヤマなんか取り出してきて、おれの手柄だったというのに、小さくなるばかりだ。

 甘く見ていた。

 気落ちしている暇はなかった。

 信長が本能寺に宿陣するとあって(その名称からして不安は募るばかりであったが)、おれはいくさ装束に身を固める。

「立派な武者構えどすこと。体がいかいさかい、お強く見えますわ」

「違うっス、女将さん。旦那様は強く見えるんじゃなくて、本当に強いんスから」

「やっぱり、いくさどすかあ」

 と、おとうちゃんだけが眉尻を下げている。

「くれぐれもお気をつけて」

「あっしも旦那様に付いていきたかったんスけど、女将さんが丁稚奉公はどうするんだって」

 おとうちゃんには笑みを返したが、シロジロは無視し、クリツナに跨って本能寺へ向かう。

 本能寺は、蛸薬師を出て二十分弱である。向かいには村井民部の屋敷がある。境内が広いが、信長が宿陣しているとあって、織田永楽銭の旗指し物が通りにまで群れを成していた。

 ねじり鉢巻きの引くクリツナが現れれば、馬廻衆の群れはすかさず道を開け、

「簗田左衛門尉にて」

 下馬をし、門前に立てば、番兵は石突きを地べたに付けたまま、頭をかしげる。

「長谷川藤五郎殿か、堀久太郎殿に取り次ぎ願いたい」

 と、竹か、菊を呼んでくれるよう伝える。

 清洲城で番兵に叩き出されたころを思えば、おれも偉くなったものだと感慨深いが、内実、あのころの素寒貧すかんぴんは気が楽であった。

 菊がやって来た。月代を綺麗に剃り上げて、すっかり、いっぱしの将である。やって来たのが、悪たれの竹のではなくて、少々、気持ちが落ち着く。

 ただ、開口一番、

「どうしたのです」

 と、菊が眉をしかめたので、おれはにわかに焦った。

 しかし、

「おやかた様がご機嫌ですよ」

「なんだよ、びっくりさせんなよ」

「入洛してそうそう、牛はどうした、京にいないのか、牛の出迎えはないのかと、民部殿にしきりにお訊ねされて、だからって、お怒りでもないのです。何があったのです」

 信長のもとへ先導しつつ、菊は不思議がる。

 不穏だ――。

 あの親分が、おれを待ちわびているだなんて、かつてないことだ。

「牛、遅えぞ」

 座している信長は、草摺くさずり佩楯はいだて脛当すねあて、立挙たてあげと、下半身の甲冑は身につけていたものの、上半身は素っ裸であった。

 切れ長の双眸を大きく広げ、瞳をらんらんとさせている。甲高い声には張りがあり、暑気を貫かんばかりに通っている。菊が不思議がっていたように、上機嫌である。

「も、申し訳ありません。おやかた様が入京したとあれば、ご訪問者は列を成しますので、つい、あっしは気が引けてしまって」

 実際、陣幕が張り巡らされた向こうには、信長におもねる公家や坊主が夏の日盛りにくたくたな表情でいた。

 おれはそいつらよりも優先されたのだった。摂津にあっては、織田勢の切り込み隊長なのだから、当然である。

 ただ、信長の姿態というのは、野良牛上がりのおれと面会するにはともかく、部下以外の人間と会うようなものではなかった。素っ裸なのである。大きな軍配扇子をサンザの息子のカツに扇がせているのである。

 無論、さすがに、二条城や、御所を訪ねるさいは素っ裸でなかろうが、おもねるような相手とあらば、天下一の権力者であることは、敦賀や姉川の危機を経ても変わりないようである。

 我が親分らしいといえばそれまでだが、信長のこの自信に満ち足りた気配というのは、おれの不安とはシンクロしない。

「どうなのだ」

 と、質問はその一声きりであり、機嫌が良いときほど意味不明だが、調略はどうしたか、という言葉が含まれているのは、手下を十年もやっていれば百も承知だ。

「今井殿が申しているかぎり、根来衆の参戦は確実で、加えて、紀伊雑賀衆とやらも。あと、摂津原田城は、今しがた家臣の者が切り崩している次第ッス」

「やれるか」

「恐れながら、池田筑後守に原田城を与える触れを出してもらえないッスか」

「いいだろう。大儀であった」

「あ、ありがたき所存」

 親分との面会はこれきりであった。

 沓掛勢の所在を菊から聞くと、本能寺をあとにし、連中の宿陣先に向かう。二条城造成のときに居着いていた寺である。

 大路小路に油蝉の音はかまびすしく、地上を焦がすような日差しにあれど、大軍の入洛に市中は賑わいを増していた。物々しさはない。京の人々は、兵馬が列を成して闊歩するのを目の当たりにしても、織田勢を待ちわびていたような、それでいて、今もなお、尾張美濃の田舎者たちをどこかで嘲っているような、呑気な快活さであった。

 戦火は摂津にあるし、信長の来着によって、誰もが、危うさはひとときのものになると思っているのだろう。

 けれども、おれは、クリツナのたてがみをなびかせる熱風に、いくさの匂いを嗅ぎ取った。鉄と汗の、胸の焼けるような生々しい臭さであった。

 どうして、信長は上機嫌だったのか。

 どうして、原田城の調略の結果が出ていないのに、大儀であった、なのか。

 イマイを煽って、根来衆を引き出したことに関して、信長は喜んでいたのだろうか。

 援軍を確保したぐらいで褒めてくれるような親分じゃないはずだが。

 何もかもが気色悪い。




 宿陣先にやって来ると、度肝を抜かされた。

 沓掛勢の兵数が膨れ上がっていたのである。姉川決戦のあと、百五十人と少々だったはずが、雑兵から足軽兵卒、組頭まで、見知らぬ顔ばかりとなっていた。

 ぽかんとして口を開けていたら、太郎が言う。

「このいくさ、おやかた様より尾張衆四百人を分け与えられました」

 敦賀、姉川での活躍の賜物か、それとも、信長が兵隊をくれたのは、おれが外れたからなのか。

 そういえば、信長は、沓掛勢(というより、もはや簗田勢だが)に復帰しろとも言っていなかった。おれが勝手に復帰しただけである。

「オヤジ殿は参陣しないと思っていたんですがな」

 と、理介が相変わらずいる。当然、ハンザもいる。

「早之介はどうされたのです」

「調略に出かけている」

 太郎は渋い顔をした。言いたいことはわかる。兵が増えれば、武将も必要だ。

 かといって、ゴンロク傘下となってしまった今では、昔のように種橋藤十郎のオッサンや大島新八郎のオッサンなどをマリオから借りてくるわけにもいかない。

 足軽組頭をそこでやっている新七郎を調略要員に回せとは、とてもじゃないが言えない。

 軍議に参加している太郎から、織田勢の今後の針路を聞きつつ、宿坊で久しぶりに夕飯を共にする。

「これに乗じて浅井朝倉の輩が動かぬとも限らないので、丹羽様は佐和山城の包囲、藤吉郎殿は横山城にて、森様は宇佐山の守りに付いておられます。我らは明日にでも河内牧方に着陣し、おやかた様は、畿内の諸勢力に参陣の要請をかけるとおおせです」

「そうか」

「調略とは、何事をされているのですか」

「北摂津に原田城ってのがある。そこを池田筑後守に乗っ取らせるつもりだ。早之介はそれで動いている」

「池田はどうなのです」

「池田は三好方だ。どうにもならん」

「左様でございますか。せっかく父上が苦労されたというのに」

 太郎は我がごとのように溜め息をついた。うむ。生意気な小僧も、もうすぐ一人の父親になるとあってか、ようやく大人になってくれたようである。

「父上。何点か気になることが」

「なんだい?」

「母上に送られた反物、ずいぶんと高価なものに見えますが、あれは一体、いかほどのものなのです。仕立屋も驚いていたようですが」

 詮索の眼差しが注ぎ込まれてきて、おれはそそくさと吸い物のお椀に顔を伏せる。

「それと、母上に宛てられた文には、四郎次郎を呉服屋に丁稚奉公に使わせたとあったそうですが、どういうことなのです」

「それは――、そういうことだ」

「なにゆえです」

「ま、まあ、その、商売の基本を、な。あいつは、商売人だろ。うん」

「母上に宛てられた文には、もう一つ、四郎次郎を奉公させている呉服屋には若女将がいるそうですが」

「い、いるよ。だ、だから、なんだ。シロジロと仲睦まじいんだよ」

「高価な反物を買ったのも、四郎次郎を丁稚奉公させているのも、その若女将とやらに入れ上げているからではないかと、あいりが申しておりましたが」

 おれは箸を叩き置いた。

「ば、バカ言えっ! ふざけんなっ! そういう邪推をすんじゃねえっ!」

「あいりの申すことは納得できますがね。父上は昔からそうですから。千代殿に入れ上げていたときもそうでしたから。まあ、母上はああいう人ゆえ、父上の申されることをすっかり信じ込んでいますが」

「やめろ。いいか、そういう根も葉もない噂を立てるのはやめろ。反物を買ったのは、そこを寝床にするための宿泊賃代わりだ。シロジロを奉公させているのは、おれの周りにくっついて鬱陶しいからだ」

「なにゆえ、呉服屋などを寝床にしているのです」

「調略をするには、そういう市中の人間に紛れ込んでいるほうがいいからだ。寺とか、民部の屋敷とか、そういうところに泊まり込むと、おれが何かをしているってのが知れるだろうが。それに、そこはいろいろと役に立つんだ。馬屋もあるし、クニツナを買ったのもそこの主人のツテだ」

「役に立つって、物を買ってばかりじゃありませんか」

「摂津のいくさが終われば引き払う。今だけだ。決して、入れ上げているわけじゃねえ。お前が想像しているような、おれの好みの、チヨタンみたいな、若くて明るくておねだり上手な女じゃねえ。別に今からだってお前に会わせたっていいんだからな。お前だって一目見れば、その女がおれの好みじゃねえことぐらいわかるはずだ」

「ならば、食べ終わったら行きましょうか」

 思いがけず、太郎を茶屋邸に連れて行くことになった。

 ひぐらしの鳴き声を聞きながら、いつまでも暮れない夏の夕闇のうちをやって来ると、シロジロが軒先に水を打っていた。

 おれと太郎を見かけたなり、杓子を投げ捨てて駆け寄ってくる。

「若君っ、お久しぶりッスっ! ああ、お元気そうで。お子はまだお生まれじゃないんスか? 岐阜のみなさん、元気ッスか?」

「あ、ああ」

 太郎はシロジロのはつらつぶりに戸惑っていた。おれもおれで、首をひねった。シロジロのことだから、無理やり奉公させられているとか騒いで、太郎に助けを求めると思っていた。

 どういうことだろう。

「あっし、ここの女将さんに毎日どやされているんスけど、旦那様のために頑張って商売のいろはを学んでいるんス」

 そういうことだった。気持ち悪い。

「ささ、どうぞ、お上がりくださいッス」

「あ、ああ」

 いつも見ていたから気付かなかったが、おきぬに鍛えられているためだろう、太郎を招き入れるシロジロの様子は、岐阜にいたころよりも板についている。

 帳場から顔を覗かせたのは、おとうちゃんであった。

「あれ? 簗田はんやありまへんか。そちらんお武家はんは?」

「あ、拙者、簗田左衛門尉が倅にて、左衛門太郎と申します」

「ええっ? ご子息はんでおますかあっ? おおいっ、きぬっ、きぬっ」

「なんごとや。そないにいかいな声を出して」

「簗田はんのご子息はんやっ」

「あれまあっ! 男前ありまへんかっ! お母上に似てよかったこと!」

 ハハ……。養子なんだが……。

 太郎もおきぬの押し出しに飲まれてしまう。

「ち、父が、お世話になっているそうで」

 と、言うのが精一杯、おきぬに男前だのお強そうだの利発そうだのとおだてられた挙げ句、嫁がいると知ると、

「奥方はんに一反いかがでっしゃろ」

 呉服箪笥から引っ張り出してきた反物を差し出される。

「やめへんか。ほんま、商いばっかり。それやさかい、婿はんも来いひんやろ」

「婿はんが来いひんのは、ここが貧乏やからや」

 そして、喧嘩を始め、太郎はたじたじであり、日も暮れて脱出できたころには、さすがの太郎も考えを改めていた。

「父上が好むようなおなごではないとわかりました。けれど、あまり居候していると、また、買わされますよ。拙者は知りませんからね」

「そんなことはわかってる。ちゃんと、あいりんに文を書いておけよ。おれが入れ上げているわけじゃないって」

 太郎が生意気言ってくれて、今回ばかりは助かった。

 あらぬ噂が立っても、太郎が実物を見たかぎり、梓殿の逆鱗に触れることはまずないだろう。


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