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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第八章 九死旅程
132/147

大海の轟に出づる

挿絵(By みてみん)

 蛸薬師のおとうちゃん(・・・・・・)おきぬ(・・・)の呉服屋には、彼らには必要ないはずの馬屋が庭の裏手にある。

 ゆえに長居するにはおあつらえ向きだ。

 茶屋の屋号の由来は、一昔前に、将軍や幕府官僚の上客に茶を振る舞っていたからだそうだが、そうした高級武士のために馬屋を建てたらしい。

 幕府の権勢も堕ちた今では、馬屋も空っぽのままで。

「潰そうか残そうかと、迷っとったとこどした。簗田はんが使こうてくれはるんなら、わしのおとっつあんも建てた甲斐がおしたもんどす。おおきに、おおきにどす。ようやっと親孝行できたんや」

 彦左衛門のおとうちゃんは、掌を合わせておれを拝むという、非の打ち所のない、いい人である。

 しかし、その隣で、娘のおきぬは、絹のような肌に赤い唇を歪めるというしたり顔でいる。

「当てもなく住まわすやなんて、先織物一反ではかないません。せめて、はあ、三ヶ月に一反は買うてもらわな」

「支払いは年末までの貸しで……」

 長睫毛の瞼を艶っぽく細めてき、ふふ、と、おきぬは笑う。

「おおきに、簗田はん」

 どこかの寺に長居したり、仮屋敷でも借りたっていいのだが、もしかしたら調略活動に発展するかもしれない。

 それを考慮すると、おれの所在はなるたけ秘匿にしておきたいところである。

「おれがここにいるってことは内緒で」

「奥方と喧嘩しはった?」

「ま、まあ、そんなとこかな……。ハハ……。と、ところで――。おいっ、シロジロっ、ちっと来いっ」

 土間に突っ立っているシロジロを帳場に呼びつける。

「頭、下げろ」

 へらへらとしているシロジロの頭を掴んで押し倒し、くだらねえ顔を板床にぐりぐりとねじ込む。

「こいつはおれの奉公人の中ナントカシロジロっていう者なんだけれども、俸禄とか給料とか、そんなものはいらないから、おとうちゃんところで修行させてくれないか」

「えっ、ちょっ――」

 シロジロが顔を上げてくるので、右手をぐいっと押し込んで、黙らせる。

 おれは、かくかくしかじか、シロジロのこれまでの遍歴を説明し、

「ということで、銭勘定もできねえこのバカに、商売のいろはから教えてやってほしいんだ」

「か、勘定ぐらいできるッス――」

「黙ってろっ!」

 シロジロの頭を板床に叩きつける。

 おとうちゃんは白湯をずずっとすする。

「わしは別段構いまへんけど」

 ただ、おきぬは、むっとしてシロジロの頭を見つめていた。

「間に合っておりますわ」

「ええやないか、きぬ」

「食い扶持が増えるやないの」

「簗田はんが買うてくれはるやないか。三ヶ月に一反やなんて、きぬとわしでは使い切れん銭や。わしは宵越しの銭なんて持つつもりないわ」

「奉公の人なんて使うた試し、ないやないの」

「昔はよういはった」

「物が売れへんようになったからでっしゃろ」

「袖振り合うも多生の縁や」

「かなわんわ」

 おきぬはたいそうご機嫌斜めだった。

 おとうちゃんは何食わぬ顔つきである。

 毎度、こんな喧嘩をしているような風情でもある。

「ほんなら、簗田はんにはうちで一等に上等のもんを買うてもらいまっしゃろか」

 と、おきぬは呉服箪笥からお高そうな絹の先織物を持ってくるのだった。

 シロジロにぽかんとして眺められている中、おれが手ぬぐいで冷や汗を拭っていると、おとうちゃんがおれに顔を寄せてき、ぼそぼそと呟いてくる。

「どないせ、売れへんもんどすから。お支払いはいつでも」

「すんません」

 しかし、おきぬの地獄耳には届いていた。

「貸しってもんはくれるってもんなりまへんよ! ほんでもって、四郎次郎はんには売れへんもんも売ってきてもらうさかい! お覚悟しいや!」

 反物をおれの前に差し出してきたおきぬの目は、梓殿とかさゆりんとかが怒ったときによくある、鬼の眼光である。

 おとうちゃんは素知らぬ振りで、視線を帳場の隅っこのほうに向けてしまい、シロジロは恐れおののきながらおれをちらりと見やってくる。

「四郎次郎はん! 何をしておるんやん! お客はんやん! 白湯の注ぎ足ししまへんか!」

「は、はいっ」

 シロジロは背すじを張り立たせ、おきぬの気配に一挙に飲み込まれる。

 しめしめと思う一方で、おきぬの気の強さには前途不安でもある。

 これだけの美人だっていうのに、男の一人や二人もいない理由がわかった。

 それに、シロジロの遍歴を説明しているあいだに思い出してしまった。

 デブの三河にシロジロの二百貫文を返済しないと。

 デブ三河は、そんなものはいらないって言っていたけれど、そういうわけにもいかん。

 遠江のどこかの城を拡張しているらしいから、それが竣工したときには、祝い金代わりに持っていかないと。

 結局、おきぬには五十貫文の証文を書かされてしまい、万が一のため、支払い人をもう一人、簗田広正と書いておく。

 おれのへそくりって、あとどれだけだったか……。

 おそらく、もう、二百貫文もない……。

 ならば、この夏に寄進札を開催したいところだが、バカが女狐にだまくらかされて、春に開催しちまった。

 立て続けにやるのは、あまりよくない。年末までは我慢しないと。

 クッソ。カネカネカネ。途端に火の車で、摂津池田どころじゃなくなってくる。

 クニツナ、売っちゃおうかな……。

 それとも、広正くんにお願いして、沓掛城の隠し財産のいくらかを機密費として……。

 無理だな。

 客間で荷駄を解く。ねじり鉢巻きとシロジロは元からある奉公人部屋を借りることになった。

 それより、女狐の姿がないと思い、帳場に戻ってくる。おとうちゃんに訊ねようとすると、障子戸の向こうから、

「箒もろくに扱えへんやないの。こう掃いたら角に埃が溜まるに決まておりまっしゃろ。外から内に掃かんとあかんやないの。よう、ほんなもんでやって来れはったな」

「す、すいませんッス」

「塵粒ひとつ落ちとったら、夕飯は抜きにしますえ」

 おきぬのスパルタ指導が聞こえてき、おとうちゃんは机に両腕を乗せながらおれに前のめりになってくる。

「よう言いますわ。己は掃除やらやったことあらしまへんのに」

「そ、それより、おれより先に若い武将が来なかったですか」

「来はりましたよ。次の日には堺に行く言うて、燕みたいに出て行かれはった」

 障子戸が開いて、鬼教官が着物の裾を摘みながら上がってくると、おとうちゃんが「なあ」と促す。

「簗田はんの若い人なら、堺に行かれはったよな」

「そや。堺、言うとった」

 ところが、おきぬは赤い唇をにやっと緩めた。

 足をちょこまかと歩ませてき、おれの隣に素早く膝を折り畳んでくると、にやにやとしながら顔を近寄せてくる。

「あの人、おなごはんでっしゃろ」

「えっ! なっ、なわけねえじゃんかっ!」

「よう言いますわあ。あん若い娘を一人にさせているだなんて、無体な仁どすえ」

 ゼニゲバ鬼教官は下世話な笑みを浮かべながらも、肘でおれのことを小突いてくるのだった。




 蛸薬師を拠点にしたのは失敗だった。

 京都であれば、摂津池田にも堺にも一日で向かえる距離である。

 なんなら、明智十兵衛や村井民部なども駐在している。あらゆる情報が入ってくるので都合がいいはずである。

 ところが、丁稚のシロジロがおきぬにさんざん叱られており、その声、その姿を見聞きするたびに、なんだか、おれまで叱られているような気分になってしまう。

 なんだか、肩身が狭い。まさか、岐阜の我が家よりも息の詰まる日々である。

 かといって、こんな豪奢な反物を買わされてしまって、いまさら、引っ越せない。

「簗田はん。お帰りになりはられましたで」

 おきぬの声にびくっと肩を震わせると、板戸を開けたのは吉田さゆりん早之介であった。

「今しがた、白湯を持ってきおしどす」

「お気遣いなく」

 早之介が声を低めるが、おきぬはにやにやと笑いながら、ちょこまかと廊下を行ってしまう。

「おい。女っておきぬに悟られているぞ」

 さゆりんは開け放たれたままの板戸の向こうに視線をきつく向けるまま、太刀を置きつつ、おれの向かいに腰掛けていく。

「あの人は、案外、勘の鋭い人です」

 おれとさゆりん、お互いに押し黙るままに向かい合っていると、足音を立てておきぬがやって来る。にやにやと笑いつつ、おれと早之介の手元に湯のみ茶碗を置いていく。

「お一人で難儀どすなあ」

 早之介は目礼し、湯のみ茶碗に手を伸ばす。

 おきぬは盆を抱え、膝を折り畳んだままで、にやにやとしている。

「もういいよ。下がってくれよ」

「あら。すんまへん。野暮でおました」

 おきぬは好奇心旺盛な視線をおれに残しつつ、板戸を閉めていく。

 早之介はずずっと白湯をすすり、湯のみ茶碗を置いても、口を閉ざしたままでいる。

「まだ、そこにおります」

 おれは腰を上げ、板戸を叩き開ける。おきぬはそこに両膝をついて、耳をそばだてていた。

「おいっ! 反物返すぞ!」

「あら。うちは何をしてはったんやろ。そや。今日は弘法さんやった。簗田はんも煎餅食べはります?」

「縁日はまだだろうが」

「そや。四郎次郎はんにお届けもんをしてもらわんと」

 ようやく、去った。

 戸をぴしゃりと閉めて、溜め息をつきながらさゆりんの前に腰を戻す。

「あんた、いつの間にこんなところに妾を作ったんや」

「どう見たって妾じゃねえだろうが。あいつがおれの妾に見えるか。妾だったらもっと来ているだろうが」

「綺麗な人やないか。あんた、惚れとるんか?」

「なわけねえだろうが。さすがのおれだってな、誰でもかれでも惚れるわけじゃねえんだ。縁あって知り合ってな、根城にするには都合がいいと、最初は思ったからだ。そうしたら、まあ、このざまだ」

「ふーん。で、なんなの、それ」

 と、反物に目を向けてくる。

「宿泊代の代わりに買わされたんだ。ここで一番上等の織物をな。失敗だ、くそったれ」

「ふーん」

「んなことより、堺の誰のところに行ってたんだ。イマイか。タナカか」

「そんなところやな」

 ゼニゲバモンスターと茶人道楽のところに出向き、摂津池田の真偽を確かめたそうで。

 池田筑後守が追い出されたことに間違いはなく、池田九右衛門が当主となったのは間違いなく、やはり、背後には三好三人衆が暗躍していたそうだが、池田の謀反劇に大きく貢献したのは、なんと――、

「荒木信州みたいや」

「なんだあの野郎……」

 おれはなかば絶句した。

 さゆりんが聞いたイマイの話によると、摂津池田が幕府方(織田方)の軍門に降ったころから、領地問題でごたごたがあったらしく、筑後守は一族郎党から不信感を買っていたらしい。

 さらに、敦賀での殿軍の件。

 足利公方を逃亡させるためならともかくとして、信長を逃がすための殿軍に筑後守が進んで名乗り出たことが、池田の郎党たちには我慢ならなかった。

 しかし、派閥闘争の勝敗を決めるにあたり、決定的だったのは、二千人の郎党を束ねているヘタレ弥助が、反筑後守側に加担したことだった。

「実は、田中与四郎は信州にひそかに会うたそうや。そうしたら、信州は新しい茶碗を手に入れたって言うて、田中に見せてきたそうなんやけど、それは三好下野守が持っておった茶碗と同じもんやったらしい」

 言葉がない。おれはがっくりと首を垂らす。

 茶碗一つでころりと掌を変えてしまうヘタレの俗物性もさることながら、もっともやるせないのは、摂津池田を引き戻すための手段がなくなってしまったことである。

「弥助の野郎が三好の手下なら、中川瀬兵衛もそうか」

「当然や」

「打つ手がねえじゃねえか」

「そやな」

「そやなって、お前よおっ。おれが池田を引き入れたのも帳消しになって、しかもおれは信長に言っちまったんだぞっ、摂津をどうにかするってっ」

「無策でそんなこと言うのが悪いんや。私に八つ当たりせんといてや」

「はいはい。わかりましたよ。んで、どうすりゃいいんだ。え? おれは信長になんて報告すりゃいいんだ」

「何もできませんでした」

「んなこと言えるわけねえだろうがっ!」

「阿波の三好方が海を渡ってくる支度をしているってのは、堺では当たり前に聞こえてくるんや。もう、どうしようもないんや。上総介にさっさといくさの支度を整えろって早馬を出す他ないんや」

「いくさをするならするで、何か手土産はないのか」

「そんなの自分で考えいや」

「自分で考えろっつったってこっちのことなんかなんにもわかりゃしねえんだから、考えようがねえじゃねえか」

「ほんなら、自分で聞いて回って把握しいや。私が見聞きしたことをあんたに伝えるんは簡単やけどな、私の感性とあんたの感性は違うんや。同じ見聞きしたことでも、受け止め方は違うやろが」

「訳の分からねえ難しいことを……」

「三好三人衆のうちの誰かを調略するとか、摂津周辺の豪族を参陣させるとかあるやろが。摂津は池田だけやないし、畿内は摂津だけやないんや」

「じゃあ、誰がいいんだよ」

「知らん。私はそういうつもりで見聞きしておらんからな」

「もういい」

 おれはふてくされて寝転がる。

「どちらにしろ手遅れだったんだ」

「ああそう。ほんなら、ここにいつまでもいる理由なんてないな。さっさと帰ろうや」

 妙に淡白なさゆりんの様子に、おれはじろっと目玉を据える。ちなみに鼻の穴を広げてみた。まったく、香ってこない。

「寝転がっていても意味ないで。無策なら、岐阜に帰るのが得策や。前みたいに足軽兵卒を集めるとか、やることはあるんや。ただでさえ沓掛勢の数は少なくなっとるんやしな」

 さゆりんは腰を上げ、戸を開ける。寝床の寺を探してくると言う。

「ここでいいじゃねえか。ここは昔は人を大勢雇っていたらしいから、まだ二つぐらい空き部屋があるぞ」

「性に合わん」

 戸を閉めていく。

 なんだ、あいつ。

 さゆりんの口うるささに閉口してしまうのは毎度のことだが、毎度のことだったからこそ、口うるささの種類がいつもと違うのがわかる。

 怒鳴りつけても怒鳴り返してこない。突っぱねようもどこか冷めている。さっさと帰ろうだなんて言い出す。

 まさか、おきぬに嫉妬しているんだろうか。

 嫉妬というか、おれがここを別荘に選んだのは、おきぬがいるからとでも勘違いしているんだろうか。

 そもそも、いまさらながらだが、あいつはどうしておれのお供を続けているんだろう。

 愛人らしいことは何一つしてくれねえくせに。




 何もわからないところに飛び込んできて、大海をあてもなく泳ぐことを余儀なくされるのは、もっとも避けたい選択肢であった。

 さゆりんが言うように、岐阜という岸辺に戻ろうか、と、考える。

 しかしだな――。

 諸将の前で信長に言ってしまった。高価な反物を買わされてしまった。、それに、今、岐阜に戻ってしまえば、おれに説教をくれたサンザは呆れた顔だろう。

 サルの高笑いが聞こえてくるようでもある。

 そもそも、褒賞を蹴ってでも直訴したということは。

 敦賀から続いた北近江のいくさによって、もしも、どこそこ何百石の所領加増であったら、太郎が沓掛の兵卒どもの俸禄を加増したに違いない。

 それを無にして、おれはテメエの名誉のためだけに手前勝手な行動を取ってしまったのだ。

 バカだなあ。

 ましてや、梓殿には、あんないたいけな言葉を発言させたのだ。のこのこと岐阜に帰れるはずがない。

 考えるしかない。

 何もないところから何かを見つけるしかない。

 サルだってそうしていることだろうし。

 思えば、もう、とても昔のことのようで記憶が薄れかかっていたが、サルに連れられて美濃斎藤方の調略に掛かりきりだったときも、初めは何もないところからのはずだ。

 おれのどこからそんなエネルギーが湧いてきたのかは忘れてしまった。

 けれども、あのときは、敵地を突っ切って菩提山を目指し、知り合いでもなんでもない竹中半兵衛のところに押しかけたわけだった。

 なぜに今はそれができないのだろう。

 敵地に突っ込むと命の危険があるからだろうか。

 西陣の先織物を手に取って眺めながら、サンザの言葉をつくづく思い返す。大きくなっているようでもあるが、その分小さくなっていくようでもある。

 こんな生活必需品でもない代物を買えるようにもなったが、おれは二本足で歩くことをやめてしまったようでもある。

 ――。

 打つ手がないわけではない。おれは打つ手がないと決めつけてしまっているだけだ。

 思い立って、明智十兵衛の屋敷を訪ねた。

「これは簗田殿。小谷でいくさがあったばかりなのでは」

 驚いている十兵衛に、かくかくしかじか、訳を話した。

「左様でございますか」

「堺では阿波の三好郎党がいくさ支度を進めているというのは周知の事実だそうで」

 ということで、摂津や、摂津近郊の地域の勢力を教えてくれと十兵衛に迫った。

「さすれば、兵部殿と共に行動したほうがよろしい。無論、兵部殿は簗田殿をご存知ですが――」

 勝竜寺城の幕臣、細川兵部大輔(ひょうぶたいふ宛ての紹介状を書いてもらった。

 翌日、どこかの寺でふてくされているさゆりんは捨て置き、クリツナに跨って勝竜寺城を訪ねる。

 勝竜寺城は、山崎よりも一足手前、西国街道と鳥羽街道が交錯する要衝に構えられた城である。

 信長が上洛してくる前は、三好三人衆の岩成いわなり主税ちからとやらが根城にしていたが、信長上洛直後に攻め落とされ、今は、足利公方に流浪時代から付き従ってきた細川兵部が城主だ。

「これはこれは簗田左衛門尉殿。浅井方との大いくさに決着がついたのは、つい先ごろだったと聞いておりましたが」

 細川兵部はおれと同じぐらいの齢である。マリオみたいなブラシ髭のオッサンである。彫りの深い顔立ちであり、青年だったころは美男子だったっぽい。綺麗に結い上げた髷が、つやづやとしている。

 背すじを自然に張らせ、素襖は初夏に頃合いの黄緑色、涼やかな目許は威風爽やかながらも、視線をおくびもなく据えてくる。

「あっしは摂津といえば池田のことしかよくわかりませんので、教えてもらえませんか」

 兵部はきょとんとしたが、ほどなくしてブラシ髭の下を緩めた。

「常々、明智殿がおっしゃっていた通りの御仁でございますな」

「十兵衛殿はなんて言っていたんスか」

「立身出世した御仁らしく、何をお考えなのか底知れぬと」

 細川兵部と話すのはこれが初めてだが、見知らぬ間柄というわけでもない。これまでに、信長の陣中なりで、お互いに顔を見合わせてはいる。

「底知れないわけがないでしょう。十兵衛殿が難しく考えすぎているだけじゃないんスかね」

「松永弾正から九十九髪茄子を奪い取り、池田築州の心を変えさせ、今井彦右衛門から火縄銃百丁を借り受けて、敦賀での殿軍。明智殿ならずとも、左衛門尉殿の精気みなぎる働きぶりには目を見張らざるを得ませぬ」

「何も考えていなかったから、そんなことで出来たんです。何事にも無知すぎて、恐れも知らず、自分の思いつきだけで行動してき、たまたまそれが結果を伴っていただけで、実際、今のあっしにはなんら糧にはなっていません。今、何もできないんスから」

「昨年、公方様が三好方に襲撃された本圀寺の折」

 と、兵部は急に話題を変えてきた。

「左衛門尉殿は池田衆とともに上京して参りましたな。あのときは池田の目付役ということで。無論、織田殿の下知かと。いつごろから池田にはおられたのです」

「本圀寺のことが正月明けでしたっけ。じゃあ、その前の、師走に入ったか入っていないかのころでしたかね」

「あのときの池田衆の素早い動きからして、三好方が堺の湊に上陸するのは察知しておられましたな」

 おれは口をつぐみ、白湯のお椀に手を伸ばす。

 兵部は涼やかな目許ながら、おれの中身を覗きこむようにして見つめてくる。

「当然、左衛門尉殿は、岐阜の織田殿にはお報せしたかと」

 ずずっと白湯をすすった。

 過去から公方の側近であった兵部が何を言いたいのか。

 本圀寺の襲撃のとき、信長は全速力で岐阜から京にやって来たが、事前に三好方が上洛するのは察していたのではないか。

 どうして、信長はもたついていたのか。

 そう言いたいのだろう。

「あっしは、おやかた様には報告してません。間違いなく、それは事実です。報告する必要がなかったからです」

「なにゆえ」

「あっしがそう判断したからです。結果、池田衆は迅速な行動を起こし、公方様への忠誠を明らかにしました。また、三好方を手招いた堺の会合衆にも、焼き討ちの名分が作れました」

 もっとも、それは信長が描いたシナリオで、おれがシナリオを理解しただけだ。

 ただ、幕臣の兵部に、信長の謀略だとは、言えるはずがない。

「池田が動けば、伊丹も負けじと動く。もちろん、兵部殿の同輩の高槻の和田殿だって。一刻の猶予を争う事態ではありましたが、摂津衆だけで三好方を京から追い払う自信は、あっしにはあった。まあ、その後、おやかた様には折檻されましたけどね」

 その件で、信長にはボコられていない。逆に褒められた。

 兵部はおれの口から出任せを信用したのかどうなのか、茶碗を唇につけ、それを再び床に置いても、しばし黙る。

「左衛門尉殿はさきほど――」

 と、視線を持ち上げて口を開きつつ、その口角は思わせぶりに緩んでいた。

「思いつきで行動しているなどとおっしゃられておりましたが、矛盾しておりますな。なにゆえ、織田殿が再び左衛門尉殿をこちらに向かわせたか、合点がいきました」

 おれは鼻で笑った。

 兵部が、おれの言葉を信用したかどうかはわからない。本圀寺の件が、おれの独断だと信じたか、信長の謀略だと見抜いているか。

 ただし、一つだけわかったのは、兵部が公方と長年苦楽を共にしたくせ、わりと現実主義のところだった。


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