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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第八章 九死旅程
131/147

京へ、再び

 夜、夫婦の営みのどさくさに紛れて梓殿の匂いを嗅ぎまくったおれは、天にも昇るような感覚を得た。

 朝になって、梓殿よりも先に目覚めると、梓殿の襦袢のうちに忍ばせていた手ぬぐいを抜き取る。

 折り畳んで自分の懐におさめようとしたが、いかん、おれの匂いが移ってしまう、とし、両の掌で運んで自室に戻ってき、ひとまずは文手箱の中にしまいこんだ。

 朝メシを食べているさなか、おれは悶々とする。梓殿の匂いを味わえば、自然、他のおにゃの子の匂いも得たいものだ。

 太郎や理介がいないので、しめたものだった。洗濯を手伝うと言い出しても、驚き、引き止めてくるも、訝しがる人間はいない。

 裏庭で桶に向かうあーややかつの目を盗んで、あいりんの襦袢をそっと嗅いでみる。

 おうふ……。

 やはり、違う……。

 食べているものは同じだというのに、年齢なのか、それとも性格が表れてしまうのか。

 梓殿の匂いというのは、甘さがより濃厚であったが、それがかえってきつくはなくて、胸を包むこむような柔さがあった。例えるならば、真綿の海に沈み込んでいくような感覚であった。

 一方であいりんの匂いというのは、甘酸っぱさであった。薄っすらとした甘さのうちに明確な酸いがあった。おれはこれを香りのほとばしりと命名した。

 梓殿の匂いが包み込まれるような感覚ならば、香りのほとばしりは胸がすくような、心持ちが軽くなっていくような感覚である。

 しかし、あーやのものが見当たらない。

「奥方様と私たちの召し物を一緒に洗うわけには。それに旦那様に洗っていただくだなんて滅相もございません」

 あーやは面目なさそうに、愛らしい大きな瞳で言うわけである。かつもうんうんとうなずくわけである。

 おれはむっとする。彼女たちは主人の意向をまったくわかっていない。

 けれども、おれはたくらんだ。桶に向かって衣服をじゃぶじゃぶとさせながら、おれはそのときを狙った。

 あーやが帯を絞り上げて水を切っている。おれは腰を上げた。

「あ、イテテ」

 と、不慣れな家事を手伝ったすえ、足腰をやってしまったのを装って、ふらつく。そうして、倒れる。

「あっ」

 あーやの背後に覆いかぶさりつつも、なんとか避ける体を演じて右手で地面をつきつつ、一瞬のあいだにあーやの黄色い小袖から匂いを嗅ぎ取る。

 ああ――。

「旦那様っ」

 かつがおれの脇を抱え上げてきた。チッ。

「あ、すまん。ちょ、ちょっと、慣れないことをしたもんで」

 振り返ってきているあーやが、なぜか両の手で襟を締めておびえているので、おれは「イテテ」と腰を叩きながら、その場から逃亡する。

「慣れないことはするもんじゃないな」

 かつの邪魔が入ったせいで、存分に堪能できなかったが、一瞬のうちに感じ得たのは、言うなれば、甘爽やかさであろうか。

 どちらかと言えば、酸っぱさの亜種である爽やかさよりも、甘さのほうが強かったが、包むこむようなものではなくて、鼻から頭に抜けていくような、風の運びのような代物である。

 まあしかし、一瞬しか味わえなかったので、論評をつけがたい。

 ところで、こうともなると、簗田家のおにゃの子以外の匂いも嗅ぎ分けたいものである。

 半纏股引から袖袴に着替え、

「どちらに?」

 玄関でお貞に訊ねられた。

「マタザ殿のところに行ってくる」

 すぐ近所のマタザの屋敷の門をくぐり入った。

 女中が出てきて、マタザがいるかどうか訊ねると、在宅だと言う。チッ。赤母衣衆筆頭のくせに何を暇しているのだろうか。

 おれの計画では、マタザは不在、じゃあ、おまつ殿に戦勝のご挨拶でも、という運びであったのだが。

「どうした、牛。昨日も梓殿とお前のところの嫁が来たばかりだぞ」

「いや、父親になるための心構えを教えてもらおうと思って」

「なにっ?」

 おれの前にあぐらを組んでいる途中であったマタザは、そのまま固まってしまう。

「う、牛っ。お、お前もとうとう一人の父親かっ」

「いや、あっしじゃないッスよ。太郎の」

 マタザはおれを睨みつけ、吐息を抜きながらあぐらを組んでいく。

「人騒がせな奴だ」

 女中が白湯を運んできたあと、すぐにお目当てのおまつがやって来た。

 しかしながら、厄介なことに、長女の幸と、二番目の娘も連れてきた。もっとも、幸はすっかり大きくなって、昔のじゃじゃ馬じゃなく、二番目の娘もお姉ちゃんに習い、小さなお手手を床に付いて、しっかりと頭を下げてくる。

「牛どの。いらっしゃいませ」

「はーい。よく出来ました。しっかし、可愛いでちゅね、お母上に似て」

 マタザがじろっと睨んでくる。

「いや、そういう気はまったくないッスよ、あっしには」

「どうだかな。たまに藤吉郎が用もないのに来てはこいつらと戯れたがるからな。お前も藤吉郎に似ているところがあるからな」

「一緒にしないでくださいよ」

 娘たちは女中に連れられて部屋を出て行き、おまつだけが残った。

「いくさ場では、ご苦労されたそうですね。牛殿は生き残ってきたのも奇跡じゃないかと、長八郎殿が申されておりましたよ」

「ああ。八っちゃんッスか」

 三人のお母さんになっても、いまだ二十歳前半のおまつは若々しく、おれは湯のみ茶碗に唇を添えつつも、匂いを嗅ぎとるのに懸命である。

 ただ、懸命になるほどでもない。おまつの匂いはものすごく漂ってくる。香料をずいぶんと小袖に染み込ませているようで。

「梓殿に牛の出来事を話したのはお主だろう。そのおかげで柴田殿がさんざんな目に遭ったそうだぞ」

「牛殿の出来事とはなんです」

「牛が柴田殿に折檻されたことだ」

「かようなこと梓殿には申しておりませんよ」

「まあまあ」

 と、夫婦喧嘩に発展しそうな語気だったので、おれはなだめた。

「おまつ殿にはうちの嫁がお世話になっているそうで、助かっていますよ」

 しばらく、あいりんの取り立てのない話をしたあと、「ごゆっくり」と言い残し、おまつは去っていく。

「お前、摂津にはまだ行かねえのか」

「そろそろ向かいますよ」

「実際、どうなのだ、お前の了見は」

「わかんないッスね。摂津池田が幕府方なのか三好方なのか。三好方に付いている可能性のほうが高いでしょうけれど。付いていたら付いていたで、織田方に引き戻せるかどうか」

「引き戻せるかどうかなど、引き戻すために向かうんだろうが」

 マタザとお固い話をしても発展性は皆無である。

 そんなことより、と、おれは言った。

「おまつ殿、ずいぶんといい匂いがしましたね」

 マタザは眉をしかめた。

「なんだ、お前」

「いい匂いがしたんだからいい匂いがしたって言っただけッスよ。別に他意はありませんよ」

「臭くてかなわん」

 と、舌打ちする。

「近頃、加納に香木を売りに出している者が現れたらしく、あやつはそういうのが好きだからな、買い求めてきたのだ。それ以来、毎度、着物に染み込ませて」

「香木――」

「知らねえのか」

「知ってますけれど、加納にですか。加納のどこなんスかね?」

 マタザは再度、おまつを呼びつけて、

「何やら牛がくだらぬ興味を持っているから、教えてやれ」

 ということで、香木を売っている店を聞いたおれは、お役御免、マタザ屋敷をさっさとあとにする。

 なるほど。

 香木と聞いて、おれは閃いていた。

 梓殿以外の匂いを楽しむには、洗濯を手伝ったり、倒れたふりをしたりと、泥臭い真似をしなければならないが、香木を買ってくれば、「これどうですかね」などとおにゃの子たちに薦め、その移り香を「聞く」ということにおいて、正々堂々と「味わい」を堪能することができる。

 木の実やら蜂蜜やらを混ぜ合わせて香料を作っているおにゃの子たちの知識にはかなわないが、香木ともなれば話は別だ。

 それはあいりんやあーやだけに限ったことではない。香木のおすそ分けということで、おまつや寧々さんにだって、織田家臣団の大勢の生娘たちにだって、果ては太郎に嫁がせようとしていた明智十兵衛の娘にだって。

 足取り軽く加納の目抜き通りにやって来たおれは、おまつに教えてもらった店を訪ねる。

 店、というよりか、家である。商品が陳列されているのでもなしに、土間が続いて、帳場の戸が開かれているという次第である。

 中年の旦那が帳場から出てき、おれは鞘ごと抜いた脇差しを右手に持ち替えながら上がり框に腰を据える。

「前田家のおまつ殿から聞いたんだが」

「ああ、前田様の奥方様にはさきごろ、お買い求めくださって」

「香木ってものを一目見たいと思ってね」

「手前どもには明国からのものがようあります。少々、お待ちください」

 奥の座敷にいそいそと戻っていった旦那の背中を眺める。関西訛りがあった。

 上がり框に腰掛け、手ぬぐいで汗を拭いていると、旦那が香木を抱えて戻ってくる。三方台の上に木を乗せてき、おれの前に差し出してくる。

「こちらは羅国という香木でございまして、もっとも香りのよい香木とされております」

「これが?」

 おれは木片を手に取り、眺めやる。ただの木だ。

「おまつ殿はこれを買ったのか?」

「いえ。違うものを。これは少々、値が張りますゆえ、こればかりは奥方様は殿様とご相談されると申されまして」

「いくらなの」

「四十貫でございます」

 おれは三方台の上に木を置いた。

「たかだかの木だっていうのにずいぶんとごうつくばりな木だな」

「いやあ、たかだかの木を焚いたとて、漂ってくるのは胸がおかしくなるような煙ばかりでございましょう。それに京のお公家様は、過去から香道なるものを嗜んでおられています。香りを楽しむのもまた一興、お殿様も興味を持たれたついでにいかがかと」

「そんなことはどうだっていい。おれが知りたいのは、この羅国って木はたいがいの人は持っているものなのか」

「いえっ。まあ、持っている方は持っていられましょうが、お殿様がおっしゃられたように、ごうつくばりの木でございますから」

「十分の一に切って、四貫文にしてくれないか」

「そればかりは」

 おれは帰った。

 一級品の香りと混ざり合った匂いというのも味わってみたいが、木の切れ端ごときで四十貫文とはバカにしていやがる。いっときの趣味で汗水垂らして稼いだカネを使うだなんて、道楽もいいところだ。

 変質者をやるのはこのぐらいにして、さっさと摂津に向かうか。

 匂いを嗅ぐとなれば、さゆりんもいるわけだし。

 そうだ。さゆりんの匂いというのはいい匂いだった。忘れもしないのは、諏訪高島城で初めて会ったとき。さゆりんのあの柑橘系の匂いは、忍びが男をだまくらかすだけあって、忘れられない匂いである。

 男装しているので、近頃はまったくだが。




「お貞。明後日には岐阜を出ようと思うから、旅支度を作っておいてくれ。鉢巻き、お前もな」

 夕飯の囲いでそう言うと、鉢巻きはメシを食らいながらうなずいたが、女たちはいちようにして表情を渋らせた。

「もう少々ゆっくりされていけばいいではありませんか」

 と、お貞が言う。

「そうです。旦那様」

 あいりんも言う。

 梓殿は無言でご飯をちょびちょびと食べている。

「なんだい。今までそんなこと言わなかったくせに」

「あっしも付いていくッス」

 無視して箸を進める。

「別段、おやかた様に命じられたわけでもないと太郎殿から聞きましたよ」

 味噌汁をすすりながら視線を向ければ、あいりんは齢に似つかわしくない肝の据わった眼差しでおれを見つめてきている。

「いくさ場では無茶ばかりしていたそうではありませんか」

「それとこれとは違う。いくさ場に行くわけじゃないんだ。太郎だって言っていたじゃないか」

「そうかもしれませんが、もう少し休んでいかれたほうがよろしいんじゃありませんか」

「十分休んだからいいんだ」

 あいりんが溜め息をついて、話は終わった。

 どうして、引き止めてくるのだろうと、なかば気色悪さを覚えながら自室に戻ると、ややもしてあいりんがやって来て、意図しているものがわかった。

「奥方様はずっと寂しがっていたのですよ」

 おれは眉をしかめる。

「帰ってきてすぐに行ってしまわれるだなんて、夜伽を済ませたから用も済んだような振る舞いではありませんか」

「バカ言うなっ。そんなことあるわけないだろっ」

 おれが語気を荒らげたら、あいりんは唇を尖らせて、ややうつむく。まったく。もうすぐお母さんになるってのに、変なことを言いやがって。

「だいたい、梓殿だけじゃないだろ。行って帰ってまた行くってのは、太郎だって同じだろ。何を言ってんだ」

「奥方様はああ見えて寂しがり屋さんなんですよ」

「んなことはわかってるわ。だからって、武将の嫁なんだぞ。だいたいな、そんなことを太郎に言ってみろ。ええ? 太郎がどういうことを言うかあいりんだったらわかるだろ。それとも太郎がいないからそんなことを言ってんのか?」

「旦那様はもっとお優しい御仁のはずですっ」

 あいりんは戸をぴしゃりと閉めて出て行ってしまった。

 言っていることがめちゃくちゃな気がしないでもない。妊娠しているせいで情緒不安定なんだろうか。

 太郎がそういう機微に気づいてくれない堅物だから、おれに当たってきているのかな。

 仕方なしに奥さんのところに行く。仕方なしにと言っても、最初から訪ねるつもりでいたが。

「聞こえておったぞ」

「あいりんは身ごもっているせいで、気分が優れないようです。珍しくあっしに当たってきました」

 匂い袋を作っている梓殿は、おれに振り返ってき、まじまじと眺めてくる。

「そのわりに亭主殿はまっさらな顔じゃな」

「どういうことッスか」

「八つ当たりを食ったと申すわりに、不服のふの字もない」

「あいりんに八つ当たりされるぐらい。ゴンロク殿に八つ当たりされたら腹も立ちますが」

 くすくすと笑いつつ、梓殿は明日着るらしき小袖の下に匂い袋を差し入れる。匂い屋のおれがじっと見ていると、梓殿はおれの手を取って握ってくる。

「行ってしまわれるのは寂しいが、思うところあって亭主殿も行くのであろう。わらわは無力であるが、亭主殿の無事を毎日神仏に願うゆえ、家のことは気兼ねせず精一杯に働いてきておくれ」

 あいりんとの言い争いを聞いていたから、梓殿は気丈に振る舞っているのかもしれんので、ここで抱きしめるのも野暮だろう、笑顔を作ってうなずいた。




 夜明け前に屋敷をあとにした。

 ねじり鉢巻きが口輪を取るクリツナに跨がって、東山道を行く。

「旦那様。この荷駄は、栗綱に運ばせれば、いいんじゃないんスかね」

 いくら叱りつけても付いていくと言って聞かなかったホモ疑惑のバカには、ありとあらゆる荷物を背負わせている。荷物を地面に付けたら即刻岐阜に帰すとも言いつけている。

「旦那様。いくらなんでも、これじゃあっし、もたないッス。だって、旦那様のお召し物以外にも、甲冑だって入っているし――」

 ずっと、バカを無視する道中である。

 昼前には関ヶ原を抜け、夕暮れどきには北国脇街道に出た。そのまま横山城へ、寝床を寄越せと押しかける。

 小一郎がいた。本丸館の一室を用意され、夕飯も下人に膳を運ばせてきた。

「申し訳ありませんが、兄さんは不在なんです」

「いや、不在のほうがいいよ」

「竹中殿も」

「ああそう。忙しいみたいだな」

「兄さんは調略なのか女探しなのかわかりませんが、竹中殿や蜂須賀殿が北近江の地侍のところを巡っているのは確かです」

「まだ、いくさから日も浅いから、そう動きはないか」

「ええ。簗田殿は摂津に向かわれるんですか」

「うん。とは言っても、どうしたもんか。行ってみなけりゃわからん」

「兄さんはよほど悔しがっていましたよ。簗田殿にいいとこ取りされたって」

「よく言うよ、ほんとに。いいとこ取りってよ、八相山の殿軍のとき、藤吉郎殿は敦賀のときみたいに名乗りを上げなかったんだからな。まあ、いくさ上手の藤吉郎殿とはいえ、姉川の決戦で備えを突き崩されたのは必然じゃねえのか。藤吉郎殿はあの時点で尻込みしたようなもんだ。決戦しようって自分で言い出したくせに、尻込みしちまったんだから」

「それは竹中殿にも注進されてましたよ」

「いい気味だ」

 とは言え、悔しがっているサルのことだから、今回ばかりはおにゃの子探しに明け暮れてはいないだろう。必死の形相で手柄取りの糸口を探しているに違いない。

 あの野郎のことだ。おれがまたしても摂津で失敗してしまえば、高笑いするに決まっている。

 エテ公に負けてたまるか。

 翌朝も京を目指す。佐和山城を包囲しているマリオのところに立ち寄ろうと思ったが、特に用はない。湖を右手にしたまま、東山道をひたすら上っていく。

「旦那様――」

 シロジロが腰をねじ曲げてへばっている。シロジロの歩みが遅いので、クリツナののんびり歩きもいつもよりかのんびりである。

「おいっ! さっさと歩けっ! せっかく雨が降らなそうだってのに、テメーのせいで雨に降られたらどうすんだっ!」

「クリに運ばせればいいじゃねえか」

「バカ言ってんじゃねえ」

 ほじり出した鼻くそを鉢巻きに弾き飛ばす。

「この野郎はおれに付いてくるってテメエから言い出したんだ。だったら、何が起こっても付いてくるのがスジってもんだろうが。こんな野郎を連れて行ったって何もならねえのによ」

「だからって、無理をさせる筋合いもねえじゃねえか」

「無理をさせているだと?」

 おれは颯爽とクリツナから下りる。刀の大小を腰から抜いて鉢巻きに押し付け、へばっているシロジロを蹴飛ばし倒し、

「テメーが背負っているもんをおれに寄越せっ!」

 荷駄を下ろさせ、おれが担ぎ直す。

「だ、旦那様」

「何をやってんだよ、旦那」

「行くぞ」

 おれはクリツナを追い越し、歩く。

「おれはな、テメエのもんを担げねえからってテメーらにやらせているわけじゃねえ。テメーらの仕事がなくなっちまうから、それをやらせているだけだ。もう一度言うけどな、おれは自分で出来ねえからってテメーらにやらせているわけじゃねえんだからな」

「旦那。狂ったのか」

「あっしがやりますってっ」

「黙れっ! テメーにやらせていると雨に降られちまうだろうがっ!」

 鬼の形相で怒鳴り散らすと、シロジロはしゅんとして顔を伏せ、クリツナに並んですごすごと付いてくる。

 京を目指す。

 ややもすると、何キロ歩いたのか不明だが、やめておけばよかったと後悔した。

 照りつけるお日様の位置はほとんど変わっていないので、おそらく、一キロも歩いていないかもしれん。

 シロジロの奴、よくこんなものを担いで歩いてこれたな……。

 すげえ重い。

 急激に汗をかくようになってしまい、袖でおでこを拭きつつ、そろりと後ろに振り返ると、ちょうど、クリツナがあくびをかいている。

 それでもって、くりくりのお目目でおれを見やってくるのである。

 意地張ってないで、さっさとボクに寄越せば、と、今にも言い出しそうな、ナメた顔つきである。

 バカにしやがって。

 困難を迎え撃て。

 果てのないいくさをしているわけじゃねえ。京まで行けば、この重さも終わりだ。一日、もう一日、それだけの辛抱だ。

「無理を言って悪かった、シロジロくん」

 まったく歩かないうちにおれは荷駄を下ろした。クリツナに担がせる。

「たまには歩くか」

 と、刀の大小を腰に差し直し、汚点を少しでも薄らがせるためにクリツナには跨がらず、徒歩を取った。

「旦那。気まぐれであんまり困らせないでくれよな。いくさのときには、ただでさえ危なっかしい真似ばっかりするんだからよ」

「まあ、しかし、シロジロくん。キミはよく担いでこれたな。これからは荷役で銭を稼いでもいいんじゃないのかな?」

「勘弁してくださいッスよお、旦那様あ。旦那様が言うから、あっしは頑張って担いできたんスから」

「もういい。もう話すな。お前がな、おれのためだとか言うと、吐き気がしてくる」

「どうしてッスかあっ。あんまりじゃないッスかあっ。どうして姉川のときから素っ気ないんスかあっ。あっしのこと助けてくれたのにいっ」

「黙れっ! もういっぺんくだらねえことを言ってみろ。岐阜に叩き返すからなっ!」

 二日目は長光寺山に泊まった。ゴンロクの傘下となってしまって、数週間閉じ込められた忌々しい思い出の城である。

 愛知川の向こうの鯰江城には、いまだにゾンビの六角がいるらしい。

 三好三人衆が畿内に上陸してきたら、必ずや、ゾンビも復活するだろう。やっぱり、摂津の案件をしくじるとまずそうだ。

 そんなことよりも、シロジロのバカが鬱陶しくて仕方ない。鬱陶しいというよりも、気色悪い。明らかにあいつのおれを見る目は、姉川のいくさ以来変わっている。

 嫌悪感だ。どこかに丁稚奉公にでも出してしまおうか。

 いや、おれの下僕から外してしまうと、寄進札を監督する奴がいなくなってしまう。さすがにもう二度と横領しないだろうし、逆に願福寺の坊主が謀反を起こさないとも限らん。

 そういや、向かう先の茶屋のおとうちゃんは、婿を欲しがっていたな。

 シロジロを婿入りさせて茶屋に閉じ込めちまうか。

 いやっ、そりゃ勿体ない。シロジロみたいなクソを、おきぬみたいな上等の女と結婚させるだなんて。

 それにおきぬだって、シロジロみたいなバカは御免だろう。

 シロジロを茶屋の丁稚にさせればいいだけだ。茶屋はおれの別荘みたいなもんだし、自由も利くはずだろう。

 けれども、反物の一反ぐらいは買わないと、さすがにな。

 あいりんのプレゼントにでもするか。

 それにしても、事あるごとに出費がかさむな……。


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