果てしなく戦う者たちよ(3)
沓掛勢が突入したときには、敵方三陣目は側面突撃によってすでに崩れかかっており、まもなくして潰走した。
稲葉勢、氏家勢に加えて池田勢も押し返してきており、敵方四陣目と衝突したのは、姉川の手前であった。
暑かった。
拭いても拭いても、汗はひとしお、噴いて出てきた。
小袖はすっかりみずくになっていて、胸に腕に背中にと張り付いてしまっている。
具足がぴったりと張り付いている感覚でもあって、それは体のすべてが戦場の熱に焼かれているといった地獄の中のような――、しかし、ある種、一縷の享楽的な昂ぶりが沸き起こって、体は冷めないのだった。
おれは采配代わりに刀を振るい、沓掛勢を後押しする。
この声がどこまで届いているのかは不明だ。
あらゆる打楽器やあらゆる喚声にかき消えているし、乾ききった喉から放たれる声は、割れ荒んでいる。
それに、おれが後押しせずとも、銃弾は飛び、矢は射掛けられ、槍は振り落とされ、隊列は波濤となって敵方を押し込んでいく。
それでも、おれは叫ぶ。
「押せえっ!」
波が弾け飛びそうだったら、クリツナを向かわせる。刀を叩き込む。
「突き崩せっ!」
おれを確かめる兵卒たちのどの目も、戸惑いのない、負けず嫌いの、果てない戦いのうちに一つに共有された、尾張の沓掛の兵卒たちの輝きだった。
いつかこいつらと輪になって飲む酒はさぞかし――。なんていう、生ぬるい想いは、飛び散る汗と血とが消し去ってくれる。この戦場に飛び交う殺人鬼の眼光と断末魔の叫びとが、おれたちに安住の地を永遠にもたらさないことを示してくれる。
まったくそれこそ、生きている実感に違いなかった。
槍も刀も折れた果て、相手に体ごと飛びかかって喉笛を噛みちぎるような野郎もいる。
仲間を押しのけて逃げおおせるような野郎もいる。
泣きわめいて命乞いをするような野郎がいれば、そんな奴は何本もの槍がなぶり殺しにしてしまう。
踏んで、踏んで、踏み続ける。
敵か味方かもわからないぐらいにぐちゃぐちゃになっている死体を踏んで進んで殺し続ける。
まったくそれこそ、生きている実感だった。
敦賀からずっと戦い続けているおれたちは、それを共有していた。
そんな想いからしてみれば、古今東西なかったナントカだの、歴史だのなんだのは、糞食らえのちっぽけすぎるものでしかなかった。
おれの汗だくの命や将兵一人一人の血みどろの命よりも偉大なものなんざ、後にも先にもあるはずがない。
決戦の当初は、磯野丹波守の突撃によって我ら織田方は混乱に陥り、敗北色がはびこっていたが、稲葉勢と氏家勢の援護によって趨勢は急転した。
一気呵成に突入してきた磯野丹波守も、サンザの部隊を突き破ることはかなわず、一千を越えていた部隊も、わずか数十騎にまで削り取られ、佐和山城のある東方へ潰走したらしい。
織田方はこの機を逃さず、柴田勢と森勢が息を吹き返して一挙に姉川まで押し出てき、敵方四陣目を潰走せしめると、遠藤喜右衛門なる者が率いる敵方五陣目相手に、万に膨れ上がる兵数を持ってして、姉川の川波に飛沫を上げながら乱戦を繰り広げた。
五陣目を破れば、後に残るのは新九郎殿の本陣だけだった。
我ら織田方、我ら沓掛勢は血眼になって浅い川底に足を踏み出していたが、敵方五陣目も最後の砦とあって、退路を断ったばかりに立ちふさがり、脇街道を織田兵一人とて進ませないでいた。
ここはもはや、川波というか、飛沫というか、死塁であった。
自然として積み上がっていく屍が川の流れをところどころに堰き止めており、琵琶湖の下流へと注ぐ清らかな水の代わりは、赤黒い血液である。
生きていく者の汗も、また、水に混ざりゆく。死んでいく者の涙も、また、水に混ざりゆく。
おれの目に映るおびただしい量の血も、また、琵琶湖へ、淀川へ、摂津湾へと、流れ流れていくたびに水の中に消えていき、海の彼方へと見えなくなるであろう。
おれや太郎の汗も、クリツナやクロスケの汗や涎も、海の彼方へと行くときには、おれの汗でも、太郎の汗でも、獣の汗でもなくなるのだろう。
浅井方の旗指し物も、織田方の旗指し物も、へし折れて濡れそぼっており、敵も味方もお互いにそれらを踏みにじっていく。
しかしながら、川に滴ったおれの汗の玉は、血河めぐる姉川の一部と化していき、海まで続いたときには、敵の血も味方の血も、その区別がなくなるのであろう。
ひとえに、おれたちはやって来たところも、還っていくところも、等しく同じなのだろう。地上にあって、存在を別々にしていても、最初と最後は同じ存在なのだろう。
それをわかっていても、なお、痛い思いをし、辛い思いをしてまで、殺し合うのは、愚かしいことであろう。
だが、おれたちは、生きるということについて、とてつもなく執着してしまっているのだった。おれたちの中では、生きるということは争うことのみだった。
それこそまさしく、人というのは、生存競争のために争う獣と同じく、愚かで、無知で、究極の理想を実現するための手立てをなんら持ち合わせていないようだった。
おれたちは、自分の欲望を実現するための、従順な下僕でしかない。
己に縛られた奴隷として、己に鞭打って、突き進むしかない。
おれの欲望を満たすために、誰かの欲望を満たすために、踏みにじるしかない。犠牲にするしかない。
きっと、ここにすべての答えもなく、ただひとつの答えすらないのかもしれず、勝利することでおれにもたらされるものは、幸福などではなく、束の間、欲望の充足だろう。
もっとも、その満足感もすぐに消え去ってしまい、また再び、欲望の奴隷として無為な争いに身を投じる。
何度も、何度も。
おれたちの争いは――、おれたちの生命は、答えもなければ救いようもない、ただだた果てのない戦場に置かれている。
地獄のもののような死塁と、姉川の血の色と、それを踏まえてもなおのこと争いを止めない光景、そして、突き動かされてしまっているおれ自身が教えてくれる。
ここにいるすべての者は、果てしなく戦うことを余儀なく課された時代の奴隷である。
激闘のすえ、織田勢は数の優勢でもって、敵方五陣目を退却せしめた。
五陣目の敗走は、敵勢総退却でもあった。
小谷城へ遁走していく新九郎殿のあとを、おれたちは勝者の掟として、貪狼に追撃した。
姉川から小谷城下へと続く脇街道には、新九郎殿を逃がすための殿軍が配置されており、我ら織田勢は数万の波となってこれらを蹴散らした。あるいは首を撥ね飛ばした。あるいは刃物で胴を貫いた。
それでもなおのこと、浅井方の殿軍は繰り返し脇街道に出現した。敵勢は、将も兵も、命を放り捨て、精神を矛にし、肉体を盾にし、おれたちの前に決死に立ちふさがるのだった。
我らの凶器は彼らの狂気を繰り抜いた。
おれたちが突き動かされる奴隷であるように、彼らもまた突き動かされる奴隷であった。
なにぶん、おれは理解していた。敦賀や八相山からの殿軍の経験があるおれは、彼らが新九郎殿のためを思ってここに仁王立ちしているわけではないことを理解していた。
ここに立つことが、ある種の役目であった。誰かに課せられたわけではない、ひとつの運命めいた、宿命づいた、しかし、はっきりとはわからない――、意識の生けるままに肉体を滅ぼしていく、己の役目を果たしていく。
最後の一息まで戦い続けるのを、己自身が己に課した使命として。
脇街道を蹂躙していった織田勢は小谷城下まで迫ったが、龍ヶ鼻本陣から攻城無用の伝令が飛んでき、いくさは終わった。
終わった――。
太陽は空の中ほどから、わずかに西へと移っている。
絞りだすように一息ついてしまえば、まとわりついていた汗は、暑さよりも、冷たさを覚えさせた。
ひだのように突き出てきている小谷山の尾根を眼前にし、おれは瞼を細くして見つめた。
回廊を複雑に巡らせ、曲輪を頑強にこしらえ、高々とそびえ立つ新九郎殿の城は、おれには、因縁の、あるひとつの集約点のようにも見えてくる。
ずっと昔の雨の日を思い出す。お市様の可憐すぎる笑顔が遠のいていく。また、新九郎殿の苦悶の表情も想像してしまえる。
一方で、敦賀での退却戦もよみがえる。
わずかながらに吹いている湿った風が、あの地に捨ててきてしまった沓掛勢の連中の声を届けてくるようにも感じる。
いくさには勝った。しかし、達成感はまったくない。
敦賀のあの夜から、おれが追い求め始めたものは、この戦場には一欠片も落ちていなかった。
むしろ……。
「我らの数は、三十ほど足りておりませぬ」
と、ハンザが毅然としておれに伝えてくるのだった。
落ちていないどころか、おれはまたしても落としていったのだった。
小谷城に背を向けて、万を越えた織田勢とともに脇街道を龍ヶ鼻へと戻っていく。
いくさは終わった。おれが垂れ流していた汗も、太郎や理介が頬に受けていた返り血も、乾いて固まっている。
シロジロや兵卒たちの顔には安堵がかいま見える。
しかし、いくさは終われど、新九郎殿がいまだ生き残っているようにして、何もかもは終わらないのだろう。
クリツナの蹄が一歩、また一歩と、進み行くようにして、終わらない。
こんな人生におれはくたびれてしまった。
おれがわがままで始めてしまった退却戦であった。
事実はおれの望まないほうへ、望まないほうへと進んでいく。
そして、また明日も明後日も、望まない道を進まなければならない。
増えていくものは犠牲ばかりだ。
減っていくものは命ばかりだ。
募り積もるのはわだかまりばかりだ。
そんな歩みに、おれはくたびれてしまった。
戦い続けなければならないことに。
当然ながら、体はくたびれている。喉は焼けるように乾いているし、肩はぐったりとして重いし、クリツナにずっと跨っているから腰は痛いし、殺し合いの連続の果てにいまだ動悸は激しいまま。
そこかしこで悲鳴が上がっている。
街道には死屍累々として、おぞましい異臭が漂う。おびただしい血が流れている。誰も彼もが、命の声を失い、その名も失い、すべての意識も失い、ただの残骸となってしまっている。
もはや、この死体の山のどこに沓掛の一人一人の骸があるのかわからない。
だが。
我こそは尾張沓掛が城主、簗田左衛門尉。
逃げることはできない。
この虚しさは、この苦しみは、おれの虚しさであり、おれの苦しみであり、おれがおれなりに生きるにおいて、おれだけに与えられた試練なのだ。
おれは一人の大将である簗田左衛門尉として、最後の一息まで、栗綱の鞍の上で凛として背すじを張っていなければならない。
結果的に、いくさに勝ったのであれば、なおのこと――。
おれはクリツナのたてがみを撫でていきつつ、心のうちを火照らせる昂ぶりと、心を揺らめかせる迷いを、噛み締め、その内情を知りつつも、胸の扉の中に閉じ込めていこうとした。
クリツナは束の間の終息をわかっているのだろう、いくさ場では激しかった息は穏やかで、目つきものんびりと、戦う獣から、人を運ぶ馬へと穏やかに戻っている。
おれなんかよりも、心の使い道を知っている。
むしろ、おれに教えてくれるようでもある。
ゆっくりとした蹄の響きを感じれば、おれの鼓動は静まっていく。腰から伝わってくる揺れを受ければ、延々と共に歩んでいくという約束を覚える。たてがみの柔らかさと、体の温かさを掌に知れば、おれにささやきかけるようである。
旦那様、よくやったね、とでも。
「太郎。よくやった」
と、おれは言った。
手綱を両の手で握り、鞍の上で顔を澄まして、死屍累々めぐる街道の前ばかりを見据えながら、おれは言った。
クリツナにクロスケを並べている太郎は、いまだ研ぎ澄まされた眼光をおれにちらりと寄越してくる。返り血ばかりを浴びているおれの倅である。
クロスケがいくさを終えてもなおのこと鼻息を荒くしているように、そこに跨るおれの倅も気安めを知らない。
「ありがとうございます。しかし、備前を討ち漏らしました」
「そうだな」
おれはうなずいたが、太郎の言葉に納得はしなかった。けれども、不満でもなかった。太郎の上昇志向を嬉しくも思わなかったし、かといって、わずらわしくもなかった。
そうして、太郎のその言葉には、単なる上昇志向だけではない、同意の求めと、労いの救いが潜んでいることも、おれには不思議と感じられた。
「焦ることはない」
と、おれは言った。
「今日、お前はよくやった。だから、明日からもよくできる。それについて、疑う人間はいない」
太郎は押し黙り、しばし、眉庇の下からおれの横顔を見つめていたあと、自嘲ぎみに視線を落とした。
しかし、太郎の気持ちを受け止めたおれの発言は、この倅を諭すようなものであったけれども、まったくもってして、おれ自身に対して放った鼓舞でもあったようである。
「理介も、ハンザも、新七も、早之介も、それに全員がよくやった」
クリツナの馬上から、おれは街道を歩む皆に向かって叫んだ。
「昨日も今日も明日も戦い続けるおれたちより、偉大な存在はない! 勝ち鬨を上げろ! 龍ヶ鼻まで勝ち鬨を上げ続けろ!」
すると、おれの意を汲み取ってくれたそうで、沓掛勢すべてが声を合わせた。えいえいおう、えいえいおう、と、槍を高々と振り上げ、声を絞り上げ、一歩一歩と歩調を合わせていった。
屍の道を、叫びながら進むおれたちの姿は、奇妙な光景に違いなかった。万の織田勢の中でおれたちだけがと鬨の声を上げている光景は、狂っている光景かもしれなかった。
いや、狂っていただろう。
小谷城下から姉川の向こうまで、その道のりを延々と叫んでいたのだから。
五十町ほど(約5km)をずっと。
声が枯れるまで、さらにへとへとになるまでずっと。
やる意味なんてどこにもない。
それでもやるのは、何もかもは終わらないからだ。
おれたちが終わったと思ったときとは、すべてが滅ぶときなのだ。
勝ったからこそ、生き残ったからこそ、それを実感したときからまた再び、困難を迎え撃たなければならない。
横山のふもとまで戻ってきたとき、義理の甥っ子の吉田伊介がひそかに教えてくれたのだが、いくさの途中に沓掛勢が無断で陣から離れたことをゴンロクが知ったのは、稲葉勢と氏家勢の側面突撃によって敵方三陣目が撃破できたころ――、磯野丹波の突撃による混乱も収拾がついたときだったらしい。
傘下の沓掛勢がいつのまにやらいなくなっており、気がつけば前線で戦闘をしているものだから、おれが抜け駆けしたと決めつけていたそうで激怒し、小谷城下で信長の伝令を受けた直後はおれをぶっ殺さんばかりだったらしい。
しかし、勝ち鬨を延々と続けながら脇街道を戻っていく沓掛勢の異様な姿に、なかば恐れを感じたらしく、今はただふてくされているようである。
「詫びを入れておかなければ」
と、太郎が言うので、致し方ない、信長の召集の下知を受けて龍ヶ鼻の本陣に登ると、ゴンロクの姿を探し当て、申し開きした。
「いくさのさなか、ゴンロク殿に下知をお求めしたはずですが、ゴンロク殿は混乱していたようであっしらには一切の指示がなく、織田方は劣勢にあってここに進退きわまり、ということで、叱責を承知で陣替えさせてもらった所存でございます」
ゴンロクは眉間を皺で固めきり、髭の下の唇をひしゃげて怒りに震えており、
「その処分、覚悟しておけ」
と、鼻をそむけておれの前から立ち去っていった。
太郎が細長いため息をつく。
「仕方ない」
と、おれは、むしろ、笑った。
本陣では戦果報告とともに論功行賞であった。
激闘に次ぐ激闘により、敵も味方も多くの将兵が討ち取られ、信長の表情には勝利の喜びは微塵もなく、むっつりとして各将からの報告を受けていた。
とはいえ、戦況を転換させた稲葉彦四郎、氏家貫心斎の働きには、
「あっぱれである」
と、目を細め、敵方の突撃を食い止めた池田紀伊守や森サンザにも。
そして、
「牛」
おれを睨みつけてきたが、
「英断であった」
その言葉は思いがけないものだった。
無論、信長は、沓掛勢が勝手に動いているのをこの龍ヶ鼻から手に取るようにして見ていたのである。
おれは謝辞を示して頭を下げたものの、ここでバカの顔を立てるのも後々のためかと思い、
「いえ、あっしは何も。あっしにそうしろと下知を申し渡したのは、ゴンロク殿ッス」
「なにい?」
信長は眉をひそめながらゴンロクに目をやり、ゴンロクは驚いて背すじを伸ばし上げる。
「まことか、権六」
「は――、はっ。ま、まことにてっ」
「ほう。それはまた珍奇な」
「恥ずかしながら」
ゴンロクは殊勝なふりで視線を落としていたが、信長はにやにやと笑っており、嘘も方便と親分は察しているだろう。
おれのことはさておき、途中まで朝倉方に押し込まれていたデブの三河も、榊原小平太を大きく迂回させて敵方の側面を突いたらしく、そこから形勢逆転、浅井方が崩れるよりも早く朝倉方を退却させたらしい。
どちらにせよ、大軍を展開させながらも、薄氷を踏むような戦いであった。
何か一つでも欠けていたら、勝敗は変わっていたのだ。
場は論功行賞に移り、もっとも勲功の大きかったのは、窮地をしのぎ、その後も押し返したとあって、池田紀伊守であった。
尾張犬山城とともに一万貫の大領を褒美にすると信長の口から発せられると、紀伊守は大いにかしこまり、諸将はどよめき、中には唖然呆然とする奴もいた。
一万貫か……。
そういうつもりで戦ったわけでもないが、さすがにおれは嘆息である。
と。
「おやかた様、左衛門尉には」
なんと、ゴンロクであった。
当然、驚きを禁じ得ない。おれは口を開け広げてゴンロクの髭むくじゃらを眺めてしまう。
「わずかな手勢でもって、勇敢に敵勢に切り込んでいった左衛門尉も、勝利の一旦を担ったかと」
わかりやすいオッサンなのか、なんなのか――。
自分自身の手柄よりも、おれごときの手柄を優先しているゴンロクの眼差しときたら、大真面目に信長に食らいついているのである。
心変わり――、というより、虎御前山では激昂しておれを殴った張本人のよもやの変節ぶりに、諸将もさすがに呆気に取られていた。
信長は薄ら寒そうにして口許を歪めている。
「フン。牛には――」
「恐れながらっ!」
おれは前のめりに首を差し出した。両膝に両の手を置いて、視線を信長の目に貫いた。
そのとき、ふとした思いが湧いたのだった。
ここで褒美の一つも貰っちゃならんという思いが湧いたのだった。
どうして、そんな気持ちになったのかはわからない。わからないが、ここで褒美を貰ってしまえば、おれのことだ、調子こいて、またぞろ「おれは左衛門尉だ」なんてのたまって不評を買ってしまうかもしれん。
「もしも褒賞を頂戴できるのなら、代わりにお願いがございますっ。沓掛勢は倅の左衛門太郎に一任させて、あっし自身を再び摂津池田に向かわせてくださいっ」
しん、と、してしまった。
「次は絶対にしくじらないッス」
長ヒゲ佐久間が舌打ちしている。
「恐れ多いわ、左衛門尉」
「いいだろう」
信長が鼻先を突き上げながら言う。
長ヒゲ佐久間や林佐渡は苦々しく眉をしかめ、今回、まったくいいところのなかったサルはむっとしておれを見つめてき、マタザやウザノスケは口端で笑っている。
信長も笑みを浮かべる。
「貴様より、こましゃくれに任せたほうがマシだ。貴様なんぞは好き勝手にやっていろ」
諸将はくすくすと笑う。
けっ。一度は失敗した風潮になっているにも関わらず、それを踏まえても任せてくれるという意志なのだから、そうやって言ってくれりゃいいってものなのに。
諸将の勲功もあらかた定まると、次には首検分であった。
これだけの規模のいくさだったので、討ち取った首級は今までにない数だった。各部隊それぞれの者どもが首を携えてやって来て――。
「次は三田村城主、三田村左衛門が首にてございます」
白木の板の上に置かれた生首が運ばれてくるとともに、討ち取った者も信長の眼前にやって来る。
どこの足軽組頭か。髪は大いに振り乱れ、顔中に返り血を浴びており、白目ばかりが浮きだっている四十前後の男で、三人の兵卒を引き連れてきている。
山々にくだっていく陽は、すっかり橙色であった。
「くせ者おっ!」
突如のことだった。
場を囲んでいた馬廻衆の一人が、一挙、太刀を握って躍り出てき、そこに膝をつこうとして足軽兵卒の首を斬り落としたのだった。
何事か。
諸将があわてて床几から腰を上げる。おれも驚いて立ち上がる。
信長だけは座ったままでいたが、皆が皆、腰の物をそれぞれに抜き取ってくる中、足軽組頭(らしき男)と兵卒たちは、それまでにしおらしかった姿勢をにわかに急変させ、やはりそれぞれに太刀を抜き取ってきたのだった。
組頭の首を斬り落とした馬廻の若者が叫ぶ。
「この者っ! 遠藤喜右衛門にてっ!」
遠藤喜右衛門と言ったら、敵方五陣目を従えていた大将の――。
「御首、頂戴いたすっ!」
太刀を振り上げて駆け込んできたそいつたちと、床几に待ち構える信長の距離は、20メートルほどで。
山々にくだっていく陽は、すっかり橙色であった。
遠藤喜右衛門他二人は、すぐに馬廻衆たちに取り囲まれた。槍を一刺し、また一刺し、次から次に串刺しに遭っていき、十数本の槍で瞬く間に箕虫のようになってしまえば、絶命するまでに大口を開けて叫び続けていたのであった。
太刀を握り続けていたのだった。
最後の一息まで。
絶叫が止めば、束の間、静けさは取り戻された。
血の色がまぶしい。
味方の首を持ってきてまで織田本陣に紛れ込んだ遠藤喜右衛門たちの意図は、もちろん、信長の命であったろう。しかしながら、たとえここで信長を討てたとしても、多勢に無勢、間違いなく死んでいたのだ。
「その首を斬り落とせ」
信長が吐息のような声で言うと、真っ赤な血溜まりの中に、首と離れた胴体だけが沈んでいく。
「貴様らもこうであれ」
襲撃された余韻もなしに、信長は涼やかにして冷たい顔つきであった。
おれはなんとも言えない。
夕日ばかりがてらてらと輝く光景を前に、なんとも言えない気持ちに沈んでいく。
おれは果たして、自らの命を惜しんでまで、貫けるだろうか。
最後の一息まで。




