果てしなく戦う者たちよ(2)
戦場から勝手に離脱した沓掛勢は、徳川三河が陣形を並べている方角へ、太郎に導かれるままに進んでいき、山とも丘ともつかない森の陰に隠れると、一度、そこで足を止めた。
何を考えているのかよくわからないが、太郎はハンザを呼び寄せ、何か耳打ちしたあと、北西の方角へハンザを走らせる。
ここからだと、織田方と浅井方との争っている様子は見えないが、徳川方と朝倉方との争っている様子ならよく見える。
どうにも――、三河勢も朝倉方に押し込まれている。
おれの親分は織田信長である。一緒に戦っているのは徳川家康だ。
まさか、信長とデブ三河がここに負けて、歴史の底に埋没してしまうはずがないとおれは思う。
だったら、どうして劣勢なのか。
そもそも、おれが知っている歴史ってなんなのか。歴史とはつまりなんなのか。
字面か?
誰々が勝って、誰々が負けて、誰々が事を成した。そういうわけで未来へと繋がっていく――。
違う。
字面じゃない。
おれは、この時代にやってきてこのかた、延々と途方もなく勘違いをしていた。
あたかも、すべてが決められたことのようにしてしまっていた。
実は決められたことなんて一つもなくて、そもそも、こうして一人一人の生命の息遣いが聞こえてくる中で決めつけてしまうのは、歴史に対する冒涜――、そこに生きている連中への嘲りじゃないだろうか。
ハンザが戻ってくる。
「池田勢と競り合っているは、敵方二陣目の浅井玄蕃允にてっ。大将旗も前線に出てきておりまするっ!」
太郎が槍をくるくると回し、逆手に握った。
「討つ」
齢は、若干、十八か十九の小僧だ。お母さんはさぞかし綺麗な人だったろう。
兵卒たちを見回していき、眉庇の下に見え隠れする二重の瞼を、澄んで据わらせるさまは、戦場を幾度も経験してきたかのような武者のものだった。
「狙うは浅井玄蕃の首一つっ! 立ちふさがる者どもを斬って突入せよっ!」
すると、吉田さゆりん早之介が言う。
「鉄砲衆っ! 火縄を挟めっ!」
年齢は不詳。おれからすれば性別もまた不詳。もちろん、女だが、従われている者たちからすれば、男。
二年近くも武将をやっている。太刀の振り回しもすっかり板に付いてしまっている。兜の袖から垂らしている黒髪がせめてもの名残りか。
「挟みよしっ!」
鉄砲組頭たちの声が上がると、太郎が鐙の足で蹴飛ばし、クロスケがいなないて立ち上がる。
「続けいっ!」
太郎がクロスケとともに駆け出せば、鉄砲隊を引き連れて、吉田さゆりん早之介が追いすがる。
理介が自分を奮い立たせるようにして、大口を開いて「うおっ」と吼える。
「取ってみせようではないかっ!」
まだ、生意気盛りの十六歳ばかり。
平成の元号のころだったら、高校一年生か二年生か。
ところが、この野郎が受け継いだデザイア一族の小奇麗な面立ちには、若さや幼さはあっても、生ぬるさはない。
きっと、このバカには、死への恐れもないであろうが、その、栄光ばかりを目指す情念は、陽光を跳ね返す槍の穂先に結ばれている。
理介の馬が鉄砲隊のあとに続いて駆け出し、足軽兵卒たちもそれぞれに発奮の叫びを上げながら走りだした。
そしてハンザも。
理介のように自我を全面に出さないのは、生来の性格からじゃなく、抑え込んでいるからだろう。脱走するような奴なのである。
何を考えているのか、その中身を平たい顔立ちから察するのは、いつもたやすくない。
けれども、黙って駆け出したハンザの想いは、太郎よりも理介よりも強いはずだ。敦賀のいくさのときを、ハンザは太郎よりも理介よりも知っているのだ。
そんなハンザも、まだ二十歳。
クリツナの脇を固めている新七郎も、年齢はさゆりんと同じぐらいだと言っていた。
シロジロも二十代だから、オッサンと呼べるのは、おれの手下のうちではねじり鉢巻きぐらいだろうか。
まあ、優秀な若者たちは、いつもながらにおれを尻目に勝手にやってくれている。
お飾り大将のおれは、決断する以外に出る幕はない。
むしろ、おれが出しゃばってしまえば、またぞろ、兵卒たちを大変な目に遭わせてしまう。
が――。
「シロジロ。胴火を寄越せ」
明智十兵衛譲りの鉄砲を抱きかかえているシロジロは、「えっ」と、見上げてきたが、おれは、「寄越せ」と、怒鳴り散らした。
すると、当然、鉢巻きや新七郎が、何をする気だと騒ぎ、猛反対してくる。
「いいから寄越せっ! さっさとしろっ!」
おれの形相に屈して、シロジロは腰から吊るしていた胴火をあわてて持ち上げてくる。おれは奪い取る。腰に巻く。胴火の器の中の火種に火縄の先を灯す。
「おいっ旦那っ!」
「旦那様っ、無体な真似はっ!」
シロジロが抱えていた鉄砲も奪い取った。
沓掛勢二百人のすべては、太郎たちに率いられ、すでに森の陰から出撃してしまっている。おれの周りでやんやと騒いでいるのは、下僕どもの三人だけである。
おれは右手に鉄砲、左手に手綱を握り締め、クリツナの腹を蹴飛ばす。
クリツナは伸び上がりながら駆け出した。
下僕どもが喚き声を上げながら追いすがってくるが、森の陰から飛び出していったクリツナとともに、おれの視線の先は三、四百メートル前方でごった返す旗指し物の群れと、そこを目掛けて突撃していく沓掛勢の集団を捉えた。
クリツナの蹄が地を蹴り上げていく。体を弾ませていく。陽光にきらめく金色のたてがみが、揺れては跳ねてたなびくとともに、おれの肥えた体も鞍の上で、揺れては跳ねて鼓動を高まらせていく。
硝煙が、クリツナの尻尾の流れと同じくして、ひとすじの行跡を作っていく。
沓掛勢を追いかけていく。敵方を狙い定めていく。
無体な真似――。
おれよりも、よっぽど、若僧たちのほうが無体な真似だろうが。
そもそも、こういうことに関しては、腕達者の太郎よりも、荒武者の理介よりも、おれのほうがはるかに優っているのだ。
こんなおれとて、何もせずにお飾り大将になれたわけじゃねえ。
おれは桶狭間勲功第一、今川義元の陣に単身殴り込んだ男だ。
「撃てえいっ!」
と、さゆりんの声が上がっていた。
一息に銃声が突き上がれば、七十発の弾丸が一斉に繰り出され、それらは池田勢と格闘していたさなかの浅井方の兵卒たちを次々と襲い。
太郎や理介、ハンザに率いられた足軽兵卒たちは足を休めることなく、そのまま突っ込んでいく。
おれとクリツナも硝煙の幕を切っていく。
「殿っ!」
と、さゆりんの声が横から後ろへ流れていく。
煙幕を抜け、開けた視界を埋め尽くしているのは、旗と陣笠と槍の群集だった。
古今、これほどまでの兵数が集ったことがないと言われる戦場の最前線だった。
老若問わずの彩り豊かな熱情が、空の下から山の裾野までに延々と果てなく続いており、誰も彼もが五万人余の一人となって、太鼓を叩き合い、眼光を寄せ合い、吠え立て合い。
槍を振り下ろしても。
逃げても。
弓を引き絞っても。
戦っても。
生きても、死んでも。
五万人余のうちのたった一人にならないためにも。
歯を食いしばって。
「尾張沓掛が簗田勢参上つかまつったあっ!」
理介が側面突撃の先鞭をつける。
馬上から薙ぐようにして大槍を振り回し、射撃を浴びて泡を食っていた敵兵卒たちを軒並みかっさらっていく。
理介に続いて、三列の横隊を形成していた兵卒たちが、槍を突き並べ、一撃。
敵兵卒の一人一人を槍頭に串刺しにしたまま、目玉を剥いて、吼え上げながら、駆けてきた勢いそのままに押し込んでいって、掃いていってしまう。
弓兵が弦を引く。射掛けられた矢が次々に敵兵卒たちの喉や額に突き刺さり、
おれは銃を構えた。
クリツナが駆けていくまま、鐙だけで跨っているおれは、照門を覗いた。
明らかに大将格の、兜の立物をきらめかせている奴に狙いを定めた。
距離はあったけれども。
クリツナの躍動で、照準が定まらなかったけれども。
この首一つで形勢が変わる。
敵方二陣目が崩壊すれば、縦列隊形が分断され、織田方が押し返せる。
この首一つで趨勢が決まる。
汗が、すうっとして額から頬に伝い流れたとともに、おれは革手袋の人差し指を動かした。
真っ白な煙が噴き出し、銃弾が放たれた。
衝撃でおれはぐらついた。クリツナから落ちそうだった。けども、おれの放った弾が、騎馬武者の兜の吹返しを吹っ飛ばしたのは見た。
そして、騎馬武者がのけぞったとともに、
「覚悟おっ!」
クロスケとともに黒い弾丸となって突っ込んでいっていた太郎が、逆手に握っていた槍を、武者に打ち落とした。
槍頭が武者の喉元を貫く。
串刺しにしたまま、太郎は駆け抜けざまに、武将を鞍から引きずり下ろしていき、太郎が槍を振り回せば、死体は吹っ飛んだ。
そこまで見たところで、おれは落馬した。
落ちたおれの前に躍り出てきて、馬首を弓なりに絞ったのはさゆりん。
、鉄砲隊を引き連れつつ、睨み下ろしてくる。
周囲の敵は死体ばかりになっていた。おれは汗を拭いながら腰を上げる。
クリツナが気づいて立ち止まっており、ねじり鉢巻きの指笛が鳴ると、首を上下に揺さぶりながら戻ってくる。
下僕どもが追いついてきて、シロジロがクリツナの口輪を掴み取った。ねじり鉢巻きに支えられて再び乗馬した。
「浅井玄蕃ってのをやったんじゃねえのか」
さゆりんが鼻で笑う。
「あすこに健在ではありませんか」
指さした先には大将旗が翻っており、どうやらおれが狙撃し、太郎が討ち取った武将は、浅井玄蕃傘下の直臣か与力だった。
「おい、シロジロ。鉄砲を取れ」
が、さゆりんが、びゅっと、太刀をおれの行く手を塞ぐようにして振り下ろしてきた。
「殿は控えていてください」
さらにはシロジロと鉢巻きが二人でクリツナの口輪を押さえてしまい、おれの自由を束縛した。
鉄砲は新七郎が拾い、鉢巻きに渡してしまう。
大将を失った部隊は逃げ散っており、わずかながらの騎馬武者たちが抵抗してくるのを、太郎が競り合って、理介やハンザ、足軽どもの槍先が立て続けに仕留めており、
左手の離れた先には敵方の三陣目がずらりと並んでいるが、さゆりんは太刀を振り回し、
「鉄砲衆っ! 前にっ!」
と、鉄砲隊を連れて大将旗目掛けて進ませた。
多勢で無勢を相手にしている足軽兵卒たちを追い越して行き、三列に並ばせた。
そうして、わずかに離れている浅井玄蕃とやらの本隊目掛け、三段撃ちを始めた。
太郎が槍を振って穂先に付着していた血を飛ばしながら叫んでいる。
「半左っ! 紀州殿の陣に伝令を放てっ! ここが好機っ! 右翼を捨てっ、前掛かりに押し込み候とっ!」
「承知っ!」
「もう一度、隊列を整えろっ!」
と、理介が言っているが、おれは気が気じゃない。
おれたちの方向は浅井玄蕃の大将旗ばかりに向いている。
右手の離れたところにも池田勢とやりあう部隊があるし、左手の離れたところには、いつ前進してくるか知れない敵方三陣目が控えている。
「太郎おっ!」
三段撃ちの銃声がやかましくて、太郎は振り返ってこない。
と、太郎が槍を振り上げてしまう。
「撃ちかけやめいっ!」
「撃ちかけやめいっ!」
さゆりんが迎合すると、はたとして銃声が止んだ。
おれはクリツナの手綱を手繰る。ものの、鉢巻きとシロジロががっちりと握ってしまって、クリツナは前脚後ろ脚を跳ね上げるだけ。
「太郎おっ!」
「いざっ――」
太郎の槍の穂先が真っ直ぐに前方へと繰り出された。
「突撃いっ!」
穂先が陽光にきらめいたとともに、わっ、と、して、足軽兵卒たちが駆け出していく。理介が、ハンザが、そして、太郎のクロスケが飛び出していく。
おれはわめいた。
「ふざけんなっ! おれは見物人じゃねえぞっ!」
シロジロの後頭部を思い切り蹴飛ばす。刀を抜いてシロジロの頭の上あたりにびゅんびゅんと振り回す。
「ひいっ」と、わめいて、シロジロが口輪から手を離した。
おれはすかさずクリツナの腹を蹴飛ばす。
おれの意図を汲み取っているであろうクリツナが、暴れ回るようにして前脚を高々と掻き上げ、首を振り回し、ねじり鉢巻きの手をほどいた。
クリツナの蹄が地をつく。
「旦那あっ!」
「旦那様っ!」
「新七っ! テメーはおれのお守りの木偶人形かっ!」
クリツナが駆け出した。クリツナの躍動を鐙から全身にと受けながら、おれは右手にクニツナを握り締めて、鞍の上に躍った。
太郎の、あんなのは、血気はやって死んでしまったサンザの息子や、坂井の息子みたいに――。
居並ぶ鉄砲隊の列に背後から突っ込んでいくと見せて、クリツナは大きく伸び上がって飛び越えた。
「殿おっ!」
さゆりんがものすごい形相で叫んでいる。
けれども、クリツナは大地を叩き、空を切り、おれは太郎の後ろ姿を追いかけ、敵方の崖にぶつかっていくような荒波の沓掛勢を追い越し、一騎、突出していた太郎の脇に並んだ。
「何をっ。父上っ!」
「太郎おっ! やめろっ!」
しかし、やめるも何も、敵勢は目前であった。間断のない三段撃ちを浴びて、隊列を崩しながらも、立ち向かってくる沓掛勢に対して、敵兵は、槍を、弓を、握り直していた。
挙句の果てには、馬体を並べたさい、それが気に入らなかったのか、真っ黒な凶暴馬のクロスケが、歯を剥いて兄貴のクリツナの鼻面に噛み付いてこようとした。
クリツナがたてがみを逆立たせ、噛み返そうとした。
「やめんかっ!」
太郎が手綱を絞った。首を弓なり引っ張られたクロスケが減速していく。
クリツナがしたり顔でクロスケを置いていく。
「ばか――」
結局、突撃の先頭を切っているのはおれだった。
前方には、倒れ伏している敵兵の姿もあったけれど、槍を握り締めた陣笠具足姿がびっしりと広がっている。
おれに向けて矢じりを引いて、弦が絞られている。
まったくもって、血気はやっている向こう見ずのバカはおれみたいな格好になってしまっていて。
いやはやなんとも、戦国時代にやって来てこの方、おれには後戻りのできる道なんてない。
でも、大丈夫――。
敵方二陣目は左翼方面に注力しているから、手薄だ。
それに、三段撃ちをかましたあとだ。よくよく見てみれば、急遽のことに敵兵の手足はおぼついていないのだ。
おれが用意した鉄砲だ。おれが用意した戦法だ。
さゆりんが訓練した三段撃ちだ。太郎が準備した戦術だ。
何事も信じれば。
矢が飛んできて、おれは手綱をわずかに引いた。
おれを背負っているのはクリツナなのだ。クリツナはおれの思う通りに飛び跳ねるのだった。
向かう矢を、突き出される槍頭を、敵兵の陣笠の並びも飛び越えていって、おれとクリツナは群集の中に吸い込まれるようにして下りていく。
大口を開け、目を瞠って、立ち往生していた敵兵卒を、クリツナの前脚が踏みつぶした。
とともに、おれは刀を振り上げた。
無我夢中でいた。
もはや、おれは何をしているのかわからなくなっていた。
手綱を握るだけ握り締めて、鞍の上で大きく揺れて、刀を滅多やたらに振り回して、クリツナが暴れるだけ暴れて――。
「うおおっ!」
と、おれの足下で、叫声を上げながら、横に倒した槍で、敵兵数人をまとめて押し込んでいっているのは、いつのまにやら新七郎だった。
馬鹿力で大勢を弾き倒してしまうと、槍をくるくると回し、握り返して、一閃、これまた槍の穂先でまとめて敵勢の首を掻き切っていってしまう。
で、新七郎は、馬上のおれを横目にしながら、刀傷の頬を不敵に歪めてきた。
この野郎。
太郎も理介も追い越してきたってことは――。
おれは歯を剥いて笑った。
「木偶人形めっ! 猫を被ってやがったなっ!」
「日陰者には日陰者のしようがありまする!」
「カッコつけてんじゃねえっ!」
けれども、新七郎はおれとクリツナの前に躍り出て、おれを守るようにして、槍を振るう。及び腰の敵兵たちを次から次へと駆逐していく。
さらに理介が突っ込んできて。
ハンザが敵兵を串刺しにしたまま押し込んできては、敵の隊列を割ってきて。
太郎がクロスケとともに飛び込んでき、おれの前に躍り出た。
「我ら簗田勢っ! 浅井玄蕃殿の御首っ、頂戴に参ったっ!」
「小癪うっ、小僧おっ!」
と、馬上に浅葱色の桶側胴の鮮やかな巨漢の武者が、自兵を蹴散らしながら太郎に突っ込んできた。振りぬいてきた槍を、太郎の槍が受け止める。お互いに顔を睨み合わせながら力勝負となっている。
おれはクリツナの腹を蹴飛ばした。クリツナが一直線に駆け飛ぶ。太郎とやり合っている巨漢武者の肩口に刀を叩き落とそうとしたが、
「あっ」
まったく空振りした。
と。
太郎が巨漢武者の槍を跳ね上げ、槍を振り回して、頭に打ち付けた。
巨漢武者は落馬する。後ろから足軽組がわっと押し寄せてき、とどめを差す。
「浅井玄蕃かっ!」
「違いますっ。父上は控えてくださいっ」
「控えろ控えろってテメーら小僧だけが戦争してんじゃねえんだぞっ!」
「ならばっ!」
と、太郎がおれの首根っこを掴んでくる。そのままおれは前のめりに押し倒される。
おれの烏帽子の上を、ビュッ、と、矢が飛んでいった。
「少しは生きることでも考えたらどうですっ!」
太郎はおれの頭から手を離すと、すぐさま槍を振るう。汗を飛ばす。眼光を尖らせ、噴血を招き起こす。
「それはおれがお前に言うことだっ! バカ息子がっ!」
おれは刀を振り回す。クリツナが叩き飛ばす。クリツナの餌食にならなかった奴の頭に刀を叩き落とす。汗を拭う暇もない。殺しているのか、殺せているのかわからんが、刀身から鍔に血が伝ってくるので、刺さっているんだろう。
二陣目の、大将旗はすぐそこにある。
兵卒たちと一緒に、太郎たちと一緒に、刀を振り回して、振り回して、懸命すぎて、おれは自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなってきた。
おれが精鋭に守られているように、浅井玄蕃とやら敵の大将も、周りを守るのは精鋭衆のようであった。
理介やハンザに率いられ、次から次に躍り出ていった沓掛勢によって、おれはすでに後方に押しのけられている。
「ここが正念場だっ!」
と、血塗られた刀を振るって、乱戦を演じている兵卒たちの背中を押すことしかできない。
彼らは槍先を見舞い、矢を見舞い、時折、銃弾を浴びせ、しかし、敵方の馬上の武者が、
「退くなっ! 押せっ! 押すのだっ! ここは勝ちいくさぞっ!」
奮い立てる声によって、白い旗指し物を背負った敵兵卒たちも、槍を払い、あるいは槍を突き出してき、矢を鋳掛けてき、逃げる者は両軍一人とておらず、脱落するとしたら、血を噴いて死ぬだけ。
大将旗はもう一段向こうにあり、おそらく、おれたちが相手にしている人数は同じぐらいだろう、どうしても、先に進めない。
おれは焦った。
この分で、敵方の三陣目が押し込んできたら――。
ところが、ふいに様子が変わったのだった。
おれたちが目指していた大将旗が落ちたのだった。
はっとすれば、どこからか押し太鼓のけたたましい鳴りと、
「浅井玄蕃允っ、討ち取ったりいっ!」
声が上がった。
沓掛勢の誰もが手にかけていないにも関わらず、乱戦の向こうで、その声が上がったのだった。
して、
おれたち沓掛勢も、敵方の浅井玄蕃の近侍の者たちも、ひととき、呆気に取られてしまった、
すぐ直後、
西美濃三人衆の一人、ハゲの氏家貫心斎の旗指し物を背負った騎馬武者や兵卒たちが乱戦に続々と乱入してき、沓掛勢と競り合っていた敵方はほぼ背後から軒並み始末されていったのだった。
敵方は、揃いも揃って、槍を捨てては刀を捨てて逃げ出した。
「我らは尾張簗田勢っ!」
戦闘態勢の形相の氏家勢に、太郎があわてて叫ぶ。
「何事っ!」
「我ら氏家勢っ、側面より叩いて候っ!」
おれは唖然として、返り血を浴びている太郎や理介と顔を見合わせた。
すでに戦況は変わっていた。
戦前、西美濃三人衆の部隊は、横山城の北方で包囲の陣を構えていた。
連中は信長からの下知を受けて陣を引き払い、脇街道を姉川方面に進軍し、姉川を越えて、伸びきっていた浅井方の左翼方面に突撃したようだった。
気づけば、敵方三陣目の隊形も大いに乱れていて、そこを突き刺したのは稲葉彦四郎の部隊らしく。
龍ヶ鼻の本陣で、押し太鼓が鳴っている。
後ろの池田勢が隊列を組んで前進してきていた。
金の唐傘が輝いているのが、おれの目に入ってくる。
やっぱり、信長――。
「オヤジ殿っ! ここまで来たら行かぬわけにはいかぬだろうっ!」
すでに氏家勢の兵どもは隊列を整え、敵方三陣目へと進んでいっていた。
「勝ちいくさよっ! 軍紀も何もあるかっ! ここで終えては苦労も水の泡よっ!」
「そうだ、殿っ!」
と、真っ直ぐに見上げてきたのは、中年の足軽組頭の一人。
「若殿っ!」
と、別の若い組頭が太郎を見上げる。
おれが太郎に目をくれると、姉川の方角を睨み据えていた太郎は、すっとおれに顔を向けてき、頬に返り血の斑点を作ったままにうなずいた。
おれは一息ついた。
そして、声を張り上げた。
「早之介っ! 鉄砲隊を三段に組めっ!」
さゆりんは口をへの字に押し曲げていたが、「並べっ!」と、太刀を振るって鉄砲隊を整えていく。
沓掛勢の兵卒のうち、もう、何人かが殺されている。数十人が負傷している。
犠牲は少なくないけれども、
「ハンザっ! 突撃隊形を組めっ!」
「承知っ!」
おれたちが目指していた大将旗は地上へとへし折れたが、おれたちが達成したものでもないから勝った気分などまったくなく、戦況が大きく転換したのも肌で感じたが、いくさが終わった気分などまったくなく。
もしかしたら、おれたちはおれたちなりに勝ったのかもしれないが。
勝っても勝っても、終わらない。
死ぬまでだろうか。
おれは刀を向かう先に振り落とす。
「狙うは浅井備前の首っ!」
血糊が赤い玉となって飛び散った。
「いざっ、進めっ!」




