果てしなく戦う者たちよ(1)
朝日が横山の稜線から姿を現したころ、龍ヶ鼻の本陣で法螺貝が鳴った。
姉川の向こうの敵陣からも。
ただ、おれも沓掛勢も、柴田勢の将兵たちも、まったく動かない。前方を埋め尽くしている池田紀伊守の軍勢も同じく。
やがて、太鼓と半鐘の音、喚声と怒号が届いてくる。最前線は、無数に並ぶ旗指し物の遥か向こうにある。
姉川の岸で何が起こっているのか、ここからでは判別できない。
クリツナもおれが背中に跨っているってのに、呑気に餌を食っている。
隣に並ぶクロスケは法螺貝の音を聞いてからというもの、首を上下に振って入れ込んでいるが。
じっとして前方だけを見据える太郎がふと言う。
「敵方の先鋒は間違いなく磯野丹波殿でしょうが、佐和山城城主の彼の者は、この一戦が背水の陣です」
どういうことか訊ねると、佐和山は坂田郡から江南に抜けていく東山道の途中に位置しているため、坂田郡の堀二郎が裏切り、横山城までもが織田方に落ちるとなると、浅井本拠の小谷と佐和山は遮断される。
「丹波殿は是が非でも勝たなければなりません。数々の戦場で先鋒を務めてきた豪の者と聞きますが、こたびのいくさに賭ける思いはそれ以上のはずです」
「でも、ここまで来るには三陣の備えを破ってこなきゃならねえんだ。一万人だ。そんなの無理に決まっている」
「どうでしょうか」
すると、柴田勢の伝令が走ってやって来、クリツナとクロスケが並んでいる足下に片膝をつけてきた。
「簗田左衛門尉殿にお伝えいたしますっ。浅井方先鋒は磯野丹波守殿にてっ、我ら織田方先鋒、坂井右近将監様が軍勢と姉川にて相まみえた次第でございますっ」
「承知した」
太郎がうなずくと物見は走って戻っていく。
またすぐに違う伝令が、かちゃかちゃと走ってやって来る。
「朝倉方先鋒っ、朝倉九郎左衛門っ。徳川勢、酒井左衛門尉殿と姉川にて押しつ退きつつの激戦にてっ」
「承知した」
伝令はかちゃかちゃと戻っていく。
「朝倉九郎左衛門殿は、金ケ崎守将であった朝倉中務大輔殿の実父です」
「ああそう」
「朝倉九郎左殿は老齢ですが、これも武勇で知られた者です。我らに辛酸を舐めたゆえ、死に物狂いでしょう」
「お前、ずいぶんと悲観的だな」
「悲観的というよりかは――」
太郎は一度口を閉ざし、首を上下に入れ込んでいるクロスケの馬上から、兵卒たちを眺め回していく。
「兵数で優っている、と、兵卒まで慢心していたら、まずいかもしれません。なにより、こんな大規模ないくさは誰もが初めてなのですから、何が起こるか」
そう言われると、おれも心配になってくる。
大規模決戦どころか、おれが経験したことのある野戦なんて、この前の野洲川と敦賀、あとは昔にさかのぼって、森部のいくさと桶狭間だけだ。
中でも敵とまともにやり合ったのは、野洲川と森部だけだ。敦賀は退却戦だったし、桶狭間は奇襲だった。
それでもって、野洲川は六角承禎が急造した地侍の集団である。
森部のいくさなんて、織田勢は三千もいなかったろうし、斎藤方も墨俣城から出撃してきただけの手勢だったような記憶だ。
そう考えると、たいがいの将って、野戦に限っては大した経験がないんじゃないだろうか。
ほとんど城攻めだ。
ましてや調略だの奇策だのを駆使して支城を奪い取っていく手段が多い。
長ヒゲ佐久間などの重臣たちが決戦を嫌がっていたのもうなずける。
けれども、やりたがっていたのは坂井とサルだ。一陣目と二陣目だ。
やりたかったってことは、それなりに自信があるはずで――。
しかし、最左翼に陣取っている沓掛勢の脇を、姉川のほうから後方へ、二三人の集団が逆走していく姿がちらほらと見受けられるようになってきた。
不可思議なのは、走っていく兵卒たちの姿が敗残兵のずたぼろ具合であったなら納得できるのだけれども、どれもこれもが戦った様子のないことである。
陣替えじゃあるまいし。法螺貝も伝令もないのだから。
と。
「簗田左衛門尉殿にお伝えいたしまするっ!」
ゴンロク陣からの伝令が飛んできた。
「坂井右近将監殿がご嫡男っ、坂井久蔵殿っ、お討ち死にっ! 坂井勢っ、苦戦をしいられっ、おやかた様からの下知により一陣目より後方へ退却の由にてっ!」
「えっ――」
おれは思わず太郎の横顔を見やってしまう。
太郎は伝令にうなずく。
「承知した」
伝令がかちゃかちゃと去っていくと、太郎は鳴り物がかまびすしい遥か前方の戦線を見通しながら、下唇を噛み締める。
狼狽を見せているのは、おれのほうだった。
「坂井の嫡男って、あの、あれじゃねえよな? お前や理介と一緒にやっていた、あいつじゃねえよな?」
「あの御仁です」
太郎はがっくりと首を垂らした。
おれは言葉がない。
昇りきった朝日は、雲ひとつない空に白味を与え、満ち満ちたまばゆさを路傍の花に注いでいる。
太陽が東の空にあるうちに、一陣目の坂井勢が切り崩されるという異常事態だった。
目論んでいたのか、目論んでいなかったのか、目論んでいたはずがない。
「簗田左衞門尉殿にお伝えいたしますっ。敵勢、姉川を越えてきっ、二陣目木下勢と交戦中にてっ」
おれが不可思議に思い始めたのは、こんなにも大勢の兵卒、大勢の武将がいるっていうのに、どうして、単純に縦に並べているだけの陣形を取っているのかということだった。
一陣目の坂井があっさり突破されてしまったのを知って、初めて気づく。
壁を何重にも備えたって、敵方が勢いづいてしまったら、受け止めるばかりが手立てになっちまう。
そもそも、部隊を並べ、戦闘中でも後ろにただ待機させているだけのこの布陣ってのは、三万のうちの大多数を遊ばせているだけにほかならず、結局は戦っているのは前線の三千から四千の部隊だけなのだ。
どうして、兵数に優っていることを活かさないのか。
さらに謎なのは、伝令を聞いているかぎり、浅井・朝倉方も、こちらに合わせて縦列布陣を取っているのだ。
おれは兵法なんざ知らん。あれこれと口出しするつもりもない。
けれど、この戦い方っておかしいんじゃないだろうか。
そういや、長ヒゲ佐久間が言っていたのだ。これだけの兵数を一昼夜に展開するようないくさが古今東西あったかと。
もしかして、こういう大規模ないくさは初めてということだから、この戦場にいる誰もがわからないんじゃないだろうか。
信長も。
新九郎殿も。
どの武将も。
それとも、お互いに準備する期間がなかったから、場当たり的に戦っているんだろうか。
とりあえず、おれにはわからん。
まあ、二陣目はサルと半兵衛だ。敦賀の殿軍で奮闘した将兵たちも従えているのだ。
おれたちの出番はない――。
「簗田左衛門尉殿にお伝えしまするっ!」
伝令の目の色を見て、おれは、嘘だろ、と、言葉が口からつきそうだった。
「敵勢先鋒の勢いはなはだしくっ、木下勢諸兵はさんざんに打ち破られっ、遁走する者が相次ぎっ、後方に退却の由にてっ」
息巻いていたくせに、サルは何をやってんだ?
伝令の大声は沓掛勢の兵卒たちにも聞こえ渡って、連中はざわめいた。
よくよく思えば太鼓と喚声も近い。
「承知した」
と、うなずいた太郎の顔も険しさが増している。
太郎のそばのハンザがつぶやく。
「これは、ここまで来ますかも」
よくよく目を凝らせば、柴田勢の前を陣取っている池田勢の隊列が波打っている。
吉田さゆりん早之介が馬を並足にやって来た。
「若君、弾込めしましょうか」
太郎はうなずく。落ち着き始めていたクロスケの手綱を振るい、兵卒たちの前に躍り出ていく。
「者どもっ! 敵方は必ず三陣目を突破してくるぞっ! 心構えをしっかと持ち、迎え撃てっ!」
太郎が声を張り上げると、クロスケが再び漆黒のたてがみを揺さぶりだした。
乗じて、理介も笑い立てながら大将風情をかもし出して声を放つ。
「敵方大将は聞こえに名高い磯野丹波守よっ! これを討ち取れば五畿七道にまで武勇の誉は打ち響くぞっ!」
煽りに乗って、厭戦気分が見え隠れしていたはずの兵卒たちの顔は、なんだかんだで貪婪な色を浮かべる。
おれの脇に張り付きっぱなしの新七郎が、陣笠を持ち上げつつ、ちらっと馬上に視線を寄越してきた。
「なんだよ」
ねじり鉢巻きも寄越してくる。鉄砲を抱えたシロジロも。
「なんだよ、お前ら」
「いえ」
と、下僕どもは揃って首を振った。
「もう飛び出したりしねえよ。バカが転んでも見捨てるだけだ」
クリツナだって、首を垂らして、半分寝ている。
とはいえ。
おれが飛び出したところで何かが起きるわけでもないからわかってはいるが、おれは視線の先を龍ヶ鼻の本陣に向けた。
このまま突破されていくとしたら、何も打つ手はないのだろうか。
しかし、目の前、五十メートル先ほどに陣列する池田勢は、旗を薙ぎ倒されつつも、敵方の旗を薙ぎ倒しており、坂井勢、サル勢が持ちこたえていた時間よりも、より長く隊形を保っていた。
が、陽光が朝のまばゆいものから、燦々と降り注ぐ高いものとなったころ、沓掛勢が陣取っている左翼とは反対の右翼のほうが軒並み崩れていき、敵方の旗指し物が、騎馬が、足軽兵卒が、ぞくぞくと駆け出てくるのが見えた。
とはいえ、沓掛勢の正面の池田勢左翼は持ちこたえているのだった。
敵方は柴田勢の右翼のほうに突っ込んでいっているのだった。
「殿っ! 若っ!」
ハンザが駆け込んできて、今、おれが目にしていたことのそのままを焦燥感いっぱいの表情で叫ぶ。
「三陣目の北側が崩れましたっ!」
お飾り大将のおれはあわてふためいてしまう。
「おいっ! 太郎っ! どうすんだよっ!」
さらにゴンロクのもとから飛んできた伝令が、混乱に拍車をかけた。
「簗田左衛門尉殿にお伝えいたしまするっ! 敵方二陣目、浅井玄蕃允が突撃を開始した由にてっ!」
「我ら三陣目の北側が突破されているではありませんかっ!」
太郎が叫ぶが、伝令は首を振って汗を飛ばすだけ。
「殿からお預かりしたのはお伝えした旨のみですっ!」
「ならば柴田様にお返しくだされっ! 我ら沓掛勢に下知を求むっ!」
「御意っ!」
伝令は必死の形相でかちゃかちゃと走り去っていくものの、太郎は舌を打ってしまい、さらには理介のバカがいっそう掻き乱す。
「左衛門太郎殿っ! 叔父御の下知など待っていても仕方ありませんぞっ! 敵方が押し出てきている以上、ここにいてはどうにもなりませんわっ!」
「だからこそ、ここを離れてはなりませぬっ」
「敵方は池田勢の穴から注ぎ込んできますぞっ!」
「勝手に動いては、他の部隊に混乱を招きますっ! なりませぬっ!」
太郎と理介が言い合っているせいで、兵卒たちの表情に不安の陰が差し込んでいる。吉田さゆりんも苦々しい顔でいて、ハンザは太郎に視線をやって、理介に視線をやって。
太郎は動いてはならないと眼光をほとばしらせ。
理介はゴンロクなど当てにならないと吠え立て。
ガキどもは自分たちで勝手にもがいてしてしまっている。
「待てっ! 落ち着けっ! 大将はおれだっ! おれが決めんだっ! 勝手に四の五の言ってんじゃねえっ!」
「ならば、オヤジ殿の見解を申してくださらんかっ。このままでは負けますぞっ」
「待て」
と、おれは湯沸し器になっている理介に両の掌を掲げ、
「今、考える。ちょっと待て」
掲げた手を交錯させて腕を組み、目を閉じた。
この戦況を誰がいちばん把握しているのか探ってみる。
言わずもがな、龍ヶ鼻の高いところにいる信長だ。地上の低いところにいるおれたちは、目の前で起きていること以外は、何がなんだかわかっていない。
それでもって、新九郎殿はこの状況を高いところから手に取るように把握しているだろうか。
姉川近辺で、この戦場を見下ろせる場所は龍ヶ鼻しかなかった。おれや太郎がゴンロクからのくだらねえ伝令を受け取っているようにして、新九郎殿も把握できるのは伝え聞く情報からだけだ。
「オヤジ殿っ! 一刻を争うのだぞっ!」
「黙ってろっ! 今、考えている途中だっ!」
新九郎殿が見下ろせていないとしたら、信長のほうが打つ手は早いはずだ。
こんなやばい状況に指をくわえて眺めているだけのはずがねえ。
「太郎、理介。とりあえず、今は下知を待つ。もちろん、池田勢が退却したら、迎え撃つ。いいな」
「待っているだけでは、相手方の勢いが増すぞっ!」
「バカ野郎っ! よく考えてみろっ! 総大将はあそこにいるおやかた様だぞっ! おやかた様が手を打つに決まってんだろうがっ!」
すると、理介は口をつぐみ、ようやく黙った。
「わかったな、太郎」
「かしこまりました」
しかし、どちらかというと太郎案を採用してやったというのに、当の太郎は眉間に皺を刻んで前方を見つめつつ、左手の指先で小刻みに甲冑を叩いて苛立っていた。
新七郎とねじり鉢巻きとシロジロが揃っておれを見上げてくる。
「なんだよ」
「いえ」
と、三人は視線を戻すものの、兵卒たちもひそひそ話をし始め、おれもなんだかイライラしてきた。
目の前の池田勢は奮戦している。
ところが、一部が決壊してしまい、ぞくぞくと雪崩れ込んでくる敵部隊が四陣目の端っこのほうとやり合っている。
ゴンロクのいる辺りで太鼓がかまびすしい。まるで、こっちの左翼のほうは忘れてしまっているかのような鳴り響きようである。
おれはたまらずクリツナを歩かせ、先頭に並んでいる鉄砲隊の前に出て、吉田さゆりん早之介を人差し指で手招く。
さゆりんが馬を近づけてくると、おれは顔を寄せ、さゆりんにしか聞こえないよう、囁いた。
「おい。どうすりゃいいんだ」
「あんたの言った通りや。上総介の下知があるまで動いたらあかん。それに動いたところでどうにもならんやろ」
さゆりんから離れ、鉄砲隊の連中に、ちゃんと弾込めをしているのか、と言って密談をごまかしたあと、後方に戻った。
おれはこっそりと溜め息をつく。
動いたらあかんって言ったって――。
何が誤算かって、ゴンロクなんかもおれと同じようにして敵方がここまで突破してくるはずねえと、たかを括っていたんじゃねえかってことだ。
なにせ、さっき太郎が伝令に下知をくれって伝え返したのに、それから一切、伝令が来なくなってしまっている。
それでもって、太鼓はかき鳴らされているのだ。
おおかた、ゴンロクのバカもよもやの事態に混乱しているのだ。攻撃されている右翼のことで手一杯になっているのだ。
けれども、おれがどうこう考えることでもないか。
どちらにせよ、四陣目が突破されても、次に控えているのは信頼のおけるサンザだし、信長本隊まではそこからさらに佐久間勢を越えていかなければならないのだから。
けど。
けれども。
なんだか、まずい気がしてならないのだ。
やがて、とうとう、ゴンロクの馬印まで動き出した。左翼への伝令もなしに右翼方面に押し出てくる敵兵たちに向けて動いていたのだった。
「オヤジ殿っ! 左衛門太郎殿っ! あの様子だと叔父御は混乱しておりっ、もはやいくさを捌ききれていませんぞっ! ここは動くべきだっ!」
「お前は黙ってろっ!」
「これが黙っておられますかっ! 織田は負けるぞっ!」
そんなのはおれだって危惧している。
だけど、五万人が一挙に集結しているこのいくさ場で、たかだか二百人の軍勢が何かをしたって、何になるのか。
いや、それは何もせずとも同じか。
織田が勝っても負けても、ここに突っ立っているだけでは、おれたちの結果は何もしなかったということにおいて変わらない。
一方で、もしも、池田勢の左翼も破られてしまえば、勢いづいた敵方に呑み込まれちまう。
おれは理介に問いかける。
「だったら、お前、おれらが側面をついたら形勢は変わるってのか」
「勝ち負けがわかっていたら、誰もいくさなんぞしませんわ」
それもそうだ。
「父上」
と、太郎が、おれを胸の内を察して眼差しを厳しくさせる。
「独断での陣替えは軍紀に反するのはもとより、さきほども父上がおっしゃった通り、おやかた様が手を打つはずなのです」
先頭のさゆりんに目を向けると、さゆりんもこちらをじっと見つめてきていた。そうして、おれと目が合えば、首を横に振る。
「オヤジ殿っ!」
理介が背中を押してくる。
「父上、なりませぬ」
太郎が引きとめようとする。
新七郎やシロジロ、鉢巻きはおれをじっと見上げてくるばかり。
ハンザは口を真一文字に結んでおれの反応だけを待っている。
ゴンロクの馬印は遠くのほうに見え隠れしてしまっており、龍ヶ鼻の本陣に動く気配なし。
おれはどう判断すればいいのかわからん。
理介の言うことも、太郎やさゆりんの言うことも、すべてが正しいようにも思えるし、間違っているようにも思えるし。
結局は、おれの決断――。
進むも引くも自分をどこまで信じられるか。
あらゆる修羅場にと連中を道連れにしてきたおれは、今、何を為すべきか。
無謀にも突撃を敢行してしまえば、二百人は全滅しちまうかもしれん。
織田の勝ち負けに関わらず、ここで戦場を傍観していたほうが、たとえ、池田勢が突破された可能性を踏まえたとしても、二百人の命が保証される確率は、動かないことのほうが高い。
しかし、沓掛勢はもとは三百人いたわけだ。
百人を見知らぬ土地に捨ててきてまでここに立っているというのに、いまさら、命惜しさで傍観してしまうのか。
そうなってしまえば、なんのために、敦賀であんな地獄を味わったのか、わからん。
もちろん、そんな浪花節的な考えで大将をやってはならないだろうと思う。
しかし、おれは太郎を見つめ返した。
「お前、鉄砲を先撃ちして突撃するのを沓掛で練習させていたな」
太郎は眉をしかめる。
「このような大いくさを想定していません」
「迂回して、池田勢の前方に回りこむようにして、敵方右翼を叩く。どちらにしろ、敵方は左翼に部隊を送っているはずで手薄だ。おれたちは何千もの敵を相手にするわけじゃねえ。敵方をある程度混乱させれば、池田勢が押し出てくる。戦況が変わるかもしれねえ」
「柴田様に下知を求める猶予がございませんっ! 勝手に動けば軍紀違反ですっ!」
「軍紀でいくさがやれるかっ!」
怒鳴り散らせば、太郎は眉間をしかめながら口をつぐんだ。
「太郎っ! お前だってそう思うだろうっ! 織田方はめちゃくちゃになっちまっているんだっ! ここで指をくわえて見過ごしているかっ! それで敦賀で死んだ連中に申し訳が立つかっ!」
「しかしっ、全滅してしまうかもしれませぬっ!」
「全滅しないようお前がやれ」
おれを睨むようにして太郎は眼球を据えてくる。しかし、反論はない。
理介が笑みを浮かべながらうなずいた。
おれはクリツナを歩ませて兵卒たちの前に出ると、
「よく聞けっ!」
おれと太郎のやり取りを聞いていた兵卒たちの顔つきはすでに決していた。
「おれたちは勝つために戦ってきたがなっ、お前らがいくさをする理由は果たしてそれだけかっ! 相手はおれたちを敦賀に追い詰めた張本人だっ! ここで戦わねえでいつ戦うっ!」
かたわらのさゆりんが苦々しい顔つきでいるが、兵卒たちはうなずく。
「おれの勝手な判断でお前らをまた死なせちまうかもしれねえっ! けどなっ、おれが死ぬまで付き合えっ!」
太郎も槍を片手にクロスケとともに躍り出てきて、
「我ら沓掛勢っ! これより迂回し、敵陣に斜行突撃をするっ!」
苛立ちを拡散するかのように吼えれば、その表情は真っ直ぐに澄んでいた。
「早之介っ! 鉄砲衆とともに先頭を行き、我ら足軽突撃と同時に射撃せよっ!」
さゆりんは太刀をすうっと抜いてくると、仕方なさそうにうなずく。
「承知しました」
「者どもっ! 我に続けいっ!」
おうっ、と、声が一つに上がると、クロスケがいななきながら馬体を反転させ、おれとクリツナも、さゆりんも、鉄砲隊は銃を握り締め、足軽兵卒たちは槍をきらめかせ、太郎が鞭を振るって走り出せば、おれたち沓掛勢は隊列そのままに柴田勢から離れていった。




