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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第七、三章 征野、果てしなく
126/147

昔も今日も明日も明後日も

 横山城を包囲して二日目、小雨だった。

 マリオや西美濃三人衆がそれぞれの口から攻めかかる。

 小競り合いを起こしてすぐに引き下がる。

 おれは傘の下で床几に座っているだけだ。

 小谷城の浅井方に動きがあれば、物見が龍ヶ鼻本陣にやって来る。

 おれたち包囲部隊には龍ヶ鼻本陣からすぐに伝令が飛んでくる。

 いまのところ、音沙汰はない。

 その夜の軍議のころには雨は止んでいた。

 朝倉方の木之本と小谷城とのあいだでは、馬が頻繁に飛び交っていることが知らされた。

 浅井・朝倉が打って出てこなかったとしたら――。

 平時であれば、我ら織田・徳川は、それで結構なのだが、摂津池田のことがあるので、時間を潰している場合ではなかった。

 ならば、横山城をこのまま力攻めする。

 となっても、一日で陥落しようとすれば、結構な犠牲が考えられた。

 しかし、信長は言う。

「局面は変わったが、陣替えが成功できたことで、主導権は我らが握っている。敵方が不利なことには変わりない。ここでうろたえる必要はねえ」

 信長が決していることで、虎御前山にいたときのように軍議が荒れることはなかった。

 信長が議場から去っていき、諸将もぞろぞろと退出していく。

 おれも太郎と一緒にゴンロクのあとを仕方なくついていく。

 と。デブの三河に呼び止められた。

 昨晩のことがあるのでビビったが、三河守はにこにこと笑いながらおれの肩を叩き、

「今しがた我ら徳川は、遠江の曵馬ひきまというところの城を広げておりましてな、今年の夏ぐらいには竣工なのですが、簗田殿も是非お越しくだされ。よう美味な魚が獲れます。タイにカツオ、フグなども」

 どうしておれなんかに仲良くしてくれるか謎だが、似た者同士だからだろうか、そんなことより、

「えっ! フグっ?」

「簗田殿はフグをご存知ですか」

「毒があるんじゃ」

「よくご存知で。しかし、それはちゃんと抜きますわ」

「そ、そうッスか。うーん、そうッスねえ。是非とも行きます」

 デブの三河は手を掲げて去っていき、シロジロの件で気を使ってくれたんだろうか。

 それにしたって、フグだなんて。これは何か理由にかこつけて行かないわけにはいかねえ。

 しかし、にやついているおれを、馬上のゴンロクが冷ややかな目で遠巻きに見てきていた。

 おれがゴンロクを待たせてしまっているのか、ゴンロクが太郎とともにそうして待っているのか、それよりも、なんだ、あの目は。

 おれの都合でゴンロクを待たせているんじゃねえ。デブの三河に呼び止められたからだ。

 つまり、デブの三河は織田の家臣じゃなくて、大名であり、ゴンロクなんかが文句を付けられるような御仁じゃねえ。

 おれはお澄まし顔でゆったりとクリツナに歩み寄っていき、ねじり鉢巻きの補助で跨る。ホモ疑惑のあるシロジロはおれの手元から追放である。

 ゴンロクがぷいっと顔をそむけて馬を歩ませると、そのあとに続いて太郎とともに山を下りていく。

「不思議に思っていたのですが、父上は三河殿とどうして親しいのですか」

 途中、太郎が訊ねてきたので、おれはゴンロクの鎧の背中をちらっと見やったあとに、声を大きくした。

「昔、沓掛勢にはサイゾーがいただろ。箕作城攻めのときに、サイゾーを森サンザ殿の手下にしてくれっておやかた様にお願いしたとき、三河殿も同席していたんだ。それで気に入ってくれたらしくてな。それに、この前の敦賀のときも一緒に戦ったしな」

「そうは言っても、特別に親しいですよね」

「まあ、織田の人じゃねえからな。わかるんだろ、おれのそういうところが。わかる人にはわかるってことだ。わからねえ人には一生わからねえだろうけどな」

 ゴンロクへの当て付けで言っていることがわかったようで、太郎は眉をしかめた。

 おれは鼻で笑った。

 すると、ゴンロクは我慢できなかったようで、肩越しに振り返ってくる。

「結構なことだな。もっとも、織田の人間でなかれば、お前の小賢しさはわからんであろうが」

「何が小賢しいのかよくわかりませんが」

 父上、と、小さい声で太郎がたしなめてくるも、ゴンロクは振り返ってきたままおれを睨み据えてくる。

「織田家中に居場所がないゆえ、三河殿に近づいて、新たな居場所でも模索しているのだろう、お前は」

 おれはお澄まし顔のまま無視した。

 無視していてもゴンロクはおれを睨んでくる。

「図星か。ん? そういえばお前は武田にも通じているかもしれんしな。万が一、織田が窮地になったときには、お前はすぐに裏切ってくれそうだな」

「今は窮地じゃないんですか?」

「お前のせいでな」

「じゃあ、裏切ることはありませんよ」

「それならば裏切ってくれたほうが助かるかもしれんな」

「梓殿を連れてですか?」

「何を? 人質にでも取っているつもりかあ?」

「どんな目に合おうと梓殿をお守りする気持ちは、祝言を上げたときから変わりませんよ」

「人質にでも取っているつもりかとわしは訊いておるんだっ、答えになっていないであろうがっ」

「人質を取っているだなんて思っているわけないじゃありませんか。あっしは梓殿が好きで嫁に貰ったんですから。あっしはそんな目で梓殿を見たことなんてありませんよ」

「何を偉そうに」

 ゴンロクは体を向き直し、それからはずっと苛立って無言であった。

 自陣に戻ってくると、太郎がさっそく説教してくる。

「どうして、あんな態度を取るのですか。父上が事を荒げなければ柴田様はすぐに鉾をおさめるではありませんか。それをわざわざ波を立てて。拙者の身にもなってくださいっ。息が詰まる思いですよっ」

「あの野郎はおれにとやかく言った挙句、おれをぶん殴っておいて、そのくせ、殿軍が成功したら無かったことにしてやがんだぞ。おれはいい。おれは我慢してやる。それでも、お前のことを可愛がっておきながら、お前さえ労わねえじゃねえか。そんなの許せるか? え?」

「許すも許さないも父上は柴田様の義弟なのですっ! 母上が嘆きますよっ! 母上だって仲良くしていただきたいでしょうっ!」

「梓殿にかぎって、んなわけねえだろ。お前も見たじゃねえか、ボコボコにしたところを」

「それはそうですが――」

「そうだ。梓殿に言って、もう一度、退治してもらおう」

「やめてください。みっともない。とにかく事を荒立てるようなことはやめてください」

 太郎と別れ、掘っ建て小屋に寝そべる。

 太郎の言うとおり、鬼神を差し向けてゴンロクを黙らせることはみっともないからやりたくない。

 しかし、不愉快である。なんて器の小さい野郎だろう。デブの三河に比べると、本当に。




 陣替えして三日目は夕方に軍議があって、夜になって自陣に戻ってくると、芸能記者が待ち受けていた。

「いいんスか、太田殿。いくさのさなかにほっつき歩いて」

 太田は具足の肩から墨壺を下げており、左手にはメモ帳、右手には筆、目の色は興味ばかりが先走っていて、とてもじゃないが、いくさに来た将とは思えない。

「記述に残すは、おやかた様にお許しを頂いておりますわ」

 趣味でやっていたものが、とうとう記録係に転職してしまったのか。

 かがり火のもとでおれがメシを食っていても、太田は記者活動に夢中で、筆を墨壺に浸してばかりいた。

 八相山から八島までの殿軍を聞き回っているそうである。

「なんでも、追撃してくる敵方に簗田殿は単騎で突っ込んでいったそうで」

 このインチキ野郎は、おれの武功などよりも、おれが落っこちたのを記録に残しそうなので、適当にあしらう。

「あっしは何もしてませんよ。いろいろとやりくりをしたのは倅ですよ」

「まあ、聞いて回っても、皆がそうおっしゃいますがね。とはいえ、勲功一番の大石新七郎とやらは、簗田殿が落馬したところを――」

「だから、あっしは何もしてませんって。一騎がけなんかしていないから、落っこちてもいない。大石新七郎が手柄を取っただけです」

「でも、訊く人、皆が申しますよ。簗田殿が落ちたって」

「落ちてませんから」

「あ、それと、虎御前山の陣で、簗田殿は柴田様に殴りつけられたというのを耳にしたのですが、それはまことですかな」

「ああ。それは本当です」

「口外するなと申された上で聞いたのですが、摂津池田が謀反を起こしたゆえ、柴田様は簗田殿を殴ったと」

「そうッス。諸将方々が見ている前で。頭がおかしいんじゃないんですかね、あの人は。そもそも、摂津池田の謀反はあっしのせいかあっしのせいじゃないか、それはおやかた様があっしのせいじゃないって言ったんスよ。それなのに、ゴンロク殿はあっしをぶん殴って、何様だって話ッスよ」

「ほうほう、なるほどですな」

 太田は目を輝かせながらメモ帳の冊子に筆をすすめていく。

 いくさ場の武勇伝なんかより、痴態話のほうが好きなようである。

「それよか、今更なんですが、太田殿はなんのためにそうやって控えているんスか。おやかた様に見せているんスか」

「いや、あとで読み返すだけですわ。忘れているようなことだってありますじゃないですか。はあ、こんなこともあったなと、思い出してみるとこれが実におもしろいんですわ」

 自分で書いた物を読み返しながら、にやにやと笑っている太田の姿が思い浮かんだ。ある種の変態だ。

「簗田殿の話はずいぶんと多いですわ。そうそう、柴田様と言えば、先日、出陣の前になんともなしに読み返していたら、簗田殿が奥方と祝言を挙げたときの揉め事でして」

 太田は一人でくすくすと笑っている。

「あれは傑作でしたな。柴田様の陰険やるせなさといい、迎え役を用意できなんだ簗田殿の惨めさといい、おやかた様の豪気なお計らいといい」

「惨めさってなんスか、おかしいでしょ、その言い方は。ゴンロク殿が陰険なのは間違いないですが」

「もういっぺんぐらい、柴田様と争ってくださいよ」

 この野郎……。

「簗田殿はあのとき柴田様に怒鳴りつけられた言葉を覚えてます?」

 明らかに煽ってきている太田の下衆な笑みに、おれは眉をしかめる。

「覚えてませんよ。思い出したくもありませんよ」

「泣いて頭を下げる簗田殿に、柴田様はこう申したんですよ。沓掛三千貫だろうと勲功第一だろうと、初めて会ったころからちっとも変わらぬ野良牛だって」

 太田の術中にはまってしまっているとはわかっているけれども、ここ最近のゴンロクストレスが蓄積されていたのもあって、抜き差しならない怒りが湧いてきた。

「今とて、そういう具合で接触されているんではありませんかあ?」

 いやいや、太田の術中にはまったら、おもしろおかしのただの喧嘩になっちまう。

「別段、ゴンロク殿がどう接してこようと、あっしには関係ありませんよ」

「あれからちっとも変わっていない野良牛だなんて、ひどい言いようですわ。桶狭間勲功第一はさることながら、美濃攻めでは墨俣一夜城。六角攻めでは武功を立てた足軽兵卒を思いやり、池田城の降伏開城に、敦賀での殿軍。それなのに柴田様は野良牛扱いなのですから、いやはや、柴田様は簗田殿を侮っているとしか思えませんな」

「べつに構いませんよ。あの人の妹を女房にしちまったんだから、仕方ありません」

 すると、太田はじいっとおれを見つめてきた。

 普段はへらへらと笑っているくせに、たまにこいつは奥底を覗くような、探るような目をする。

 おれは鼻で笑う。

「こんなことを言うのもなんですけど、太田殿のそういう性格を、趣味以外にも活かせばあっしなんかより出世するでしょうに」

 太田は口を閉ざしたまま、視線の先でおれの瞳の動きを探ってくる。

「弓の腕前は確かなんだし」

 ハハッ、と、太田は笑い捨て、冊子を閉ざして腰を上げた。

「拙者は簗田殿のように無軌道になれませぬわー。せこせことやっているのが性に合っていますゆえ。それでは、拙者は本陣に帰らせてもらいますわ」

 かがり火に小さな背中を向けて太田はおれのもとから去っていくが、ふいに足を止め、薄ら笑みに薄ら細めのまぶたで振り返ってきた。

「簗田殿って銭貫文の数え方もわからなかった御仁だったんですけどねえ」

「太田殿のおかげッスかね」

 おれがおどけて瞼を広げて見せると、ハハッ、と、笑いながら、太田は闇に消えていった。




 陣替えして四日目の昼中、あわただしくなった。

 本陣から伝令が飛んでき、浅井・朝倉の軍勢が小谷城下に出現したということだった。

 龍ヶ鼻から陣替えの合図の法螺貝が鳴ってき、緊張が走った。兵卒たちはざわつきもした。

 太郎がクロスケを並足にして回っていきながら隊列を整えていく。

 鉄砲隊を先頭に、十人一組が横に五列、縦に四列の長方形になった。

 沓掛勢は三千人余のゴンロク部隊の最左翼二列目と指図されている。ゴンロク部隊の一角となって横山城の裾野から姉川東岸へと移動する。

 やがて、横山の先端、龍ヶ鼻本陣の幕が右手に見えてくるようになると、クリツナの馬上から見通す景色は、前も後ろも織田勢の兵卒、槍の穂先、陣笠、旗指物がびっしりと埋め尽くしていた。

 クリツナの口輪を取る鉢巻きがつぶやいた。

「こんなにたくさんいるけど、敵はどんだけいるんだよ。こんなのいくさになるのかよ」

 おれもそんな気がしてくる。これだけの集団の中に敵方が突っ込んでくるとしたら、誰が誰だがわからずにめちゃくちゃになってしまうんじゃないか。

 もっとも、浅井方の総兵数は一万人に満たないと聞く。打って出てくるのは六千人から八千人ばかりだろうともサンザが軍議で言っていた。

 朝倉勢も五、六千ばかし。それを迎え撃つ予定の徳川勢も同じぐらい。

 織田勢は総兵数三万だ。

 そして、沓掛勢が参加させられてしまっているゴンロク部隊は、先頭から四陣目である。

 一陣目の坂井、二陣目のサル、三陣目の池田紀伊守だけでも、一万人近いのである。

 ここまで来るわけがない。

 戦闘集団の沓掛勢の連中も、手柄の望めなさそうな四陣目で文句の一つもつきそうなものだったが、そうした声は一切なかった。もう、さすがにやりたがっていなかった。

 理介だけは違ったが。

「こんなところにおったんでは、いくさ見物にもなりませんわ。どこかで見計らって叔父御から抜け出し、迂回しましょうぞ」

 太郎が苦笑しながら首を振る。

「勝手にそんなことできませんよ。それにたった二百で側面を突いても、敵方に飲み込まれてしまいます」

「頃合いを見計ればよろしい」

「お前、黙ってろ」

 と、おれが制すると、理介はあからさまな溜め息をついた。

 ややもすると、龍ヶ鼻からやって来た騎馬が駆け巡りながら、敵方が姉川対岸から四町(約400m)離れたところに着陣したことを大声で伝えてきたが、その日、浅井・朝倉勢は動かず、我ら織田・徳川勢も動かなかった。



 日は落ちた。



 夜半、ゴンロクが自陣に家臣や与力を集めた。

 家臣や与力といって、おれはゴンロクの何に当たるのか、ゴンロクの陣に一緒に向かう途中、いまだに不明であることを愚痴ると、理介が言う。

「一門衆でしょう」

 舌打ちしたおれに、太郎がしかめた眉を向けてくる。

「父上。くれぐれも柴田様を挑発しないよう、挑発されても真に受けないよう」

「わかってるよ。うるせえな」

 おれだってガキじゃねえ。

 ガキみたいな思考なのはゴンロクだがな。

 三千人余の陣容であるゴンロクは、おれのような一大将の家臣や与力を十五、六人は従えている。

 おれが太郎や理介を連れているように、彼らも息子や弟なんかを連れてきていた。

 陣幕とかがり火に囲われた中、総勢三十人以上がすし詰めとなり、しかし、ゴンロクは信長の真似をして床几に座って腕を組み、しばらくのあいだ押し黙っていたのである。

 サンザのような進行役がいないので、無言が続くだけであり、皆が戸惑った。

 こういうとき、理介の減らず口は称賛に値した。

「何の用なのです、叔父御。夜襲でも掛けられたらどうするのです。さっさと済ませてくだされ」

「理介かっ。今、申したのはっ」

 ゴンロクが怒って床几からがばりと腰を上げてき、真っ赤な髭面を右に左に、すし詰めの中に理介の姿を探している。

 おれはうずくまるようにして周囲の連中の背中に隠れ、笑いをこらえる。

「何を笑っておるんだ、左衛門尉」

 図体がでかいせいで、隠しきれていなかった。おれの隣には、やはり図体のでかい理介なのである。

「なにゆえ、お前はそんな後ろのほうにいる」

「えっ、いやっ」

「出てこい」

 晒し者にしようってのか。

 おれは目玉を邪険にしかめ、太郎に目配せして喧嘩していいか瞳の輝きだけで確認したが、太郎はきつい眼差しで駄目だと瞳の輝きだけで首を振る。

 おれは諸将に頭を下げつつ彼らをかき分けて、並ばされている与力家臣の一番前までしぶしぶ出てきた。

 ゴンロクはしばし、おれを睨み据えると、髭に隠れた唇を開いた。

「お前、又助に申していたそうだな」

「え、えっ?」

 ゴンロクはじいっとおれを睨み据えるままでいる。

 又助って芸能記者の太田のことだよな。

 チッ、あの野郎、裏切りやがった。おれを煽っといてゴンロクの悪口を引き出し、ゴンロクにチクりやがった。

 クッソ……。

「何も、別に……」

 すると、ゴリラは目玉を剥き出しながら諸将に向けて声を張り上げる。

「皆の者も存じているだろうっ。左衛門尉がわしの妹と祝言を挙げるとなったとき、迎え役を用意できなんだのをっ」

 冷ややかな思いでいるのはおれだけじゃない、諸将も同じだ。皆がひそかに眉をひそめている。

 一大決戦が明日にでも始まりかねないこんなときに、頭がおかしいとしか言えない。

 しかし、白けた気配が漂うのもいとわずに、ゴンロクは続ける。

「こやつはそのさい、わしの屋敷の庭に這いつくばりおった。勢いに乗じてわしを説き伏せようとしてきおった。しかし――」

 ゴンロクは鼻で笑う。

「わしとの問答に屈した。無頼者と、尾張清洲の野良牛のころからちっとも変わっておらんと、わしに責められれば、何も答えられんかった」

 呆れだけで、おれに怒りが湧かないのは、ゴンロクの人間性だけではなく、一人の大将としても見下げたからだろう。

 おれなんかはお飾り大将だ。一方で、ゴンロクはいくさ場だけでは数々の武功を立ててきたらしいのだ。

 その点だけは、認めざるを得ない部分であった。

 しかし、このざまである。

 お飾りのほうがまだマシなくらいだろう。

「そんなこやつが、昨晩、又助に申したらしい」

 ゴンロクが視線の先をおれに向けてきて、おれはそっぽを向いた。

「こやつは、あのとき、わしに認められなかったからこそ、今があると」

「えっ――?」

 おれは目を丸める。あわてて周囲の諸将を見やる。

 ゴンロクの一族連中や家臣、与力たちは、本当にそんなことを言ったのかとでも言いたげな目をおれに集めてきていた。

 けれども、ゴンロクだけはご満悦である。

「まあ、わしはこやつの考えには一理あるとわしは思う。満足してしまったらそこで終わりだ。誰かに認められたところで、わしら乱世の将は戦い続けなければならんのだ」

 太田の野郎、何を考えて……。

「明日、織田の行く末は決まるであろう。ゆえに、各々、今あるものはかなぐり捨てよ。こたびのいくさで、新たなものを勝ち取れ。これまでのことは無用なのだ。この一戦にすべてを賭けよっ!」

「承知っ!」

 と、諸将が反応し、ゴンロクが満足げにうなずいて、解散となった。




 そんなことを本当に言ったのかと太郎や理介は懐疑的であったが、おれだって懐疑的であった。

 謎だ。

 誰かの差し金だろうか、それとも、太田個人の判断だろうか。

 それしきで、おれに対する憎悪を引っ込めてしまう、ゴンロクの単細胞ぶりもどうかしているが。

 もちろん、ゴンロクに認められなかったから、今があるわけじゃないし。

 ゴンロクなんぞ、おれの人生に何一つ影響を及ぼさない存在だ。

 ……。

 そうでもないか。

 桶狭間のいくさのあとに、おれと結婚してもいいって言っていたらしき梓

殿をおかしくさせた張本人は、あのバカなんだから。

 あそこで万が一、何もかもがうまく行っていたら、今のおれはなかっただろう。

 試練なんてのはいつだって味わいたくないが。

 昔も今日も明日も明後日も――。




 満月が西空に傾きつつあり、星のまたたきを遮るような雲はない。

 布陣してから、一晩が過ぎていこうとしていた。

 草木は深みに眠り、具足のこすれる金属音だけが、水を打つように響いている。

 馬上から見渡す先には、何千というかがり火が点在していた。

 それらを揺らめかせるような風も無い。

「殿が乗馬するには、お早いかと」

「いや、いい」

 ハンザは頭を下げ、具足のこすれを静けさに浸しつつ、元居た場所へ去っていく。

 兵卒の大半は腰を地べたに下ろし、陣笠の庇を垂らして仮眠についている。

 生真面目なハンザは二百人の兵卒たちを一通り見回してから、自分もようやく腰を下ろしていた。

 稀に見る大いくさが始まろうとしている。

 そのわりに静かで、火だけが無数に紅い。この世の人々の魂のあらわれのように燃えている。感情を持つことのない魂のように。

 怒りも、悲しみも、憎しみも、喜びも、懐かしみにも、火は彩られておらず。

 しかし、沈黙の月闇にあらわれている、無数にしていちように無言とする火火の並びは、おれの目には嘆きにも慈しみにも映った。

 まるで、大勢の死者がただ黙って、それぞれの眠る者たちを照らしているような。

 敦賀の退却戦からもうすぐ一ヶ月になる。

 おれは退却戦を始める前の晩、人は死んだらどうなってしまうのか、疑問を抱いた。

 極楽や地獄に行くという考え方もあれば、天国だったり、霊界だったり、冥土だったり、人それぞれの思想によって行き先はあるのだろう。

 無宗教かつ、一度も死んだことのないおれにとって、人の言っていることや、さまざまな教えは、おれに解答を導くための役にはまったくならない。

 しかし、死んだらどうなるかだなんて絶対にわからないことなのだから、おれみたいな弱者は神様仏様にすがらなけば、救いを求めなければならないんじゃないかとも思う。

 死んだらどうなるかわかっていれば、死ねる覚悟も持てるのかもしれない。

 だけど――。

 こうやって戦争ばっかりやっていると、本当は死後の世界だのなんだのって教えは、戦う奴らに向けて死を覚悟させるために練り上げられた、手前勝手な教示なんじゃないかと、疑ってしまう。

 それこそ、個人主義すぎるだろうか。

 弱者のくせに。

 けれども、沈黙に並んでいる火を眺めていると、おれはやっぱりそういう気持ちになるのだった。

 たとえ死んだとしても、何も得られないことを物語っているような、魂の火は、おれをそんな気持ちにさせるばかりだった。

 あれから一ヶ月、やはりおれは、自分が死ぬ覚悟も、誰かを死なせる覚悟も、持てない。

 でも、ほんの少しだけ、戦い続ける覚悟だけなら。

 自分に納得できるまで生き抜いてやろうという覚悟だけなら。

 ほんの少しだけ。

 決めたのだ、おれは。貫くって。

 そのためにはおれは何事にも目を背けてはならないのだし、たとえ弱者であっても、毎日一歩ずつでも踏み出さなければならない。

 東の空の色がわずかながらに見えてくるようになると、兵卒たちが一人、また一人と腰を上げてきた。

 満月は山の向こうに大きくなって沈みかかっていようとしており、餅つきのうさぎがよく見える。

 血の色に映えていた。








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