それでも着服していたという事実
「せやから、言ったやろ。新七は役に立つってな。三百貫文であんたの命は救われたんやで? 私に感謝してな?」
恩着せがましい小娘はさておき。
首級を討ち取った新七郎は、太郎の推薦により、沓掛勢の中でも足軽組頭に昇格させることとなった。
ただ、組頭から引きずり下ろすような出来の悪い奴はいないので、兵卒が増えるまではおれのボディガードである。
「父上がいつまた無謀な真似をするかわからない。新七郎はしっかりと父上の側に付いていてくれ」
「かしこまりました」
太郎がおれの前から去っていくと、すかさず新七郎の袖を取り、顔を寄せる。
「いくさが終わったら、おやかた様から褒美の二百貫文が渡されるだろうから、それをおれへの返済に当てるんだからな」
「四郎次郎様にお渡ししますゆえ」
新七郎は頬の刀傷をぴくりとも動かさず、至極当然のことのように言う。
「それが俺の筋なので」
「同じことだろうが」
「理介殿から聞いたッスよお」
早速、バカがやって来た。
新七の手を取り、主人ヅラで笑っていやがる。
「新七。よくやったなあ。おやかた様から褒美を頂戴するだなんて」
「その褒美はそっくり四郎次郎様にお返ししますゆえ」
「そしてだ、シロジロ、その二百貫文はすぐにおれへの返済に当てろな。わかったか? 残りは百貫文だからな。くれぐれも、すぐに渡せよな。今度、おれの目を盗んで何か勝手なことをしたら二度と助けてやらねえからな」
「またまた、そんなこと言って。旦那様はなんだかんだで助けてくれるじゃないッスかあ」
おれはシロジロの太ももを思い切り蹴飛ばしてやった。
「次は本気で見捨てるぞ。へらへら笑ってんじゃねえ」
痛がっているシロジロを捨て置き、兵卒たちが建ててくれた掘っ建て小屋に入る。
腰の大小を外すも、言いつけを忘れていた。シロジロを呼ぶ。
「これ。刀。磨いておけ。泥とか血とか、ちゃんと拭き取れよ。錆びるから」
「かしこまりましたッス」
シロジロは刀を抱えながらかがり火の明るいほうへかちゃかちゃと去っていき、手を抜かないか様子を監視していると、ハンザに何事かを訊ねている。
ハンザの仕草からして、刀の手入れの仕方を教わっている。
口答えをせずに素直に従ったのは、おれが見捨てなかったためのようである。
「わかりやすい野郎だな。バカが」
おれは茣蓙に落ち着き、腰帯を緩め、胴丸を外す。
重さから逃れると、大きな吐息が口からこぼれ出た。
奇跡にも近いぐらいに殿軍は完璧に成功したが、しかし、無傷というわけではない。
怪我人がそれなりにいる。
それに、足軽のうちの一人が死んだ。
退却中に一戦を交えたさい、敵方の槍を腹に受け、同組の奴らの肩を借りて八島まで来られたものの、おれが軍議に参加しているあいだ、息を引き取ってしまった。
以前、太郎に言われたので、おれは兵卒の死を聞いて「そうか」とだけ答え、おれなりに気丈に振る舞ったが、こうして一人になり、死ななくても済んだ奴だと思うと溜め息が止まらなかった。
シロジロが転げなかったら、おれが飛び出ることもなかったが、おれが飛び出ることもなければ、太郎が最初に指示したとおりに敵方と交戦したはずだった。
シロジロが転げたせいかもしれないが、シロジロをここに連れてきたのはおれである。
シロジロを連れてこなかったら、誰も死ななかった。
そもそも、摂津池田に手を抜いてなければ。
敦賀のときだってそうだ。おれが殿軍に名乗り出なければ。
考えたらきりがない。因果にさいなまれたって仕方がない。
余計なことを考えたらならない。
けれども――。
おれはいないほうがいいんじゃないだろうか。
ああ、そればっかりの繰り返しだ。
翌日、曇天模様の下、織田全軍は八島からさらに東方に移動し、草野川を渡り、姉川を渡り、横山城の裾野までやって来る。
本陣が置かれた丘陵は、横山からなだらかに低くなりつつ、姉川に向かって突き出ている場所で、龍ヶ鼻と呼んでいる。
三好三人衆の動向が気にかかるため、織田勢はさっさと勝敗を決して北近江の陣を引き払いたい。
新九郎殿が朝倉勢とともに早く打って出てきてもらいため、諸部隊で横山の裾野をぐるりと埋め尽くした。
その一端を沓掛勢も担っているが、残念ながら柴田勢の傘下である。
おれをぶん殴ってくれたゴンロクは、沓掛勢が八島へ戻ってきたときも、新七の論功行賞の場でも、その後の軍議でも、一切、労りの言葉もなくて、それはおれだけではない、太郎にすら、よくやったの一言もなかったのである。
横山城包囲の夜、軍議で龍ヶ鼻の本陣に一緒に出向くさいも、
「この辺りは虎御前山のふもととは違い、水はけは悪くないようだな。存分に働けるであろう」
などと、誰もが見てわかるようなことを太郎に言うだけだ。
当然、おれには目もくれてこず、殿軍のことなどなかったかのように振る舞っていやがる。
しんどいいくさばかりで、心が虚ろげになっていたおれだが、ゴンロクの髭むくじゃらのしたり顔は、怒りでもって憂鬱を吹き飛ばしてくれる。
マリオでさえ太郎よりも先におれに駆け寄ってきたというのに、この野郎は労りの言葉を頑として口にしようとしねえ。
人間性を疑うわ。
この日の夕方には、三河勢が姉川付近に着陣しており、軍議にはデブの三河の姿があった。
「雌雄を決しまするかあ」
と、事情を知るや、織田勢の諸将を前にして口許を緩め、おとぼけの三河守らしくもなく、丸い目に殺気めいたものを灯した。
「敦賀で我らを仕留めきれなかったことを存分に後悔するでしょうな」
軍議の内容は決戦をどう展開するかに終始した。
万を越える大軍を野戦で展開するのは経験したことがないからか、信長はまったく口を開かなかった。諸将に論じさせ、黙って聞いているだけだった。
「鶴翼の陣をしくべきですだぎゃ」
サルの提案は、絶対に半兵衛に教わったことだった。
「諸部隊を弓なりにならべていき、全軍を鶴の翼のようにして広げますだぎゃ。まず、両側の端っこに配置した部隊が先陣を切っていき、そうして敵方を包み込んでいくんですだぎゃ」
おれもそうだが、諸将の半分ほどが兵法というものをわかっていないので、反論もできずに感心していたが、
「ならん」
と、信長が初めて口を開いた。
「おおかた、サルのそれは竹中の受け売りだろう。きゃつはいくさに華を添えようとするきらいがある。そもそも、鶴翼の陣は、両翼に配置するのは屈強な兵卒が定石だ。それに中央を突かれた場合、ここを固めるだけの強さがなければならん。浅井の兵一人と、織田の兵一人を取り組ませた場合、貴様らは織田の兵が勝てると考えるか」
誰も答えない。
「サル。そういうことだ。織田は兵数では優っているのだ。守りを捨て、攻めるに特化した陣形をしく必要はねえ」
サルは首を垂らすようにしてうなずき、床几に引き下がる。
半兵衛の提案ならと思えなくもないが、半兵衛はただの与力であり、信長は織田全軍ばかりか、美濃から尾張までの家臣たち、その女房子弟たち何万人もの命を預かる親分だ。
危険性は一つでも取り除きたいというのが信条だろう。
半刻ほど論争した結果、三河勢と織田勢に分かれ、姉川に向かって諸部隊を縦列に並べるということになった。
縦列の先陣は決戦派だった坂井右近。
二陣目がサル。
三陣目が池田紀伊守。
四陣目が野蛮社会の申し子のようなクソヒゲゴリラの、社会不適合者かつ、嫉妬心の権化、前世は間違いなく単細胞生物のミジンコか寄生虫のサナダムシ、地球の酸素が勿体無い存在だからまだ単細胞であったほうがマシな、梓殿の兄貴っていうだけが取り柄の、織田家中におけるバカ筆頭。
五陣目がサンザ。
六陣目が長ヒゲ佐久間。
七陣目の最後尾が親衛隊とその他大勢を従える信長本隊である。
浅井方の動きがあり次第、横山城の包囲を解いて陣形を構える手はずで、西美濃三人衆とマリオはそのまま横山城を押さえる格好である。
軍議が終わると、おれはすぐさまマリオのもとに歩み寄り、
「沓掛のことでちょっと聞きたいことが」
と、怪しまれないよう他の連中に聞こえる程度の声でマリオを陣の外に連れ出した。
「どうされたのだ」
「沓掛勢をゴロザ殿の傘下に戻してくれないッスか」
マリオはすぐに溜め息で返してくる。
「無理に決まっておるだろう」
「ゴンロクの下でなんかやってらんないッス。あんな、ツラには髭だけたくわえて、チンコに毛の一本も生えてなさそうな野郎の下じゃ――」
「口を慎め」
マリオに睨み据えられて、おれは舌打ちした。
「気持ちはわかる。しかし、そんなことをしてみなされ。お主は柴田殿からますます目を付けられる。そもそも、義弟ではないか。辛抱しなされ」
「サンザ殿に頼みます」
「やめなされ。森殿とて同じ意見に決まっておるだろう。それよか、ここは辛抱しなされ。敦賀でのいくさ、一昨日の殿軍、配下の者も揃ってきておるし、太郎も兵法をかじっておる。今を耐えれば、そのうち一軍の将にもなれる。それまでは辛抱よ」
「その前に沓掛勢が潰れちゃいますよ」
「潰さないのもお主の力量よ」
おれは再度、舌を打った。
「あまり長くしていると密談と勘ぐられるゆえ、わしは戻るぞ。辛抱ぞ、簗田殿」
マリオはおれの肩を二度叩くと、足早に陣中へと戻っていく。
辛抱、辛抱、って。
おれはゴンロクに斬り殺されそうになってからこのかた、十年も辛抱してきたんだぞっ!
まあ、ゴンロクストレスが溜まるようになったのは、ここ最近だが。
北近江にやってきて何十回目かわからない溜め息をついたおれは、とりあえず陣中に戻ろうとする。
「恐れながら、簗田殿」
背後から聞き慣れぬ野太い声を掛けられた。
誰かと思えば、そびえ立っていたのはファイヤー兜の本多平八郎である。
「あ、ああ。どうも」
「お手間ですが、軍議が終わり次第、少々、よろしいでしょうか」
「はあ」
すると、ファイヤー兜は意味ありげにどこぞにちらっと目配せした。
おれはなんともなしに視線の先を追う。
諸将の馬が並んでいる中に、クリツナとともにシロジロがいる。
シロジロは陣笠を外しており、地面にうつむいて、なぜだかしょんぼりとしている。
クリツナはかがり火の明かりを馬体に溶け込ませて栗毛を輝かせているものの、瞼を閉じて寝ていた。
「あの馬はよく寝るんですよ」
「いえ、馬ではなく、口輪取りですが」
「はあ」
「かの者、名はなんと申しまする」
「中ナントカシロジロですが」
「何者かご存知なのですか」
「何者? 何者ってあっしの手下ッスけど」
「どちらで召し抱えたのです」
「岐阜ッスけど」
「岐阜? どういう経緯でございますか」
「な、なんスか、あんな小者を詮索して」
すると、一転、ファイヤー兜は頭を下げてきた。
「申し訳ございません。ただ、簗田殿がそのご様子であれば、助かります。おやかた様は簗田殿を友のように思っているゆえ。揉め事を起こしたくありませぬ」
こいつは仏頂面で何を言っているのだろうと不思議になっていたら、陣中から佐久間やゴンロクが出てきて、先に退出していたおれを睨んでくる。
その後に続いてデブの三河が出てきて、右手を掲げ上げながら早速おれのもとに歩み寄ってきた。
「簗田殿、まあた殿軍を受け持ってしまったようですなあ。命がいくらあっても足りませんぞ」
「いや、好きでやったわけじゃないッスよ」
しかし、笑い合っているおれと三河守に割って入ってくるようにして、ファイヤー兜が仏頂面に声を低める。
「おやかた様。あれを」
「ん?」
「簗田殿の口輪を取っているのは、中島四郎次郎でございます」
「中島四郎次郎……?」
デブの三河は下膨れのほっぺたを揺らして首をかしげる。
が、おれはようやくわかった。
途端に焦った。寒気を覚えた。非常にまずかった。
シロジロは三河守から二百貫文を預けられて、それを騙し取られ、そのままトンズラしている――。
「な、な、中島四郎次郎だとお!」
思い出してくれてしまって、デブの三河は兜から湯気でも出さんばかりに真っ赤に顔を染めて飛び跳ねて、
「四郎次郎っ! なにゆえ、お主がっ――!」
「おやかた様、織田殿の陣にて、あまり騒ぎは」
「ぐぬぬ……」
三河守はガキみたいにして親指の爪を噛みながら両肩を震わせており、シロジロはうつむいて両肩を縮ませており、おれはデブの三河とシロジロを交互に見やりながら、どうしてシロジロを連れて来てしまったのだろうと後悔する。
ファイヤー兜が小声で顔を寄せてくる。
「簗田殿。ご一緒に徳川の陣にお越しくださいますか」
やっべえ……。
全国指名手配中であった持ち逃げ野郎のシロジロは、三年間の逃亡生活のすえ取っ捕まった。
クリツナの口輪を取らず、両脇を屈強な兵卒に取り押さえられ、おれや三河守、ファイヤー兜のあとを、しくしくと泣きながら連行されてくる。
事情聴取は徳川本陣ということで、連行中、三河守はシロジロに何も問いたださなかったが、いらつきがおさまらないようで、鐙に置く足を終始貧乏ゆすりしている。
三河守の陣に招かれたと言って太郎をごまかし、ゴンロクに訝しがれられたおれは、道中、ずっと、久々に頭の中をフル回転させていた。
この修羅場、どうやってしのぐか。
シロジロを雇ったときの当初の計画だと、こうなった場合、おれは知らんぷりしてシロジロを見捨てるというものだった。
幸いにも、おれがすっかり忘れていたものだから、ファイヤー兜とのやり取りでも怪しいところは微塵も出さず、かえっておれは何も知らないふうになっている。
だが、一点、知らんぷりで通せない事情がある。
それは、シロジロが三河守から預かった二百貫をどうしたのかということだ。
シロジロは、当然、横領したと自分を貶めるような嘘を付いてくれるはずはなく、誰かのせいにするために騙し取られたと正直に話すだろう。
そして、詐欺師は、松永弾正の御用商人だったと言ってしまう。
すると、おれが非常にまずい。
三河守が二百貫を取り返すとなった場合、おれが非常にまずい。
弾正のジジイか、もしくはその御用商人とやらは言うはずだ。簗田殿に返した、と。
しかし、おれは着服している。
おれが指名手配犯を匿っていた罪は闇に葬れても、おれが着服していたという事実は世の明るみに出てしまう。
デブの三河から冷ややかな目で見られるだけならまだしも、弾正ジジイにも着服していたことを勘繰られれば信長の耳に入ってもおかしくはない。
信長にボコられるのは当然ながら、噂が噂を呼び、太田のような芸能記者のせいでいろんな耳に入るようになってしまい、織田家中でのおれの評判は最悪となり、梓殿には半殺しにされ、太郎には口も聞いてもらえなくなり、いいや、それで済むはずがない、おれは何もかもを失って野良牛に戻ってしまうんじゃないだろうか。
そんな事態を避けるため、おれは頭をフル回転させる。悪知恵をとにかく働かせようとする。
しかし、何を考えてもおさまりがつかん。
マジで打つ手がねえ。
シロジロが三河守と鉢合う可能性をわかっていれば、口裏を合わせられてどうにかなったというのに。
ああ、多分、こういうことなのかもしれん。
摂津池田の手抜かりも、こういうおれの駄目な部分があったのかもしれん。
どうして、シュミレーションしてなかったのだろう。
ああ、どうしよう。八方塞がりだ。
変な汗を額にこめかみに背中にと垂れ流しているうち、三つ葉葵の旗指し物が並ぶ徳川の陣が見えてきてしまう。
こうなったら、力技でいくしか――。
そのためには流れの主導権をおれが握るしかねえ。
「み、三河殿。こ、この者が、何か、悪さを働いたのでしょうか」
陣中に到着してしまうとシロジロと引き離されてしまいかねないので、道中、黙っていたおれであったが、恐る恐るを装って訊ねる。
「ま、まさか、三河殿のご家臣を殺してしまったとか――」
「いえ、かようなことではござらんが」
「じゃ、じゃあ、何を。この者はあっしの家に来て三年足らずですが、よく働く者で、朝は薪割りに、昼は馬屋の掃除に、この馬の手入れに、夕には女中がコメを炊くのを手伝って、夜には写経をしてから眠りにつくというバカが付くほどの真面目な者なんです。そんなこいつが、いったい何を」
「や、簗田殿は、何もご存知ないのですかな」
「存じていないというか、何を存じていて何を存じていないのかがあっしにはわかりません」
すると、デブの三河は眉をしかめながら後ろに振り返り、舌打ちしながら顔を戻してく。
「こやつは、この中島四郎次郎は、わしが預けた二百貫文を持ち逃げしたのですわ」
「も、も、持ち逃げえっ!」
おれは手綱を引いてクリツナを止めると、手を震わせながら泣きべそのシロジロに振り返る。
「し、四郎次郎……。ど、どういうことだ。おれは二百貫文を騙し取られたってお前に聞いたぞ。松永弾正殿の御用商人に。代々続いてきた呉服屋のなけなしの財産を騙し取られたって。本当は、その二百貫文ってのは三河殿に預かっていたのかっ」
しくしくと泣いているシロジロは顔を持ち上げてき、おれに何かを訴えるようにして見つめてくるだけである。
おれは颯爽と下馬した。
「なんとか言えっ!」
シロジロに掴みかかり、大きく揺さぶり、脇を固めている兵卒たちが止めにかかってくるのも振り払って、シロジロの襟首を締め上げる。
「三河殿の二百貫ならそうだって言えっ! それとも三河殿が嘘をついているって言うのかっ! ああっ? 三河殿のものならそうだって言えっ! どうなんだ言ってみろっ!」
「そ、そ、そうッス」
「松永弾正殿の御用商人に騙し取られたってのも嘘かっ!」
「そ、それは、ほ、ほんとッス」
「誰がそれを証明できるんだっ! ええっ? 弾正殿を問いただせばそれがわかるってのかっ! だったら、おれが訊いてやろうじゃねえかっ! おれは弾正殿に九十九髪茄子を差し出させたことだってあるんだっ! だったら訊いてやろうかっ! お前が訊かないでくれって言うんなら、そりゃ、テメーの嘘だってことだぞっ! どっちなんだっ! お前は嘘をついてねえよなっ! そうだよなっ!」
「そ、そうッスっ。ついてないッスっ。き、訊いてくださいッスうっ」
おれはシロジロをぶん投げる。そうして、デブの三河に駆け寄り、馬の足下に片膝をついた。
「三河殿っ! 勝手は承知ながらっ、ここはこの簗田左衛門尉におさめさせてくださいっ! 小者の揉め事とし、織田と松永弾正殿のあいだにも亀裂が入りかねないと恐れるばかり、あっしは今まで弾正殿に訊ねてきませんでしたがっ、このいくさが終わり次第っ、あっしはあの弾正悪党を追求してまいりますっ。ゆえにっ、ここは猶予をいただければとっ、この通りっ」
「い、いやっ。簗田殿っ」
デブの三河はあわてて馬から下りてきて、地べたに這いつくばって土下座するおれの脇を抱え上げようとしてくる。
「簗田殿が、かような真似をせずともっ。二百貫文うんぬんの話ではなくっ、わしが腹を立てているのは、この中島四郎次郎が何の音沙汰もなしに消えていたことのなのですわっ。簗田殿の責任などではなくっ、こやつが簗田殿をたぶらかし、タダ飯を食らっていただけのことなのですぞっ」
「そうではないのですっ!」
おれはいやいやしながら三河守の手を振りほどき、地べたにこれでもかと這いつくばり、
「決して、そればかりではないのですっ!」
頭を振りながら顔面を地面にこすりつけ、目の中に土を入れて、目玉が痛くて涙が出てきたところで顔を上げ、デブの三河を仰ぎ見る。
「この者はっ、四郎次郎は――、あっしは恥ずかしながらっ、昔に惚れた女を家臣に取られちまったことがありましてっ、それでもってその野郎は勝手に木下藤吉郎殿の手下になっちまいましてっ、あっしの、あっしの、たった一人の家臣だったんですっ。それがっ、勝手に藤吉郎殿の手下になっちまって、裏切られて、そんなときに現れたのがこいつでしてっ、あっしは本当に人間不信に陥っていました。それでも、うちの倅が、人が足らんから雇おうと言い出しまして、こんなチビスケ、槍働きもできねえ野郎だろうと思っていたもんでございましたが、まあ、槍働きはちっともできやしません。それでも、一生懸命に働き、文句の一つも言わねえで。それでいつかは銭を貯めて故郷に錦を飾りたいだなんて言うもんですから、いや、三河の生まれだとは言っていたんス。でも、まさか三河殿から預かっていた二百貫文だとは――」
おれは地面に突っ伏し、ひいひい喚きながら地面を叩く。
「申し訳ございませんっ、三河殿っ。しかしながらっ、しかしながらっ、一度だけこいつを勘弁してもらえませんでしょうかっ。二百貫文はあの大悪党から取り返して参りますのでっ。お願いしますっ。あっしにはこいつしかいないんですっ」
しかし、ファイヤー兜がのっそりとやって来る。
「おやかた様。たとい簗田殿のお頼みであっても、示しがつきませぬ」
「そんなことを言わずっ! この通りでございますっ! まことに、まことに、勝手ながらっ、こいつだけはっ、こいつだけはっ、ご勘弁してやってくださいっ!」
「な、なにゆえ、簗田殿はかようにっ! まるで、中島四郎次郎を衆道の相手にしているようではないかっ!」
ぐっ……。
そんなふうに思われるのは真っ平ごめんだが、しかし、そっちのほうがバカっぽくていいかもしれねえ……。
「そ、そうなんですっ! 恥ずかしながらっ!」
おれはデブの三河の足にすがりつき、おいおいと嘘泣きを続ける。
「ご勘弁を……。ご勘弁を……。四郎次郎は、あっしの、たった一人の……」
三河守は溜め息をどっさりととつくと、おれの肩に手を置いてくる。
「わかりもうした。中島四郎次郎など、わしは知らなかったことにしますゆえ」
「二百貫文はあっしが責任を持って弾正悪党から必ず引き剥がしてきますんでっ」
「いや、もうよろしい。たかだか二百貫。弾正殿と揉め事を起こされたら困るし」
三河の腕に抱き起こされる。
下膨れの頬をむっとさせ、眉間をしかめていたが、もう一度、三河守は溜め息をついた。
「中島四郎次郎を離してやれ」
兵卒たちが解放すると、シロジロは膝から地べたについて、
「申し訳ございませんっ、おやかた様っ」
「知らんっ! わしはお主なんぞ知らんっ! やかたなどと呼ばれる筋合いもない! 簗田殿の小者におやかたなどと呼ばれる筋合いはなっ!」
デブの三河は兵卒に手を借りながら馬に跨がり、最後に言い残した。
「一つ貸しですぞ、簗田殿」
「承知しました。ありがとうございます」
三河守は側近たちとともに陣の火へと去っていった。
ほっと胸を撫で下ろし、三河守たちの姿が闇の中になくなると、おれは腰を上げ、四つん這いになって泣いているシロジロの頭を引っぱたく。
「なんで、三河の人間に見つかったときに逃げねえんだっ! バカがっ! おれが二百貫文を立て替えといてやるっ! お前の借金はこれで五百貫文だからなっ!」
路傍の草を食んでいるクリツナに跨がり、
「さっさと口輪取れやっ!」
「は、はいっ!」
シロジロは瞼を袖で拭いながら駆け寄ってくる。
夜の闇を行けば、シロジロがちらっと視線を振り上げてくる。
「なんだよ、その目は」
「い、いや、どうして、旦那様は――」
「ああっ?」
「どうしてあっしを庇い立ててくれたんスか」
「そりゃお前――」
おれが着服野郎だとバレるからだ。
「なんだっていいだろう。そのときの気分だ」
「旦那様は衆道嫌いだって聞いたことがあるんスけど」
シロジロのおれを見る目の色が若干変わっており、おれはぞっとする。
「あ、あ、あ、当たり前だろうがっ! ああでもしなくちゃ納得させられなかっただけだろうがっ! 何を本気にしてんだこの野郎っ!」
おれはシロジロの頭を蹴飛ばすと、
「気色悪いっ! おれに近寄んなっ!」
「だ、旦那様っ、待ってくださいッスっ」
クリツナの腹を蹴飛ばし、シロジロを打ち捨て、全速力で自陣へ逃げた。




