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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第七、三章 征野、果てしなく
124/147

我こそは尾張沓掛が城主、簗田左衛門尉なり

 沓掛勢が敵方を舟橋まで押し出していると、後方の中条勢から退き太鼓が鳴った。

「退けっ! 太郎っ! 退けっ!」

 おれが喚くと、舟橋の間際にせせり出ていた太郎が吼える。

「者どもおっ! 退けえっ!」

「放てえいっ!」

 クローザの怒号が渡って、銃声がたちどころに起こるとともに、沓掛の兵卒たちは踵を返す。

「もう終わりですかいっ!」

 と、理介が馬を旋回させる。

 さゆりんが太刀の切っ先を空に突き立てたまま振り回す。

「退けっ! 退けえっ!」

「おいっ! シロジロっ!」

 あわてふためいていたシロジロに、クリツナの口輪を取るよう、馬首を返すよう言い放ち、クロスケがまだ舟橋の手前でちゃかついているものだから、

「鉢巻きっ! 太郎に任せろっ!」

 ねじり鉢巻きは踵を返し、一度は太郎とクロスケに振り返ったものの、振り切ってクリツナの尾っぽに付いてくる。

 太郎は兵卒たちの全員が舟橋から戻ってくるのを待っていた。その兵卒たちの背後を追ってきた敵兵の首を撥ね飛ばしてしまうと、最後にようやくクロスケの体を返して、腹を叩き込んだ。

 入れ違うようにして、ウザノスケと、黒母衣衆の騎馬勢が舟橋へと駆け込んでいく。

「黒母衣衆筆頭ォっ、佐々内蔵助成政ここにありぃっ!」

 ゴリラが日差しをまばゆく砕きながら、黒い弾丸となって硝煙を切っていく。

 その姿は煙幕の向こうで確かではなかったけれども、すさまじい激突音を届かせてきた。

「簗田勢の奮闘っ! あっぱれっ!」

 中条勢の脇も過ぎて行くと、将監のオッサンが馬上で笑い立てていた。

 シロジロが、べちゃっ、と、泥んこの中に転げる。

 打ち捨てて、兵卒たちとともに陣形の最後方に回り込んで一息をつく。

「ハンザ、欠けている奴がいないか見て回れ」

「承知しました」

 汗をぬぐいながら、ハンザが組頭たちを回っていく。

 兵卒たちの胴丸の胸は、荒い呼吸で波打っていった。

 返り血を頬から垂らしている者。

 突き刺されたのか、自分の腕を押さえている者。

 首級が来なかったと、うそぶいている者。

 思い思いに泥の上に腰を下ろして、舟橋の銃声と怒号を遠巻きにしている。

 さゆりんがむっとして馬を歩ませてきた。

「いつになったら退却するのです」

 と、太刀の切っ先を八相山のふもとに向ける。

「退却している途中だろ。足下がこんなんだからしょうがねえだろうが」

「それにしたって何をやっているのですか。諸将は軍議で示し合わせてくれていたのですか」

 小谷に来てから成りを潜めていたくせ、どうやら、小娘は兵卒たちが連戦させられていることについて腹を立てているようである。

「サンザ殿が雲雀山なんだ。虎御前山にはアホしかいねえんだからしょうがねえだろうが」

「沓掛勢は所領を増やしてくれな、かないません」

 まったく。敦賀のときもそうだったが、きつくなるとすぐにおれに愚痴ってきやがる。

「殿っ」

 ハンザが駆け寄ってくる。

「一人も欠けておりませんっ」

 と、言うそばから、少し離れたところにいる理介が、太郎に問いかけている。

「ありゃほとんどが百姓じゃありませんか」

「左様ですね」

「どういうことだよ」

 離れたところから問いただすと、二人揃って顔を向けてき、理介のほうが、

「城下を追われた百姓でしょうなっ。陣笠被って槍を持ってきているんですわっ」

 すると、クリツナの足下にいた兵卒がしかめっ面で吐き捨てた。

「あんなの相手にならねえよ。手柄なんか取れやしねえや」

 おれは銃声の鳴る舟橋に視線を向ける。

 何を考えているのだろう、新九郎殿は。

 城中に抱えていると無駄飯食いだから、いくさ場に差し向けてきているんだろうか。

 とはいえ。

「村が燃やされているんだっ。百姓たちのほうが恨みつらみは大きいだろうっ。侮っているとうっかり殺されるぞっ」

「父上のおっしゃるとおりだ。各々、手柄ばかりにとらわれないように」

 兵卒たちが、へいへい、と、うなずいていると、泥まみれのシロジロが鉄砲を抱えてようやくやって来た。

「いくさは終わりッスか?」

 すると、おれより先に舌打ちしたのは、ねじり鉢巻きであった。

「終わりじゃねえよ、まったく」

 ねじり鉢巻きはシロジロの手から鉄砲を奪い取り、

「ちゃんと旦那に付いていけ」

 シロジロは唇を尖らせて、不満げにうなずく。




 五百丁の鉄砲の破壊力はすさまじかった。

 ウザノスケが率いる黒母衣衆は信長親衛隊とだけあって、無敵だった。

 ウザノスケたちが敵方の群れを再び舟橋まで押し返していくと、続いて中条勢が斬り込んでいった。

 オッサンの采配には怪しさを覚えていたのだが、しかし、歴戦の経験なのか、オッサンの采配は冴え渡っていた。

 足軽組を投入しては、退かせ、別の足軽組を繰り出しては、退かせ、一斉に弓矢で掃射すれば、新たな足軽組を投入し、力ずくでぶつかっていくような沓掛勢とは違って、なるたけ兵の消耗を減らしつつ、巧みに相手を削り取っていくという老練ないくさ捌きであった。

 すると、舟橋の向こう、敵方から太鼓の鳴りが消えてしまう。

 おれは太郎と馬を並べ、最前線の将監のオッサンのもとを訪ねる。ウザノスケも来た。クローザも、やはり、歩み寄ってきた。

 硝煙が幾重もの細いすじとなっており、馬上にて、将監のオッサンは目つきを厳しくして対岸を睨んでいる。

 敵方は、舟橋からわずかに遠く、黒い陣笠を並べて立ち往生している。

「どうも、敵方は一枚岩ではないようじゃ」

「と、言いますと」

 太郎がクロスケをなだめながら訊ねると、将監のオッサンは采配の先で敵陣を指し示した。

「南近江の六角攻めのときの陣容ではない」

「おそらく、小谷城下の百姓をひとまとめに繰り出してきております」

「そうではあるが、旗指し物が後ろに控えておる」

 将監のオッサンが言うに、敵方は鉄砲衆の数が多いのを理由に、百姓を突撃させてきている。

 特攻的な攻撃で、織田の殿軍に風穴を作ったあと、敵方は一気に畳み掛けてくる算段だと。

「しかし、きゃつらは浅井備前の直属ではなさそうじゃ。旗指し物の数も少ない。わしが思うに、小谷城は我らに追手を差し向けるかどうかで割れたのだ。もしくは、どこぞの猪武者が勝手に百姓を連れて飛び出してきている」

 そうして、将監のオッサンは八相山の方向を見やり、まぶしげに瞼を細める。

「おやかた様の猿真似で馬印を光らせているのあの軍勢は藤吉郎じゃな。退却は木下勢で終わりじゃろう」

「我らもここで退きましょうか」

 クローザの言葉に、将監のオッサンは眉間の皺を深く刻みこんで、しばし、黙る。

 ウザノスケが鼻息を荒くした。

「敵方の兵が少ないのであれば打って出ようではないか」

「それはならん」

 将監のオッサンは、眼球を光らせる。

「血気がはやるというのはそういうことじゃ、内蔵助。わしらの役目は殿軍ぞ」

「わかっておりますがな」

「鉄砲衆は半分だけ退かせよう。それで敵方もまた押し寄せてくるかもしれんが、わしらの戦いぶりであれば持ちこたえられるじゃろう」

 そう言って、最後に黄色い歯を覗かせてにかっと笑い、クローザがうなずいて持ち場に戻っていく。

「当初の布陣に戻ろうかな、内蔵助、左衛門太郎」

「承知しました」

 将監のオッサンの前から去っていく。太郎が沓掛勢に声を飛ばし、中条勢と入れ替わって舟橋の前に隊列を整えていく。

「浅井備前は朝倉方の援軍を待っているのでしょうか。それまでは手を出さないと」

「どうだかな。おれらの陣替えは、敵方にしてみても、想定外だったんじゃねえのか」

 そのあいだ、鉄砲衆の半数が引き上げていった。

 敵方の表情は判別できない。川から離れた場所のまま、じっと動かない。

 木下勢らしき一群は、すでに太陽の光が注がれる湿地帯へと入っている。

 理介が鞍壺にどっかりと腰を据えた。

「敵方はこのまま引き下がるのかあ。どうにも物足りないですなあ」

「それに越したことはねえだろうが、バカが」

 理介はくわあっとあくびをかくのが、おれへの反応だった。

 いつかこの野郎は足下をすくわれるに違いねえ。

 対座の時間はしばらく続き、硝煙の香りもそよ風がさらっていって、睨み合いは晴れやかな空のもととなった。

 数々の死体が川面に浮かび、あるいは泥の塊と化している。物言わぬ矢じりが手向けのように突き刺さっており、興奮は冷めやっている。

 奇妙な緊張がただよっていた。

 空からの光と地上の蒸気が、見えない粒となって、やがては景色をほのかにかすませていく。

 視線をこしらえたまま、頬の汗をぬぐう。

 後方から泥を跳ね飛ばして、中条勢の兵卒が走ってきた。

「中条将監より、御大将に申し上げまするっ。全軍は小谷一帯からの退却を完了したゆえっ、我らも退くべきとっ」

 太郎に目を配ると、兜の眉庇を揺らして太郎はうなずき、そのまま伝令に言う。

「塙殿の鉄砲衆を先んじて退かせるべきと中条殿に伝え申してくだされ。次に中条勢、して、黒母衣。我ら簗田勢は最後方より追っていくゆえ。もしも、敵方が渡川して追撃してくるようであれば、我らが防ぎ、そして段違いで入れ替わってほしい。押しつ引きつで八島まで退くと」

「御意っ!」

 兵卒たちが駆け去っていく。

 クリツナの口輪を握るシロジロが、泥んこ顔をおれに振り向けてくる。

「終わりッスか?」

「シロジロ、退却のときは、クリツナのそばにいなくてもいいからな」

「なんでッスか」

「おれはクリツナをかっ飛ばして逃げられるからだ」

「わかりましたッス」

 ややもすると、中条勢から退き太鼓の鳴りが聞こえてくる。

 先に、川岸に張り付いていた鉄砲衆が隊形を整え、ひとかたまりになっていく。

 クローザが馬を走らせてやって来、

「左衛門尉、あとは頼んだぞ」

 それだけ言って、鉄砲衆を引き連れ、戦線から小走りに去っていく。

「何を考えておるのやら、敵方は動きませんな」

「我らが背中を向け次第、追ってくる手はずでしょう。おやかた様の首をあきらめ、標的を我らだけに絞っているのです」

「なるほど。そうとなると、敵方は憂さ晴らしのためだけに我らを殺しに来ると。そのほうが厄介かな」

 敵方は隊形を変えていた。

 旗指し物を高いところに背負った騎馬武者たちが前線に躍り出てきている。

「二十騎ほどか」

 太郎はつぶやくと、早之介、と、呼び立て、

「お主が鉄砲衆を連れて先頭を行けっ」

「承知しました」

「足軽どもよっ! 私の号令があるまでは決して向かい合うなっ! 敵方の騎馬が足軽衆から離れてくるまで、引きつけるだけ引きつけるのだっ! そうでないと首級は取れぬぞっ! よいかっ!」

 おうっ、と、声が上がる。

 シロジロがおれをじっと見上げてきている。

「なんだよ」

「いくさ場でも若君がやっているんスね」

「太郎のほうが賢いんだから当然だろうが。それより、そんな余裕かましてねえで、テメーも早之介にくっついて先を逃げろ」

 後方に振り返ると、黒母衣の騎馬どももこちらに背を向けて戦線からゆっくりと離れていく。

 太郎が槍を振り上げた。

「回れいっ!」

 兵卒たちが踵を返す。おれもクリツナを旋回させる。

 太郎だけはクロスケの鼻面を対岸に向けたままでいるが、

「退却うっ! 進めいっ!」

 列を成した兵卒たちが一斉に駆け出すと、太郎もクロスケを暴れさせながら旋回した。

 並み足で泥を跳ね飛ばすクリツナにクロスケを並べてきて、

「やはり騎馬が追ってきますっ! あとは拙者にお任せくださいっ! 父上は先にクリツナとともに八島まで駆け抜けてくだされっ!」

「何をバカなこと言ってんだっ! 自分一人だけで逃げおおせる大将がどこにいるってんだっ!」

 太郎は眉をしかめる。すると、腰から赤黒の鞭を抜いてきて、体をのめらせてクリツナのケツに鞭を打った。

「おいっ!」

 しかし、クリツナは、首を垂らしてのそのそと走っているだけである。

 太郎がいっそう眉をしかめ、おれは笑う。

「クリツナはお前の乗っている暴れ馬みてえにバカじゃねえんだ」

「しつけを間違ったようです」

 すると、理介が馬を緩ませて並んできて、

「オヤジ殿は先を行けっ!」

「黙れっ! 自分の心配してろっ!」

 ふいと敦賀の退路が思い起こされる。

 逃げても逃げても追ってくる敵方の波が頭に浮かぶ。遠くの地に捨てて置いてきた連中の最後の顔がよみがえる。

 向かう先には、黄色い旗指し物の群がりが、日差しの中に見える。染め抜かれている永楽通宝銭は見えなくても、なんとなく、黄色いものが並んでいるのは見て取れる。

 八島までは1kmほど。

 敦賀ほど、まずくはないはずだ。

 このまま終わってくれるかも――。

 が。

 前にのめり込むようにして走っていく足軽たちの一群に取り残されてきて、泥に突っ伏して倒れたまま、おれの脇からも過ぎ去っていく姿があった。

 おれは振り返る。陣笠の下の泣きっツラを持ち上げているのは、シロジロだった。

 そして、シロジロの向こうには、青い空に泥塊を跳ね上げている騎馬武者の波があった。

 手綱を引き絞る。手綱を手繰る。

「父上っ!」

 太郎が叫んだが、おれのほうが反転するのが早かった。

 おれは刀を抜いた。クリツナの腹を蹴飛ばした。

「バカがっ!」

 クリツナはぐっと重心を低める。跳ねるように駆け出していく。

 おれは左手で手綱を短く絞って、右手に刀を握りしめて、腰を浮かせて、鐙に立って。

 シロジロが手を突いてもたもたと起き上がっている。

 その背後から、騎馬武者は馬蹄の鳴りを泥水に打ち付けてくる。

 先陣を切ってくるのが一騎。

 それに続いて二騎、三騎……。

 その後ろに旗をなびかせて十騎――。

 クリツナとおれはシロジロの脇を抜けていく。

「旦那さまあ」

 クリツナが後ろ脚でシロジロに泥水をぶっ掛けていく。

 泥だろうと田んぼだろうと水辺だろうと、四肢を揺さぶってはたてがみを燃え立たせ。

 おれは、先陣を切ってくる騎馬武者と、視線を結ぶ。

 敵は、背負う旗をたなびかせ、黒い兜に、黒い具足に、黒い馬に。

 髭むくじゃらの彫りの深い顔立ち。

 若くもなく、老いてもなく。

 騎馬武者は槍を回した。逆手に握った。穂先を突き出してきた。

 おれの体のどこかを狙い澄まして、槍が冷徹に光り輝いている。

 髭むくの騎馬武者が目玉を剥いて吠え立ててくる。

「うおおっ!」

 おれは刀の柄を握り締め、髭野郎が剥き出した目玉の、毛細血管の数まで数えられるんじゃないかというぐらいに、視線の先を野郎に一直線にぶつけつつ、クリツナの手綱を軽く引いた。

 おれはクリツナを信じている。

 クリツナが肉食動物みたいにして、騎馬武者目掛け、飛び込むようにして跳躍していく。

 勝った。

 おれとクリツナは勝った。

 巨体の栗毛の飛び込みに、騎馬武者は表情をこわばらせて槍を突き落とせないでいた。

 飛び込みざま、おれは妖刀クニツナを真一文字に引き抜いた。

 騎馬武者の鼻っ柱から兜の佩楯までをざっくりと斬った。

 クリツナが抜けていくとともに、騎馬武者は吹き飛ぶようにして馬から落ちていき、血飛沫とともに泥水を跳ね上げ、

「おのれえっ!」

 後ろに続いてきた騎馬武者が槍を高々と振り上げてくる。

 しかし、その槍が振るい落とされる転瞬、クリツナが、向かう角度を変え、頭から相手方の馬の首元に突っ込んでいき、体当たりし、吹っ飛ばしてしまい、相手方の馬は騎馬武者を放り投げながら泥の中へと倒れていく。

 けれども。

 もう一騎、手綱を引き絞りながらも、槍をぶん回してきていた。

 おれはそれを避けようとして仰け反ったら、穂先は鼻頭をかすめただけで済んだものの、勢い余って鞍から転落してしまう。

 背中から落っこちて、泥の上に大の字になってしまう。

 痛がっている猶予を、おれはおれに与えなかった。すぐさま、踏んづけられたカエルみたいにしてうつ伏せにひっくり返った。

 そのまま、せっせと四つん這いで退散する。

 そんなおれを守るようにして、クリツナがブオッと獣みたいに吠えながら前脚を大きく掻き上げ、敵方の馬を威嚇し、

「こらあっ!」

 騎馬武者が蹴飛ばしても馬は後ずさり。

 起き上がったおれは、左手を伸ばし、すかさずクリツナの手綱を握る。

 でも、新たな騎馬武者がまたしても押し寄せてきて。

 おれに槍を構えてきていた。

「我こそは雨森次右衛門っ!」

 おれの左手はクリツナの手綱に、おれの右手はクニツナを握って垂らしている。

 上半身を全開にしておれは無防備でいる。

「名のある将とお見受けいたすっ! 覚悟おっ!」

 空は青空というより、すっかり太陽の光が染み渡っていて、透明な白にまばゆい。

 突如、おれの視界は真っ暗になった。

 おれは背後から誰かに突き飛ばされて、顔面からべちゃっと倒れ伏していた。

 首を起こすと、おれの背中を踏みしめている足。

 おれの上空に振り抜かれていく槍の柄。

 そうして、馬の四本の脚が泥を跳ね飛ばして過ぎていく刹那、騎馬武者がおれの目の前に背中から落っこちてくる。

 訳のわからないまま両手を突いて立ち上がろうとすれば、

「南無三っ!」

 落っこちてきた騎馬武者の喉笛を槍の穂先が突き刺した。

 おれは唇を震わせながら、視線の先で槍の柄をたぐっていく。

 槍を握っているのは、頬の刀傷――。

 新七郎だった。

 おれは襟首を持ち上げられて新七郎に起こされ、

「お、お前、いつのまに」

「旦那様は早う馬に跨がられて退避してください」

「あ、ああ――」

 新七郎が槍を構えるのをよそに、おれはよろめきながら、あたふたとクリツナの手綱を追いかける。

 と。おれの前を大きな黒い影が突っ切っていき、そのまま風を切り裂いていって、一閃、騎馬武者を薙ぎ落としたのは、

「我こそは尾張沓掛が城主っ、簗田左衛門尉なりいっ! 各々おっ! この首、討ち取ってみせよおっ!」

 身代わりになって敵方の目をおれから逸らしているのは太郎であった。

 おれはクリツナを引っ張る。またがろうとする。

 けれども、震えで足が上がらん。泥にはまって足が上がらん。

 ほっとしたのが駄目だった。体が思い通りに動いてくれん。

「佐久間理介が相手にしてくれるわっ!」

 と、太郎に続いて理介が飛んでいき、ハンザが駆けていき、兵卒たちがぞくぞくと抜けていき、銃声が鳴り響き、矢が飛び交い。

 おれはクリツナの鞍に手をかけているものの、腰が上がらんし、ましてやクリツナが暴れていて、おとなしくしてくれん!

「何やってんだよっ!」

 ずぼ、ずぼ、と、足を踏み抜いてやって来たねじり鉢巻きが、おれのケツを肩から担ぎ上げてき、おれはようやっと鞍に着地。

「刀っ! そこに刀が落っこちてるっ!」

 ねじり鉢巻きが拾い上げておれに手渡してくる。

 ねじり鉢巻きの手によって口輪を握られ、クリツナは鼻を鳴らしながらもようやっと我慢してくれる。

 息を整えながら目を向けると、太郎や理介、沓掛勢が暴れ回っており、おれごときの手助けは無用なようである。

 刀を振って血を払うと、鞘におさめ、大きく息をつく。

「シロジロはどうした」

「大丈夫だよ。そこにいるよ」

 ねじり鉢巻きの視線の先を追うと、鉄砲を担ぎながらこちらに半べそを見せて突っ立っているバカがいた。

「旦那が四郎次郎を連れてくっからだっ。たくっ」

 何も言えず、泥のついた顔を拭いていこうとして革手袋の右手を持ち上げたら、手袋も、具足も、全身が泥まみれだった。




 シロジロのせいで(おれのせいで)、勇み足を踏んでしまった沓掛勢だが、浅井方の者どもと一戦交えたあとは、ウザノスケの黒母衣衆と中条将監のオッサンに任せ、八島へと一直線に駆け逃げた。

 織田永楽銭の黄旗が立ち並ぶ中、泥だらけの沓掛勢を真っ先に出迎えてきたのは、マリオだった。

「よくぞやったっ!」

 太郎や理介、さゆりんたちが馬首を弓なりにして颯爽と立ち止まったその横で、おれも手綱を引いて止まったものの、途端に安堵してしまって、クリツナから転げ落ちてしまった。

「旦那様っ!」

「おいっ、旦那っ!」

 シロジロと鉢巻きに両脇を抱えられて起き上がっているところにマリオは小走りにかちゃかちゃと駆け寄ってきて、

「よくやったぞ、簗田殿!」

「ハハ……」

「太郎っ!」

 マリオは早々と太郎のもとへ駆け寄っていく。

「お主たちの武勇あっぱれだっ! 織田全軍の一人とて斬りかけられなかったぞっ! あっぱれよっ! あっぱれよっ!」

 こちとらくたくただっていうのに、一人だけ、まるで勝ったような騒ぎである。

 兵卒たちを見回していくと、腰が砕けてしまったのはおれだけじゃない。連中もやはり胸を撫で下ろしている。地べたに手をついて生き延びた実感を表情に見せている。

 やっぱり、カネより、命だよな。

「旦那様」

 シロジロが顔をうつむかせて、しおれていた。

「申し訳ありませんでした。あっしは旦那様がいなかったら死んでいたッス」

「おれはお前が新七を買っていなかったら死んでいた。それで帳消しにしてやる」

 新七郎は足軽組に混じって突っ立っていたが、おれがそう言うと、頭を小さく下げてくる。

 その腰には兜付きの生首を吊るしている。

 すると、足軽組頭が躍起になって歩み寄ってきて、

「殿っ。そうですよっ。うちの組が首級を上げましたよっ。うちの組が一番手柄ですわっ!」

「新七だけの手柄じゃねえか」

「百貫文ですよっ! いやあっ、新七っ、よくやったぞっ!」

 つい昨日までは新入りに冷ややかな態度だったくせに。

 そのうち、黒母衣衆と中条勢もやって来て、兵卒たちの皆が皆、突っ伏すようにして転がり込んだ。

 太郎がウザノスケににこにこと笑いながら歩み寄っていっており、ウザノスケは似つかわしくない笑顔で太郎の肩を叩いている。

 将監のオッサンの采配も泥だらけになっていた。

「簗田殿。わしはもう隠居したいわ。殿軍など、こりごりじゃ。お主はいいのう。出来のいい息子がいて」

「ハハ……」

 すると、クローザが涼しい顔でやって来て、

「おやかた様がお待ちかねだ」

 と、具足に泥の斑点を作っているものの、一緒に殿軍をやったとも思えないいつもの事務的な気配でいた。

 黄旗をかき分けるようにして、マリオに導かれて奥へと進んでいくと、真っ赤な陣羽織の信長は馬にまたがって、小谷山をじっと見つめていた。

 おれは将監のオッサンやウザノスケとともに信長の足下に片膝を付く。

 信長は兜の立物を光らせながら視線を下ろしてき、口許をわずかに緩ませた。

「よくやった。貴様らの働きにより、天運は開けた」

「ありがたき幸せっ!」

 オッサンやウザノスケとともにおれは顔を地べたに伏せ、ひとまずは肩の荷が下りて、そのままじっと湿った土を見つめていたが、ウザノスケがおれに顔を向けてき、鼻で笑った。




 夕方、信長本陣は、押しかけ占拠した八島の小さな寺に置かれていた。

「浅井方の捕虜や、樋口三郎左殿によりますと、この首、北近江伊香郡の雨森城城主、雨森弥兵衛の家老にて、その一族、雨森次右衛門なる者でございます」

 説明のあと、首台に載せられた生首が信長の前から退けられていくと、信長は床几に座り、それとともにおれも諸将に揃って床几に座る。

 新七郎を後ろに従えて、太郎が片膝をついてあらましを述べる。

「八島への撤収の折り、雨森次右衛門殿、軍勢に先立って騎馬二十余騎にて我らを追撃せしめ、これに真っ先に立ち向かったは、父、簗田左衛門尉にて。左衛門尉、愛馬栗綱の踵を返し、先頭を来た敵の荒武者一人の鼻面に刀を浴びせてこれを一刀に両断し、次いで、後方に付いてきていた武者を馬で跳ね飛ばしたものの、三人目の武者の槍を避けようとして落馬。ここに襲いかかってきたが雨森次右衛門殿にて。左衛門尉は突き出した穂先に絶体絶命でありましたが、左衛門尉をいち早く追っていた、この大石新七郎が左衛門尉の脇を固めて槍を振るい、その豪力でもって雨森殿を馬上から飛ばし、落馬させたところをさらに槍を刺し込み、武功つかまつった次第でございます」

 太郎の語りには、いささか違う点が。

 新七はおれの脇を固めたのではなく、おれの背中をショルダータックルしたのである。

 泥の中に突き飛ばした上、おれの背中を踏みつけながら槍を振るったわけである。

 まあ、新七の武功よりも、おれが暴れ回っていたことのほうに諸将は驚き、おれの見る目を変えているので、大目に見てやるとするが。

 隣の赤装束のマタザが顔を寄せてきて、こそこそと訊ねてくる。

「お前、まことなのか?」

「本当ッスよ。太郎があっしのために作り話をするわけないじゃないですか」

「それもそうだが……、どうも信じられん」

 ところが、信長も言った。

「作り話じゃねえだろうな、こましゃくれ。撤収のさなかに牛が馬から落ちただけの話じゃねえのか」

「左衛門太郎殿の話はまことでございます」

 と、太郎と揃って片膝をついているのは理介である。

 理介が援護したので、長ヒゲ佐久間とゴンロクが眉をしかめたが、信長はじっとして理介を見つめ、ややもすると、口許を緩め、おれに目を向けてくる。

「鬼梓に指南を受けたか」

「い、いや――、ま、まあ、そ、そんなところでしょうか……」

「ならば、貴様は梓をいくさ場に連れてきたらどうだ。こたびの殿軍も梓一人で済んだじゃねえか。何も苦労しなかったわ」

 憂さでも晴れたか、今までの怒り心頭ぶりを省みたか、信長の口は軽快で、諸将もいちようにして笑い上げ、うつむいているのはおれとゴンロクの二人だけである。

 すると、ふざけたことに佐久間が調子に乗る。

「左衛門尉に梓をあてがった、おやかた様の先見の明には恐れ入ります」

「フン」

 信長は鼻で笑い捨てる。

「とにかくは牛の配下が首級を討ち取ったには変わりねえ。大石新七郎! こたびの働き大儀であったっ! 貴様には二百貫文を褒美としてくれてやるっ!」

 おおっ、と、諸将は驚嘆の音を上げると、新七はおでこを地べたにこすりつけ、

「有難き幸せに存じまするっ!」

 言うと、太郎も同じく頭を下げた。

 理介とともに新七郎が去っていくと、信長がつぶやく。

「足軽一兵卒にしてはずいぶんと面構えのいい野郎だ。こんな牛がいったいどこで拾ってきたのか」

 おれの子分が勝手に三百貫文を使ったからなどと言えるはずもなく、おれは恐縮して頭を下げるだけ。

「それよか、牛が馬から落ちたとは妙な話だ」

 信長は自分で言って、自分で笑っていた。



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