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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第七、三章 征野、果てしなく
123/147

おれは簗田左衛門尉をやめることはできない

 理不尽すぎる。

 しかし、シロジロの情けねえツラを見た途端、わだかまりは消えてしまった。

 おれはシロジロに言ってしまっていたわけだ。

 因果の延長、好きでやってんじゃねえ、文句を言う資格はねえ、と。

 起こった結果には、必ず原因がある。

 おれがここにいる結果には、必ず原因がある。それを振り返っていけば、あれもこれもきりがない。

 それに、女子供をぶっ殺しておいて、テメエだけは温かいメシを食っているなんざ、お天道様は許しちゃくれねえってことかもしれねえ。

 とにかく、腐った性根のシロジロの前で、おれも腐った性根を丸出しにするわけにはいかなかった。

 組頭たちを叩き起こして集めると、二十人弱を前にして太郎が言う。

殿軍しんがりだ」

 案の定、連中は顔色を曇らせる。

「またですか」

「若殿。俺らは織田の殿軍専門なのか」

「そうだ」

 と、兵卒たちの嫌気を太郎が厳しく跳ね返してしまう。

「我らしか務まらん。ゆえにおやかた様は我らを指名した」

 おれは唇を押し曲げているだけ。

 組頭の若いのが溜め息を漏らす。

「だからって。織田はこんだけ大勢いるんですよ」

「これだけいても、我らなのだ。我らしかおらんのだ」

 組頭たちはいちようにして溜め息をついた。

「槍働きで暮らしているお主らが何を言う!」

 太郎が苛つきを見せたが、おれは右手で太郎を制した。

 組頭たちは少しばかりの疑問を眉間に刻んでいる。おれは溢れ出そうな愚痴を喉元にこらえながら、連中を見回していった。

「悪かった。おれのせいだ」

「え?」

「太郎はこう言っているが、実のところ、おれがヘマをこいたから、殿軍に抜擢されちまったんだ」

「父上」

「いいんだ」

「ヘマをこいたってなんですか、殿」

「実は、おれが降伏させた奴らが織田を裏切ったっぽいんだ。そのせいで浅井攻めの方針が変わっちまった。だから、けじめを付けさせるために、おやかた様はおれを殿軍にした」

 おれは頭を下げた。

「申し訳ない」

 湿った夜風がなだらかに吹いており、かがり火を揺らしていた。大勢の影も揺れていた。

 下げても下げ足りないおれの頭だった。

「俺たちはいつまで殿に付き合えやいいんですか」

 顔を持ち上げると、組頭の一人がむっとしている。

「いつまでと言えば、おれが死ぬまでだろうな」

 連中は揃いも揃って一斉に、あからさまな溜め息をついた。

「死なないじゃないですか、殿は」

「もうどうしようもねえや。俺たちゃ、沓掛勢になっちまったときから命運尽きてたってことだ」

「しょうがねえなあ、もうっ! 俸禄上げてくださいよ! それだけじゃなくて、褒美も!」

「それはまあ――、こちらの若殿様に」

 おれがちらっと太郎を見やると、太郎はむっと眉をしかめたものの、しぶしぶといった具合で、言った。

「一番手柄の組には百貫文、用意する」

 すると、組頭たちは、途端に、曇っていた顔も晴らしてしまい、歓声まで上げる始末。

「おおしっ。若殿が言うんじゃ間違いねえっ」

「手柄次第だぞっ!」

「わかってますよっ!」

「そういうことなら刀を研いでおかねえと。首が切り取れなかったら話にならねえ」

「夜明け前には陣取るゆえに!」

 太郎の指示を聞いているのか聞いていないのか、組頭たちはさっさと踵を返して自分の組の連中のところに早足で行ってしまう。

「なんなんだよ。結局はカネかよ……」

 おれが吐き捨てると、ケチの太郎は肩で吐息をついた。

「さすがにそれは半々でしょう。あの世に銭を持っていけないのは、皆、知っているんです。父上が頭を下げなかったら、いくら餌をぶら下げても。しかし、父上、将として、そういうことはしてもらいたくないですが」

 しょんぼりと視線を落とすと、フン、と、鼻笑いが聞こえてくる。終始、黙っていただけの理介である。

「兵卒どもに頭を下げるぐらいなら、オヤジ殿がそこかしこで頭を下げておられれば、このようなことにはならなかったかもしれませんのにな」

「黙れ」

「拙者には頭は下げないんですかな?」

「お前に下げる頭なんかあるわけねえだろ! お前がここにいるのは、お前のせいだろうがっ! おれのせいじゃねえっ!」

「誰かのせい、誰かのせい。オヤジ殿はすぐに責任の所在ですな」

「ごちゃごちゃ言ってねえでテメーも刀でも研いでろ!」

 理介があんまりにも減らず口なので、鬱陶しくて仕方ないおれは、掘っ建て小屋に向かう。

 すると、ねじり鉢巻きと並んで、シロジロが泣きそうな顔ながら、拳を握りしめている。

 おれが目をくれると、唇を結んだまま視線を伏せた。

「シロジロ。一番手柄だったら百貫文くれてやる」

「あっしは槍を振れないッス」

「お前の手柄の立て方を考えりゃいい」

 掘っ立て小屋に引っ込み、火皿の火にかざして刀と脇差しの刃を覗いた。

 摂津池田では誰がどうなって池田筑後守を追い立てるようなことになったのだろうか。

 ヘタレ弥助は殺されたのだろうか。

 気になるが、今はどうにもならなく、刀身を鞘におさめる。

 火皿に灯る小さな火を見つめる。

 近頃、武将なんかにはならなければよかったと、ちらちらと思ってしまう。

 毎度毎度、重臣どもから非難され、親分からぶん殴られ、とはいえ、事を成すほど抱える責任は大きくなっていく。

 そんなことを思ったって、引けねえところまで来ちまったのはわかっている。

 わかっているんだが。

 おれは弱い。


 しかし、おれは、寝ていたのか起きていたのか不明なまどろみの淵から起き上がらなければならない。

 掘っ立て小屋を兵卒たちが解体していく様子を眺めなければならない。

 クリツナに跨がらなければならない。

 ひとっ風呂も浴びられない汚い体のまま、小袖に染み込んだ汗臭さのまま、夜明け前の張り詰めた静けさのうちに浸っていかなければならない。

 弱さを見せてはならない。

 ――。

 おれは。

 こんな理不尽な人生からおさらばしたい。

 分不相応な責任の大きさから脱出したい。

 いつも耳に入ってくる断末魔の叫びから逃れたい。

 殺し合いはもうたくさんにしたい。

 赤ちゃんのように駄々をこねたい。

 けれど、おれは。

 槍を手に取った兵卒たちの前に出なければならない。真っ直ぐにおれを見つめてくる兵卒たちの――、それぞれの人生を――、それぞれの思いを――。

 おれははっきりと瞼を広げなくてはならない。

 吠え立てなければならない。

「一番手柄の組には百貫文だっ! カネが欲しけりゃ死んで生きろっ!」

 兵卒たちが槍を振り上げれば、張り上げた声を受け止めなくてはならない。

 夜の闇が、闇となくなる。

 流れる雲のふちが薄ぼんやりと姿をよみがえらせていく。

 黒く沈んでいた山々の稜線が今日もまた景色をゆっくりとかたどっていく。

 おれはクリツナの馬上で、兵卒たちに囲まれる中で、跳ね飛んでくる泥水を浴びなくてはならない。

 毅然として揺れていなければならない。

 進まなければならない。

 引き連れていかなければならない。

 道連れにしていかなければならない。

 おれの勝手に、おれの理不尽に。

 それについて、溜め息をついてはならない。

 武将になっちまったから。

 もう、おれは簗田左衛門尉をやめることはできないから。




 左手斜めには墓場が横たわったような虎御前山。

 右手斜めには雲雀山。

 雲雀山に裾野を隠され、正面には、曲輪に張り巡らされた小谷城。

 背後から差し込んでくる暁光に振り返れば、東の方は、葦の草原が点在する泥と水ばかり。

 明るみに渡っていく空。

 真っ平に広がる泥濘の景色は、吉兆とも凶兆とも判別のつかない跳ね返りの光が、そこかしこで輝いている。

 八相山のふもとのそこらじゅうで旗指し物が立ち始めていた。

 雲雀山にも白い旗が動いているのが見え隠れする。

 西の方の並ぶ山々と、東の方の泥濘の広がりとを境にし、おれたちの目の前を横切っているのが、地元民が田川と呼んでいるらしき、幅広の川だった。

 織田勢によって舟橋が設けられている。

 小谷城から打って出てきた敵方の進路は、おそらく、というより、高い確率で、虎御前山と雲雀山の間を突き抜けてくる。

 すると、湿地帯を回りこむようにして八島へ抜けていく織田の退却路を、一直線になって小谷城と結ぶのが、この舟橋だった。

 敵方も悪路を進んでくるので、隊列を整えるだけでも難渋するだろうという見方だが。

「敵方は敗戦濃厚だったのだ。光明が差したとし、死に物狂いでおやかた様の首一つを討ち取りに来るはずだ」

 黒母衣を背中に膨らませてのウザノスケは、小谷城を指差しながら、わりとまともなことを太郎に言っている。

 太郎が訊ねた。

「摂津池田の謀反は浅井方にも知れているでしょうか」

「さあな。敵がここに来たときに訊いてみたらどうだ?」

 ウザノスケは太郎にそう言って笑みを浮かべる。

 太郎がウザノスケの息子の先生だからか、小さいころの太郎を知っているからか、ウザノスケの太郎への態度はおれとは百八十度違う。

 おれと目を合わせると、フン、と、嫌味っぽく鼻で笑うだけである。

 それらをよそに、クローザは腕を組んで、小谷城の方角をじいっと見据えているだけである。

 中条将監のオッサンは床几に腰掛けており、舟橋を眺めながら、切り裂き采配を掌に打ち叩き、唄を口ずさんでいた。

「われらも持ちたる尺八を、草堤そでの下より取り出し――」

 クローザが冷ややかに将監のオッサンを見やる。

 太郎が苦い顔で言った。

「中条殿」

 すると、将監のオッサンは黄色い歯を見せながら下衆に笑い、

「左衛門太郎殿はわかるか? 若いのに」

「そりゃまあ」

「見どころのある御仁じゃ」

 そう言って、オッサンは続きを唄い始める。

「しばしは吹いて松の風。花をや夢と誘うらんいつまでか。この尺八ふいて心を慰む」

「中条殿」

「なんじゃ」

「我らにお言葉を」

「そんなものない」

 東の空に昇り立った朝日を受け、八相山から織田永楽銭の黄旗がぞくぞくと流れ出てきた。

 ただ、なぜか、信長の馬印の金の唐傘はそのまま川を渡らずに、手勢をともなって、こちらにやって来る。

 将監のオッサンが床几から腰を上げた。

「ほれ。おやかた様が来られたではないか。わしなんかの言葉がなくともよいのだ」

 黒鹿毛の馬の後ろ脚で泥水を跳ねながら、黄旗に囲まれた信長は川沿いを向かってくる。

 兵卒たちの顔にもほどよい緊張が張り付く。

 信長は、羅紗の、織田木瓜紋が白地に染め抜かれた真っ赤な陣羽織。

 舟橋を揺らしてくると、おれたちの前に馬を止め、金の唐傘の馬印とともに、長鍬形の立物に陽光を跳ね返した。

「貴様らっ、死出の旅への用意は整ったかっ!」

「仰せの通りっ!」

 ウザノスケが大声を放ちながら視線の先を伏せてかしこまる。クローザもすうっと顎を引く。太郎も口許を絞め上げて頭を下げる。

 将監のオッサンはこっくりとうなずくようにして目を伏せ、おれも。

「残す言葉があるならば、俺が聞いといてやる」

「この内蔵助えっ、おやかた様のためっ、天下のためっ、この身が朽ち果てるまで戦う所存にてっ!」

「簗田左衛門太郎、同じくっ!」

 意気込んでいる二人の脇で、クローザは静かに目を伏せるだけ。

「わしは死に損ないゆえ、とっくに言い残しております」

 将監のおっさんがあっけらかんと言うと、信長は鼻で笑ったが、

「おい。貴様はねえのか、牛」

 おれを馬上から高々と見下ろしてくる。

 おれは上目に覗き上げた。

「梓によろしくと伝えてもらえませんか」

「なにい?」

「テメーは何を申してんだゴラァッ!」

 すかさず、ウザノスケが突進してきて、おれは突き飛ばされる。泥に尻もちをつく。黒塗りのゴリラは刀の柄に右手をかける。

 しかし。

 キャッキャッキャッ、と、広い空のすみずみにまで渡らんばかりの甲高い笑い声が上がった。

「このうつけがっ! 貴様の女房に伝えてもみろっ! 俺は殺されるじゃねえかっ!」

 そうして、信長は馬の腹を蹴飛ばし、笑い声を発したままに去っていった。

 唐傘馬印に続いて、馬廻衆の跳ね上げていった泥がおれの顔に飛んでくる。

 おれは、ぺっ、と、口の中に入ったものを吐き飛ばした。

「テメーはいっぺん叩き殺されたほうがいいな」

 太郎に引き起こされていると、ウザノスケが目玉をひん剥いてくるので、おれはぷいと鼻を背けた。

「内蔵助殿だって、息子に伝えてもらいたいくせに」

「はあ?」

「カッコつけちゃって」

「んだゴラァッ!」

 と、吠え立ててウザノスケが突進してくるも、すかさず、将監のオッサンがあいだに入ってきた。

 切り裂き采配をおれとウザノスケの鼻頭に振ってくる。

「ちょいちょい。お主らが喧嘩をすると、まことにわしは死んでしまうじゃないか」

 お互いに掴みかかっていたおれとウザノスケは手を止めて、オッサンにしかめた眉を振り向ける。

「将監殿は死ぬって言ったじゃないッスか」

「そうだ。将監殿は死体になるとかほざいていだだろうが」

「んな阿呆な。そうでも言わんと格好がつかないだけじゃ。ほれっ! わしを生かすために働かんかいっ! 老体をいたわらな、極楽には行けんぞっ!」

 オッサンはおれとウザノスケの頬っツラを采配で引っぱたき、追い立てるようにしてケツを蹴飛ばしてきた。

 けらけらと笑いながら将監のオッサンは馬に跨がり、側近たちとともに後方の持ち場へと戻っていく。

 ウザノスケも乗馬した。

「おい、野良牛。テメーが窮地に立とうと俺は見捨ててやるからな」

「逆にあっしの倅に助けてもらわないように」

 ぺっ、と、おれの足下に唾を飛ばしてき、ウザノスケはかっぽらかっぽらと後方に去っていく。

 クローザがぼそりと言う。

「お前は呆れるぐらいの大した度胸だな」

 薄っすらと笑っているので、おれは鼻で笑いながら小首をかしげた。

「度胸があるかどうかはともかく、何度もぶん殴られてますから」

「自慢にならぬわ、うつけ」

 おれが両肩をすくめて持ち上げると、クローザは背中を返して持ち場に向かっていく。

 そのあとを追って太郎がぺこぺこと頭を下げたが、太郎はクローザにしっしっと掌を振るわれて追い払われた。


 八相山からの退却列が延々と続いている中で、虎御前山と雲雀山との山間から、陣笠の群れが見えてきていた。

 兵卒たちの前をクロスケに乗って練り歩きながら、太郎が鞭を振って指図している。

「早之介。我ら鉄砲衆の標的は、舟橋を越えてきた一番槍に向けるように。対岸へは塙殿の鉄砲衆が狙撃する。我らが突撃すれば、標的は対岸に向けるよう」

「承知しました」

「各々っ! 敵方を引きつけられるだけ引きつけるのだっ! 続いて入ってくる敵方は本隊五百の鉄砲衆が次々と仕留めてくれるゆえっ! ぬかるみに足を取られぬよう用心しつつもっ、相手をしっかと見定めて槍を振るうのだぞっ!」

 おうっ、と、掛け声が上がるその脇で、馬に跨る理介は目を輝かせながら槍をくるくると振り回している。

 ハンザはここでも目を瞑って念仏を唱えている。

 ねじり鉢巻きは太郎の様子をじっと見つめている。

 シロジロは使いもしない火縄銃を抱え、おれをちらちらと、太郎をちらちらと、ときたまクリツナの口輪をぐっと握ってくる。

「シロジロ、落ち着けよ」

「だ、旦那様に何かあったときは、あっしがお逃がしするッス」

 おれの声は耳に入ってきても、言葉は頭に入っていないようだった。

 シロジロは、生きるか死ぬかの狭間で沸き立ってくる高揚に呑まれたか、それともそれを跳ね返しているのか、目の中身は、恐怖と、興奮と、何かちっぽけな勇気が、交錯していた。

 おれも多分、シロジロのような目をしていたに違いない。

 昔の桶狭間のときも。

 つい、このあいだの敦賀のときも。

 今は、強がっている。

 強がっていなくちゃならない。


 常に動け。常に戦え。常に働け。余計なことは考えるんじゃねえ。楽をして生きようとも願うな。苦労したからといって誇るな。困難があれば迎え撃て。


 今思えば、信長もまた、あれは信長自身への叱咤の言葉だったのではないだろうか。

 天下の覇者から一夜にして一転、敦賀で死にはぐって、千草街道で死にはぐって、信頼しきっていた新九郎殿に牙を剥かれ、可愛がっていたお市様まで去っていってしまって、あちこちでてんてこ舞いで。

 おれには梓殿がいるが、あいつにはもう吉乃さんはいなくて。

 おれのことなら太郎が叱りつけるが、当然、信長を叱りつけるような奴は存在しなくて。

 怒り狂うしかなくて。ぶつけようのない怒りをただただ爆発させるしかなくて。

 もしかしたら、どこかで、そんな自分に嫌気が差していたのかも知れず。

 摂津池田が三好方なんじゃないかとなったとき、あいつは一瞬だけあきらめてしまったんじゃないだろうか。

 もう、疲れたって。

 だから、軍議は任せっきりだったんじゃないだろうか。

 でも、マタザに求められたのだった。おやかた様のご了見は、と。

 サンザや池田紀伊守に求められたのだった。決めてくれって。

 信長は腰を上げなければならなかった。疲れただなんて言えるはずもなかった。

 織田信長をやめることはできないから。

 一つだけわかっているのは、勝てばすべてがおさまるということ。

 親分は決断したのだ。

 わざわざここにやって来た信長の表情は、それを物語っており、減らず口と気色悪い笑い声はいつもの親分だったのだ。

 山間から吐き出るように湧いて出てきた浅井方の先陣が、泥を撥ね飛ばして、泥を鳴らして、舟橋に差し掛かってきている。

 もしも、ここで死んでしまうなら、おれには心残りが一つだけある。

 信長が遺言を求めてきたとき、おれは本当は違うことを言いたかった。けれども、そればかりは、さすがに言えなかった。

 本当に言いたかったのは、

 川岸に火縄銃を五百丁も並べ揃えているのはおれのおかげだろう。

「鉄砲衆うっ! 放てえいっ!」

 クローザの采配が振り落とされて、銃声が迅雷のごとく沸き起こった。

 川岸がたちまち硝煙のもや――もはや雲の中のような広がりようを見せる。

 五百丁の破壊力はすさまじかった。

 切れていく硝煙とともに対岸に見えてきたのは、今しがた襲いかかってきた数十名の者たちが、一瞬にして、呻きと無言の肉塊になって、泥濘に人柱となっている光景だった。

「火縄を挟めいっ!」

 新たな盗馬に跨るさゆりんが、新たな盗品の太刀を振り上げた。

 敵方は、死体を、負傷者を、踏んづけてでも押し寄せてくる。

 太鼓を打ち鳴らしてくる。

 黒鎧の波状となって泥塊を飛ばす。舟橋に寄せてくる。

 振り向けば、織田の軍勢は、八相山のふもとで、まだ列を成している。

「構えいっ!」

「構ええっ!」

「構えいっ!」

 太郎が頭上でくるくると槍を旋回させた。

 百に及ぶ槍の穂先が陽光を丁字に結んだ。

 ハンザの研ぎ澄まされた眼差し。

 理介の開いた瞳孔、不敵な笑み。

 シロジロの瞳は血走っており、ねじり鉢巻きの唇は押し曲げられており。

 敵方は雄叫びを上げながらぞくぞくと舟橋を渡ってき、日差しは目覚めの朝のものから、地上の息吹を包みゆく朝のものへ。

 おれは瞼をしかめるようにして細めた。

 さゆりんが太刀を振り落とす。

「撃ていっ!」

「撃てえっ!」

「撃てえっ!」

 沓掛鉄砲隊の銃口が火を噴く。舟橋を渡り切ってきた敵方へ、七十発の銃弾が注ぎ込まれる。

 舟橋から押し寄せてきた波が弾け飛んだ。

 と。

「突撃いっ!」

 二重のまぶたを切り上げて八重歯を剥いた太郎、右手から振り下ろされた槍の穂先が一直線に指し示す。

「おおっ!」

 硝煙のかすみを切り裂いて、一斉に駆け出す兵卒たち。

「うちの組の手柄じゃあっ!」

「百貫文寄越せえっ!」

「雑魚はどけやあっ!」

 銃弾の餌食にならずとも、泡を食っていた敵方へ、槍が振り落とされる。突き出される。獰猛な生への願望が剥き出される。

 さらには、理介が悪鬼の形相で、馬上から大槍をぶん回して、ひとまとめに薙ぎ払えば、奇声を上げながら槍を回してひっくり返し、

「どうしたあっ! 怯えたかあっ!」

 さらに反対に振るってひとまとめに薙ぎ払ってしまう。

 と。

「何をおっ!」

 理介に向かって突っ込んでいく敵があった。

 一閃、クロスケが吹っ飛ばした。敵兵は空中に吹っ飛んでいって、川に飛沫を上げた。

「我ら尾張簗田勢っ! ここは一歩も通さんっ!」

 太郎の槍が首を掻き切る。クロスケの前脚が踏みつけてしまう。

「鉄砲衆うっ! 放てえいっ!」

 クローザの声が飛んだ。

 おびただしい数から起こった銃声がすべての怒号を打ち消す。

「か、勝てる――」

 と、シロジロが、舟橋をまったく渡ってこられないでいる敵方の様子を前にして、ほのかに笑みを浮かべていた。

 おれは眉間をしかめる。

「まだだ」

 八相山のボンクラどもが、まだ退却できていない。

「殿軍はこっからだ」


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