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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第七、三章 征野、果てしなく
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甲賀の兄妹

 もしも、シロジロの団子屋がもぬけの殻であったならば、すぐにでも全国に指名手配の触れをばら撒いてやる。

 デブの三河はもちろんのこと、京の政務を預かっている村井民部のジジイ、奈良の弾正ジジイ、堺のイマイにタナカ、その他各所の馬借屋にでも人相書きを配って歩き、あいつの立ち寄りそうなところは、すべて隈なく検問所にしてやる。

 もしも、変わらずに呑気に団子を売りさばいているならば、すべてぶっ壊してやる。クリツナを突撃させてめちゃくちゃにしてやり、シロジロの首はクニツナで斬り飛ばしてやる。

 あばずれ小娘は――。

 クソが。あいつは忍びだから捕まえきれん。

「チクショウッ!」

 加納の目抜き通りをクリツナでかっ飛ばしてきた。

 どけどけと喚き散らしながら、練り歩く町人どもをのかしていく。シロジロのバカがままごとで経営している団子屋までやってくる。

 手綱をぐっと引き上げて、クリツナを止めた。

 ふざけやがってっ!

 ――。

 はて。

 馬上のおれは辺りを見回す。

 以前と様子が変わっている。土壁商家が軒を連ねる町並みは同じだが、一軒の店に長い行列があった。

 行列の元手はシロジロの団子屋のはずだ。

 が、シロジロの団子屋は三十人ばかしが列を作るような店ではない。

 チッ。おれが出払っているあいだ、やはり潰れたか。

 だから、寄進札を前倒ししたのだろう。さゆりんと密通して。

 甲冑を着込んだ騎馬武者が怒涛の勢いでやって来たものだから、通りは騒然としてしまっている。

 若い娘は怯えながらおれに注視しており、何かの店に行列を作っている輩の中には、腰を抜かしてしまっているジイさんまでいる。

「なんでもない。おれは織田の武将だ。敵じゃない」

 クリツナが首を上下に振って暴れているさなか、おれは手綱を引き回してクリツナの鼻面を来た道に戻した。

「簗田さんっ」

 逃げようとしたところ、黄色い声がどこからか飛んできて、誰かが草履を鳴らしてクリツナに駆け寄ってきた。

 知り合いにまずいところを見られてしまったと、苦々しく何者かを確認して振り向いてみたら、

「久しぶりっ。どうしたの、そんないくさ装束で」

 おれは固まった。

 黄色い小袖が初夏のまばゆい日差しに包まれている。玉のようなつぶらな瞳を輝かせてくるのは、この世でもっとも顔を合わせたくないチヨタンであった。

「や、や、や、やあ……」

「クリちゃん。大きくなったね」

 入れ込んでいるクリツナを臆せずに、チヨタンは首を撫でる。

「寧々様から聞いたよ。沓掛のみんなと敦賀で大活躍だったみたいね」

「あ、う、うん、そ、そうかな」

「それに比べて山内ときたら。京でお留守番だったんでしょう? もう。簗田さんから叱ってやってくださいな。どうしていくさ場に名乗り出ないんだって」

 顔を上げてくれば、笑顔が爛漫とこぼれ、弾けるような若さはあのころとちっとも変わらない。

 それがまた狂おしい。

 チヨタンの言葉は、戦国乱世にそびえ立つ巨大なウンコを夫にしていることを紛いなく示しており、忌々しい、腹立たしい、憎々しい、しかし、チヨタンの可愛らしさは残酷すぎる。

 おれは、息を大きく吸って、大きく吐いて、愛想笑いで平静を保った。

「もはや、おれは関係ない」

 そうしたら、チヨタンは唇を尖らせて、

「そんな寂しいことおっしゃらないで」

 ぐうう……。

「ね、クリちゃん?」

 チヨタンに撫でられているせいなのか、クリツナはすっかり狂気をおさめており、チヨタンの問いかけに首を大きく動かす。

「あ、あの、おれ、ちょっと急いでいるんでさ、悪いね、うん」

「左衛門太郎様とあいりちゃんの御子、男の子だったらいいね」

「そ、そうだね。うん、そ、それじゃ」

「気をつけてね」

 チヨタンは気軽に手を振ってきて、おれの気分は破茶滅茶である。

 ただ、手綱を振ろうとするも、ふと思いついて、チヨタンに訊ねてみる。

「そ、そういや、ここの行列の先の店って、昔、団子屋だったところだよね」

「ここ? このみたらし団子? 昔って、今もそうだよ」

「えっ?」

「このお店って、簗田さんの知り合いの人がやっているんでしょ? あいりちゃんから聞いたよ。すごい繁盛しているから食べたいけど食べられないってあいりちゃんに言ったら、この前、あいりちゃんが遊びに来たとき、お土産に持ってきてくれたんだ。いいな、簗田さんは。あんな美味しいお団子、いっつも食べられるんだから」

「ええっ?」

「あ、まずいこと言っちゃったかな……」

 おれがぽかんとして行列の元手の店を眺めていれば、チヨタンは舌を出し、

「今のは聞かなかったことにしてネ!」

 屋敷町のほうへそそくさと去っていった。

 ど、どういうことだ――。

 おれはクリツナから飛び降り、口輪を握って、店を眺める。

 騎馬武者が突っ立ているものだから、行列を作っている輩が訝しげにおれを眺めてくる。

「どうしたんですか」

 行列の一人がおれに呼びかけてきた。小袖の裾をからげている職人風情の若者だった。

「い、いや」

 おれが何も答えないでいると、職人は首をかしげる。

 ここがシロジロの団子屋――?

 ただの団子のくせに、どうして、こんな行列が。

 みたらし団子は、もはや、加納では珍しくないはずだ。

 それとも、シロジロが目新しいものでも開発したのか。

 しかし、それは違った。行列ができているわけがほどなくして理解できた。

 店の中から、ものすごく可愛いおにゃの子が出てきたのだ。

「皆さん、ごめんなさい。今日はお団子は品切れになってしまいました」

「ええっ?」

 と、行列から野太い嘆息が漏れた。

「ごめんなさい。また明日お待ちしておりますので」

「なんだよ、もう」

あや・・ちゃん、店主に行っときなさいよ。もっとたくさん作っておけって」

「ごめんなさい」

 おにゃの子と連中の掛け合いを目の当たりにして、行列を成しているのが男ばかりだといまさら気づいた。

 加納界隈で働いているような奉公人やら荷役やら、鉄でも打ってそうな職人やら、家業を跡継ぎに丸投げしたようなジジイやら。

 どれもこれもが、甘ったるいみたらし団子のために並んでいるとは思えぬ塩気っぽい顔である。どいつもこいつも、あの、看板娘を目当てに並んでいるのだ。

 掌で転がしたいぐらいのおにゃの子だ。

 齢のほどは十五、六だろうか、背丈は小さい。

 髪は、色素の薄さで茶色がかっており、肩上で揺れる活発さであった。

 唇が柔らかく薄い。目許が二重にぱっちりと開いている。目尻が甘く垂れている。瞳が大きな玉のようである。

 いやはや――。

 加納でいちばんの娘だろう。

 さきほどのチヨタンも昔と変わらずべっぴんだったが、負けず劣らず、いいや、ウンコの嫁だという点で、あのおにゃの子とは雲泥の差だ。

 牛太郎おにゃの子ランクだと、彼女は一目見ただけで文句無しのAランクである。性格次第ですぐにお市様と並んでのSである。

 むむう……。

 おれは軍師半兵衛さながらに革手袋の右手を顎にかけ、輩に頭を下げているおにゃの子を眺める。

 もしも、本当にここがシロジロの団子屋であれば、おれの団子屋でもある。ということは、おにゃの子はおれの従業員である。

 つまり、トンデモ乱世にありがちな経営者の特権で――。

「あの、何か」

 おにゃの子が恐る恐るおれをうかがってきていた。

 行列はすっかり散り散りになっており、織田の武将が検査にでもやって来たと思っているのか、おにゃの子は不安げな顔つきである。

「ああ、いや」

 おれははつらつとした笑顔を見せて、クリツナを引きながらおにゃの子に歩み寄り、

「ここはナントカジマ四郎次郎の団子屋かな?」

「ええ。左様でございますが」

 間近にしてみると、おにゃの子は余計可愛い。斜視だった。左の黒目が若干ながら目許に寄っていて、それがまた愛らしい。

「それがしは簗田左衛門尉という者でございまして」

「えっ? 簗田様でございますかっ?」

「左様」

「そ、そうでございますか」

「シロジロはいるかね」

「は、はい」

 おれが名乗った途端におにゃの子の表情が陰ったのがちと気になるが、まあ、経営者を前にしたらそんなものだろう。

 いや――。

 それはいかん。おれが経営者と、おにゃの子はどうして知っていやがる。

 表向き、団子屋はシロジロが勝手にやっていることだ。おれはなんの関係もねえ。

 じゃないと、武将のおれが銭儲けをしているとなって、火縄銃を調達したときのように、バカどもに糾弾されちまう。

 ぺらぺらぺらぺら、あの野郎はいつだって約束を一つも守れやしねえ。

 約束どころの話じゃねえ。おにゃの子の可愛さでうっかり忘れていたが、シロジロは勝手に寄進札を開催したのだ。

 夜逃げしてねえってことは、おおかた、後付けでおれに話すつもりなのだろう。団子屋を勝手に始めたときもそうだ。

 おれの許可もなしにこういう勝手な振る舞い。

 ましてや、こんなひまわりのようなおにゃの子をおれに紹介せず。

 おれはクリツナの手綱を軒の柱に括ると、おにゃの子のいざないで中に入った。

 と。巨体のスキンヘッドが目に飛び込んできて、おれは思わず後ずさり。

 縁台を拭いていたが、そんな真似がまったく似合わない面構えである。

「何用でございますか」

 ドスのきいた唸り声でおれを威嚇してき、右の頬の刀傷がさらなる暴力性をひけらかしている。

 ただの店員じゃない様子だが、シロジロの野郎は生意気に用心棒を雇っているのか……?

「兄様、こちらは簗田様で」

「や、簗田様っ?」

 途端にスキンヘッドは直立不動に腰を伸ばしたが、ハッとしたのはおれのほうで、おにゃの子と用心棒とをどう見比べても、彼らが兄妹にはまず見えない。

 目許が似ていなくもないが、用心棒のタコはおにゃの子の倍ぐらいは背丈がある。肉体派である。

 シロジロをぶち殺したくても、こいつが本当にシロジロのボディガードであれば、とてもじゃないが返り討ちだ。

 そこへ、容疑者がのこのこと厨房から出てきた。

「あっ、旦那様っ。お帰りになられたんスか?」

 おにゃの子の可愛さと用心棒の凄味に萎えていたおれだったが、シロジロのとぼけたツラを視界にしたら、カチン、と、来た。

「なんだテメーっ! よくもそんなくだらねえ顔でいれんなゴラァッ!」

 おれは抜刀した。

 ところが、タコはやはり用心棒であった。懐からすかさず短刀を抜き取ってき、逆手で握っておれに構えこんできたのである。

 クニツナを握り締めるおれだが、へっぴり腰になった。

 というのも、その構え、見覚えがある。

「な、なんだ、テメーっ! ま、まさか、テメーは甲賀流かっ!」

「お察しいただけたならば、その刀をおさめてくだされ。いくら簗田様とはいえ、四郎次郎様は命の恩人、簗田様と四郎次郎様を天秤にかけるならば、四郎次郎様のほうがはるかに重い」

「な、な、なんだとお? ど、どういうことだっ! シロジロっ!」

 シロジロは両手をかかげて震えるばかり。

「こ、これには事情があるんス。旦那様が帰ってきてからお話しようと思っていたんス。決して、あっしは旦那様に背いたわけじゃないんス」

 そんな戯れ言なんて体を二つにして黙らせてやりたいところだが、用心棒がただならぬ殺気を放っているので、おれは仕方なしにクニツナを鞘におさめた。




 シロジロを土下座させて白状させたところ、やはり黒幕は吉田早之介こと、あばずれ小娘だった。

 用心棒は偽名だかなんだか、大石新七郎と名乗り、おにゃの子は正真正銘の妹で、あや・・という。

 二人とも孤児で、さゆりんと同じように甲賀流に育てられたらしいが、忍びの仕事に嫌気の差した新七郎が、甲賀流の頭目に脱退したい旨を話した。

 すると、三百貫文を払えば勘弁してやると言われたそうで、そんな大金を持ち合わせているはずがないから、元同僚のさゆりんに相談し、

「吉田殿の紹介で、四郎次郎様にお会いしました」

 四郎次郎は吉田早之介の口車に乗せられ、三百貫文を用意すべく寄進札を開催し、新七郎と天使のあーやが甲賀流から抜け出すために肩代わりした。

 で、甲賀流を脱退したものの、行く当てもない。さゆりんの薦めもあった。なもので、新七郎とあーやはシロジロの団子屋で働き始めた。

 話がおかしい点があるが、それはあばずれを取っ捕まえて聞き出すとして、

「だったら、どうしておれに黙っていやがったんだ」

「よ、吉田殿が言ったんス。だ、だ、旦那様はどうせ反対するだろうから、じ、じ、じ、事後承諾でいいって」

「ふざけんじゃねえっ!」

 ブチ切れて縁台を蹴飛ばす。

「さゆ――、早之介はどこに雲隠れしていやがんだっ! 連れてこいやあっ! ふざけんじゃねえっ! だいたい、テメーっ、わかってんのかっ! あーっ? その三百貫文はおれのカネだぞっ! そんでもって残りの五十貫文はどこにやったんだコラァッ!」

「そ、それは、お屋敷の旦那様の、へそくり床に隠してあって――」

「なんでテメーがへそくり部屋を知ってんだっ!」

「よ、吉田殿が教えてくれたんスっ!」

 ふ、ふ、ふ、ふざけやがってえっ!

 なんなんだ、あの小娘えっ! いつのまにおれの身の回りのすべてを把握していたんだっ!

 おれの心をもてあそぶどころか、おれの財布にまでずかずかと手を突っ込んできやがってっ!

「許さんっ!」

 おれは腰を上げると、じっとおれを見つめてくるばかりだったタコ新七郎と、唇をぎゅっと塞いでしおらしく見つめてきていた可愛いあーやを眺めていき、そうして、首を垂らしているシロジロに吠え立てた。

「団子屋は今日でしまいだっ! おいっ! 新七郎っ! お前は沓掛勢の兵卒になれっ! ――で、あーやは簗田家の女中ね? わかった? いやあ、近頃、女中が息子の嫁さんになっちまってさあ、人手が足りないんだよねえ」

「そんなっ! こんなに繁盛しているんスよっ! それにお女中だって、おかつさんってのが――」

「黙れっ! こそこそこそこそやりやがって。テメーはおれが岐阜を留守にしているあいだ、いっつも何かしら勝手にやっているじゃねえかっ! 違うかっ! そうだろうがっ! そういうコソドロ根性は、足軽兵卒になって叩き直せっ! テメーも今日から沓掛兵卒だっ! わかったかっ!」

「団子屋をやれって言ったのは旦那様じゃないッスかあっ!」

「だったら今日をもってやめろ。おれにやれって言われたんなら、おれにやめろって言われてやめろ」

「そんなあ」

「そんなあじゃねえっ! テメーって野郎は本当にお門違いもはなはだしい野郎だな。テメーが呑気に団子をこねているあいだにな、主人のおれはどんな思いでいたか。あーっ? 生きるか死ぬかのいくさ場だったんだぞコラァッ! 敦賀で沓掛の兵が百人死んだんだぞっ! テメーも簗田家の人間なら団子なんかこねてねえで、死に物狂いで働けやっ!」

「あっしが兵卒になっちゃったら、寄進札だってできなくなっちゃうじゃないッスか」

「む……」

 さすがに躊躇した。三百五十貫も利ざやをハネているわけだ。年にたった二回の開催で七百貫文も儲けられるわけだ。箕作城攻めで苦労して勝ち取った所領が九之坪五百貫なのである。

 しかし、どこかでしたり顔でいるシロジロの姿勢が気に食わん。

「ふざけんな、うつけ野郎。テメーはおれを裏切ったくせして、何を正当化させていやがんだコラ。首から上だけ撥ね上げられねえだけでも感謝しやがれ。寄進札なんてな、どうせ、テメーがいなくたって願福寺の連中が勝手にやるんだ。小坊主を増やしていたじゃねえか。テメーなんかお払い箱だ。テメーはおれを裏切った代償として、いくさ場で死ねっ!」

「あっしは槍なんて持てないッスよおっ!」

「そういうことを言ってんじゃねえっ! テメーのその腐った性根を叩き直せやコラァッ!」

「お、恐れながらっ!」

 と、急にタコが、おれとシロジロのあいだに割って入ってき、おれの足下にひれ伏した。

「四郎次郎様の口が出すぎているのは確かでございますがっ、四郎次郎様が簗田様に背いたのは俺たち兄妹が原因でございましてっ、俺が足軽になりっ、あやが奉公に上がらせてもらうっ、それでどうかご容赦いただけないでしょうかっ。四郎次郎様には引き続き商売のほどをっ」

「バカ言ってんじゃねえ。こいつがおれの預かり知らぬところで勝手な行動を犯すのは、今に始まったことじゃねえんだ。三百五十貫文を勝手に使っちまったことは、お前と、あーや、それを引き入れたってことで勘弁してやる。おれは器の大きい武将だからな。ね、あーや。今まで大変だったね。でも、これからはうちの優しい奥さんとかお嫁さんが守ってくれるよ。――だがなっ! シロジロっ! テメーは何もわかっちゃいねえ。まずは初心に帰れコラッ! テメーも拾われた身だろうがっ! 恩を仇で返すってのはこのことだっ! 好き勝手やっているのもおれのおかげだってことを思い知れっ!」

「でも、ここの売り上げだって旦那様のために――」

「そんなのはどうだっていいんだっ! カネカネカネカネっ! テメーの頭ん中はカネのことしかねえのかっ! もういっぺん言ってみろコラ。そんときゃ本当に三河殿の前に叩き出してやるからな!」




「今日からテメーはおれの口輪取りだ。鉢巻きは太郎に預けるからな。わかったか」

「そんなあ……」

「クリツナ。気に食わなかったら、シロジロを蹴飛ばしたっていいんだからな」

 背中から語りかけると、クリツナは首を大きく上下に振って、口輪を取るシロジロをもてあそび、さすがは名馬、おれの意思を理解している。

 あーやを女中にすべく、タコ兄貴ともども引き連れていく。

 当然ながら、梓殿やあいりんに会ったことがないというので、紹介しなければならん。

 その後、新七郎は願福寺に押し込めて終わりだ。

 三百貫文を勝手に使い込んだことは許せん事態だ。

 が。

 物は考えようでな。フヒヒ。三百貫文であーやという上玉をおれのお背中流し係にしたと思えばいいってこった。

 むしろ、こんな可愛いおにゃの子で、願ったりかなったり。

 おにゃの子欲しさで奴隷を買うと、梓殿がブチ切れるに違いないが、吉田早之介の知り合いの貧しい兄妹であれば、梓殿が機嫌を損なうこともない。

 鬼神と一つ屋根の下にあーやを住まわせてしまうと、お背中流しは不可能だが、いずれ別宅を立て――。

「そういや、早之介は来てねえのか。あいつ、逃げたんじゃねえだろうな」

「姐さんは逃げるような人ではございませんから、きっと、何か用事があって」

 あーやが大きな瞳を持ち上げてきたのだが、ねえさん?

「阿呆っ」

 新七郎があーやをつま先で小突いた。「あっ」と、あーやは口を塞ぐ。

 シロジロはぽかんとしてあーやを見やる。

「おいコラッ! よそ見してんじゃねえっ! ちゃんと口輪を引けやっ!」

「す、すんませんッス」

「てか、やっぱり、お前は先に屋敷に戻れ。いいから戻れ」

 クリツナの馬上からシロジロの頭を蹴飛ばして駆け出させると、おれは下馬し、口輪を新七郎に取らせた。

 おれは兄妹にたずねる。

「まさか、さゆりんとも血が繋がってんのか」

「いえ。あやが姉御としているだけで」

「おかしな話が一点ある。さゆりんは甲賀流を脱走してきたって言っていたはずだ。追われの身だとも言っていた。それなのに、どうして甲賀流に在籍していたお前がさゆりんと接触できたんだ」

「それは――」

「兄様が姐さんの追っ手だったからです」

 と、あーやが言って、新七郎が睨みつける。あーやは口をつぐむ。

「隠し事してんじゃねえ」

「申し訳ございませぬ。ただ、いきさつはさゆりから聞いてくだされ」

「あいつはすぐに嘘をつくから駄目だ」

 しかし、新七郎はスキンヘッドを光らせてうつむいてしまうので、おれはそれきりやめた。


 屋敷町の目抜き通りをやって来て、我が家の門前を目の前にすると、疲れがどっと湧いて、思わず肩から息をついてしまう。

 長いあいだに渡って生きるか死ぬかでやってきて、帰ってきたと思えばこのいざこざである。帰ってきた喜びよりも、あらゆるものが過ぎ去っていった切なさよりも、全身を痺れさせるのはくたびれだった。

 兄妹とともにクリツナを連れて庭に入っていくと、梓殿が見知らぬ女を脇に従えて縁側に両膝をついていた。

 おれが入ってくるなり、

「遅いではないかっ」

 と、眉をすぼめながら腰を浮かせてき、どうやら待ちわびていたらしい。

 普段なら縁側で仁王立ちしているだけだが、梓殿は草履を突っかけて下りてきて、人目も憚らず、おれの桶側胴にすがりついてきてしまう。

「諸所の奥方殿から聞いたぞっ。大変ないくさ場であったそうではないかっ」

「い、いや、まあ――」

 梓殿が持ち上げてくる瞼の中が潤みに満たされているものだから、意外な取り乱しようにおれはどうにも恥ずかしくなってしまう。

 引き連れてきた新七郎もあーやも棒立ちしてしまっているし。

 クリツナは勝手に馬屋のほうへ歩いていってしまったが。

 おれは梓殿をなだめながら縁側に腰を落ち着かせ、ところで、こっちの平伏している女は誰なのか訊ねると、手紙にあったおかつ・・・らしい。

 予想どおりの無味乾燥なオバサンである。

「勝手ながらお仕えさせて頂いております。ご不便のないよう務めて参りますので」

「ああ。まあ、そんなにおれには気にせずに。梓殿やあいりんの周りの世話をしてやってくれ。と言ってなんだが、太郎とあいりんを呼んできてくれねえか。あと、シロジロのバカを。あいつどこに消えてんだ、まったく」

「そちらの者たちはどちらの方じゃ」

 と、梓殿が視線を配ると、新七郎もあーやもすかさずその場に片膝をついたけれども。

 新七郎はともかく、あーやのそれも堂に入っていたのが、なんだか気にかかる。

 まさか、あーやも忍びとして訓練されたのだろうか。新七郎のただの妹ではなく。

「こいつらは、その、吉田早之介の知り合いで」

 言っているそばから太郎とあいりんがやって来て、そうして、そのあとに続いてシロジロが首を垂らしてやって来た。

「テメー、この野郎。太郎に相談してやがったな」

 おれは縁側に駆け上ってシロジロの髷を引っ掴む。

「痛いっ、痛いっスよっ!」

「父上っ!」

「旦那様っ!」

 太郎とあいりんに捕まる前にシロジロを庭に引きずり下ろし、ぶん投げ捨てる。

「ふざけんじゃねえっ! この野郎っ! テメーはどこまで腐り切っていやがんだっ!」

「何を乱暴しとるんじゃっ!」

 ぐっ……。

 さっきまでおれに甘え通しだったってのに、梓殿はすっかりデザイアの気配を漂わせ、おれは殴りたさを我慢して、吐息を震わせた。


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