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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第七、三章 征野、果てしなく
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落窪合戦

挿絵(By みてみん)

 長光寺城の包囲は解かれた(おれが悪口を言っていたか、理介の嘘なのかは保留となってしまったが)。

 ただし、湖岸各地で蜂起した一揆勢が、野洲川岸辺の落窪城に、ぞくぞくと集結している。

「その数は三千とも四千とも」

 吉田次兵衛のオッサンの深刻な顔つきは相も変わらず。

「恐れながら、柴田様」

 と、太郎が言う。

「このまま放置しておくのはよろしくないのでは。地侍どもが集まって大きくなってしまうと、南近江の諸勢力が六角方になびきかねません」

「しかし――」

 長光寺城大将のゴンロクは、腕を組んで悩み込む。

 おれとか理介には怒鳴りつけるというのに、どうしてだか太郎には甘い。

「永原城の佐久間殿が静観すると決めているゆえ」

「長老は日和見主義なのですわ。叔父御から強く申し上げるべきですぞ」

「お前は黙っとれっ。うつけ者め。理介。お前はそもそもな、蟄居処分に値するのだぞ。ならば、口ぐらい塞いでおけ」

「とはいえ、事態は一刻を争うかと。何も手を打たないわけには」

「うーむ、しかし」

 理介が言うと眉毛をしかめる。太郎が言うと眉毛をすぼませる。

 まさか、おホモだちじゃあるまいし。

 ゴンロクってのはわかりづらい性格のようでいて、わかりやすいバカである。

 好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。

 信長が機嫌が良いと愛想笑い、機嫌が悪いと猫みたいに縮こまる。

 これでよくもまあ重臣をやっていられるもんだ。

「なんだ、野良牛。そのツラは」

 と、ヒゲゴリラがおれに眼光を飛ばしてき、急に八つ当たりを初める。

「いやっ。いつもの面構えッスけどっ」

「柴田様。皆々方の手前、父上をそのようにお呼びされるのは」

 すかさず、太郎が顔を覗かせると、ゴンロクは眼光をふいと和らげてしまう。

「そうだな」

 こいつだけは、マジで――。




 マリオもストレスの溜まる野郎だったが、ゴンロクの比じゃねえ。

 トラブルメーカーの理介もいる。

 さっさと長光寺城から脱却し、柴田勢とおさらばしたい。

 ところが、総大将の長ヒゲ佐久間には、ゾンビの六角とやり合う気がないようで――。

 が。

 長光寺城に詰め込まれて十日と幾日が経った。

 暦も水無月(六月)と変わったある日のこと、諸将を前にしてゴンロクが言ったのである。

「佐久間殿から伝令が飛んできた。明朝、我らは長光寺城から打って出、佐久間勢とともに野洲河原に着陣、落窪城攻めだ」

 急な展開に諸将は顔を見合わせる。

 いくさを煽っていた理介すら唖然としてしまっている。

 日和見長老が、急にどうしたものか。と、不思議に思っていたら、夕飯どき、太郎と二人きりになって謎がわかった。

 クソヒゲゴリラのゴンロクは、太郎だけには真相を漏らしていたそうで。

「岐阜に帰陣されたおやかた様から、永原城に早馬が飛んできたそうです。江南から一揆勢を一掃し、佐久間様並びに柴田様は、早急に岐阜に帰陣せよと」

 信長にケツを引っぱたかれたわけだ。

「なんでも、半兵衛様が調略しているようで」

 東山道を遮断されてしまっている我ら織田勢だが、その美濃と近江の国境の所領主が、坂田郡の堀二郎である。

 堀二郎といえば、長丈城たけくらべじょうの樋口三郎左衛門のオッサンであった。

 おれが小谷城を訪問したとき、同行し案内してくれたあの目つきの鋭いオッサンは、堀二郎の家来筋である。

 菩提山の半兵衛とは、旧知の間柄だと言っていた。

「南近江で六角方が暴れ回っているあいだは、坂田郡の堀二郎も織田になびけねえってわけか。北近江と南近江のちょうど中間だから」

「おそらく」

 坂田郡が織田方となれば東山道ルートは復旧する。

 そうともなれば、岐阜に帰れる。沓掛に戻れる。

 そして、この忌々しい柴田勢からおさらばできる。


 しかし、翌日、間の悪いことにざんざんぶりの雨だった。

 梅雨にはまだ早かろうに、お天道様は鉄砲を使わさせてくれねえと来たもんだった。

 弓と槍に装備を代えた鉄砲隊を引き連れて、長光寺城の山を下っていく。

 太郎がクロスケを小走りに歩ませながら、早之介やハンザに伝えた。

「敵方は城に入りきれず、河原に張り出している。それを蹴散らせば城を落とすにはたやすいはずだ」

 柴田勢のあとに付いて野洲川までやって来る。

 長ヒゲ佐久間の軍勢は、すでに永原城から河原に着陣しており、白吹貫しろふきぬきの馬印が雨に濡れそぼっていた。

 灰色の川の流れに沿って、向こうでは具足の集団が薄墨の景色となっている。

 兵卒の数は、佐久間勢と柴田勢を合わせて五千ほどか。六角のゾンビが四千ならば、ほぼ五分だろう。

 法螺貝が鳴って、開戦と相成った。

 長ヒゲ佐久間には戦術とかそういう頭がないのか、指示は正面から押し寄せていくだけである。

 烏合の衆に近い敵方も、正面から迫り寄せてくるだけである。

 とはいえ、織田勢は必死度が高い。

 信長に催促されている長ヒゲ佐久間もゴンロクも、普段のいくさでは後方で指揮しているだけなのに、

「ここが正念場よっ! 押せっ! 押すのだっ!」

「ここで怯んで自領に帰れると思ってかっ!」

 と、二人とも前線近くまで張り出てきていた。白けてしまうぐらい、馬上から兵卒たちを鼓舞しているのだった。

 打ち付ける雨を縫うようにして矢が飛び交う。

 敵味方入り乱れつつ槍を交錯させ、取っ組み合いの様相を呈している。

 しかしながら、

「野洲川を渡って側面に回り込みましょう」

 と、にっちもさっちもいかない取っ組み合いを見かね、太郎が提案してきた。

「水かさが増えてんじゃねえのか。渡れんのか」

「雨で視界が悪くなっており、対岸が見て取れません。これを利用する他ありません。強行しましょう」

 バカどもに任せておけないおれは、意を決してうなずいた。

 太郎は、白地に雁金かりがねのゴンロクの大将旗のもとへ雑兵を走らせた。ややもして、雑兵がゴンロクの採択を持ち帰ってくる。

 沓掛勢は一度いくさ場から抜け出、落窪城に背を向けて、野洲川の上流方面に雨弾をかき分けて移動していく。

 野洲川は幅広ではあるが、甲賀の山から運ばれてきた土砂で中洲が点在している。

 さすがに流れはきついが、水かさは兵卒たちの腰までで、足下に気を配れば川を渡れた。

 クリツナであれば悠々とであった。

 しかし、渡川したものの、悩みどころはどこから側面を叩くかであった。

 落窪の平城を誰か作ったのだかは知らないが、さすがに川の浅瀬沿いに城を築くはずもないわけだ。

 河原に張り出していた敵方も馬鹿じゃない。側面を叩かれないよう川の深いところを脇にして陣取っている。

 打ち付ける雨の縫い間、黒いかたまりの入り乱れている様子が見え隠れし、太鼓の鳴りと怒号も対岸から聞こえてくる。

 手前の川水は幅いっぱいにたっぷりと押し流れている。

「若君、無謀では」

 徒歩のさゆりんがさすがにたしなめた。

 しかし、太郎は対岸に向けて瞼を切り結んだまま、小難しいことを言う。

「古来、源氏武者は宇治川にしても藤戸にしても、これしきの流れなどものともしなかったのだ」

「騎馬武者と足軽を比較してはいけません」

 そう言って、さゆりんは、クリツナやクロスケの足下から、おれにちらっと目を向けてくる。

 あんたが引き止めいや、とでも、言いたげである。

 おれは顔をしかめて、悩んだ。

 ずぶ濡れの烏帽子が、尾っぽのようにして雨滴を垂らす。

 さゆりんが杞憂するように、川の深さが読めない。流れも早過ぎる。

 一方で、太郎の言うようにここで決しなければ、いくさは取っ組み合いを続けるだけだ。決着もつかん。

 おれはさっさと柴田勢からおさらばしたい。

 それに、信長にケツを叩かれている長ヒゲ佐久間やゴンロクが、焦燥に駆られ、それこそ無謀な指揮を始めないとも限らない。

 すると、

「拙者が先んじて行きますっ」

 ハンザが名乗り出てきた。

「拙者の姿が川面に埋まってしまえば渡れませんが、拙者が無事に向こう岸にまで辿り着けたら皆も渡れるはずです」

 陣笠を被るハンザの顔に、死相はまったく浮かんでいない。

 無論、人相占いのできるおれではない。しかし、ハンザは意気込みすぎてもおらず、悲壮感旺盛でもなくて、その平たい顔は、純度の高い野心に澄んでいたのだった。

 おれはうなずいた。

「なら、行け。それでも、まずいと思ったらすぐに引き返せ」

「かしこまりましたっ」

 ハンザは槍を手にしたまま、河原から川面へと足を踏み入れていく。

 注ぐような雨。

 三途の川でも渡っていくようなハンザの後ろ姿を、おれも兵卒たちも固唾を呑んで見守る。念仏さえ唱えている奴もいた。

 それでも、川底に槍を突き刺しながら進んでいくハンザは、川の中ほどに差し掛かると、胴丸の胸まで川に浸からせながらも、こちらに体を向けてき、槍を高々と振るった。

 太郎が鞭をびゅうっと振り上げた。

「者どもっ、行くぞっ!」

 飛び跳ねながらのクロスケを先頭にして、二百人の兵卒たちは二列になってゆっくりと進んでいき、鉢巻きに口輪を引かれてのクリツナものそのそと進んでいく。

「あわてるな! 一歩一歩、確かめるように進め!」

 おれが列の傍らに寄り添って兵卒たちを叱咤激励するものの、クリツナは四本足をすっかり浸からせているというのに、呑気に首を上下に動かし、川面に飛沫を上げて遊んでいる。

「クリっ。やめろっ」

 鉢巻きに叱られても、ブルルと鼻を鳴らして川遊びに夢中でいる。

 一方のクロスケはというと、すでに浅瀬に上がっていた。

 漆黒の巨体を振るって水を跳ね飛ばし、目を血走らせてすっかり入れ込んでいる。

 一人とて流されずに、脛まで浸かる浅瀬まで到達すると、太郎がクロスケを乗り回しながら兵卒たちを三列横隊に整えていく。

 各々、槍を突き出し、弓を構え、おれも刀を抜いて取ったが、

「殿は後方から後押ししてくれればよろしい」

 さゆりんがクリツナの前に立ちふさがってきた。

 太郎が槍をくるくると回したあとに、雨墨の景色となっている敵方へ穂先を据え下ろす。

「突撃っ!」

 号令とともに、駆け出した。中でも抜きん出ていったのはやはりクロスケで、真っ黒な馬体を弾丸のようにして雨を切っていくと、

「お味方の援軍が参ったぞっ!」

 と、太郎がわけのわからないことを叫びながら、具足の群れへと跳ね飛んでいく。

 うじゃうじゃと集まっている連中を一挙に薙ぎ払う。

 クリツナとクロスケは大して変わらんだろう、しかし、おれも太郎のように振る舞えれば。

 太郎とクロスケが敵陣を割っていくさまは、さながら暴風であった。

「若殿に続けっ!」

「俺らの敵じゃねえっ!」

 太郎に続いて、沓掛勢の突き立てた槍が敵方を次々と崩していく。

 前方ばかりにとらわれていた敵兵卒たちはいちようにして混乱した。

 弓兵が矢を飛ばす傍ら、さゆりんに行く手を塞がれて、おれは眺めているだけである。

 箕作山攻めに天筒山攻めで戦功を立て、敦賀退却戦の地獄からも生還してきた沓掛勢だ。一人一人がまったくもって強靭であり、百姓だか地侍だか、何に煽られていくさ場に出てきたのか不明な寄せ集めの集団は、相手にとって不足であった。

 さらに、突如として雨の中から現れてきたものだから、敵方は血が上がるたびに怖じ気づいた。

 逃げ出す者が続出し、それによって混乱は一層増した。

 取っ組み合っていただけの佐久間・柴田勢も、混乱に乗じて押し込んでき、相手が及び腰ともなると急に無類の強さを誇り始めた。

 次から次に敵方が倒れていけば、至るところで血飛沫が噴き上がり、ついに敵方は散り散りに逃げ出し始める。

 佐久間・柴田勢は、それでもなおのこと、敵の背中を斬っては突き刺すという容赦のなさであり。

 野洲川の河原が、折れた槍と死体だらけになったころには、落窪城に籠もっていた六角承禎が逃げ出したとの報が入った。

 どうせまた復活するであろうゾンビの行方に追手を差し向けるとともに、長ヒゲ佐久間とゴンロクは喜び勇んで落窪城に攻めかかる。

 相手は意気消沈しているというのに、逃げ遅れていた敵兵たちをめちゃめちゃに殺しまくっていった。

 戦後、評定で、長ヒゲ佐久間はご満悦であった。

「討ち取った数は七百か。六角承禎もこれに懲りて、我らに挑もうなどとは二度と思いもしないであろう」

「おやかた様の覚えも、さぞかしめでたきことでしょうな」

 ゴンロクがおどけるようにして佐久間に媚び、沓掛勢が敵陣を急襲したことなどすっかり忘れてくれてしまっている。

 諸将とともに列席しているおれは、なんとも言えない呆れた思いであり、さすがの太郎もおれを横目にして同意の眼差しなのだった。




 南近江の一揆衆を一掃した旨を岐阜に伝えると、早馬はすぐに飛んで帰ってきて、千草街道を選択して早急に岐阜に帰陣しろとの達しだった。

 坂田郡の堀二郎の調略はうまく進んでいないのだろうか。

 とにかくも、ようやっと岐阜に帰れる。

 おれたち沓掛勢は佐久間・柴田勢に付き従って、鈴鹿の山の険しい道を伊勢湾に向かって進んでいった。

 道中、取り立てて何も起こらず、伊勢に出ると、北上する。

 木曽川長良川沿いに進んでいって、岐阜に帰陣できたのは長光寺城を発って三日後のことだった。

 緑豊かに広々と渡る岐阜の景色が、涙が滲むぐらいに愛おしい。

 乱世とは無縁とも思えてしまう風が柔らかく吹き抜け、青い空には綿雲が悠然と泳いでいる。

 長かった。今回ばかりはどんな出張よりも長かった。

 いや、安堵するにはまだ早いか。

 兵卒たちを沓掛に帰すまでは終わらない。

「太郎。死んだ奴の家族には見舞金ぐらい出さねえと。それぐらいしかできねえけれど」

 ケチの太郎だが、それにはうなずいた。

「けれど、カネだけ渡してご苦労さんだなんてな。納得してくれるものかどうか」

「父上が膝を突き合わす必要はございません。一兵卒には組頭が、死んだ組頭には拙者が回ります」

「だけど、おれがふんぞり返ってんじゃ、虫がよすぎるだろ」

「大将として非情になるのも、父上のお務めです。そもそも、彼らに泣き叫ばれたら、父上は対応できないではありませんか」

 おれはなんとも言葉を返せなかった。

 兵卒たちを願福寺に押し込めるのはハンザとさゆりんに任せ、おれと太郎は信長に帰陣の報告に行かなければならない。

 いつもはマリオがやっていたから知らぬ顔でいたものの、ゴンロクの傘下になってしまっている。

 マリオに甘えていたような振る舞いが、ゴンロクに通用するわけにも行かず、ゴンロクや長ヒゲ佐久間、主だった将とともに千畳敷に出向いた。

 そうして、庭先に並んだわけだが。

「佐久間右衛門尉、仰せの通り帰陣を果たしてございます。天下のために、おやかた様のために、我ら、落窪攻めで七百の首を討ち取り、織田の不屈の将兵のさまを示した次第であります」

 縁側にそびえ立った信長の足下で、佐久間がぺらぺらと口上するも、

「だからなんだ」

 信長は唸り捨て、すこぶる機嫌が悪かった。

 実のところ、帰り道中に小耳に挟んだのだが、先に千草街道を下っていった信長は、途中、正体不明の奴から火縄銃で狙撃されたらしい。

 銃弾は袴をかすめただけらしく、おれに劣らず悪運が強いようで。

 とはいえ、敦賀の陣で一転して窮地に追い込まれたときから機嫌が悪かったのだから、佐久間のクソみたいな長ったらしい口上など、信長の怒りに油を注ぐようなもんだった。

 信長に長いこと仕えているくせ、どうして佐久間はそのへんをわかっていないのか。

「貴様らが六角の残党ごときを打ち払うは、当然のことだろうが。勝ち誇っているんじゃねえ」

 佐久間もゴンロクもしょんぼりと肩を落とす。

 おれは、バカどものしおれた加減が愉快でもあるが、信長の不機嫌さの矛先がいつおれに八つ当たりとなるか気が気じゃない。

「兵を休めろ。すぐに出陣だ」

 えっ?

 と、おれが声を出す間もなく、佐久間が腰を浮かせた。

「ど、どちらにっ」

「わからねえのか、あ?」

 この世にあるものは、すべて敵とでもみなしていそうな鬼の形相で、佐久間を射すくめ、不機嫌きわまりない足音で去っていってしまった。

 落窪で暴虐の限りを尽くしていた佐久間やゴンロクも、親分の機嫌の悪さの前に型なし、無言で千畳敷をあとにする。

「と、いうわけだ。いつでも出陣できるよう整えておくように」

 馬上の人となったゴンロクは太郎にそう言い残し、屋敷町へと意気消沈に消えていく。

 いや――。

 太郎がクロスケにまたがっていくが、おれは棒立ちしてしまっている。

 太郎に思わず訊ねてしまう。

「どうして、ゴンロク殿はおれたちの親分みたいに振る舞ってんだ」

「それはまあ、丹羽様がお戻りになられておりませぬし、柴田様の与力であるほうが筋は通っておりますし」

「次のいくさもゴンロク殿の手下か?」

「それはわかりませぬが、そういうことに気を揉んでおられても致し方ありませぬ」

「なんなんだよチクショウ」

「父上。あまり軽口を叩かないでくだされ。ゆえに虚言も虚言でなくなってしまうのです」

 おれはため息をつき、ねじり鉢巻きの補助でクリツナに跨がった。

 手綱を手繰って歩ませる。

「父上。どこに行かれるのです」

「願福寺だよ。早之介とハンザに伝えなくちゃならんだろ。いくさの支度を整えなくちゃならねえって」

「いや、それなら拙者が向かいます。皆が父上のお帰りを待っております」

「待っているのはお前のほうだろ。早くあいりんに顔を見せてやれ」

「い、いや、そんなもの――」

「風呂を焚かせておけ。すぐに入れるようにな」

 太郎と別れ、郊外の願福寺へと向かう。

 お父さんをやったところで、溜め息は尽きない。

 撫でやかな爽風も、胸にいっそう切なくなってくる。香ばしければ香ばしいほどに、心地よければよいほどに。

 帰ってきたという実感なんざ、失せてしまった。

「どうしたんだよ、旦那。やかた様にまた折檻されたのか」

「いくさだよ。また」

「ああ。そう」

 鉢巻きがあくびでもつくような声だった。

 クリツナは紋白蝶を頭に止まらせてしまうほど、のんびり歩きである。

「ああそうって、ずいぶんと呑気じゃねえか」

「今日はいくさじゃねえだろ」

 わけもなく言う。

 頭の構造を見てみたいというか――、鉢巻きのそういうところだけは、見習いたいものである。


 願福寺の境内で、野営の準備をしている兵卒の中にハンザを見つけ、近々また出陣となりそうなこと、明日にでも稲葉山に行って、陣中食を確保しておくようにと伝えた。

「そういや、早之介はどうした」

「あれ? さきほどまではいたのですが」

 それはもとより、願福寺に来たのは冬の終わり以来だが、何もなかったはずの場所に板葺き屋根の真新しい建物がある。

 寄進札の儲けで建てた本堂らしい。

 仏像が鎮座する中を覗いてみると、ちょうど住職のジジイがやって来た。

「簗田様。おかげさまで」

 雑巾でも着ていたようなジジイが、今じゃ綺麗な袈裟を羽織り、くたびれた梅干し頭が、もぎたての茱萸ぐみの実みたいになっていやがる。

「年末の寄進札で再建がかないました。これも簗田様のおかげでございます。先日も盛況でございまして、あの通り、今では孤児を育ててやれています」

 住職はそう言って、視線の先を離れの厨屋に向けた。

 小さい坊主頭が三人ほど、せっせと掃除をしている。

 が、住職の口は、聞き捨てならない言葉をついていたのだ。

「どういうことだ、先日も盛況だったって」

「へ?」

「へ、じゃねえ。寄進札を開催するのは夏と冬だけだろうが。先日っていつごろのことを言ってんだ」

「い、いえ、さきごろの皐月(五月)初めに。中島殿が、簗田様の申し付けで急遽催すことになったからと」

「なにい?」

「な、中島殿にはいつも通り、分配しておりますゆえ。拙僧どもに後ろめたいところはございませんので」

 住職が逃げ出そうとしているので、怒りのマグマが胸底にたぎってきたおれは、ジジイの折れそうな肩を掴んだ。

「おれの奉公人にはいくら渡した」

「三百五十貫文を」

 おれは本堂に背を向け、憤怒の歩みでがちゃがちゃと具足を鳴らしていく。二百人が集う沓掛勢の中に男装小娘の姿を探す。

 いない。

 鉄砲組頭を取っ捕まえ、

「早之介はどこだっ」

「吉田殿? いないですか?」

「ここまで一緒に来たのかっ」

「はい。さっきまでいましたけど、その辺で立ち小便でもしているんじゃないんですか」

 さゆりんが、立ちションしているわけねえだろうが……。オシッコしている姿なんて一回も見つけられたことなんてねえ。

 あのゼニゲバ野郎。

 忽然と姿を消してしまっているのは、シロジロとツルんで不当に儲けているからか?

 覚悟だのなんだのと敦賀であれだけ説教かましておいて、三百五十貫文を手に入れてトンズラしたのか?

 あばずれがあぁ……。

 まさか、シロジロの野郎まで。

 噴火寸前のおれは、鉢巻きの補助もなしに、怒りに任せてクリツナに飛び乗り、クリツナの腹を蹴飛ばした。

 クリツナがいななきながら前脚を持ち上げ、

「おいっ! 旦那っ!」

 兵卒たちとくだらねえ話をしていた鉢巻きがすっ飛んできたものの、クリツナとともに境内を全速力で飛び出し、風を切り、虚空を裂き、おれは怒涛の勢いで加納に突っ込んでいった。

 ぶっ殺してやるっ!


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