62・中島さんの置き土産
「瑠衣、スマン。来週のN耐出てくれ」
仕事終わりにそう声を掛けられた。
上総農産はかなり人が多い会社だが、立花という姓が同じ部署に複数居るので下の名前や役職で呼ばれることが多い。
そして、声を掛けて来たのは、そんな同僚の一人だ。
「え?来週?N耐って、使うのNFじゃあ・・・・・・」
「ツーリング出てる瑠衣には物足りん車だとは思うが、ドライバーが足りないんだ」
と、変に誤解されている。
そっちじゃない。
ツーリングカップはナンバー付き車両なので、パワステあるから楽なんだよ。それに対してNFって基本設計が100年前の車。当然ながら重ステ。
今ではNFと略称で呼ばれるその車、上総宮リンクを中島さんが自らシェイクダウンで走らせたアレなんだよ。
当時、中島さんが趣味で始めたフォーミュラカー開発だったが、カートを全国に配りまくって自動車教習をはじめ、欧州のグランプリレースのまねごとを始めると、趣味では済まなくなった。
「ウィング無いとかっこ悪い」とずっと騒ぐ中島さんの意向で、21世紀のフォーミュラカーを1920年代の技術で出来るだけ再現するという取り組みが行われ、入門用フォーミュラカーと同等の出力を持ち、車体サイズは何故か本格的な国際レース車両に近いモノとなるちょっとよく分からない仕様でまとまった。
それは当然、中島さんに言わせると
「これじゃない」
だったのだが、当時の自動車を大きく超越した車両であったのは間違いない。
さらにそこから20年近くアレコレ試行錯誤して最終的に1943年に完成したのが、NFという車両。
人が乗り込むコクピットシェルをアルミで造り、外周をFRPで補強。前後の車体は鋼管フレームにシェイクダウンからしばらくは布張りであったものがアルミやFRPへと変化していた。
そして、当時としては先進的に過ぎたディスクブレーキも20年かけて完成させ、帰って来た今、その車体を見てもつい最近開発されたものと大きく違わない。
エンジンは1500ccのOHV水平対向4気筒水冷エンジンとなり、そのエンジンは今でも軽量飛行機用に改良型が生産されているという息の長い代物だ。
多分、元から長期間使える様に飛行機用エンジンと同規格化したんだろう。
そして、一番大きなところがギアボックス。中島さんは「レーシングカーなんだからHパターンはあり得ない」と駄々をこねて、専用で5速シーケンシャルを開発した。
時代を超越した設計のそれは大変重宝なシロモノで、二宮自動車では戦後、NFをモデルにデザインしたスポーツカーにNF用エンジン、前進4速後進1速に変更したミッションを載せてしまう。
日本の自動車史に残る大事件で、ここからスポーツカーはシーケンシャルが当たり前という世界でも稀な常識が出来上がってしまい、今に至る。
NFの可笑しなところはそれだけにとどまらず、この世界では欧州フォーミュラには未だ装備する兆しさえないロールバーが装備されている。前の世界のharoという奴だ。
多極化しているこの世界、ドイツが仕切る欧州と日本が中心となるアジアは確執があって国際競技連盟の規格が分裂状態になっている。
NFを基準とするアジアのフォーミュラとドイツが主導する欧州フォーミュラではまるで別物になっているという状態だ。
ドイツは日本の主張を一切認めないし、採用しない。日本もドイツの言う事は聞かないという状態だ。
その間で欧州とアジア双方にまたがってウハウハの英国。
そんな日本の元祖フォーミュラであるNFは21世紀にあって何の違和感もない。唯一、タイヤのみはなぜか細いまま。
もちろん、1500ccのOHVエンジンなのでパワーはないから当然と言えば当然で、今では企業対抗レースや学生選手権に使われる車両となっている。
より本格的なレーシングカーがいくらでもあるが、このNFだけは80年に渡って基本設計が変わらないので、昔の車と最近の車が混走していたりする。
そして今では世界選手権として英国や何故だかソ連からも出場選手が居る様なレースまで開かれる盛況ぶりで、ドイツが似たコンセプトで立ち上げた世界フォーミュラ選手権と勢力を二分している。
そんな人気カテゴリーであり、昔から変わらない車両のために価格も安く、部品もそこらに溢れているのでメンテナンスも容易。
今ではタイヤも市販普通車用チューブレスタイヤを使用するように変更されている。
そんな車両でありながら、フォーミュラ好きに言わせると、空力を突き詰めて排熱(メレディス効果)、排気(コアンダ効果)まで狙ったその構造は80年前の車とは思えないと唸る代物。
と、いろんな良い所がある一方で、凝り過ぎた中島さんの置き土産も存在する。
その一つがスポーツカー開発で大問題となったH型ハンドル。
いや、フォーミュラだから可能だよ?でも、切り返しが必要な公道車両ではやっちゃいけないよね。
これはNFが当時、飛行機みたいと言われたことからハンドルも飛行機っぽくしようと大型機の操縦桿をイメージした結果だと言われているが、俺から見れば、F1をイメージしたとしか思えない。
現に21世紀のフォーミュラはこの世界でもあのハンドルだし。
さらに、なにを考えたのか機械式でパドルシフトを実現してしまっている。
当然だが、これはスポーツカーに取り付けるには電子制御の発展を待たないといけない。
なぜかそんなものがNFには存在し、日本製フォーミュラには電子シフトが完成するまでNF式パドルが用いられていたが、重い上に操作が独特で、慣れないと扱えない。
「いや、一度乗ってあのパドルに慣れないと無理だから」
同僚に理由を伝えると、「そうだった」と、今更ながらに言い出す始末だ。
アレ、飛行機だから戦闘機の機銃発射レバーをイメージした事にしてるらしいよ?
ホント、本人に会ったら言ってやりたいくらい変態仕様にしてくれやがって。
ってか、そんな車で部門対抗4時間耐久レースをやろうっていう上総農産もどうかしてるよな。




