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60・そして、帰って来た

「戻って来たか」


 目が覚めて、小説資料を調べていると画面に老人が現れた。40数年ぶりの感覚だが、きっと数時間しかたっていないはずだ。


「そうだの。40年以上たったぞ」


 まあ、そんな気がしないでもないけれど。


 しかし、戻ってくる時期が中途半端ではないだろうか?


「何、もう、日本の戦争は終っておる」


 老人がそう言う。まあ、たしかにそうかもしれない。


 だが、アレで終わったと言って良いのだろうか?


 確かに、日本は本格的に戦う事はもうない。


 検索して分かったのだが、あれからも大陸は大いに荒れている。


 米国の反支感情は相当なものになっており、武闘派?過激派?そう言った連中がまるでハーメルンの笛吹きよろしくマッカーサーに操られたように満州へと渡り、長江流域の征服へと乗り出していった。


 そして、西安政府の中華民主共和国、北京政府の中華民国との抗争を続け、白人主体の極東合衆国として1949年には独立する。


 独立のきっかけは米本国での政治的なものだった。


 当時のデューイ政権とマッカーサーの意見対立に端を発し、1948年の大統領選挙直前に米国内でも混乱が起きた。


 過激な連中こそ支那へと送り出してはいたが、政争が無くなった訳ではない。武力闘争でこそない物の、政治的な対立がすべて解消されたわけでもない。


 デューイと特に対立していたのはロバート・タフトだった。


 確かに、対支戦争は国内の過激派を支那へと送り出す事には役立った。


 しかし、そのことによる戦費もまたとんでもない額に膨れ上がり、米加国境では未だに双方の対立や不信感から復興に程遠い。


 さらに、支那へと送る武器弾薬、装備品や食料などは堅調ではあるが、内需はガタガタのままといってよい。


 北部での米加対立だけでなく、カリフォルニアやその周辺州での極端な人種差別は幾ら大統領令による差別撤廃令が有ろうと、簡単に無くなるものではない。


 その余波で南部では黒人やメキシコ系が独自の動きを見せたりもしている。


 大統領選挙においてもそのことが問題とされた。


 さらに、マッカーサーが更なる兵員を求めたり、チベット侵攻を仄めかしたりすることで溝が出来てしまっていた。


 そんな1948年選挙において、デューイは公約として支那戦線縮小を掲げる。


 実効性はともかく、そう口にして、そしてマッカーサーにもその様に言っていた。


 その事がマッカーサーには受け入れられなかった。


 さらに、武装闘争こそしていないが、東部諸州では未だに親独派や隠れ上海派が居たりもした。


 そうした勢力がマッカーサーの足元で蠢き、デューイとの対立が大きくなるごとに、マッカーサーにささやきかけた。


「いっそ、上海派から奪った利権を手に独立すればどうだ?」


 と。


 そして、選挙において何とかデューイが勝利を収めたものの、過去の米国と違い、負けたタフトが野党となるという訳にはいかなかった。 

 そこまで今の米政府は堅固ではない。


 そのため、タフトを政権に迎え入れ、本国の復興を第一にするという新政権の施政方針を知ったマッカーサーがとうとう、極東合衆国の建国を宣言してしまう。


 悪い事ばかりではない。


 豊かな地域を手に入れたのだから、簡単に崩壊することなく、さらには米国の侵攻に危機感を持った英国が南部で保護占領に動いた南シナも英連邦の一国として独立した。


 この事で一定の連携が可能となり、極東、南シナは明確な同盟は結んではいないが、特別な関係の国へと発展していく。


 だが、西安政府や北京政府には面白くない。


 ならば昔の国共合作の様にこの両国が手を取り合うかというとそれも無い。


 西安政府は明らかにソ連側の国であるし、北京政府は東ロシアと近すぎる。何なら、北京政府が西安政府と連合した時点で東ロシアが侵攻して来るのは火を見るよりも明らかだった。


 さらにこの地域で残っていた南満州だが、マッカーサーが上海へと出て行ったために宙に浮くことになった。


 米政府も国内復興を優先したいがために持て余した。


 そして、さらに悪い事に極東合衆国で気を良くした親独派が米国内でも政治活動を再開する。


 この行動はすぐさま弾圧に遭うが、東部で一時的とはいえ明確なユダヤ排斥が顕在化した事に米政府は動揺、復興の下支えを失う訳にはいかず、表面上はユダヤ人への土地提供という形で南満州に東方カナンを建国。米国での差別を回避するために多くのユダヤ人が南満州へと渡る事になった。


 さらに東ロシアが以前ユダヤ人居留地としたテーハン北方も東方カナンへと渡されることになった。


 こうして、何とか米国は一時的な安定を見せるが、不安定な西部や東部、そして、差別問題で極端に揺れ動く南部という状態がまだまだ続くことになる。


 欧州では1945年に一応、戦争は終結したのだが、1949年にヒトラーが死亡すると一気にドイツが分裂。


 ドイツ支配地域や東欧で内紛が発生し、ソ連が介入して新たな欧州戦争が勃発した。


 フランスやイタリアは難を逃れることが出来たが、ジェット機やロケットが飛び交い、さらに機械化が進んだ地上戦によって先の大戦よりも短い期間であったにも拘らず、更なる惨劇が発生する事になった。


 1953年に戦争が終わってみると、後方であるはずのオムスクまでもがロケット兵器の攻撃を受け、しかもそれが世界初の核兵器の使用となった。


 核攻撃はエカテリンブルグ、チェリャビンスク、オムスクに対して行われ、多大な犠牲を出した。


 ソ連に核兵器はなく、化学兵器で対抗して前線でおびただしい犠牲を生む。


 結局、ソ連の介入で結束した東欧やドイツがソ連軍を押し返したことで、旧ポーランド国境、ドニエストル川線までは死守、フィンランドもほぼ領土を守り切って戦争を終えている。


 ソ連はこの戦争でまたも多大な犠牲を出すことになったが、そのことで東ロシアとの緊張関係が幾分緩み、何とか国を建て直す事は出来た。


 結果、21世紀を迎えた今も政体と経済が分離したおかしな共産国家として存続している。


 ドイツ、東欧は分裂こそしたものの、民族自治を認めながらも政治的には一体化して対ソ体制を維持するという事で、統一国家ではないが、緩やかな統合が行われ、EUに近いモノが存在している。


 中東は英国が何枚も舌を使って何とかうまくやっている。イスラエル建国も無かったのでアラブが纏まる事も無かったし、イランもイスラム革命が起きていない。トルコがデカい顔をしているのも当然だ。


 それでも植民地独立が70年代には各地で起り、東南アジアでの紛争には日本も介入する事になる。


 特に蘭領東インドは名目上ドイツ領であったが、実際に統治しているのは亡命オランダ政府というややこしい土地で、ドイツにとっては何の利益も無い土地であった事からまるで関わらず、西豪州が色気を出して介入した事から、日本も介入し、大小スンダ諸島を西豪州が領有する事になった。


 オーストラリアが影響力を示そうとニューギニアに乗り込んだ結果、インドネシア共和国の領土が俺の記憶よりも減って、ニューギニアは単一の国となって、西豪州との国境をそのまま北へ延長した線で、西側島嶼部がすべて西豪州領となっている。


 結局、インドネシアに残されたのはスマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスと近在島嶼に過ぎない。



 米国は慢性的な政情不安、中華大陸は分裂抗争中、欧州はEUのような大統合には程遠い。


 多極世界って奴かな。

 

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― 新着の感想 ―
これ、大英帝国健在やん たぶん米中ソが分裂し、大英帝国がイギリス連邦として温存されたならイギリスの一人勝ちやな
[一言] どうかんがえても、焼け野原ひろしさんの声をした主任さんとか傭兵が大活躍する世紀末の<この逝かれた時代へようこそ君はタフボーイ>、とか誰か歌っていませんかな。 それにしても、この世界だと核兵器…
[一言] 焼け野原ひろしが悦びそうな世界が出来ました!
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