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57・そして、一つの混乱は収束し、新たな混乱が起きる

 さて、少々時間をさかのぼって1943年3月、アジアにおいても動きがあった。


 3月4日を最後にそれまで豪州経由で行われていた米国の南京政府への支援がパタリと止まり、米国内の混乱によって事態把握が遅れていた大統領の入院もこの頃、確度の高い情報として入手する事になったらしい。


 そこからの手のひら返しは速かった。


 5日には早々に在華米軍将校を拘束し、6日には日本に対して一方的停戦宣言を行って来た。


 3月10日、一部米軍将校が正式に起訴、投獄され、残りの将兵も南京軍監視下に置かれることになった。


 南京政府曰く、「日米戦争への中立のために武装解除した」ということらしい。


 6日を境に日本への空襲は無くなり、あとは南北中華政府の戦争が行われるだけとなった。


 そして、16日、突如南京軍が上海租界を襲撃し、米国資産の差し押さえを宣言する。


 これに対して日英は一方的宣言と民間人の拘束を批判、展開可能な範囲で米国資産や民間人の保護に乗り出し、新たな戦闘が展開される。


 戦争中の米国人を日英が保護するというオカシな展開だが、極東総督府からは感謝されることになった。


 こうした大陸情勢を受けて米国の大統領派、上海派は完全に求心力を失い、満州派優勢となるが、そうは言っても、すでにカナダ侵攻が行われ、親独、親ソ派を止めるだけの力が存在していない。カリフォルニアに至っては明らかに独立も視野に入れた暴走状態であり、その鎮圧は誰もが後回しにするほどだった。


 在満米軍は南京政府の所業を武器に比較的安定している中部へと乗り込んで平定していく。南部では黒人の暴動をきっかけにかなり荒れてはいたが、北東部の様に戦争状態にまでは至っておらず、正規の軍事力をちらつかせると案外素直に従う事になった。


 唯一暴れ回るカリフォルニアについては、在満米軍ではなく、マッカーサーや極東総督府の同意を得た日本軍がオレゴン州に基地を開設して対処していた。

 そのため、在満米軍はカリフォルニアの妨害を受けることなく中部や南部の鎮定に集中出来ていた。


 この間、マッカーサーは軍人というより政治家として振る舞い、各州を廻ったが、相手にとっては占領軍の親玉という印象しか与えることなく、平伏し恭順は示すが、後の政界進出には全く結びつくことはなかった。


 何とか在満米軍が中部から南部を平定し、大西洋を見た頃、米軍、州兵、ミリシアなどの中でも反大統領派が在満米軍に共闘や合流してくる。


 未だ激しく英加軍と交戦している北東部の軍やミリシアは南部からも攻撃を受けて崩壊。


 1943年10月24日、一連の米国内乱の中で、五大湖周辺の一部反乱軍とカリフォルニアを除いて、ほぼ鎮圧することに成功した。


 未だ一部在満米軍に降伏しないミリシアや軍部隊による抵抗は行われているものの、組織的なものではなく、それらを強制的に包囲する中で議会が再開し、大統領弾劾決議がほぼ即決で可決、病気療養中の中、欠席裁判の形で弾劾裁判が行われ、11月9日には大統領の座を追われることになった。


 暫定政権としてまずはマッカーサーによる軍政が敷かれることになった。


 彼の軍政期間は大統領選までの約一年間とされ、その間に米国を正常化する事を宣言した。もちろん、彼の名において日米戦争の終結も宣言され、1943年11月10日をもって、事実上戦争は終了した。


 だが、カリフォルニアの鎮圧を行うほど米国は安定しておらず、信頼のおける在満米軍部隊をアイゼンハワーを指揮官として差し向け、日本軍の支援を受けて鎮圧作戦が開始された。


 南部諸州から義勇兵を募り、武器弾薬も潤沢に備蓄していたカリフォルニア軍ではあったが、さすがに正規軍による本格攻撃の前には3カ月持たなかった。


 1944年2月26日、とうとうカリフォルニアは降伏するが、そこには絶滅収容所がいくつも存在し、その惨状が全米へと報じられることになる。


 五大湖周辺での騒乱については1943年中に片付いており、マッカーサーと英加との講和が成立した。


 マッカーサーによる軍政はここから苛烈を極め、騒乱を巻き起こした根源として親独、親ソ派が徹底的に摘発されていく。

 当然ながら、ルーズベルト政権がドイツでのユダヤ人弾圧を知りながら放置した事、極東総督府が機転を効かさなければ日本がビザを発給したユダヤ人たちの多くが米国の手でドイツへと送られていたことが暴露される。


 さらに、南京政府と密接であったルーズベルト政権と上海派は南京政府による米国人排斥や資産略奪をも隠蔽して一部企業家のみが利益を得ていたことも暴露し、完全に上海派の息の根を止めてしまった。


 その上でカリフォルニアを見た時、日本人弾圧は間違いだったが、ルーズベルトによって徐々に増えだしていた支那人は別という感情が米国人に蔓延していく。


 一応の安定と、そして、5月に入り次期大統領選挙が動き出すと、マッカーサーは実質的な軍政運営を臨時議会へと引き継いでいく。


 こうして米国情勢が安定へと向かう中で、欧州では未だ、終戦へ向けた糸口が何一つ存在していない。


 スターリンによる赤軍粛清は赤軍の指揮能力を地に落し、まともに指揮できる佐官以上の軍人が払底していた。


 ジューコフの奮闘で何とかモスクワを守ってはいるものの、コーカサスでは指揮官が居ない烏合の衆と化したソ連軍が各所でトルコ軍に撃破され、山岳地帯に避難したクルド人たちが弱体化したソ連軍を襲い、武器を奪って抵抗しているという、誰と誰が何を巡って戦っているのかよく分からない状態となっていた。

 さらにトルコは1943年12月には地中海沿岸部レバノンを占領、シリア王国へも侵攻して英領パレスチナへと多数の難民が押し寄せ、トルコ国内からクルド人を押し出した結果、イラク王国とも衝突する事になった。


 膨大な軍需物資を背景に周辺へと版図を拡げようとするトルコに対し、とうとう英国が警告を発する。


 これに対し、ドイツが英国を説得するという不思議現象がみられることになった。


 というのも、英国が参戦すれば事は英国だけでは済まなくなる。必ずイタリアが参戦してきて伊土戦争の再来を巻き起こすのは火を見るよりも明らかだった。

 何とかフランス戦線がうまく膠着している現状で、ドイツは新たな戦線など開きたくない。


 だが、その願いはかなわず、1944年6月22日、ハンガリー・ルーマニア枢軸軍はドニエプル川まで侵攻するとドイツに通告。ヒトラーが頭を抱える中、枢軸軍の進撃が開始されていく。


 ヒトラーが頭を抱えた理由は、今更侵攻されても遅いという事が一つ。


 すでにドイツ軍がその線を遥かに超えて侵攻しており、キエフを占領している。これまでハンガリー・ルーマニア枢軸が動かなかったからキエフより南下せず、半ば突出部と化している南部戦線の気を揉んでいたというのに、自分勝手にも程があるという点。


 そして、二か国が動かないからこそ、トルコを唆した。


 にもかかわらず二か国が動いてしまえば、トルコがどこを向いて攻撃してくるか分かったものではない。


 そんなヒトラーを余所にハンガリー・ルーマニア枢軸は侵攻を開始し、案の定、トルコを刺激してしまった。


 

 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ルーズベルトは「史上最初の弾劾された大統領としてホワイトハウスを叩き出された」という実績を解除してしまいましたね。
[一言] ルーズベルトに聞きたい「NDK?NDK??」(笑) もう、ホントわけわかんなくなってきたなぁ 後世、歴史の勉強がクッソ面倒臭くなるんやろな…
[良い点] 名実ともにアメリカが理想を掲げるだけで欲望と差別に満ち溢れた国家という事実を民衆に突きつけて、民衆がなんとか全てを中華のせいにしようとしてる件。戦後は同じように手のひら返ししたドイツ国民と…
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