56・そして、混乱は新展開を見せる
1943年2月12日、大混乱に陥った米西海岸、サンディエゴ軍港沖合にハワイを発った艦隊が現れる。
ハワイ同様、在満米軍による呼びかけが行われるが、その返答は罵倒の嵐であった。
全く取り合わないサンディエゴに対して日米空母艦載機による攻撃が行われたが、さすが米本土、しかも反日感情に凝り固まったカリフォルニア。
周辺から賛同する陸海軍をかき集めており、迎撃機は統制がとれてこそいないモノの、雲霞のごとく数に達し、空戦以前に危険な状態であった。
空戦による撃墜、被撃墜よりも空中衝突による損失が多いという類を見ない大混乱の中での戦闘が行われ、空母部隊へも4発機による爆撃、双発機や単発機による攻撃と、全く対処できる数では無かった。
だが、その大半が対艦攻撃など全く経験の無い陸軍機であり、とりあえず先導機に誘導され、そのまま投弾するだけで被害はほとんど受けることが無かった。
だが、帰投してきた艦載機の数は3分の2に撃ち減らされている上にマトモな機を探す方が難しいほどの惨状だった。
このため、2次に渡る攻撃を繰り出したものの、それ以上留まる事に何の意味もなく、その日のうちにハワイへと舵を切ることになる。
カリフォルニアでは日本艦隊を撃退したと沸き立ったが、同士討ちも酷く、海上に出た攻撃隊では航法を誤って未帰還となる機が続発。
その上、計画的な迎撃では無かったため、飛行場も大混乱して空中衝突や誘導路での事故も多発するというあるまじき惨状を晒すことになった。
それでも後方に当たる南部諸州では日本艦隊撃退のニュースのみが伝えられ、政府の統制を離れ、勝手にカリフォルニアへ向かう部隊や志願兵も多く居た。
と言っても1943年2月の米国に中央政府があったかどうかは怪しい。
12月中にはカナダ国境で統制の取れないままに戦闘が拡大し、英国からの抗議に対して中央政府は軍の統制に乗り出すが、ミリシアが軍の上で指揮をする地域まで出現しており、完全な統制には程遠く、軍の統制を取れたとしても即時停戦などまるで無理な状態に至っていた。
米政府の返答と現場の乖離があまりにも大きい事から英軍のカナダへの展開が行われ、2月16日には米東海岸を英海軍が遊弋する姿を見る様になる。
これに対し、海軍の一部も政府の統制を離れて出撃し、英艦隊と交戦を始めてしまう。
20日には大統領が心労で倒れ、副大統領ウォレスが代行する事になるが、彼が親ソ的な発言を繰り返していたことに親独派が反発。
親独派は政府から離反しての交戦を叫び、ウォレスの声明を尽く無視して戦闘を拡大させていく。
英国も米国を無政府状態であると宣言して東海岸封鎖に乗り出し、大西洋には一切の米国船が航行しなくなった。
2月24日、英国による米国封鎖を批判するヒトラーだったが、まるで有効な手立てがない事を見て取ったフランスは補給路が絶たれたと判断して大攻勢に出る。
が、実のところドイツは米国からの大量供給を時間稼ぎに利用してその主要工業力をチェコやハンガリー、南独へと移しており、フランス軍の攻勢によって独産業が打撃を受ける様な事は無かった。
それどころか、フランスは英国からの援助と国産兵器の弾薬共通化などを全く行っていなかったがために、大攻勢で弾薬を消耗すると補給に時間を要する事になった。
ドイツは火砲も弾薬も米国に対して自国規格のモノを依頼していたので、自国製でも米国製でも個々の細かな性能差はともかく、同じ規格なので補給に困る事はない。
この時間差を利用したドイツ側の反攻作戦でフランス戦線は一気に突き崩されてアルザス、ロレーヌなど旧領奪還を許し、更にはベルギー戦線でもほぼ自国国境近くまで押し戻されてしまう。
さらに、米国から最後に送られて来ていたAー26攻撃機をユモエンジンに換装した高速攻撃機による攻撃にさらされるフランス軍は全く反撃の糸口を掴めなくなってしまった。
さらに、しばらくは中立を守っていたフィンランドも1942年後半ごろにはドイツに唆され、対ソ戦争を再開する。
フィンランド軍は開戦後即座にラドガ湖畔一帯を占領し、ドイツ軍のレニングラード侵攻を助けている。
さらに、ドイツからⅢ号突撃砲(米国製40口径75mm砲装備)を多数受け取り、東部へも侵攻し、1944年春ごろまでには白海へと至ってムルマンスクを孤立させることになる。
ドイツは自国製48口径主砲を備えたⅢ号突撃砲を主として装備して米国から1万両近く供給された40口径砲装備車両は主に枢軸国へと供与されている。そのうち600両程がフィンランドへと供与され、日本から購入した100両近いホルと共に継続戦争を戦う事になった。
他にもハンガリーへは米国から直にM3中戦車やM4支援戦車、後にはⅣ号戦車を小改良して40口径75mm砲を装備したM5中戦車など5千両近くが送り込まれている。その上でドイツから工場が移転してきたのだから、史実とはけた違いの戦力を有する軍事大国になる訳だ。
レニングラードを失い、カレリア地方を尽くフィンランドに占領され、更に白海へ向け侵攻を続けるフィンランド軍。
旧ポーランド方面からはドイツ軍がモスクワへと迫り、南部ではドニエストル川を境にまったく突き崩せる展望のない強大な防御陣を敷くハンガリー・ルーマニア枢軸軍。そして、トルコの参戦とトルコを拠点とするドイツ軍によるバクー攻撃。
1943年5月17日、モスクワではスターリンを狙った暗殺事件が起こり、辛くも魔の手から生き延びたスターリンによる赤軍大粛清が行われて北部戦線は崩壊、モスクワ正面は粛清を逃れたジューコフが何とか死守しているものの、風前の灯火状態となっていた。
同じころの米国では入院したままの大統領とほぼ死に体となったウォレス代行がホワイトハウスで右往左往する中、東部諸港は英海軍により封鎖され、西部では3次にわたる日本軍の来襲によって戦力を疲弊させていた。
カナダ国境ではM5中戦車と新開発クロムウェル巡航戦車の戦車戦が繰り広げられ、なぜか米軍はさらに背後から反大統領派による攻撃すら受けるという混沌とした戦場が出現していた。
そんな中、在満米軍はアラスカを先に攻略し、太平洋の安全を確保するとマッカーサーがカナダへと上陸。
この行動は英国との協議なく行われたため、一部で混乱も起きるが、在満米軍将校団という事で監視付きながら東部への移動が叶う。
マッカーサーはカルガリーから米国へ向け演説し、親独、親ソ勢力を排除して米国を正常化する必要があると訴えた。そして、内乱に参加していないワシントン州やモンタナ州を拠点にするとして、それら州首脳部と会談、シアトルへの在満米軍受け入れを半ば強引に了承させ、7月から続々と貨物船が直接ないしはバンクーバーへと在満米軍の物資をワシントン州へと積み上げていった。




