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55・そして、混乱が拡大した

 1942年も暮れも押し迫った頃、大艦隊がハワイを目前にしていた。


 一つは蒼龍型、蒼龍改型6隻からなる日本の空母部隊、もう一つは修理以上の大改装を受けたレキシントン級2隻を中心とした在満米艦隊。


 迎撃に出撃して来ると思われたハワイ駐留艦隊は全く姿を現すことなくハワイ近海まで進んだ。


 事前に極東総督府からは声明が発表されており、戦争をまき散らして経済回復を演出したルーズベルト批判が行われ、ユダヤ人を送還しようとする現政府の糾弾。そして打倒を謳う内容だった。


 その声明の下、日本艦隊と共にハワイへと侵攻し、西海岸を目指すとしていた。


 名指しされたハワイでは大騒ぎとなる。


 だが、本土よりも日本に近い事もあって、情報は日本からも入手可能で、経済的には満州派が上回っていた。


 軍の一部が強硬論を唱えるものの、議会は降伏ないし無防備宣言を出す意向を示して過激な軍人と対立し、一触即発となった。


 そこへ、在満米艦隊から降伏や中立宣言が24時間以内に無ければ攻撃するという通信が入る。


 一部軍人はその通信を聞いて激発、軍や警察は内乱状態となり、一部が勝手に出港したり離陸して行ってしまった。


 それ以前の組織だった活動で艦隊の位置は把握しているが、8隻の空母という勢力にハワイの航空戦力では太刀打ちできないという悲観論が広がっていた。


 そうでなくとも、ハワイには戦艦は居ない。空母2隻を中心にした小規模な艦隊はあるが、それで太刀打ちできるとは誰も思っていなかった。


 全く作戦行動とは言えない小規模な航空部隊はあっという間に星条旗を描いた九六艦戦に撃墜されてしまう。


 駆逐艦と軽巡洋艦が湾を出たが、艦隊に到着する前に日本軍に取り囲まれ、降伏か攻撃かという通信を聞き、攻撃に移るもあっけなく撃沈されてしまった。


 後は九六艦戦がハワイ上空を飛ぶと慌てて降伏を伝える無線がそこかしこで発信されることになった。


 星条旗を描いた九六艦戦がハワイへと降り立ち、それに続くように九八艦攻も降りてきた。


 そして、日の丸を描いたそれより小型の戦闘機がその後に続く。


 小型戦闘機は鍾馗の試作機に衝撃を受けて三菱が開発した新型機で、ゼロ戦を差し置いて艦上機部隊へと増加試作機が次々引渡されて試験が行われ、最近制式化されて烈風を名乗っている。


 機体は紡錘形となって九六艦戦より大型化した機体を空冷星形らしく全長を切り詰め、翼も翼面積を稼ぎながらも全幅を出来るだけ短くまとめた独特な楕円形状をしている。


 全長は水冷機であった九六艦戦は優に及ばず、紡錘形としたがために9.6mにまで間延びしたゼロ戦を1m切り詰め、紡錘形を止め、既存の空冷星形機らしいフォルムとなっている。


 そして翼も幅を狭めながら面積を稼いだ結果、九六艦戦やゼロ戦の細長いスマートな翼とは対照的に楕円を描く様な太めの翼をしている。


 だが、そうやって機体を切り詰めた結果、形状重視で生産性に劣り、結果的に巨大化した事で軽量化のために脆弱だったゼロ戦の惨状から一転、大幅に強化され、それでいて軽量に仕上げる事が出来ている。


 さらに、翼は武装と燃料を搭載するために空間を大きく取り、満州飛行機から伝えられたダグラス式という厚板外板を用いる方式を採用し、強度と軽量化を両立する事に成功した。


 さらに、二宮から伝えられた通り、紡錘形ではせっかくの1200馬力エンジンを効率よく使えておらず530kmに甘んじた速度も565kmへと大幅に向上、更に1500馬力の改良型エンジンと新式プロペラを採用すれば590kmへと更なる進化まで約束されていた。


 こうした零戦の欠点をすべて解決しながら、小型化したのに多少の飛行時間しか犠牲にせずに済むという偉業を前に、海軍はゼロ戦を早々に見切って烈風の大量発注を決定した。


 だが一方で、非常に安定性のあるゼロ戦に比して曲技飛行のような事は苦手としており、一部パイロットたちにとっては不満の残る結果ではあったが、米海軍が繰り出してきたF4Fと対戦した場合、ゼロ戦より有利な事を実証している。


 こうして1943年を迎える頃には穏便にハワイを配下に収める事は出来たが、問題はここからだった。


 1942年に行われた議会選挙は民主党が複数の派閥に分裂し、親独、親ソに至っては党派を超えて共和党議員とも手を組むに至る。


 そうなってしまえば共和党も分裂をきたしたが、民主党に比べればまだましだった。


 民主党は大統領派と反大統領派に、更に分裂した。


 こうなっては民主党という政党を維持できず、大統領派のみを残して政党を離脱、社会民主党を新たに立党、さらに米国共産党を名乗る議員まで現れた。


 そんな混乱の中で各州の温度差も次第に大きくなる。


 そうした混乱の最中に届いたのが極東総督府の声明だった。


 真っ先に反応したのは多くの日系移民が居り、そして今や反日の急先鋒であるカリフォルニア州であった。


 どこの独裁国かと思う様な迅速さで日系移民を強制収容する州法を成立させ、とにかく東洋人(カラード)と見れば片っ端から逮捕して荒野の収容所へと放り込んでいった。


 この行動に反発する満州派やユダヤ人。そして、危機感を抱いた反大統領派の人々。


 こうした過激な行動が生んだ疑心暗鬼は反英派にも飛び火する。


 東部諸州や五大湖周辺ではカナダからドイツ支援を行う工業地帯が襲撃を受けるのではないか、米国から五大湖周辺やセントローレンス川流域を奪いに行くべきではないかという意見まで出る始末だった。


 そして、実際にミリシアの一部がその意見を行動に移してしまう。


 カナダ側でもここ数か月、米国で怪しい議論、妖しい動きがあるのは察知していた。その対策も行っていた。


 しかし、正規軍や州兵ではなく、まさかミリシアが動くとは思いにもよらなかった。


 行動を始めたミリシアは一つではなく、その行動がさらに波紋のように広がったことでカナダは組織的な初動がとん挫し、米国側も統制する事が出来なくなった。


 当初、大統領府は一部の過激な暴徒による犯罪と発表し、警察による鎮圧に乗り出そうとした。だが、警察内にも共鳴するものが居り、ストライキやミリシアへ転向するものが出る始末で、州兵を出動させる事になるが、これまた統制が取れず、最終的には合衆国軍すら何ら中央の命令がないにも関わらず、ミリシアに追随する部隊が現れるまでに騒動は拡大してしまう。


 東部でのそうした騒動を見たカリフォルニア州でも東洋人(カラード)狩りに州兵を動員して生死を問わない苛烈なモノへと発展していく。


 当然、その様な行動にはメキシコ系や黒人も不信感を抱き自衛行動に出ることで周辺諸州にまでその混乱が拡大し、ニューメキシコやアリゾナではメキシコ系狩りが、テキサスやルイジアナではそうした狩りを恐れた黒人が先制的に暴徒化する騒乱へと発展していく。


 こうして、1943年を迎える頃には米国は内戦状態ともいえるほどに混乱が各地を覆いつくすことになった。


 西海岸においてはワシントン州は早々にいずれにもくみしない事を宣言したが、オレゴン州は南部でカリフォルニアでの騒動が波及、カリフォルニア州兵や警察、ミリシアが勝手に州内を徘徊し、東洋人(カラード)狩りを行い、それを制止しようとした住民や警察と銃撃戦になる事態まで発生していた。


 そんな混乱した最中、とうとうハワイを発った艦隊が現れることになった。


 


 


 

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― 新着の感想 ―
[一言] あーあ、自由で(苦笑)差別の無い(失笑)平等な国(爆笑)と歴史に刻まれちゃった。
[一言] ………ロシア革命より酷くね?(笑) まぁアメリカは人種のサラダボウルやし(震え声)
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