54・そして、新たな展開を迎える
1942年前半、日本は米国に勝利していた。
だが、場所が変わるとまた違った戦いが行われている。
英国が保護占領したイランだが、ソ連もカスピ海沿岸部を安全圏とすべく侵攻していた。
しかし、英国の方が一歩早くカスピ海に到達する。
ソ連もさすがにここで新たに英国まで敵に回そうとは思わなかった。
イラン領の大半は英国の保護占領下におかれることになる。
しかし、コーカサスへの英軍の侵入は認めず、すでにソ連が占領した地域には新たに民族自決の名で新国家が建国されることになる。
アゼルバイジャン人民民主共和国とクルディスタン共和国が建国される。
これは英国やトルコに対する緩衝地帯とする狙いだったが、トルコ領に居るクルド人たちを刺激し、彼らもクルディスタン共和国への合流を主張し始めた。
トルコは中立を宣言しているものの、ドイツからの接触が露骨に行われている事をソ連も把握していた。
この頃、ハンガリーやルーマニアは完全に守勢であり、ドイツのような攻勢に出ていない。
だが、問題がないではなかった。
その状態ではクリミアも落とせなければ、バクー油田もどうする事も出来ない。
しかし、かと言ってトルコが参戦してくることをハンガリーやルーマニアが支持するかというと、それもあり得ない事くらい、ヒトラーも分かっていた。
イタリアが更なる拡大を目指してギリシャへの侵攻を狙っていたが、ドイツ、英国から挟み撃ちになる可能性が高い事から動くに動けず、ブルガリアもトランシルヴァニアを失ったルーマニアの弱体化を衝いてドブルジャ侵攻を行おうとするも、米国から洪水の様に流れ込んでくるルーマニアの軍備に敵うはずもなく、更に、ルーマニアがソ連と戦端を開くと中立へと傾いた。
膠着していた南方戦線が動かないのを見たヒトラーはルーマニアにトルコへの軍事援助を命令する。
そう、命令だった。
ルーマニアは渋ったが、ドイツの企業がドイツ船籍で行う事は容認するという事で、コンスタンツァ周辺の大改造と並行してトルコへの武器輸出が始まった。
そして、何か工作や交渉をしようとしていたところに、向こうからクルディスタン共和国という大問題が飛び込んできた。
ヒトラーは大歓喜でそれを聞いたという。
後はただ坂道を転がり落ちるだけだった。
1942年に入る頃にはトルコ領内のクルド人も武装闘争を繰り広げる様になっていた。
そうなると、外の戦争はともかく、鎮圧に乗り出すのは当然のことで、10年ほど前のソレとは比較にならない大軍による鎮圧が本格的に開始された。
その戦火は当然の様にクルディスタン共和国にまで及び、当然の様に後ろで糸を引くソ連へも宣戦布告がなされることになった。
コンスタンツァでは完成した造船所でドイツ軍艦が建造され、潜水艦は北海沿岸で特にやることが無い乗組員たちを連れてきて放り込んで運用するようになる。
真っ先にセバストポリ周辺への機雷敷設に始まり、砲艦による沿岸砲撃なども始められた。
トルコに対する武器輸出も経済的な規模から供与へと切り替えられ、米国から流れ込んでくる物資を湯水のようにトルコへも流し込んでいくようになる。
こうした事が出来るのも、独仏戦線があまりにも既存のドイツ工業地域に近すぎるため、チェコやハンガリーへと工場疎開が行われていたからだ。
元から工業基盤のあるチェコに加え、ドイツ国内から運河交通が可能なハンガリーもその地に選ばれた。
こうして膨大な物資が勝手に流れ込んできたことでチェコに加えてハンガリーも工業地帯が大きく広がっていく。
さらに、とめどなく米国からの物資も届いていた。
ハンガリーからはドナウ川を下ってルーマニアへと送られていた。
山越えをするよりルーマニアから物資を輸送した方が今の戦線へは容易に物資輸送が出来るというのも大きい。
それら膨大な物資や兵器はトルコへも渡されていた。
そして、正式にトルコが対ソ同盟に加盟するとドイツ空軍がトルコへと進出、米国から大量に運ばれてきたB-25やAー20を用いたバクー攻撃が開始されることになる。
そして、そこには米国から送られたP51もあったが、後にアリソンエンジンからDB601へと変更されたG型が主として生産され、米国でも積極的に導入されていく。
このP51は当時のドイツでは成しえなかった長距離戦闘機で、バクー油田地帯を攻撃するB-25やAー20を護衛可能という驚異の性能を有する事になった。
このため、ドイツ軍もP51を積極的に導入し、トルコ方面では自国製のBf109やFw190を差し置いて主力機の座にあり、メッサーシュミットにおいてその優れた空力技術を取り入れたMe198が開発され、Bf109の後継として活躍する事になる。
こうして、多数が導入されたDBエンジン型のP51Gの活躍によって、バクー油田の機能を低下させることに成功し、コーカサス地方へのトルコ軍の侵攻をも空から支援する事になる。
だが、この頃になると米国内ではユダヤ人を迫害するドイツへの批判、そして、ニューディーラーの一部による反独親ソ運動など、政治が非常に混乱をきたすことになる。
大統領は南京政府支援を第一として、反英同盟国としてドイツとの関係こそ大事だと唱えていたが、足元からもドイツ批判が噴出し、議会選挙において民主党は大統領派とソ連支援派に分裂。更に独ソによるユダヤ人差別を指摘する親英派まで現れ、議会は共和党有利の状況が出来上がってしまう。
そんな大混乱の中で日本と満州駐留米軍によるハワイ攻撃が始まった。




