39・そして、理解不能な事態が巻き起こる
1935年、36年はいろんなことがあった。
空母の進水式に出席し、陸海軍が二宮製エンジンを採用する新型戦闘機を採用した。
そして、陸軍と言えば戦車なんだが、八九式が未だ主力で最先端を走っているらしい。
チハたん?T34?を10年早く実現したようなモノだからそうなんだろう。
だが、時代は軽量快速戦車の時代、特に東ロシアではそのような流れがあるらしく、新たに八九式と同じ47mm砲を搭載する軽戦車が開発された。
そうそう、この世界の日本、ドイツからかなりいろんな技術を毟り取ったので、石炭液化プラントも稼働している。九州や北海道に行けば見ることが出来る。
そして、東ロシアや満州にもプラントがある。
その結果だろう。未だに満州の油田は採掘されていない。
石炭液化で得られる油質が軽質油に偏るらしく、その影響は農業機械にもみられる。
トラクターや耕運機というと21世紀ではディーゼルエンジンが主流なのだが、油田が樺太油田くらいなので、石炭液化燃料の流通が多く、そちらが安価と来ている。
その為、この世界では自動車だけでなく農機具もガソリンエンジン主体だったりする。
ただ、農機は軽量であれば良いという乗用車の法則が成り立たない。
犂や荷車を曳いたりロータリーで耕したりというのは牽引や衝撃吸収のために重量を必要とする。
家庭菜園用の小型農機で堅い地面を耕そうとするとロータリーの回転に車体が体ごと持っていかれて結構危なかったり、しっかり耕すのに体重をかける必要があったり実はかなり大変なんだ。
この世界、女性が機械を扱う機会が増えるから軽量化すればバカ売れすると考えて開発はじめたメーカーが惨事を起こしている。
そりゃあそうだ。ロータリーの回転速度のまま耕運機が突っ走れば人を撥ねたり家に突っ込んだりするわ。刃の付いた回転物に巻き込まれるしな。
そんな訳で、自重を持たせることに主眼が置かれ、ガソリンエンジンなのに重い。
それはさておき、戦車もそんな訳でガソリンエンジンが使われている。
二宮が開発した水平対向空冷エンジンが積まれているのだが、元が航空機用エンジンなのでかなり馬力もあって使い勝手が良いらしい。
どうやら中島さんはディーゼルエンジンも分かるらしく、作ろうと思えばできるそうだ。
「乃木さんから面白い話を聞きましたよ。ソ連のT64には対向ピストン5気筒エンジンが積まれていたとか。やりがい有りそうです」
などと、また妙な事を吹き込まれている。
そのエンジンは戦車ゲームやった事あるから知ってる、馬力はあるけど複雑で高コストで信頼性が低かったと。
中島さんはまだマトモであったらしく、そんなゲテモノを採用してほしいなどとは言っていない。原さんと変速機の開発をマジメにやっている。たぶん・・・
そうして完成したのが九五式軽戦車。
「九五式なのに、ハゴたんではなく、ケホたんとはこれ如何に」
南部さんがそんなイミフな事を口走っていたが、まあ、気にしてはいけない。
軽戦車なのでエンジンを6気筒に短縮して八九式よりも全長が短くなっている。それでもサイズに似合わず12tを超える重量級に仕上がったのは、東ロシアが装甲厚の削減を渋ったからだ。
その為、6気筒に小型化しながら過給機装備で出力低下を最低限に抑えて機動力を確保している。
「今後しばらくはこちらが主力として量産されていくでしょうね。幸いにもソ連のBT戦車と同等の攻撃力を持ち合わせていますので、東ロシアが喜んで採用したようですし」
と言っている。
まあ、たしかに東ロシアが大好きそうなT34っぽい車体だもんな。砲塔はチハたんマンマだけど。
そんな、異世界ハゴたんが東ロシアで大量生産を始めた頃、懲りもしない南方の国がまた暴動引き起こしだしたらしい。
西オーストラリアには日系移民、日本の権益で働く日本国籍者など多数が居住している。
ここ最近は満州が怪しいので西オーストラリアへ渡る人がそれなりに多くなったが、その矢先にこれである。
だが、現地も以前とは違い、日本人が増えた事で暴動を起こす白人の数は少数派らしい。
西オーストラリア州自体、南部の居住可能地域の半数は日系となっているほどで、もはや白人の国であるかどうか怪しいほどだ。
そんなところで日系移民排斥を行ってどうなるか、結果が分かりそうなものだが、白豪主義というのは火が付いたら消えないらしい。
州警察の警官も日系人が就く状態なので、鎮圧には制服を着た東洋人がやって来る。
そこがまた火に油を注いでいる。
1936年中はまだパース近郊での騒ぎであり、日本も政府が声明を出すような事態にはならなかった。
しかし、1937年に入ると事態は急変する。
明らかに豪州軍と思われる武装グループがパースへと上陸して市街を占領するに至った。
そして、日系と見れば容赦なく襲撃する大惨事が発生する。
以前の騒乱を経験した日系社会も黙っている筈がなく、武器を持って抵抗する。
豪州軍はさらに北上して鉱山をも占拠するに至り、日系社会は豪州からの独立と日本へ支援を求める声明を出した。
豪州政府は即座に日本による侵略と謀略だとして、軍の動員を正式に表明、反乱勢力の殲滅を宣言した。
こうなると日本も黙っている訳にはいかず、1月28日には豪州に対して即時の軍事行動停止を要求。受け入れなければ軍を派遣する事を通告した。
日本の通告に即座に反応したのは何と、米国だった。
日本の侵略的行為に対する抗議を行うというのだ。
ドイツも少し遅れて同様の声明を出す。
豪州は米独の後押しを受けて軍を西オーストラリアへと大量動員する。
そんな中、2月8日には日系人による西豪州独立政府の樹立宣言が行われ、日本はその独立承認と救援のための派兵を正式に決定した。
この騒動に対し、英国はどちらも支持しない中立を表明し、関与しようとする米独へ自制を促した。
フランスは英国同様の態度を取り、イタリアは日本支持を表明する。
そうした中で日本軍は2月26日には早くも第一陣が西オーストラリアの地を踏むことになった。
戦闘は6月までに沈静化する。
そもそも豪州軍は規模の大きな軍ではなく、自国内と言えどそう大量動員が出来てはいなかったことからその広大な大地の中で僅かな点に屯しているところを日本軍が叩けばそれで簡単に排除できた。
こうしてほぼ半年で大勢が決しかけた頃、米国が旅順へと海防重巡を配備してきた。
海防重巡2隻、軽巡2隻、あとは元から居た駆逐艦や警備艦だ。
遼東半島は日本との貿易も多く、大連港には毎日のように日本船舶もやって来る。
そんな5月6日、大連沖で突如として海防重巡に随伴した軽巡に水柱が上がる。
周囲には日本警備艦も居り、すぐさま救助に駆け付けるのだが、その時の写真が米国で「日本による卑怯な雷撃」というキャプションと共に報じられると一気に米国の空気が変わった。
大統領も「日本が満州侵略の意図を隠そうとしなくなった」と声明を出し、日本へ満州への侵略を行わないように要求する声明を出す。
日本側はまるで何を言っているのか理解できなかったし、それは遼東半島にある米国の極東総督府すら同様だった。
そんな困惑を逆手にとってまくしたてる大統領。
そんな意味が分からない交渉が6月まで続き、西オーストラリアが正式に独立を果たそうかという状態になって、とうとう米国は豪州防衛の苦渋の決断と称して対日宣戦布告を米国民に説明する炉辺談話を発表した。




