35・そして、新たな歴史が幕を開ける
1934年はいつものようにプサン宮殿での東ロシア皇室とのクリスマス会で始まった。
テーハンがロシアに併合されて大規模な開墾、造成が始まって何年だっけ?あのじゃじゃ馬娘事件の頃には洋風の街がアジアに出来た状態であったが、すでにここが日本と気候や風土が近い場所とは思えないほどに様変わりしてしまった。
テーハン人の多くは北部山岳地帯の鉱山労働者として駆り立てられ、今や見る影もない。
本来ならば水田が広がっていたはずのプサンの農村地帯には麦やソバの畑が広がっている。
肥料と収量の関係性から言って、稲作を行っていない今のテーハンには史実韓国の人口を養う事は難しい。
テーハン州全体の人口は600万人程度しかいないというが、ライ麦とソバなどが主な穀物というのではなるほどと思わなくもない。
実は、乃木さんの方針もあって日本でも水田から畑作転換するところが出てきている。
人口過剰にしないためにまずは食糧生産量を抑えて行こうと言う訳だ。
結果、東北で耕地整備や干拓が行われているが、その大規模農地は畑として整備されるそうで、コシヒカリやあきたこまち等のコメが消えることになるかもしれない。
東北の主要作物として、ソバとライ麦、ジャガイモが生産を始められており、今後もその傾向が続くだろうという。
というのも、東北での生産は東ロシアへの輸出を見込んだ生産が行われ、更には欧州派兵や東ロシアとの関係で米飯からイモやパンへの主食の変化まで起きている。そもそもがコメの生産に不利な事もあって、食文化と農業生産がリンクしてその様な状態になっているのではと話している。
関東や西日本はコメの生産が盛んで、九州は焼酎をはじめとした蒸留酒向け穀物の生産にシフトしている。なにせ、となりに飲兵衛が居るからね。
もう一つの理由が米国の禁酒法。
禁酒法の域外である遼東半島では日本から酒類を多く購入していた。
ルーズベルト大統領になって禁酒法が廃止されたが、すべての州で解禁となった訳ではなく、遼東半島や満州は酒の楽園という側面も持っている。
その点でもルーズベルトって矛盾だらけだ。
まあ、それはそれとして、その様に、日本から東ロシアや遼東半島への酒類の輸出がかなりの量行われ、ウィスキーやウォッカなどの蒸留酒が特に人気だ。
その為、焼酎生産が盛んな九州では盛んに蒸留酒を作り、輸出が行われ、酒造メーカーと農産企業が酒用穀物生産で連携していたりする。
まあ、日本の農業も随分と産業、商業としての側面が表に出て来てるね。家業的な史実日本とは大きく異なっている。
そんなこんなでプサンでしばらく東ロシア皇族と過ごし帰国すると訃報が舞い込んできた。
乃木元帥が亡くなったという。
「父も殉死するはずの運命から逃れ、今まで生きて来れたんです」
感慨に浸る乃木さんをそっとしておく。
負けが込んだ日露戦争の地上戦における大金星である旅順攻略。
さらに、司令部の撤退の際には殿としてその役目を果たし、鞍山防衛戦を混乱なく指揮統率したのも乃木元帥だった。
そして、息子と共に欧州へ渡り、日本軍総司令官としてフランスにあり、フランス軍の反乱の際には、混乱するフランス軍部を上手く取りまとめたという功績まである。
英国のジョークにもなっている。
「フランス人は勝っているうちはナポレオンを指揮官にしたらいい。彼ほど勝ち戦のふさわしい軍人も居ないだろう。だが、フランス軍が負けた時には極東から乃木を呼んでこなければ収拾が付かないだろう」
そんなフランスや英国からも多くの弔電が届いている。
桜が咲き乱れる中で行われた乃木元帥の国葬。本人は全く望んではいなかったが、そうしなければ弔問の対応すらできなかった。
その騒ぎが収まりきる前に今度は東郷元帥が亡くなる。
日本は半年のうちに偉人を二人も失う異常事態となった。
そんな日本の状況を嘲笑うかのような事件が夏、いや、当地では冬に起こった。
西オーストラリアにおいて日本人街襲撃事件が起こる。
バカな事に、乃木元帥や東郷元帥を中傷しているのだから、どうしようもない。
日本政府は正式に得た権益を侵されている旨を豪州政府に伝えるが、まるで取り合おうとしない。
9月には騒乱はさらに拡大して、本来なら軍や警察が出動すべき事態になっているのだが、政府は知らん顔。
9月19日、とうとう日本政府は豪政府に最後通牒を突き付ける。
10月までに事態の改善が無ければ、日本軍、警察を派遣する。
豪政府の反応は侵略行為には断固対処するというものだった。
その豪政府の声明に対し、米政府、独政府が支持表明を行う。英国政府は豪政府に速やかな事態収拾を表明するが、口だけでそれ以上の事はやろうとしない。
10月3日、事態は悪化の一途をたどり、日本が正規に取得している鉱山へも騒乱が飛び火した。
この事態に、日本は豪政府に内乱を抑える力なしと宣言、邦人並びに日系移民保護のための派兵を宣言する。
10月10日には米政府がこれに抗議してハワイへと太平洋艦隊を集結させる旨を表明するが、日本が取り合う訳もなく、10月25日には西オーストラリアの州都であるパースへと日本軍が入る事になった。
豪政府は日本による侵略だと訴え、米独がそれを支持した。
だが、豪への支持はそれ以上増えることが無い。
乃木元帥を中傷するプラカードを掲げる写真が欧州に出回ったことで、誰もがその囚人根性の方を疑った。
乃木元帥の功績を疑う欧州人は少ない。精々、無償で特許技術を含む先端技術をかすめ取られたドイツ位のモノだった。
米国民にはノギ?誰その子?な状態で、良く分かっていなかったし、ルーズベルトによる満州収奪説を吹聴されてるので、一人の東洋人の事などどうでも良かった。
当然ながら、国際連盟でも騒乱を放置して国家間協定を無視する豪州への批判が集まる。
内容はどうあれ、日豪協定が反故に出来るなら、ベルサイユ条約を反故にする口実になりかねないのだから、認める訳が無い。
ベルサイユ条約を反故にする気満々のヒトラーが前のめりに豪州支持にまわるものだから、余計だ。
1935年を迎える頃にはとうとう英国も動いて事態は終息する。
日本は軍の駐留を求めることはせず、損害賠償要求のみを行った。
英国がまたキレてより不利になる事を恐れる豪州は日本の要求に従うほかなく、渋々賠償要求に応じて来た。




