32・そして、一つの時代が幕を下ろす
1932年11月の米大統領選は圧倒的大差でルーズベルトが勝利を決めた。
米国の経済状況を見ればそれは当然であったが、乃木さんが気になる事を言っている。
「史実とは違って、上海派による満州派潰しという行動が追加されているようですね」
との事だった。
移民法改正による日本人移民排除、そして、満州派に属する企業を狙い撃ちした法改正も唱えられている。
そこには日本や満州に工場を持つ企業への重税であったり、上海派を優遇する条項であったり、そんなものが堂々と叫ばれているという。
そこで利用されているのが、上海事件での報道写真だった。
中国人が虐げられているモノ、日本兵が死体の前に写っているモノ。
そんな写真をこれでもかと載せて対日批判をし、満州進出企業をその手先だとこき下ろしている。
満州派はそれに反論しているのだが、主要新聞を大統領や上海派が抑えているために、上海の実態が伝わっていない。
上海では南京事件で米軍の動きが緩慢だったことから、今回の事件においても日本街を狙うついでに狙われ、相当な被害を出している。
日本人街を狙った代償として部隊壊滅が起きているが、米国人を狙って多少のお釣りをくすねることに成功した。
それが上海だけでおさまるはずもなく、同じ白人というだけで英国人も狙われ、迷惑しているらしい。
英国の場合、砲艦を繰り出して賊を砲撃しているので多少は見分けようとしているらしいが、白人の見分けなど付くはずもなく、無差別に狙われる始末だった。
それでも上海派からの援助が入るんだから、南京政府はこんなおいしい商売はないだろう。
そしてこの時期から、北京政府への支援が痩せ細り、南京政府による北伐が本格的に始まっていく。
北京政府を支援するのは満州派と東ロシア、そして日本だ。
そんな事態が西の大陸で進行している1933年、とうとう日本においてシュナイダートロフィーが開催された。
会場には鹿島が選ばれた。
だだっ広い海岸線、波の影響があれば離着水を北浦へ変更できるのが利点だった。
そこに、真っ赤なマッキMC72、そして、白地に赤をあしらった二宮機。
安全性を理由に英国が降りてしまったので一騎打ちだが、どちらともなく今年が最後という想いがあった。
どちらも技術的には限界であることが分かっていたし、そろそろ陸上機の方が有利になりつつあった。
こうして、両者万全で臨んだ大会はいきなり680kmを超える前代未聞の記録が連発する。
そして最終飛行において、マッキMC72は時速708kmを記録。
二宮も708kmで並んでいた為、平均速度を出すためにさらに飛行が継続し、結果的により最高速を持続できたマッキMC72に軍配ががった。
差があったという訳では無かったのだが、安定性ではマッキであった。
だが、中島さんはこれで負けたとは思っていなかった。
「歴史をちゃんと残すのも大切でしょう?この二年で実用化に必要なモノ、実用化で求めるべきものが分かりました。誉はもう、レースエンジンではなく、実用エンジンとして歩みだしているんです」
そんな事を語っていた。
同じ24気筒エンジンではあるものの、イタリア機が搭載するのはV型12気筒を2基つなぎ合わせたレース用。
誉は既に実用化を目指して開発が始まった実用試験エンジン。
目指す方向性が違った。
そして、誉を積めば700kmというプロペラ機の実用限界速度を出せることを証明した。
それで十分だったらしい。
その後、英国も交えての協議によって、シュナイダートロフィーを今年を持って事実上終了とし、1935年大会は規定コースの周回時間を競う物へと変更する事が決まった。次回からは水上機でも陸上機でも良くなる。
日本はシュナイダートロフィーに沸いていた。
西の大陸では南京政府が快調に北伐を行い、ドンドン北京に迫っていた。
そして、事件を起こした。
それはコロンビア号事件を彷彿とさせるような米客船襲撃事件であったのだが、なぜか米国では大きくは報じられず、ほとんどの人が知ることはなかった。
だが、本来ならば米国にとっても重大な事件のはずだった。
その客船に乗っていたのは満州を目指す米国人たちであり、そんな彼らが被害に遭ったのだから。
報道が小さかったのは、昨今活発になった大陸沿岸での海賊活動を警戒する海上警備隊が運よく客船の近傍に居り、事件発生直後に駆け付けたからだが、それでも乗り組んできた海賊によって30人余りが殺害され、身に着けていた宝石や貴金属を奪われている。
問題視して議会で訴えた議員も居たが、今や上海派優勢とあって、相手にされなかった。
だが、米政府のそんな態度が更なる事件を引き起こす。
大連に渡った支那人グループが大暴れして射殺される事件が起きる。
南京政府高官の子息が含まれていた事から問題化したが、誤射という扱いとなって見舞金が支払われることになった。
それからも支那人来航者による事件や騒動が後を絶たなかったが、米国政府は対応しないか、現地の過失として見舞金を払う行動を繰り返す。
こうした行動に対し、南京政府は「米国は正義を尊重し、我々を平等に扱っている。日英ロは未だ不平等を是認している」と米国をべた褒めしていたのだが、やっている事はとんでもなかった。
こうして、反帝国主義運動と称して山東半島でも南京政府軍が暴れ回り、英軍が鎮圧に乗り出す騒ぎとなる。
そうした騒乱に対し、英国からも抗議が行われるが、米政府は「門戸を開放する南京政府に事態を任せればよい」と取り合おうとしなかった。
そして、そこにドイツが入り込んでくる。
ドイツ国首相アドルフ・ヒトラーは日本で開催されたシュナイダートロフィーを、自国から盗んだ技術と拉致した技術者によって行われた醜い祭典だと痛烈に批判。講和条約を根拠にした技術者抑留と技術の収奪に対する賠償を求めると声明を出すに至る。
日本側の返答は、技術者自身の意思による帰国と日本が受け取る賠償金からの減額だった。
ヒトラーはその返答に話にならないと回答。ただ、それ以上何がある訳ではなく、ただ日独関係が冷え込むという以上の事は無かった。
その裏では南京政府支援が大幅に拡大していたのだが。




