30・そして、騒乱が始まろうとしている
1931年と言えば満州事変の年だが、この世界の日本、満州には兵隊が居ないのでそもそも、その様な事件は起きようがなかった。
その代わり、シュナイダートロフィーでの二宮の優勝という大事件が起きたわけだ。
この優勝は世界に衝撃を与えた。
英国ではその飛行を目の当たりにした観衆が二宮の技術力を称賛した。
イタリアも日本の実力に驚愕したが、否定はしなかった。
フランスは驚きと称賛で沸き返った。
これらの国は先の大戦で日本軍との関りがある国々であり、多くの人々が日本人を直接知っていた。
これに対し、直接に日本人を知るドイツは真逆の反応であった。
それは当然だろう。自国から多くの技術、工作機械、技術者を攫って行ったのだから。
ドイツ人からすれば、今回の優勝は自分達から技術をかすめ取ったから出来ただけという認識だった。
さらに、日本に攫われた技術者をも敵視するようになる。
そして、米国だが、国民の大半と上海グループの主張は完全に自分たちの技術と金をかすめ取ったからだという反応だった。
満州グループは素直に祝福している。
米国の反応には大きな理由がある。
中島さんがドイツ人技術者と共に合成繊維開発に成功しており、日本の繊維産業が米国を席巻するだけでなく、どうやっても盛り返せないほどの打撃を受けていたからだ。
本来、品質では日本よりも米国製の方が良かったはずなのだが、合成繊維を使った布地を開発して米国市場へ展開した事で、逆立ちしても勝てないほどの差を付けられていた。
さらには満州グループに属していない企業が日本人に買収されている。
それ自体は満州グループと組んだ企業再建なのだが、新聞を駆使して反日が展開され、真実は国民に伝わっていなかった。
その為、日本の勝利はただ反日機運を高めるだけに終わっている。
そんな日本ではお祭り騒ぎである。
1933年大会の日本開催が決まったのだから、騒がないはずがない。
こうして、二宮では多くの支援を受けて更なる開発が行われることになった。
イタリアも雪辱に燃えている事が伝わっている。
だが、英国は日本大会の辞退を既に言い始めている。
技術的にそろそろ危険な領域に入っており、いついかなる事故が起きても不思議ではないというのだ。
中島さんもそのことは認めている。
小山さんによるとすでに現在の機体は技術的に計算だけでは確信が持てない領域にあるそうだ。
飛んでみなければ分からない。だが、どこまでやれば壊れるのか、計算上の限界が当てにならない。
計算だけなら出来るが、素材、組み立てでどのような想定外が起きているかもわからない。あまりに因子やら変数やらの予測が付かないという。
それでも飛ばさなければならない。
「エンジンに愛称が付きましたよ。誉と言うそうです」
いつだったか中島さんがそんな事を言って来た。
誉と言うのは史実での戦争末期に中島飛行機が作り出した2000馬力級エンジンの名前だそうで、実用化出来ればコレを超えるモノは作られないかもしれないから、それで良いかもしれないと言っている。
「ついでに、16気筒版を作って栄という名にしましょうか。排気量も馬力も近いエンジンが出来ますよ」
と、冗談を言っている。
そして、何事もなく1932年を迎えたのだが、大陸が不穏な状態になっているという。
米国が大統領選挙の年なのだが、どうも、上海グループと満州グループの争いが南京政府と北京政府の間で起きているんだとか。
そんな中、2月に入ると上海租界で日本人が殺害される事件が起きた。
さらに立て続けに3件も連続したので軍が部隊を増派して警戒に当たる。
すると、今度は日本軍を挑発するような動きがみられるようになった。
3月12日には小競り合いから本格的な戦闘へと発展する事になる。
いったん南京政府軍は退き、衝突は沈静化、話し合いがもたれて事態収拾が行われたのだが、この事件が米国で報道される。
その内容がまた、満州グループが日本と結託しているというものだった。
米国政治では、完全に上海対満州の構図が出来ており、どちらに与するかが大統領候補レースの焦点であったらしい。
そして、8月には再度、日本軍と南京政府軍が衝突した。
上海近郊の在留日本人町が襲撃され、その救出に向かったところで待ち伏せされていた訳だ。
日本側が圧倒的優勢な仲での戦闘が行われ、戦闘は2日で収束したのだが、これがまた米国で騒がれる事になる。
こうして、米国では満州グループに与する大統領候補が倒れ、経済回復が出来ない現職と上海グループに属するルーズベルトの戦いが確定した。
なぜか、米国での選挙情勢が明確になると、南京政府は日本と和解することになる。
この上海事件に出動した日本軍が装備していたのが、南部さんが四五式携帯機関銃の後継として開発した九〇式軽機関銃だった。
四五式ではモデルとなった九六式軽機関銃同様、弱装弾と呼ばれる機関銃専用弾が望ましかったが、改良三〇年式実包を採用して四七式騎銃やその銃身を若干伸ばした八九式歩兵銃と弾薬を共通化した。
擲弾筒もさらに操作性や携帯性、更には弾道特性に優れた新型榴弾を運用する八九式擲弾筒が採用されている。
より大きいのは戦車だろうか。
二宮製エンジンを使った試作車が作られていたが、その経験を生かして開発された八九式中戦車が上海へ持ち込まれた。
八九式中戦車は車重14t、空冷水平対向200馬力エンジンと一体型変速機を備え、時速35kmであった。主砲には37mm狙撃砲が採用されている。
八九式中戦車とは言うが、「足回りの違いをのぞけばチハたんですね」と、乃木さんが言っている。
チハたんという戦車は確かに知っている。なるほど、まさにこんな感じだ。だが、何かが違う。




