25・そして、名声に手をかける
1927年と言えばさらに特筆すべきこととして二宮の快挙が挙げられるだろう。
水冷化したエンジンの出力は飛躍的に向上し、出力だけでならば他を圧倒すると言われた。
ただ、機体に関しては大きな進展が無かったために、大出力エンジンを持ちながらも二位に甘んじてしまった。
だが、それでも快挙である。
確かに大戦において欧州の空を飛んだ二宮であったが、突出した性能がある訳では無かった。
それが、この大会でようやく日の目を見たのだから、喜ばずにはいられない。
ただ、嬉しいニュースだけで終わる事は無かった。
中島さんに言わせれば、燃料も潤滑油もまるで必要なモノがないし、何より機体がどうしようもないという。
レースエンジニアである彼がいくらか手直しはしたが、基本的に飛行機設計者ではないので全体を見ることが出来ない。特に、胴体はともかく、翼は専門外だと言っていた。
そんな訳で、シュナイダートロフィーから降りた米国の協力を得るために、交渉したらしい。
そうしてやって来た技術陣と以前から居るドイツから攫って来た技術者によってさらに設計の煮詰めが行われ、燃料や潤滑油の開発にも乗り出すことになった。
そんな、かなりの費用を要するものに二宮だけでは到底足りず、国も支援して開発が行われている。
まあ、そのアメリカ、経済は未だ絶好調だが、政治的にはとんでもないことになっている。
現在のニューヨーク州知事を核とする上海系グループと、遼東半島を得た後にアジアへ進出した満州系グループに分裂している。
この世界、排日移民法として知られる移民法改正でまだ揉めている。
というのも、この上海派と満州派が揉めており、満州派がずっとその成立を阻んでいるのが原因だった。
満州派にすれば、そんな法律が出来ては困る。
満州を得た米国は常に日本を必要とし、満州事業は日本無しには考えられなくなっていたからだ。
だが、南京事件以後、上海派がそこに異議を唱えだしている。
曰く、同じ東洋人なのに、なぜ優遇する必要があるのか?と言い出した。
だが、ここ最近は日本人移民の規制など無意味になりつつある。
日本国内での産業振興により移民自体が大幅に減っている上に、大戦時のヤラカしによって豪州への移民が可能となり、米国が満州で張作霖を殺害した事で満州人と敵対したため、多くの満州人を排除したので労働力が足りなくなっていた。
そこへ、米国ではなく近くの満州へという機運が高まり、移民の主力が満州になったのである。
上海派はこれが気に入らなかった。
満州へ日本人が移民すれば日本に実質奪われてしまうと批判を展開する。
満州派から見れば、テーハンや北満州へ移民した日本人が現地に馴染みロシア人と仲良くやっている。あまりに馬鹿らしいと思ってる。
そこまで言うなら、お前たちが白人労働者を満州へ送れと言う。
だが、よほどの決断力がないと動かないし、米国こそ移民の国であり、多くの人はワザワザ米国を出ようなどとは考えていなかった。
そんな対立が続く1929年にそれまで異常な暴騰を続けていた株価の暴落が発生した。
上海派は叫ぶ。日本の陰謀だと。
満州派はそれを笑って退けるが、米国人には実態などわからない。
更に、ニューヨーク州知事が新聞を使い、事態は日本が裏にいるかもしれないと言い出した。
一般の米国人はそれを信じて反日運動を始める。
そして、矛先は満州派にも向いてくる。
満州で財を成した連中こそ、日本に唆されてこの事態を招いたのではないかと。そもそも、米国内でだぶついた資金が満州へ流れていたのに、そこに何かがあって株価が暴落したのだと。
そうなると後は坂を転げ落ちるように移民法改正が行われた。
だが、そこにニューヨーク州知事らが中国人排斥法の抜け道を用意したなど気付きもしなかった。
こうして1930年には排日移民法が成立する。
さて、その前に1929年の喜ばしいニュースの話をしようではないか。
隔年開催となったシュナイダートロフィーが開催された。
二宮は残念ながらトラブルでリタイヤしてしまうが、それまでに記録した速度は参加機の中でトップであった。
英国もイタリアも突き放す速度を出していた。
ただ、それを可能にしたエンジンは無理をしすぎており、ゴール前で大きく減速してしまい、ゴールできずに不時着水を喫した。
中島さんに速度記録が出た事への祝辞を送ったが
「まだまだ耐久性も潤滑も足りていないですよ。ゴールできずに終わったら記録も何もありません」
そんな、どこまでも妥協のない言葉が返ってきた。
公式な速度記録として世界からも称賛されたのだが、満足しない姿勢には驚くしかない。
そんな事があった今年のもう一つのビックニュース。個人的にだが。
何か知らんけど、海上警備隊の警備艦にレーダーが付いた。
まだレーダーと言っても俺の知る物ほどの性能はないらしいが、瀬戸内海の船舶が増えてしまったせいで事故が多発しているとかで、備讃瀬戸、来島、関門で航路管制が始まった。どうやら半世紀以上早い導入らしいが、それだけこの海域の船舶が多いという事だろう。
そして、その管制に当たる管制局に地上設置型の大型電波設備が設けられたのが1925年。
精度や信頼性を向上させながら何とか今年から本格運用が可能となり、瀬戸内に電波監視船なる船を浮かべることになり、その開発で、簡易な装置を普通の警備艦にも付ければ救難活動に役立つぞとなって、配備が決まったとの事だ。
平賀さんが色々やっていたらしく、この数年でアンテナと電波発振器の性能向上に弾みがついているという。
「ただ、モノがモノですので海外発表は禁じています」
と、乃木さんも言っている。
日本のレーダーってかなり遅れていた印象だが、この頃には既に研究され始めていたのか。それでおくれた原因は、日本でよくある組織の無理解だろう。
ほら、国や自治体のIT化が進まない原因も職員削減につながる事はやりたくないって考えに似てるよ。
急速なIT化を進めたニュージーランドの官庁はなんて、大幅な人員削減達成したとか聞いた覚えがあるしな。スパコンとAI導入したら財務省なんて人がほとんど要らんだろうし。
そんな訳で、最近、一部の警備艦にテレビアンテナみたいなものが装着されている。乗組員からかんざしとか言われてるらしいが、たしかにそう見えるよな。




