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24・そして、戦雲が見え始める

 昭和である。名実共に昭和である。


 ちゃんと兄は生きてるが、昭和である。


 そんな、1926年。昭和二年。


 この年、満を期して二宮がシュナイダートロフィーレースに出場した。


 結果は初出場という事もあって二宮の名前を歴史に刻んだという以外になかったが、得るものは大きかったと中島さんが言う。


 今後さらにエンジンも高性能化を目指して開発していくらしく、これまでの様に空冷エンジンではなく、水冷化するという。


 そして、このまま自然吸気でいくか過給機を導入するか悩みどころだと言っている。


 じゃあ、自動車もあるんだからF1やれば?と言ったら、F1というカテゴリーの自動車レースは1950年から始まるもので、まだないそうだ。でも、ル・マン24時間レースはやっているらしい。


 ただ、今の日本ではカートやフォーミュラレースこそ始まっているが、ル・マンに出場するような車が存在しないという。


 その上、ドライバーも居ないと言っている。


「今すぐ参戦は無理ですが、そのうちアッと驚く結果を出せますよ。それに、飛行機メーカーという利点を生かして、まだこの時代には自動車に装備されていなかったシートベルトの開発や安全性の高いヘルメットにも手を出しています」


 と言っていたが、たしかに、あのスポーツカーにはシートベルトなかったし、カートにも無いなと。フォーミュラは付いてるんだ。どうやら、今の時代、シートベルトがまだ珍しいらしいよ。


 そして、タイヤも不満だし、ブレーキもと言っている。


 それは言い出したらきりがないので、何とか自分で頑張るそうだ。


 さて、そんな日本、絶賛電力不足が進行中で、各地にダムがどんどん建設されている。


 本来ならば戦後に始まる電力開発が大正時代に始まるこの異常さ。


 そんな訳で、ダム建設ラッシュなのだが、史実では発電用では無かったダムが発電用として建設されている例もある。


 そうかと思えば、技術的に難しいダムが後回しにされたり、形式を変えて建設されたり、色々と違いが出てきているという。


 そんなダム建設で足りない発電を満たすために小型水力発電も各地で盛んに建設され、そうした発電所建設ラッシュが混乱も招いている。ここも史実とは事情が異なってきているらしい。


 そして、ようやくというかなんというか、電力会社の整理が始められるのだが、その様な中で残念な出来事も起きた。


 急速な電力需要の高まりもあって、ダム建設が急務となり、反対運動を半ば強引に押しのけて建設が行われた結果、1926年現在、尾瀬にダムの建設が始まった。


 日本初のロックフィルという形式で建設されるらしく、完成すれば尾瀬は湖底に沈む。


 そんな残念なニュースも存在するが、まだまだこの時期には環境保全とか自然保護運動というものは注目されておらず、せっかくの景勝地が一つ消えることとなる。


 ダム建設で変貌するところは尾瀬だけではなく、日本全国にある訳だが、尾瀬は特筆して良い場所ではなかろうか。


 そんな悩ましい事があった翌年は、対岸の火事であった戦火が日本にも及んだ。


 日本がと言っても、正確には日本人が巻き込まれたので軍が派遣されたのだが。


 1927年3月24日に南京が蒋介石の軍に占領され、反米を叫んで在外公館を襲った。


 この頃の大陸情勢は米国が張作霖を殺害して以後、北洋政府が資金源を失い衰退。


 そのままではまずいと思った米国は英国を巻き込んで北洋政府を下支えしていたのだが、そこには米国内における問題も絡んでうまく進んではいなかった。


 そんな中で1925年には統一機運が高まり、広東に居た孫文が北京へ招かれるのだが、そこで死去してしまい、平和的統一はとん挫し、再度の内乱状態となる。


 その後、共産党と結びついた蒋介石が北伐を再開し、上海を占領、南京へと押し寄せたのだった。


 そして、事件が起こる。


 反米は反列強へと変質し、日英公館も襲撃されることになったが、米国がもたつくのをしり目に、日英が南京を砲撃し、陸戦隊や陸軍を上陸させて在留邦人の保護を行う。


 ただ、日本軍は市内に残された在留邦人を捜索するため、市内での大規模戦闘に及ぶことになった。


 まあ、警備艦5隻と駆逐艦2隻で送り込んだ陸戦隊と陸軍がそれなりに戦闘能力が高かったことが原因なんだが。


 この時、対応を渋る米艦をしり目に、助けを求める米国公館の救助要請にも応じ、米国人多数も保護して撤退した。


 この戦闘を支援するため警備艦は6斤砲の後継として採用した8センチ速射砲を1000発近く撃ち込み、市内では擲弾筒や噴進筒が飛び交った。


 少数部隊と侮って交戦を仕掛けてくる国民軍を蹴散らしながら、市内をかなり破壊して回る事となり、事件後、蒋介石は日本を非難する声明を発表する事になった。


 さて、この事件、日本軍は上海での騒動の時点で済州島から急派した陸海海上連合軍による本格作戦であり、現体制が確立されて初となる事から、政治情勢も考慮せずにかなりのめり込んでしまう結果となった。


 政府は頭を抱えたが、やってしまったものは仕方がない。


 単に政治が軍を指揮できるという曖昧な規定ではなく、政治と軍事行動をどう連接させていくのか、この事件で課題が浮き彫りとなってしまった。


 この問題に取り組む乃木さんはかなり忙しそうなのは分かる。


 なぜか南部さんも色々忙しそうだ。


 何でも、国民軍が主力とするドイツ系装備が威力が高くて軍からどうにかならないかと言われたらしいが、どうしようもないという。


 今回展開した部隊の主力小銃はもはや小銃ではなく、四七式騎銃であった。


 その為、敵方の小銃や機関銃がレンガや装甲や土嚢をバカスカ削っていく高威力な事に苦戦したと不満を並べて来たが、では、制圧できなかったのかというと、市街戦では十分に現有装備が威力を発揮したし、擲弾筒が新たに射程を650mにまで伸長した十年式擲弾筒に更新され、機関銃の制圧も楽に行えている。


 作戦としては申し分なかったが、敵方のインパクトがという話らしい。


 もちろん、欧州戦線でもドイツ軍の小銃や機関銃に対して力不足と不満があったので、航空機銃として導入した303ブリ粕弾を用いた小銃を試作したが、試験で反動が大きく、威力過剰で取り回しもやりにくいという話となり、歩兵部隊より遠距離で火力投射を行う重機関銃部隊や、装甲車用車載機関銃としてのみ303ブリ粕弾を採用すると決定した経緯があった。


 その話が再度蒸し返されて、結局同じ様な話の流れになっているという。


「そうかといって、携行弾数に限りがある今回のような部隊に自動小銃を渡しても継戦能力に問題が残るし、歩兵に配備するには予算も足らず兵站が維持できないですよ。戦時の様に言えば言うだけトラックが手に入る訳ではありませんから」


 そんな悩みを抱えているらしい。


 

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