コラム 松野家って何処?
松野家。
大友氏の支流。『大友系図』によると、貞親の子・親義(松野太郎)が松野姓を名乗ったのが始まり。
なお、Wikipediaにあったこの一文すら私が大友家を書いていた時見つからなかったものである。
あの時あったら……それはさておき。
大友親治が養子に入った肥後国の家なのだが、この情報が困った事に出て来ない。
グーグル先生で調べても、国会議員だった松野家が出る始末。
とはいえ、当てがない訳でないので、足掻いた足跡をしるしておこうと思う。
まずは地名である。
特にこの手の家はほぼ同じ地名が用いられている事が多い。
という訳で、『熊本県 地名 松野』で検索。
いくつかの地名が出てきた。
熊本県下益城郡美里町松野原
熊本県球磨郡球磨村神瀬松野
それぞれグーグルマップで場所を確認したが思ったよりも位置が南である。
熊本県下益城郡美里町松野原の方は領地的には阿蘇家の支配地域ぽいし、熊本県球磨郡球磨村神瀬松野はほぼ完全に相良家のエリアである。
大友家が密接に絡むには少し南かなと思うが、熊本県下益城郡美里町松野原の方はギリありかなと思ったり。
大友家の肥後支配の拠点となった託麻郡とそれほど離れていないからで、養子に入るなら分からなくはないかなと思ったり。
次は人の分布である。
このサイトによると面白い分布が見える。
松野さんの熊本県市区町村毎の人口・世帯数一覧 - なまえさあち
https://name.sijisuru.com/Area/cityfmap/%E6%9D%BE%E9%87%8E?prefindex=43
一位の熊本市はさもありなんだが、次からが面白い。
二位玉名郡、四位玉名市、五位鹿本郡、七位阿蘇市、八位菊池市、九位荒尾市、十位菊池郡と熊本県北部、菊池家領地圏内に集中しているのである。
なお、省いた三位の下益城郡と六位の八代市はこの前の話題であげた松野の地名の場所である。
じゃあ大友親治が僧侶をしていたという瑞光寺は何処にあるのかと探したが、グーグル先生だと熊本市のど真ん中にある訳で。
とりあえず、菊池家圏内のどこかに松野家はあったのだろうと私は思っている。
そうでないと、大友家と菊池家の繋がりがうまく説明つかないからである。
このあたりの研究が進む事をひそかに願っている。
追記
なお、この松野家についての調べるのが難関なのは、大友家改易後に大友義統の弟である田原親盛(田原親賢の養子になっていた)が、松野姓を称して豊前国の大名となった細川忠興に仕え、細川家の転封によって肥後に移って代々続いた為である。
もちろん、松野を名乗るに足る理由があると上の話から分かるのだが、結果としてこの松野家によって上書きされてしまい、知りたい大友親治が養子に入った松野家が分からなくなるというこの本末転倒ぶりに頭を掻きむしったのは言うまでもない。
そんな彼らの動向を追ったHPがあったのでリンクを張っておこう。
津々堂のたわごと日録 大友家由来の細川家家臣
https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/77f677bf8c155bf6af69e317fb2306db
結構もらっているな。こいつら。
利根川道孝というのが田原親盛で千五百石。主筋の松野右京も二千石ももらっている。
大友家子孫 大友宗麟・・・大友松野家・・・熊本藩・・・家老になる
https://blog.goo.ne.jp/ootomo1234/e/571d381b55df8238d153b937ca903d4c
こちらでは家老となっているが、熊本藩のWikipediaにある家老などを見ると、重臣の松井氏が三千二百石だから、まあ上の武士なのは間違いがない。
熊本藩 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E8%97%A9
なお、旗本高家の大友家の知行は千石である。




