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第25話 「恐怖の理由」

「『呪詛じゅそ岩貫石がんかんせき!』」


 ソフィアは走りながら拾った小石にそう呪詛をかけると、投擲する。投げられたそれは魔樹海の大樹を貫通し、一直線にそいつへと向かう。

 が、それはその怪物に当たる寸前で手に持っていた大剣によって防がれた。

 死角からの攻撃。これでも一撃当たらないことに、ソフィアは歯ぎしりする。

 何度目か分からない遠隔からの攻撃。その全てを防がれ、ソフィアは焦っていた。本来、呪術師は遠距離からの攻撃を得意とはしていない。それは呪術を物体にかけることが難しいという理由の他に、その種類自体が少ないことが原因だった。ソフィアもそのことは重々承知している。

 だが。


「『呪詛じゅそ岩貫石がんかんせき!!』」


 ソフィアは相手と一定の距離を保ったまま、遠距離攻撃に徹していた。

 その理由が、恐怖だった。

 相手のランクは強く見積もってもAランク。

 彼女が倒せない相手ではない。

 それは分かっている。

 それでも、なぜかソフィアの体は恐怖におびえ、相手との距離を縮めることを拒否していた。


――なぜだ? なぜ私はあいつに怯えているのだ?


 理由が分からない。

 勝てない理由も、負ける原因もない。

 体調はすこぶる良好で、視野も広く取れている。

 なのになぜ。


――なぜに私は恐怖を抱く?


 ソフィアは自分の感情を理解できないまま、呪いを紡ぐ。


「『呪詛じゅそ岩斬葉がんざんぱ!』


 拾った大樹の葉を投げつけ、くるくると回転しながら進み、目の前にあるすべてを切断しながら、怪物へと迫る。

 しかし、それも意味のないこと。

 ハイゴブリンは大剣を頭の上に構えると、タイミングを合わせて振り下ろす。

 すると木の葉は先ほどの勢いが嘘のように真っ二つとなり、普通の葉へと戻る。


――これでもダメなのか。


 ソフィアの顎から、大粒の汗がしたたり落ちる。

 この意味のない攻防が、すでに二〇分は続いていた。


――そろそろ決めないと体力が……。


 そう考えていたその時だった。


「ヴォォォォォォォォォ」


 突然の咆哮。

 長らく続いていた遊びに飽きたのだろう。

 王者ならざる者は、大地が震えるほどの雄たけびを上げた。


「!?」


 一瞬だった。ソフィアはその咆哮に思わず体が硬直してしまう。そして、それを見逃すほど敵は甘くない。

 そいつは地面を蹴って一気に加速すると、先ほどまで開いていたソフィアとの距離を一瞬でゼロにする。

 彼女の目の前には体長三メトルを超える巨大な怪物。


――これは……。


 まずいと考える間もなく、振り下ろされた大剣によって、ソフィアの左腕は宙を舞う。


「くっ!!」


 突然の激痛に遠のく意識を何とか保たせながら、ソフィアは跳躍していったん相手との距離を空け、空中で踊る左腕を掴み着地する。

 左腕を切断面に着けると、みるみるうちに傷が癒え、数秒もしないうちに左腕は元の位置に収まった。

 しかし傷は癒えても、脳に刻まれた痛みまでは消えない。

 もう感じないはずの痛みに、ソフィアの脳は混乱していた。

 その間相手はというと、大剣に付いた血をなめとり、凶悪な笑みを浮かべていた。


――いったん落ち着かなくては……。


 そう思考するも相手は待ってくれない。血で興奮したハイゴブリンはもう一度地面を蹴る。だが、ソフィアは慌てていなかった。

 目を閉じて、一度大きく深呼吸。

 時間が何倍にも膨れ上がり、ゆっくりと流れる。

 その間、ソフィアは思考に意識を落としていた。


――どうして、自分はこんなにも恐怖を抱くのだろう?


 どうして、怖いのだろうか、と。

 何が変わった?

 昔と今とで何が変わっただろうか。

 何も変わっていない。いや、一点だけ変わったことがある。

 それは、一人ではなくなったこと。

 昔はいつだって一人だった。狩りをするのも、食事をするのも、寝るのだって一人きり。何十年と変わらない生活をしてきた。起きて、食べて、寝るだけの生活。確かに、たまにはザザムに会いに行ったりもしていたが、基本は一人だった。

 では今はどうだろう。

 大して変わってはいない。起きて、食べて、寝る生活。しかし、もう一人ではなかった。ハルがいる。ガノンがいる。ほかにも大勢の古種こしゅがいる。もう一人ではない。

 昔からは考えられない生活だった。

 一人でいいと思っていた。例え誰かと一緒にいたとしても、それは一時のこと。ソフィアにとってはまたたきに等しい時間だ。それでも大切な時間になることは分かっていた。その時間を経験してしまえば、もう元には戻れない。一人の時間に耐えられなくなってしまう。それがわかっていたから、一人を選んでいたのだと、今なら分かる。


――結局、私もまだまだということか。


 なぜ恐怖を抱いていたのか。

 なぜあいつを恐れていたのか。

 その理由がわかった気がした。

 ソフィアはゆっくりと目を開ける。

 そこには先ほどと変わらない、巨大な生物の姿があった。

 大剣を振り上げた、巨大で強大な魔獣。

 しかし、そこにもう恐れはなかった。

 ソフィアは自分の右手の親指を噛むと、その名を紡ぐ。


「『呪術じゅじゅつ恩讐おんしゅう手刀てがたな』」


 呪核がうなりを上げ、熱を帯びる。


――私は最初からこいつを恐れてなどいなかった。


 呪核が変化し、右手の側面に黒い刀が形成される。

 そして。

 ドォォォォンン。

 振り下ろされた大剣を、ソフィアはその刀で受け止めた。

 驚愕で見開かれる赤黒い瞳。

 それとは対照的に、ソフィアの顔には凶悪な笑みが浮かんでいた。


「さっきは悪かったな。なめたことをしてしまって。だが安心しろ。ここからは本気で戦ってやる」


 彼女の言葉を理解したわけではないだろう。

 しかし何かを感じ取ったのか、ここで初めてハイゴブリンの方から距離を取った。だが逃がす彼女ではない。

 恩讐の手刀を解除すると、それを紡ぎながら一歩踏み出した。


「『我は武の王なり』」


 一歩、また一歩と敵との距離を詰めていく。


「『我の歩む道に生者はおらず』」


 決して早い歩みではない。それでも、その気迫に、ハイゴブリンは動けないでいた。


「『我の背を見るは亡者の瞳。この拳、赤く染まろうとも、歩む道に一片の悔いはなし』」


 ハイゴブリンとソフィアの距離がゼロになる。そこに立つのは、もうただのハイゴブリンだった。


「『生者に祈りを、亡者に敬意を。我の拳、ここにあり』」


 ソフィアは腰を落とし、拳を構える。


 そして。

「『呪噤じゅごん・孤独な武王の寂然せきぜんたる正拳!!』」

 それは放たれた。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。面白いと思っていただけた方は。ブックマーク、評価、感想等よろしくお願いします。

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