第20話 「誕生の予感」
一歩、また一歩と、僕と師匠はゆっくりと、しかし確実に歩みを進める。魔樹海の道はお世辞にも歩きやすいとは言い難い。大樹の大きな根が行く手を阻んでいることもあるし、ぬかるんでいる場所もある。そんな道を進むとなれば、ゆっくり確実に進むほかなかった。出来るだけ早くパネッタさんを見つけたい。でも、この森がそうさせてはくれない。気持ちばかりが焦っていた。
大きな根を飛び越えて、思わず膝に手をついてしまう。僕の荒い息遣いが静かな魔樹海に小さく響く。
「大丈夫か?」
「はい……。なんとか」
「すまないな。こんな道しか選べなくて」
魔樹海を歩くのは初めてではない。修行中はもちろん、長尾族や鱗族の村に行く際にも師匠と一緒に魔樹海を歩いている。しかし、ここまでの悪路は初めてだった。きっと師匠が僕が歩きやすい道をわざと選んでくれていたのだと想像できるが、今はそれどころではないのだろう。魔樹海はとても危険だ。魔獣はいたるところに潜んでおり、薄暗いここではいつ襲われるか分からない。またその数も、魔樹海の外と比べると比較にならないほど多かった。そんな場所で、普通の人が生き残れる可能性は極めて低く、ゆえに一刻も早くパネッタさんを見つける必要があった。師匠もそれは十分理解している。だから、道の良し悪しに関わらず最短距離を進んでいた。
「パネッタさんは無事でしょうか?」
僕の質問に、師匠は眉間にしわを寄せると、大きく息を吐く。それはまるで解けない難問を出された学生のような表情だった。
「正直に言うと、分からない。いつもの魔樹海なら、もう生きてはいないだろう。ただ、今回は少し様子が違うようだ」
「違う?」
僕は疑問をそのまま口にする。師匠は一つ頷くと、高い根の上から先を見渡す。
「あれを見てみろ」
そう言われ、僕は師匠と同じ高い根によじ登り、視線を先に向けた。
するとそこには、優に百を超えるゴブリンの死体が、あたり一面を埋め尽くしていた。
むせかえる程の血の匂いが、これが現実だということを思い知らせる。
「これは一体……」
「私のも分からない。ただ異常事態だということだけははっきりしてる」
異常事態。その言葉に、僕の心臓が鼓動を早める。あの時と同じだ。
「もしかしてまた準魔が現れたんですが?」
「いや、それは考えにくいだろう。こんなに短期間に準魔が現れた歴史はない。それに、ゴブリンだけというのも気になる」
確かにその通りだ。準魔はその性質上、そう簡単に生まれるものではないし、師匠の言う通り、この場にゴブリンの死体しかないのもの気になる。
ゴブリンをここまで殺したのは何か。ゴブリンは下級魔獣だが、決して弱いとは言えない。それは歴史が証明している。
ではそのゴブリンを誰が殺したのか。
何かが起こっているということは確かだが、それが何か分からない。
「準魔じゃないとすれば、一体誰がこんなにゴブリンを殺したんですか?」
僕の質問に、師匠は髪をかき上げると、一つ息を吐く。
「本質はそこじゃない」
「えっ」
予想外の返答に、僕は思わず間抜けな声をあげてしまうが、師匠は気にすることなく地面に降り立つと、ゴブリンの死体に歩み寄り観察する。
そして。
「これを見てみろ」
師匠に言われて僕も近くにより、観察する。ゴブリンの死体。その断面は鋭利な刃物で綺麗に切られていた。
「これは……」
僕の呟きに、師匠が悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべる。
「断面が綺麗すぎるだろ? ゴブリンの体をここまで綺麗に切れるのは、相当な手練れだ。つまり、これをやったのは魔獣ではなく、人間ということになる」
「僕たち以外に、この魔樹海に人間がいるということですか?」
「そのようだな。だが、ことの本質は他にある。――ゴブリンがここにいるということだ」
言われてみればそうだ。ゴブリンは基本的に浅部に生息している下級魔獣だ。つまり、中部のここにゴブリンの死体があること自体が異常ともいえる。しかも百を超えるほどの数。これほどまでに生息域を逸脱する理由がゴブリンにあったということだろうか。
僕の疑問に、師匠は一瞬考えるも、まさかといって頭を横に振る。
「何か心当たりでもあるんですか?」
「ないわけではない。だが、可能性としてはかなり低い」
「それって……」
「ゴブリンキングの誕生だよ」
「ゴブリンキング?」
僕はその聞き馴染みのない単語に、思わず聞き返してしまう。しかし師匠は、知らなくて当然だ、と笑みを浮かべる。
「私も実際に見たことはない」
師匠はそう前置きしつつ、説明してくれた。
ゴブリンキング。
それは遥か昔、まだ呪術師が生まれて間もないころ、一度だけ姿を現したことがある魔獣。
一匹のハイゴブリンがいた。そのハイゴブリンは通常のそれよりも体格が大きく、力も強かった。そいつは虐殺に虐殺を重ね、次々と配下のゴブリンを増やしていき、ついには全てのゴブリンを従えるまでになった。そして、そいつは名実ともにゴブリン最強となり、進化を遂げ、いつしかゴブリンキングと呼ばれるようになった。
「これが歴史上一度しか現れたことがないゴブリンキングの伝承だ」
「ゴブリンキングは魔怪とは違うんですか?」
僕の質問に、師匠は「全く違う」と一蹴する。
「魔怪とは、普通の魔獣が殺戮を重ねて魔核石を強化し、進化したもののことを言う。だが、ゴブリンキングはハイゴブリンしかなることが出来ない。ハイゴブリンがゴブリンのコロニーを襲って統率し、近隣のゴブリンのコロニーを全て配下に納めたとき、肉体も精神も進化する。そうなって初めてキングゴブリンと呼ばれるようになるのだ。つまり、成長と進化。この二つが必要となる」
師匠の話に、僕は思わず息を飲んでしまう。成長と進化。それはとても恐ろしいことだった。魔獣は基本的に成長しない。どれほど強い魔獣でも、基本的には獣だ。技術もなければ心理もない。ハイゴブリンなどの多少知性のある魔獣でも、成長はしないため、人間のような戦闘技術は持っていない。いや、持つ必要がないと言う方が適切かもしれない。ハイゴブリンほどにもなれば、強靭な肉体に鋭い第六感があり、技術を持つ必要ないのだ。もしそれに加えて技術を持つようになったとするならば、それはもう魔獣とは呼べないかもしれない。
「どうするんですか、師匠。もしキングゴブリンが本当に生まれてたら、かなりまずいですよ」
「まずいというレベルではない。もし復活していたら、この私でも倒せるかどうか……」
そこまで話した時だった。
地面を揺るがすような突然の爆発音。
それに僕だけでなく、師匠もその方向を見る。
「えっ?」
「まさか……」
その爆発音は何度かその音を鳴らすと、さっきまでが嘘のように静まり返る。
「師匠、これって……」
「ああ、間違いなく誰かが何かと戦闘している」
「どうしますか?」
「もちろん、行くに決まってるだろ。もしかしたらパネッタ君もそこにいるかもしれない」
「ですね」
「よし! 少し急ぐぞ」
師匠はそう言うと、地面を蹴って、走り出した。
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