第28話 「勝利の頂と覚悟の差」
6000字程度です。
――体が……動かない…………!?
血を多く流し過ぎたせいか、呪術を使った代償か。
どちらにしても、正真正銘、体の限界だった。
四肢からは力が抜け、視界が少しずつ暗くなっていく。
師匠には、最初から手を出すなと言われていた。セレナさんにも勝てるはずがないと止められた。心配してくれる彼女らの言葉を無視して、僕はここまで戦ってきた。
言わば、自分のわがままだ。
カムルの仇を取りたい。
あいつに復讐したい。
もう誰も死なせたくない。
ただその想いだけで戦った。
セレナさんを連れて逃げようと思えば、逃げられたはずだ。呪術と紡呪を使えば、それもできた。
でも、僕はしなかった。
勝てないはずの敵に勝負を仕掛け、自分だけでなく他の人たちの命も危険に晒した。
僕は何をやっているのだろう。
良いじゃないか。
逃げたい奴は逃がしてやればいい。
もう限界だ。
一矢報いることが出来ただけで満足だ。
「十分…………よくやったじゃないか」
そう声に出してみて、何かが胸の中で引っかかる。
僕は、本当に満足しているのだろうか?
僕は、本当によくやったのだろうか?
僕は、今できることを全てやり切ったのだろうか?
胸の中で、その得体のしれないモヤモヤが広がっていく。
何かが足りないような気がする。
まだ、出来ることがあるのではないか?
まだ、やりたいことがあるのではないか?
そうでなければ、こんな気持ちになるはずがない。
「僕は…………」
仇を取りたいのか?
あいつに復讐したいのか?
もう誰も死なせたくないのか?
確かにそれもある。
「僕は!」
でも今はそれだけじゃない。
もっと単純で、もっと馬鹿らしい何かがある。
子供じみた、くだらない何か。
そこまで考えて、ふと一つの答えが浮かんでくる。
それはあまりに幼稚で、アホらしく、胸を張って誰かに言えるようなものではない。
それこそ、ここまで多くの人に迷惑をかけてしまったのならなおさら。
でも、だとしても、僕はもう知ってしまった。
自分の本当の気持ちを。
例え、それがどんなに幼稚で馬鹿らしいものでも、想いが自分のものであることに変わりはない。
だったら、胸を張って言葉にするしかない。
「僕は……。僕は、勝ちたい。あいつに勝って、強くなりたい!」
僕の胸に刻まれた呪核が躍動し、触手が熱を帯びる。
体中に力が湧き、勇気があふれてくる。
――こんな所で諦めるわけにはいかない!
「うああああああああああ!!」
僕は薄れゆく意識を半ば無理やり覚醒させ、震える脚に鞭を打って立ち上がる。
「はあ……はあ……はあ…………」
乱れる呼吸を無視して、僕はそいつを見る。
怪物は僕がくだらないことを考えている間に、地上を離れていた。高さはせいぜい七メトルから八メトルほどだが、僕の今の脚力ではあそこまで届かない。
それでも……。
――諦めるわけにはいかない!
僕は顔だけを後ろに向け、その人を見る。
星屑を編み込んだかのような白銀の髪に、月を彷彿とさせる金色の瞳を有した美少女。
史上最年少で王国魔法騎士団副団長に抜擢された本物の天才。
僕の憧れであり、目標でもある彼女。
セレナ・オルテンシア。
彼女は傷だらけの体で必死に立ち、心配そうにその綺麗な瞳を僕へと向けていた。
正直、こういう時にどういう顔をすればいいのか分からない。
僕にはライバルも、仲間も、家族すらいたことがない。励まされたことも、励ましたこともない。だから、こういう時、どうしたらいいのか分からない。
それでも僕は、今僕に出来ることをやるしかない。
「セレナさん。さっきお願いしたこと、覚えてますか?」
彼女が小さく頷く。
「……ええ。でも、あんなこと無理よ。タイミングが難しすぎる」
「きっと、セレナさんなら大丈夫ですよ。僕はセレナさんを信じてます」
彼女はまだ何か言いたそうだったが、僕はそれを気づかなかったフリをして前を向く。
そして、
「それに、もうあなたの体が…………」
僕は彼女のその言葉を遮るようにして、全速力で駆け出した。
ハルは左手にアーミーアントから奪った牙を握りしめ、広場の外円を沿うようにして加速する。
喉からはヒュウヒュウと変な音が鳴り、心臓は飛び跳ねる。
限界を超えた限界。心臓が悲鳴を上げ、体は軋む。
それでも、彼は止まらない。ただその宿敵を目指してひた走る。
全ての景色を置き去りにして。
そしてスピードが最高潮に達した時、
「うそ……」
ハルはその速さのまま建物の壁に足をかけ、そこを斜めに走り始めた。
化け物揃いの魔法騎士団でもやらない力技。ハルのスピードだからなせる常識外れの一手。
重力に逆らい、風のごとく壁を駆け抜ける。
落ちることなくどんどんアーミーアントと距離を縮めたハルは、眼前にそいつを捉えると、壁を蹴って思いっきり空へと跳んだ。
縮まる両者の距離。
しかし、一方は自由に飛べる羽を持ち、もう一方は見苦しく跳んだだけ。
貧民がどんなに手を伸ばそうとも、王者には届かない。
ハルもそれは知っていた。
だからこそ、
「セレナさん!!」
同じ王者の力を借りる。
「もう…………。知らないからね」
『その風の歩み』
セレナの掛け声と共に、落下を始めたハルの足が何かに当たる。柔らかいような、それでいて硬いような、そんな不確かな板のようなもの。
しかしそれは、無謀な愚者と若き王者が作り出した、希望の一歩だった。
彼は希望を足場にして、さらにジャンプ。
空中でのそれは、悠々と虫の姿をした王の頭を超えた。
何も知らない人間が見れば、この土壇場で失敗したと思ったかもしれない。真っ直ぐそいつ目掛けて跳んでいれば、一撃与えることが出来たのだから。
しかし彼、ハル・リベルスは更なる高みを目指していた。
高々と跳び、虫の王の頭上を取った彼は、空中で体を半回転させ上下逆さまになると、空中に足を着く。
本来そこにはあるはずのない足場。
もう一つの希望。
彼はそこで足を限界まで折り曲げると、左手の牙を構えて全力でそれを蹴った。重力に脚力。その二つを見方に付けたハルは、凄まじいスピードでアーミーアントのそこ、唯一にして絶対の弱点である頭と胴の間に突っ込んだ。
ハルの左手に握られた牙が、急所を捉える。
しかし、そこは先ほど狩った脚とは比べものにならないほど硬い。ナイフ替わりの牙が押し返される。
――負けない!
牙を握る手から血が滴る。
――負けない!!
全身の骨という骨が悲鳴を上げる。
――負けない!!!!
これが自分の絶対的限界。
それでも、
「負けてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ハルは諦めなかった。
文字通り最後の力を振り絞って、牙を押し込んでいく。
希望と共に握ったそれが、そいつの神経を一つ一つ切断し、そして、
「キ……ギイイイィィィィィイィ!!」
振り抜かれたそれは、見事に怪物の頭と胴体を切り離した。
耳を塞ぎたくなるような断末魔が辺り一帯に響き渡る。
敗者と勝者が決まった瞬間だった。
その敗者の声を聞きながら、力を使い果たしたハルはゆっくりと意識を手放した。
空からアーミーアントの死骸と、ハルが落ちてくる。
「このままじゃ……!」
セレナはとっさに右手を前に突き出す。
――お願い! うまく発動して!!
『水の加護!』
しかしそれがちゃんと発動したのか確認する前に、アーミーアントの死骸が地面に激突し、轟音とともに大量の土煙を舞わせた。
一瞬で視界が黄土色に染まる。
「くっ……!」
――ハル君!!
セレナは痛む体を無視して、突き進む。愚者のもとへ。
彼女は一歩、また一歩と魔法を発動させたそこにゆっくりと進み、そこで見つけた。
水に包まれた、彼。
ハル・リベルス。
彼女は魔法がちゃんと発動していたことに安堵するのもつかの間、すぐさまそれを解除し、彼に駆け寄る。
そして、少年の首筋に手を当てると、
「よかった…………」
生きていることに安心し、今度こそ全身から力が抜けた。
――本当に倒しちゃうんなんて…………。
尊敬の念を抱くのと同時に、彼女はただただ驚愕することしかできない。
最初にあの作戦を聞いた時、セレナは純粋に無理だと思った。
『お願いしたいことがあります、セレナさん』
綺麗な瞳をした少年は、そう言った。
『何よ? 私は戦いたくても戦えないわよ』
『そうじゃありません。合図を出したら、僕の目の前に二つ〈そよ風の歩み〉を出して欲しいんです』
彼の言葉に、セレナは驚愕する。
『二つ!? 無理よ。あの魔法は出現時間がとても短いの。一つ目に足を置いてる間にもう一つは消えてしまうわよ』
『分かってます。だから、二つ目は一つ目が消えてから一秒後に発動させて欲しいんです』
『そ、そうだとしても無理があるわ。あの魔法はとても扱いが難しいの。自分が発動させた奴ですら、タイミングが合わないことがあるのよ!?』
しかしセレナの言葉にも、少年は瞳を輝かせたままだった。
まるで、何もかもうまくいくと信じている子どものように。
――本当に全てうまくいったわね。
いつから自分は希望に全てを懸けるということをしなくなったのだろう、とセレナは考える。昔は自分もこの少年のように輝いていた時があったはずなのに、と。
彼はどうして、ここまで頑張れるのだろう。
彼はどうして、ここまで全てを懸けることが出来るのだろう。
彼はどうして、ここまで強くいられるのだろう。
「あなたはどうして…………」
セレナは、ハルが傷だらけで膝から崩れ落ちたとき、もう無理だと思った。そしてそれと同時に、もう頑張らなくていいとも思った。
最初から結果が決まっていた戦いだった。何の力も持たない、ただの若者が一人で戦うには最初から無理があったのだ。本来なら、ただ無残に殺されるだけのはずだった。しかし彼は善戦し、ついには相手を逃亡させるまでに追い詰めた。それだけでも、十分すぎる結果だ。
だから、セレナはあの時、もう頑張らなくてもいいよと声をかけたかった。かけてあげたかった。でも彼は諦めていなかった。満身創痍で傷だらけの体に鞭を打ち、駆け出した。その背中を見て、セレナは彼を信じてみようと思ったのだ。彼には、自分が失くしてしまった何か大事なものを持っていると思ったから。
そしたら、本当に倒してしまった。
絶望的なまでに開いた実力差を無理やりに埋め、絶対に届かない高みへと手を伸ばし、勝利という名の頂を手にした。
もしかしたら、ただ運が良かっただけなのかもしれない。しかしその運を手繰り寄せたのは、彼の努力と覚悟、そして諦めの悪さがあったからだ。
上級風魔法〈そよ風の歩み〉は、本来空中に足場を作り、空を駆けるための魔法だ。しかし彼は、それを逆に使った。魔法で発現させた足場を、眼下にいる敵に突っ込むために使ったのだ。
その執念こそが、彼を完全な勝利へと導いた。
「あなたはどうやって……」
穏やかに眠る目の前の少年。彼の顔はとても優しそうで、先ほどまでの熾烈な戦いを繰り広げていた人物とは思えない。
セレナは思わず少年の頭へと手を伸ばす。
褒めてあげたかった。
よく頑張ったね、と。
謝りたかった。
一人で戦わせてしまってごめんなさい、と。
しかし少女の手が彼の栗色の髪に触れそうになった時、
「あれほど言ったのに…………。困った弟子だ」
後方から声が聞こえてきた。
落ち着き払った、少しハスキーなそれ。
セレナはその声に、剣の柄を握って急いで後方を振り返る。
そこに立っていたのは、深海のような青い長髪に、黄昏時を思わせる真紅の瞳を有した一人の美女だった。
一見、何の変哲もないただの女性。
しかし、セレナには分かった。この女性がただ者ではないということが。
一つ一つの動作は普通で、ただ立っているだけのはずなのに、一切のスキがない。
先ほどの魔怪の強さなど霞んでしまうほどの化け物。
――何者なの!?
剣の柄を握る手に力が入る。
「おいおい、そんなに警戒しないでくれ。私は怪しい者じゃない」
「あなたは誰なの? 何しにここへ?」
それだけで人を射殺せそうなほど睨むセレナにも動じることなく、彼女――ソフィアは楽しそうに笑顔を浮かべ、そこに横たわる少年ハルを指さす。
「私は、彼の師匠だよ」
「えっ!?」
女性の言葉に、セレナは思わず彼女から視線を外して彼を見る。
相変わらずの優しそうな寝顔。セレナにはどうしてもこの少年とあの化け物が関係者だとは思えなかった。
あまりにも違う。
それこそ、天使と悪魔ほどに。
何もかもが違い過ぎた。
「あなたが…………って、っ!?」
ハルからその怪物へと視線を戻すとそこにはもう彼女はいなく、気づいた時にはすでに自分の横に居て彼を抱き上げている所だった。
「うそ……」
全く反応できなかった。それこそ、気づきもしなかった。その事実に、セレナは言葉を失う。
自分は強い。例え傷だらけでも、相手の動きくらいは牽制できる。彼女はそう自負していた。しかし実際は何もできなかった。それどころか、相手がいつ移動したのかすら分からなかった。
「…………」
ソフィアはハルを大事そうに抱え、呆然とするセレナに背を向け歩き出す。
離れていく背中。
彼女の遠い背中を見て、セレナはあることを聞いてみたくなった。
どうして、彼は最後まで諦めずにいられるのか?
どうして、彼はそこまで自分を信じることが出来るのか?
どうして、彼は自分の信じた道を突き進むことが出来るのか?
「どうして……」
「ん?」
セレナの独白に似た小さな呟きに、歩いていたソフィアが足を止め、顔だけを後ろに向ける。
「どうして、彼はそこまで強くあり続けられるんですか?」
少女の質問に、ソフィアは数瞬考えると、
「覚悟の差、かな」
そう答えた。
「覚悟の……差?」
「そうだ」
ソフィアは振り返り、セレナを真っ直ぐに見つめる。
「君も見て分かったと思うが、ハルは決して強くない。魔法が使えるわけでも、体術に秀でているわけでもないからな。ただな……」
彼女はそこで一度言葉を切り、優しく微笑む。
「この子は、強くあろうとしている。今の自分を嘆くわけでもなく、見切りをつけ諦めるわけでもない。こうなりたいと理想を抱き、そうなれるよう全力でもがいている。自分が自分であり続けようとしている――私はその覚悟が、彼を強くしているのだと思うよ」
セレナは自分の手のひらに視線を落とす。
「覚悟の差……」
確かに彼を見て、セレナは自分には覚悟が足りないと思った。
所詮、自分は守れるものを守り、出来ることを出来るようにしていただけ。
そんなものはただの甘えだ。失敗しそうなことには挑戦せず、甘い蜜だけを吸って、いつしか自分はその密に酔っていた。
強くなるためには、理想の自分になるためには、このままじゃいけない。
セレナの中で何かが変わった。
――私も……。
彼女は視線を前に戻す。しかしそこにはもう誰も居なく、ソフィアもハルの姿もなかった。
セレナはもう一度視線を落とし、
――私も彼のように…………。
その手を強く握りしめた。




