第27話 「限界」
5000字程度です。
ハルは全身全霊で地面を蹴り、一気に加速する。
目の前には巨大な宿敵。
しかしハルの中には、もう怯えも恐怖もなかった。
あるのは、ただ勝ってやるという気概のみ。
呪核が触手を通してハルの想いを後押しする。
伝わってくる熱。それはハルの中で力となり、勇気となっていた。
「ギイイ!!」
一直線に自分の方へ向かってくるハルに、そいつは左前足を横一線に振り抜く。
しかしもう前しか見えていない彼が、足を止めることはない。
ナイフを逆手から順手に持ち替え、
「来い!!」
ズーシャから授かったそれを発動させた。
自分の瞳が熱を帯び、世界から色彩が失われる。
しかし、今回はそれだけではなかった。
呪核が躍動し、体中に張り巡らされた触手が一回り大きくなる。
全身に力がみなぎってくる。
体はより軽く、頭はよりクリアに。
ハルは自分の胸に刻まれたそれの存在をしっかりと感じつつ、怪物の間合いへと足を踏み入れた。
自分の頭へと振り抜かれた攻撃。
だが彼は止まらない。
止まってしまえば、今までと何も変わらないと知っていたから。
だからこそ彼は、
「舐めるなぁ!」
その攻撃を斜めに構えたナイフで受け止めた。
「キ……キキ……」
怪物が驚いたような声を漏らす。しかしそれは攻撃を受け止められたことによるものではない。
己よりも明らかに劣っている、その低俗な生き物がなおも一直線に自分へと向かってくるからだった。
ハルは、止まらない。
ナイフで受けつつ、地面を蹴り続ける。ナイフとそいつの硬い甲殻が擦れ、明るい火花が散る。
それは運命に抗う、ハルの姿そのものだった。
「さっきの借りを返させってもらうぞ!」
相手の眼前まで近づいた彼は唐突に膝を折り曲げ、ナイフで力を逃がしつつ攻撃を躱す。頭上を通過するアーミーアントの左腕。それが完全に空を切ったことを確認したハルは、間髪入れずに地面を蹴って跳躍し、アーミーアントの顔を目前に捉えた。
「まずは、一発だ!」
ハルは空中で体を三回転させ、その勢いのままそいつの顔の左側面に蹴りを入れる。
そして、
「倒れろぉぉぉぉ!!」
振り抜いた。
不気味な色を放つアーミーアントの巨体はぐらりと揺れ、そのまま近くの建物に頭から突っ込んだ。
たった一発の蹴りでアーミーアントの巨体を吹っ飛ばした彼に、後方で見守っていたセレナは息を呑む。
「うそ……でしょ…………」
信じられなかった。精鋭中の精鋭である王国魔法騎士団のメンバーでも、生身の体で魔怪を蹴り飛ばすことなど不可能だ。それこそ、蹴りを放った脚の方がイカレてしまう。
しかし彼、ハル・リベルスはそれをやってのけた。
「……何者なの?」
アーミーアントに向かって行ったときは、どうかしていると思った。王国最大の戦闘力を誇る魔法騎士団でも準魔には手を焼くのだ。ただの一般人、しかも単身ともなれば勝てないのは目に見えている。だが彼は行ってしまった。静止を振り切って。
案の定、一瞬のスキを突かれ、今までの善戦など最初からなかったかのように、たったの一発で瀕死に陥ってしまった。
しかもアーミーアントは準魔から本当の化け物である魔怪へと進化してしまった。準魔ならば奇跡のような確率で勝てる可能性があった。だが、魔怪は違う。あいつらを相手にする上で、奇跡などという言葉は意味をなさない。
それほど、準魔と魔怪は決定的な差があった。
地面に倒れ、動けなくなる彼。そこから展開されるであろう惨劇を想像して、流石のセレナも目を逸らした。
しかしハル・リベルスは彼女の予想を裏切った。
トドメの一撃を躱し、今までの動きが嘘のように戦い始めたのだ。無駄をなくした最小限の動作、どの攻撃を受けどれを躱すのかという判断力、相手を観察して好機を待つ忍耐力、そのどれもが先ほどとは比べ物にならないほど上達していた。
それこそ、別人なのではと疑いたくなるほどに。
そしてその別次元の戦いを、彼は今も続けていた。
「どうして……」
どうして、彼は戦い続けることが出来るのか?
セレナはそれが不思議だった。
一人で戦って勝つことなど、万に一つもない。
魔法騎士団ですら、強力な魔法が使えないこのような状況下では、一対一で魔怪と戦ったりはしない。
増援が到着するのを待つか、その場から逃げるかの二つに一つ。
しかしハルは、未だ怪物に向かって走り続けている。
「どうして……。どうして、あなたはそんなに強くいられるの…………?」
セレナは彼から目を離すことが出来なくなっていた。
呪術は使用者とともに成長し、強くなっていく。故に、身体能力を向上させる『罪深き愚者の敗走』をいくら使ったとしても、呪術師になり立てのハルが魔怪を蹴り飛ばすなど普通は不可能だ。
しかしそれを可能とする力を、ハルは持っていた。
呪術とは別の、もう一つの固有の力〈紡呪〉。
ハルが授かった二つ目の力の名は『積み重ねし業』。
呪術師は本来、自分に使用する呪い、他者に使用する呪い、道具に使用する呪いの三つしか同時に使うことは出来ない。しかし、この『積み重ねし業』という紡呪を保有する者は、どんな呪いかに関わらずいくつでも使用することが出来た。呪術は一つ一つの呪いで一長一短が激しいというデメリットを抱えているが、この紡呪の効果によって、彼はそれぞれのデメリットを補い合うことが出来るようになっていた。これだけでもかなり強力な能力だが、事これに至っては、これらはただの副産物でしかない。もう一つの強力な能力、それは、他の呪いを使用することによって、自分固有の呪術を強化することが出来るというものだ。己に呪いを重複させればさせるほど、固有呪術『罪深き愚者の敗走』の効果を高めることが出来る。どんなに弱い呪いを使用しても、それとは関係なく呪術が力を増していく。
つまり、ハルはズーシャから授かった呪噤と呪術を同時に使用することによって、魔怪を蹴り飛ばせるほどの驚異的な身体能力を手に入れていた。
彼は、アーミーアントの攻撃をいなしつつ走り続ける。両者の体格差は絶望的で、一撃でも食らえば勝負が決してしまう。それを理解していたハルは、常に動き回ることで相手に的を絞らせないようにしていた。
「うぉらあ!」
ハルのナイフがそいつの関節を捉え、激しく火花を散らせる。魔怪となり、甲殻を纏ったそいつの関節をハルのナイフで切断することは出来ない。
それでも、彼が止まることはなかった。
地面を蹴り、腕を振り続ける。
玉のような汗が滴り、胸の傷からは鮮血が滲む。
しかしそんな状況下でも諦めないハルをよそに、セレナは彼の状態を見て絶望に打ちひしがれていた。
「このままじゃ…………」
このままじゃ、確実に負ける。
彼女は冷静にそう判断する。
確かに、ハルは戦闘を再開してから一度としてまともに攻撃を受けていない。しかしそれと同時に、一度としてまともにダメージを与えられていなかった。つまり、全身全霊の力を使い切った状態で、やっと相手と互角ということになる。
だが、そんな無茶苦茶な戦い方が長く続けられるわけがない。
体力は有限だ。いつかかならず限界がくる。
そうなれば、あとはただ殺されるのを待つだけ。
「せめて……。せめて強い武器があれば…………」
懇願にも似たその呟きが、風に乗り、疾風のごとく駆けるハルの耳に届く。
――確かにこのままじゃ埒が明かない。でも、武器が無いなら……作ればいい!
彼は瞬時に周りに視線を巡らしてお目当てのものを見つけると、一直線にそこへとひた走る。
石レンガ造りの古びた大きな建物。
それは面長な形をしており、側面にはいくつもの木製の窓があることから、ここが集合住宅のようなものだと分かる。
――住んでた人たちには悪いけど、使わせてもらうよ!
ハルは建物の側面を駆け、窓枠に掴まる。
ちょうどアーミーアントの目線と同じ高さ。
彼はそこで荒れる呼吸を整えつつ、
「来いよ、化け物」
笑顔を浮かべて一言。
「ギ……ギィィィィイイィィイィィ!!」
王者の咆哮。
攻撃が当たらない苛立ちに、その挑発。
我慢の限界だった。
そいつは地面を蹴り跳躍すると、ハル目掛け一直線に突っ込む。
しかし、
――かかった!!
ハルはそいつの牙が届くギリギリで窓枠から手を離すと、地面へ着地する。
その瞬間、背後から大地を揺るがすような轟音が響いた。
それは紛れもなく、アーミーアントが突っ込み建物を崩壊させた音だった。
ハルはそいつが瓦礫の下敷きになっていることを確認すると、土埃が舞う中、全速力で駆け出す。
――急げ! 急げ! 急げ!!
満身創痍の体に鞭を打ち、瓦礫の山を駆ける。
そしてその頂に立った彼を出迎えたのは、他の誰でもないそいつだった。
「ギィイ!」
頭だけを瓦礫から出し、身動き一つ取れないアーミーアント。
そいつは複眼を怒りで染め、ハルを真っ直ぐに睨みつけていた。
しかし、彼にもう怯えはない。正面からそいつの視線を受け止め、睨み返していた。
「挑発に乗ってくれて助かったよ。――悪いが、牙を貰うぞ」
「キ……キキ…………」
こいつは何を言っているんだ?
そう言いたげに困惑の色を浮かべるそいつの瞳を無視して、ハルは挑発する際に解除した呪噤を再度発動させると、そいつの牙の側面に歩み出る。
そして右脚を自分の頭の高さまで振り上げ、
――これで、武器は問題ない。
ハルは凶悪な笑みを浮かべて、右脚を垂直に振り下ろした。
瓦礫の山が爆発した、ように見えた。
石材が宙を飛び、大量の土煙が舞う。
「な、なに? 一体どうしたって言うのよ!?」
突然の出来事に困惑するセレナだったが、視界が晴れたそこに、問いへの答えがあった。
ひっくり返り、奇声を上げてのたうち回るアーミーアント。そいつの頭部には、先ほどまであったはずのものがなくなっていた。
牙。本来、二本あるはずのものが、まるで何かにへし折られたかのように今は一本しかない。
彼女はそれを見て、今の現象を理解する。あの瓦礫の爆発のようなもの。あれはアーミーアントが牙を折られた痛みで発揮した馬鹿力によるものだった。
しかし、根本的なことが分からない。
「どうやって…………」
ハルがどのような方法でそんな無茶苦茶なことをやり遂げたのか、セレナはそれが分からなかった。
アーミーアントの牙は、分厚い鎧を貫き、鍛え上げられた剣を砕くことが出来る。故に、牙という部位はそいつらの体の中で最も硬い場所だった。魔怪ともなればなおさらで、切断力に長けた上級の風魔法でもあんなことはできない。
それほどの硬度を誇るそいつの牙を、切断するのではなく、叩き折ることなど本当に出来るのだろうか?
セレナは必死に頭を巡らすが、そいつの鳴き声が彼女の思考を断ち切った。
「ギイイイイイ!」
アーミーアントは起き上がると、セレナ達には目もくれずに、未だ土煙が舞う瓦礫の向こうを睨みつける。
そして、その気持ちはセレナにも痛いほど理解できた。
――何? 今度は何なの!?
見えなくても伝わってくる、禍々しいほどの雰囲気。生物ならば誰もが恐れを抱かずにはいられない殺気。
百戦錬磨のセレナですら、思わず腰の剣に震える手を添えてしまっていた。
「相変わらず、油断ならないね」
聞き覚えのある声に、セレナは一瞬気を緩めるも、すぐさま剣の柄を握りなおした。
――うそ……。
土煙から出てきた人物、彼は全身傷だらけで右手には錆びたナイフ、左手にはアーミーアントから奪った牙が握られていて、間違いなくハル本人だった。
真剣な顔に、優しい声音。
そのどれもが最初に会ったその人のままであるはずなのに、殺気だけは別人のように鋭い。
――何なんの? 彼に一体何があったっていうの!?
しかし困惑はセレナだけが抱いたものではないらしく、ハルが一歩一歩近づくごとにアーミーアントは一歩一歩と後退る。
「悪いけど、ここで終わりにさせてもらうよ!!」
瞬間だった。
ハルが地面を蹴ったかと思うと、一瞬でアーミーアントの側面に回り込み、左手に握っていた牙を一閃。
一撃でそいつの足を切り飛ばし、緑の雨を降らせる。
しかし今度はそこで終わらなかった。
ついでとばかりに近くの前足をもう一本切断。そしてその勢いのまま高く跳び、そいつの頭を蹴り飛ばした。
足を二本失っているそいつは、踏ん張りがきかず最初よりも容易に吹っ飛ばされ、轟音を響かせる。
「…………」
土煙が舞う中、一人立つ少年の背中を見て、セレナは思わず言葉を失う。
正直言って、信じられなかった。
魔法を使っていたとしても、魔怪を一人で圧倒することなど不可能だ。それが新人ならなおさら。しかし彼、ハル・リベルスはそれをやってのけた。絶望的に不利で、誰もが勝てないと思うその相手に善戦するだけでなく、最終的には圧倒した。
完全に息の根を止めたわけではないが、もうアーミーアントも動けないだろう。あとは魔法騎士団の増援が来るまで待てばいい。
そう考え、セレナが壁に手を着いて彼に近寄ろうとした時、
「キキィィキキィィイイイイイキィイキィィキキィイイイイィィイィィィィィィ!!!!」
突然の奇声。
「くっ……!」
「なっ……!?」
それは今までの咆哮とは違い、耳をつんざくような高音で、誰もその場から動けなくなる。
それが完全なスキとなった。
「キキッ!」
アーミーアントはそれをやめると、ざまあみろと言うように小さく鳴き、背中の大きな羽を広げ羽ばたき始めた。
強風が広場を襲う。
「くっ……!? 逃げる気か!」
そう言いそいつに向かって走り出そうとしたその時、ハルはまるで何かに撃たれたかのように突然ガクッと膝を崩すと、その場に手を着いた。




