第22話 「第三の選択」
今回は6000字程度です。
瓦礫が積み重なった街の中を、疾走する。
僕を見つけたアーミーアントが街のあちこちから飛び出してくるが、そんなものに構っている暇はない。
僕はそいつらを躱しながら、懸命に足を動かし腕を振り続ける。
こうして必死に走っていると、あの日を思い出す。
魔獣に追いかけられ、師匠に出会ったあの日、僕は今みたいに走っていた。
でもあの時とは違う。
あの瞬間は死ぬのが怖くて走っていたが、今は僕が僕として生きていくために走っている。
誰かを救うため、走っている。
あの時の僕が今の自分を見たら、きっと腰を抜かすほど驚くだろう。
それこそ別人だと思うかもしれない。
なんせ、今は自分の夢に向かって走っているのだから。
それもこれも、全て師匠のおかげだ。いや、師匠だけじゃない。魔樹海で出会った全ての古種のおかげ。
僕に覚悟を教えてくれたザザムさん。
自分が自分として生きることの大切さを教えてくれたズーシャさん。
僕の背中を押してくれたガノン。
そして、どんな時も傍に寄り添って僕を見守ってくれた師匠。
この中のどの人が欠けても、きっと僕は今の自分ではなかったはずだ。
だから……。
――僕に何が出来るかは、分からない。もしかしたら何も出来ないかもしれない。それでも、僕は前に進む。今度みんなに会う時は、胸を張っていたいから。
僕はその想いを胸に、街の中央に向かって走り続けた。
脇に瓦礫が積み重なった通路を道なりに進み、大きな集合住宅の家を左に曲がった瞬間、それは現れた。
少し開けた円形の空間。隣接している家々の入り口は広場に面しており、きっとここは近くの家の子たちが遊ぶための空間なのだろう。
しかし、今この広場にいたのは可愛らしい子どもなどではなかった。
赤紫の甲殻に鋭い牙を有した化け物。
アーミーアント。
しかしそれは、先ほどすれ違ったものとは明らかに違う。体は周りにある建物の三階に届くほど大きく、少なくとも七メトルから九メトルはある。
大きさだけじゃない。そいつから醸し出される雰囲気も風格も、Gランク魔獣にはない強者のそれ。
そいつは間違いなくアーミーアントの準魔だった。
前の僕なら、一も二もなく逃げ出していただろう。
しかし絶対的強者のそいつを見ても僕が逃げださずに済んだのは、そのあまりに美しい彼女の姿に見とれていたからかもしれない。
星屑を編み込んだのではと思えるほどに煌きを放つ白銀の髪に、月を彷彿とさせる金色の瞳を有した美しき少女。
最年少で王国魔法騎士団にスカウトされた本物の天才。
セレナ・オルテンシア。
美しさはもちろんのこと、その強さも健在で、上級魔法で空中を縦横無尽に駆け巡り、相手を翻弄してスキを見つけては魔法で攻撃していた。
街の中ということで高火力の魔法が使えず決め手に欠けているようだったが、セレナさんがあいつを倒すのも時間の問題だろう。
そう思えるほど、彼女には余裕があった。
放つ魔法は百発百中、しかし相手からは一撃も貰わない。
別次元の圧倒的な強さを前に、これならいけると思った矢先、僕は気づいてしまった。
広場を囲む建物と建物の狭い隙間。大人一人がやっと通れるほど狭いそこに、その子がいることを。
瞬間、僕は今の状況も自分の実力もすべて忘れ、気づいた時にはその子に向かって全速力で走り出していた。
――これならイケる!!
セレナはそう思いつつ、『そよ風の歩み』でアーミーアントの背後に回り込み、容赦なく攻撃魔法を叩き込む。
実際、セレナは焦っていた。
準魔と戦ったことは何度もある。それこそアーミーアントよりもランクの高い準魔を倒したことも一度や二度ではない。しかし、これほど苦戦を強いられたことは一度としてなかった。
第四級以上の魔法が使えない。
この縛りは想像以上にセレナを苦しめていた。
魔法師はランクが上がれば上がるほど、戦闘では強い魔法を多用する。それが魔獣とは比べ物にならないほど強い準魔や魔怪ならなおさらだ。
セレナも例外ではない。
魔法騎士団に入団したての頃は比較的安全な第五級以下の魔法を好んで使っていたが、仕事に慣れ、魔獣に慣れた今は、どんな敵も瞬殺することが出来る高火力の第四級以上の魔法を多用するようになっていた。
おかげで怪我をすることはなくなったし、任務も迅速にこなすことが出来るようになったが、セレナ自身も気づいていない弊害が二つ。
それは、周りの状況を考慮しつつ作戦を組み立てる柔軟性と、結果を焦らない忍耐力を失ったことだ。
そして、これが今回の勝敗を大きく分けた。
「これで終わりに…………って、えっ!?」
とどめを刺そうと残りの魔素をありったけ溜めていたその時、セレナの目にそれは飛び込んできた。
広場を全速力で横断する栗色の髪をした少年。
あり得ないことだった。
ここら一帯の住民は全て避難させ、周りには自分と準魔しかいないはずだったからだ。
――どうして!?
突然の出来事に動揺したセレナは一瞬動きが止まってしまう。
それが致命的なスキとなった。
今まで防戦一方だったアーミーアントはセレナの一瞬の油断を目ざとく見つけると、渾身の体当たりを彼女に食らわせる。
王国屈指の魔法師とは言え、体は生身の人間だ。その巨体から繰り出された強力な攻撃に耐えられるわけもなく、セレナはまるでおもちゃのように吹き飛ばされて壁に激突し、あっけなく意識を手放した。
「……か……て……さ……」
暗闇の中で、誰かの声がした。
「……かり……くださ……」
その声は暖かく、心の底から自分を心配しているようだった。
「し……り……てくだ……い!」
長らく忘れていた感覚。
嬉しさと申し訳なさが半々で入り混じった独特の感情。
王国最強と名高い魔法騎士団に入団してから、自分が心配されることなどなかった。なんせ、最強なのだから。
頼られることはあれど、心配されることなどない。
しかし声の主は本気で心配してくれているようだった。
セレナは何故かそれが嬉しく、安心できた。
――よく分からないけど、このまま寝てしまいたい……。
そう思い、純粋な欲望に身を任せようとした時、
「しっかりしてください! セレナさん!!」
皮肉にも彼の声によって、セレナは覚醒し、今自分が置かれている状況を思い出す。
壊された街、救うべき住民、任された任務、倒すべき敵。
アーミーアント。
それらを思い出したセレナは、勢いよく飛び起きた。
しかし、
「っ…………!?」
全身を襲う突然の激痛に、彼女は顔を歪めて声にならない声をあげる。
「いきなり動いちゃだめです! あちこち骨が折れてるみたいで…………。安静にしててください!!」
セレナは自分のことを支えてくれている眼前の少年を見る。
栗色の髪に栗色の瞳。
さっきの光景が走馬灯のように思い起こされる。
アーミーアントにトドメを刺そうとしたあの時、突如として現れたこの少年。
――こいつさえ現れなければ、今頃はあのアーミーアントを倒すことが出来ていた。
第五級以下の魔法と言えど、魔力を込めればそれなりの威力は出る。それこそ効率を無視すれば、ここ一帯を吹き飛ばすこともできた
しかしだからこそ、この少年を見つけたとき、セレナは彼を巻き込んでしまうと動揺してしまったのだ。
だが……。
――こいつさえいなければ!!
先ほどまで抱いていた想いや感情が一気に吹き飛び、セレナ本人にも分からない黒くドロドロしたものが胸の中から湧き上がる。
目の前が真っ赤に染まった。
こいつさえいなければ、あの時とどめを刺すことが出来た。
こいつさえいなければ、私がこんな風に怪我をすることもなかった。
こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。こいつさえいなければ。
こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ。こいつさえ…………。
コイツサエイナケレバ。
セレナは少年の胸倉を掴むと、その黒い感情に身を任せ、先ほどあいつにぶつけるつもりだったありったけの魔素を体内で練り上げる。
そして……。
「オマエサエイナケレバ…………」
「セレナさん……?」
困惑する彼を無視して、己の心に従い莫大な魔素を解き放とうとした瞬間、
「お兄ちゃんを怒らないであげて!!」
少年の背中から一人の幼い女の子が出てきた。
年齢は七歳ほどで、金の瞳と髪を有した可愛らしい女の子。しかし少女の全身はホコリまみれで、今までどれほど怖い思いをしてきたのかは想像に難くない。
女の子は少年とセレナの間に無理やり割り込むと、小さな体で目一杯少年を隠す。
「お姉ちゃんを探してて、それで人の声が聞こえたからここに来たの! でもおっきいまじゅうがいて、でも怖くて逃げられなくて……。そんなときにお兄ちゃんが来てくれたの! だからお兄ちゃんは何も悪くないの!!」
女の子の必死の説明に、セレナの怒りの熱は次第に冷めていき、
――ソンナ……。
自分の犯した過ちに全身の力が一気に抜ける。
周りの住民は全て避難させ、ここ一帯には誰もいないと思っていた。いや、思い込んでいた。
思うように魔法が使えず、準魔を倒せないことに焦っていたのだ。だから気づけなかった。
もしあのままとどめの魔法を使っていたら、少なくともこの少年と女の子は死んでいただろう。もしかしたら、まだ周りに他の住民も残っていて、彼らを、何の罪もない住民を殺してしまっていたかもしれない。
「わタシは…………、私は、何を……!?」
その現実に、セレナは力なく少年の胸倉から手を離す。
「す、すいません。僕が余計なことをしたばかりに…………」
本当に申し訳なさそうに謝る少年に、セレナは今まで自分がしてきたこと、さっきしようとしていたことに戦慄した。
手が震え、視界が明滅する。
――私は何を……!?
視線を落とすと、そこにはアーミーアントの体液や誰のものとも分からない血液で汚れた自分の手があった。
思考がぐちゃぐちゃになる。
――私は何をしようとしていたの!? 何をしたの!?
何かを主張するように心臓が一度大きく躍動し、胸が締め付けられるように苦しくなる。
呼吸は早くなり、手足が痺れていく。
体からは力が抜ていき、視界からは次第に光が消えていく。
――怖い……。怖いよ。誰か助けて…………。
薄れゆく意識の中、必死で叫んだ瞬間、
「セレナさん……?」
少年の声が聞こえた。
優しく柔らかな声。
彼の声は寒く寂しい夜の闇を打ち払う朝のそよ風のように暖かで、セレナの心臓は静けさを取り戻し、視界に光が差す。
次々と起こる自分の変化にセレナは戸惑いつつも、顔を上げて目の前の少年を見る。
栗色の髪。同じ色をした瞳は不安げに彼女を見ていた。
セレナは自分の胸に手を当て、一度大きく深呼吸をする。
「……心配をかけてしまってごめんなさい。もう大丈夫よ」
「本当ですか? 無理だけはしないで下さい」
少年の言葉に、セレナは苦笑する。
王国魔法騎士団五番隊副隊長の自分が心配されることなど、入団してから一度としてなかった。
それでも、不思議とセレナは嫌な気分ではなかった。
彼女はもう一度深呼吸すると、意を決して口を開く。
「あなた達に謝らないといけないわね。……ごめんなさい」
頭を下げるセレナに、少年だけでなく近くに立っていた少女も目を見開く。
「その子の言う通りよ。あなた達は何も悪くない。たかがGランクだと高を括ってた私の油断。だから周りに人がいることにも気づけなかった。私は危なく罪もない人を殺すところだった。そうならなかったのはあなたのおかげよ。――本当にありがとう」
セレナはそう言うと、少年の手に自分の手を重ねる。それは単純に感謝の意からだったが、女性への免疫が皆無な少年は顔を赤く染めたじろぐ。しかしそれに気づかないセレナはその状態のまま話しを続けた。
「ここに運んでくれたのもあなたでしょ? 私は壁に叩きつけられたはずだもの。あなたに助けられなかったら、今頃どうなっていたか分からないわ。本当に、ありがとう」
心の底からの感謝。
自分が憧れている彼女からのそれに、少年は踊り出したいほどの喜びを抑え、気にしないで下さいとカッコよく決めようとした時、そいつは動き出した。
ドォォォォォンッという轟音に、座っていてもバランスを崩すほどの大きな揺れ。
その音と揺れに、セレナと少年は広場の方に視線を向ける。
するとそこには、当然のようにそいつがいた。
アーミーアント。
そいつはセレナたちを見つけ、食い殺そうと鋭い牙を彼女らに向けるが、当然そいつの大きい体では通路に入れず、わずかにそれは届かない。
しかしそれでもアーミーアントは諦めず、前に進むことをやめない。
無理やりねじ込んだそ硬い甲殻を纏った巨体は、通路の両脇にある建物を押し壊し、倒壊寸前まで追い込んでいた。
セレナは頭をフル回転させる。
――私が気絶してたのは、たぶん五分くらい。さっきの戦闘時間を入れても、任務を離脱してから十五分くらいしか経ってない。任務から離れて三十分経ってたら騎士団のメンバーが異変に気付いて助けに来てくれたかもしれないけど、これくらいの時間じゃ期待は出来ない。かといって、こんな体じゃ戦うことはおろか逃げることもできない。つまり……。
セレナは振り返り、不安そうな表情を浮かべる少年を見る。
栗色の髪に栗色の瞳。
よく見ると綺麗な瞳だった。
純粋で、何も知らない子どもの目。
未だに夢を見ている男の子の目。
こんな綺麗な目をしている人なら、きっと自分の願いを聞いてくれる。
決断の時だった。
「あなたにお願いがあるの」
「お、お願いですか?」
セレナは静かに頷く。
「そこの女の子を連れて、ここから逃げて欲しいの」
その言葉に、少年は目を白黒させる。
「えっ!? ど、どうして……。セレナさんはどうするんですか!?」
「私は……ここに残るわ」
「ど、どういうことですか!? 今のセレナさんの体じゃ戦えないですよ!? それどころか逃げることすら……」
「分かってる」
セレナは少年の言葉を遮って、力強くそう言う。
「だから、あなたにお願いしてるの。私ひとりじゃもうどうすることもできない。でも、あなたがいる。あなたが力を貸してくれたら、少なくともそこの女の子の命は助けることが出来るわ。でも、そこに私がいたら足手まといになる。いつかは追い付かれてしまうわ。だから……」
「できません!!」
今度は少年がセレナの言葉を遮る番だった。
「何を言ってるんですか!? セレナさんを置いて、逃げるなんて僕にはできません! 誰かを犠牲にして生き残っても、助けられた人は一生後悔するんですよ!? 僕にはそれが分かります! それに僕も、きっと後悔します! もう後悔する人生は嫌なんです!! それに何より、僕はセレナさんに生きていて欲しいんです!!」
「そんなこと言っても、どうすることも出来ないの。ここで全員死ぬか、あなた達二人だけでも生き残るか。二つに一つなの。だったら一生後悔することになるとしても、生き残るべきなのよ! お願いだから、その子を連れて逃げて」
「できません……」
俯いて弱々しく呟く少年をセレナは睨みつける。そして再度口を開こうとした時、顔をあげた少年の瞳を見て、セレナは思わず黙ってしまう。
力強く、真っ直ぐな瞳。
先ほどの子どものような瞳とは打って変わって、まさに覚悟を決めた者のそれだった。
「誰かが死ぬ選択肢しかないのなら、そんなものは間違ってる。僕は……、第三の選択肢を取ります」
少年はそう言うと、ズボンのサイドポケットからナイフを取り出し、立ち上がって悠然とアーミーアントに向かって歩いて行く。
「ちょっと待って!」
立ち止まる少年。
「魔法騎士団でも苦戦する化け物よ!? あんなのに勝てっこない!」
「確かに、そうかもしれません。僕なんかが勝てる相手じゃないのかもしれない。いや、きっと勝てないと思います」
平然とそう答える少年に、セレナは何故か怒りを覚える。
「どうして……。どうしてそこまで分かってて行くの!? 死にに行くようなものじゃない!!」
セレナの言葉に、少年は振り向く。表情は少し困ったような微笑み。子どもに駄々をこねられた父親のようなその表情に、セレナは息を呑む。
「死にに行くわけじゃありません。僕は僕として、ハル・リベルスとして生きていくために、行くんです。戦うんです。もう誰も死なせないと決めたから」
ハルは優しく微笑むと、セレナに背を向ける。
そして、
「セレナさん、会えてよかったです」
ハルはその怪物に向かって全速力で走り出し、もう立ち止まることはなかった。




