第16話 「決着」
今回は6500時程度です。
広場に金属音が鳴り響く。
ハルはヒートドックの猛攻にも慌てることなく、致命傷になるような攻撃だけをナイフで防いでいた。この戦略によって、左腕と右足を負傷してから五分以上もヒートドッグの攻撃に耐えることが出来ていたが、反面、体は魔獣の爪による切り傷でボロボロだった。一回の致命傷を防ぐたび、体に倍以上の傷が増えていく。広場には鮮血の雪が舞い、地面に鮮やかな真紅の花を咲かせる。まるで命を削っているかのような彼の戦いに、今まで沸いていた周りの応援者たちはそれぞれが祈るように手を握り、気づけば全員が黙ってハルの戦いを見守っていた。
静まり返る広場に、響き渡るナイフの音。
この音が長く続かないことは、ハルを含めた広場にいる全員が理解していた。
――思ってたよりも攻撃が激しい。今のペースじゃ血を多く流し過ぎだ。手に力が入らないし、視界も霞んできてる……。
ヒートドッグが飛びかかってくるが、ハルは左足を引いて半身になることで敵の右爪を躱すと、ナイフで力を逃がすように左爪を防ぐ。この完璧と思える防御でさえ、今のハルでは満足に行うことが出来ず、躱したはずの右爪によって、彼の胸に血を滲ませていた。
しかし、今の状況にもハルは焦ることなく、息を整えながら冷静に頭を巡らす。
――もう少しだ。あと少し。相手も疲れてきてる。動きに切れがなくなってきてるし、攻撃がワンパターンだ。僕ほどじゃないにしても、確実に疲労が溜まってる。あと一押し……。
猛烈な攻防を繰り広げながらそう考えていたその時。
ヒートドッグが大きく飛び上がったかと思うと、ハルの顔目掛けて右爪を横一線に振り抜いてきた。
敵の大きさはハルの腰程度だったため、顔への攻撃は圧倒的に少なく、予想外の攻撃に思わずたじろいでしまう。
その一瞬のスキが、ハルの判断を鈍らせた。
顔へ振り抜かれたそれを、ハルは思わずしゃがんで躱してしまう。
足を負傷しているハルは、しゃがめば行動が制限されてしまうため、冷静に判断できていたならナイフで防いでいただろう。
しかし動揺していたハルはしゃがんでしまった。
ミスとは呼べないような小さなミス。
この判断によって、彼は追い込まれた。
空振りに終わった攻撃を気にする素振りすら見せず、ヒートドッグは器用に着地すると、すぐさま地面を蹴って、文字通り全身全霊の体当たりをハルに決める。
「うっ!!」
足を負傷していたハルはもちろん躱すようなことは出来ず、右腕で辛うじてガードするものの、全力の体当たりに体が吹っ飛ばされる。
開いてしまった距離。
これが意味することを、誰よりもハルが理解していた。
「ワォォォォォン!!」
どこまでも響くような、一つの遠吠え。
ヒートドッグは森に反響する己の声を背景に、勢いよく空気を吸い込んでいく。
――まずい……。あれが直撃したら終わりだ。
ハルはどうにか立ち上がろうとするが、無情にも相手の方が一歩早かった。
「グルガァァァァァァァァァァァ!!」
迸る真っ赤な炎。
一直線に自分に向かってくるその炎に、ハルは全力で地面を蹴って、転がるように回避する。
「くっ!」
強烈な熱波が襲う。
しかしそんなものを気にしている時間はハルにはなかった。
炎を吐き出し終わったヒートドッグは未だ立ち上がっていない獲物を見つけると、猛然と駆け出す。
あれほど開いていた距離は一瞬にしてなくなり、ヒートドッグは転がっている獲物へと飛びかかった。
ハルの思考速度が限界まで加速され、時間が引き延ばされる。
――長かった。どんなに傷だらけになっても、どんなに絶望的な状況でも、強くなって誰かを守りたい。その一心で、ただそれだけでこの試練を頑張ってきた。でも、もう終わりだ。
魔獣の大きな体が上昇をやめ、自由落下を開始する。。
鋭い牙を剝き、黒光りする爪をハルに向け、ヒートドッグは獲物へ襲い掛かろうとしていた。
今まで黙っていた見物人は一様にハルの名を呼び、ソフィアも自分の弟子の名を叫ぶ。
その声を聞いて、ハルは弱々しく笑った。
――いつから、僕の周りにはこんなに大勢の人がいてくれたんだろう? いつから、僕の名を呼んでくれる人がこんなにいてくれたんだろう? いつから……。
ハルはゆっくりと流れるその時間の中で、真っ直ぐにヒートドッグの瞳を見つめる。
――ごめんね。僕には待っていてくれる人がいる。僕には勝利を望んでくれる人がいる。だから……。だから、君に負けてあげるわけにはいかないんだ。悪いけど、これで終わりだよ。
ハルは緩慢な動きで右手に握っているナイフを立てるように胸の所で構える。
――ありがとう、ここまで僕を連れてきてくれて。そして、ごめんね。
圧縮されていた時間が元に戻る。
牙と爪を剝き出しにして、獲物に飛びかかるヒートドッグ。
しかしハルは慌てることなく静かに目を瞑り、ヒートドッグが落ちてくるそのタイミングで、ねじりながら錆びたナイフをそいつの心臓がある場所へと突き出した。
「いてて」
「少し我慢しろ。もうすぐ終わる」
今僕は、ズーシャさんの家で、師匠に手当てをしてもらっている。試練でなんとか勝利をもぎ取ることが出来た僕の体は、控えめに言っても酷いありさまだった。左腕は全く動かず、右足には酷いやけど。そして何より、大小さまざまな切り傷が体のいたるところに刻まれており、さっきまで着ていた服は僕の血で真っ赤だった。そんな状態だったため、試練を見ていた人たちの祝福の言葉もほどほどに、僕はすぐさまズーシャさんの家であるここに連れてこられ、手当てを受けていた。体のあちこちに止血効果がある薬草や軟膏を塗られ、その上から包帯を巻いてくれる師匠の顔は、心なしか呆れ気味だ。
「まったく……。こんなに傷だらけになって。お前はどれほど私が心配したと思ってるんだ?」
「す、すみません。でも、僕があの魔獣に勝つにはこれしか方法がなかったんです」
こればかりは謝るしかない。
相手の方が強く、戦術的にも優れていた。固有呪術を使った状態ですら、敵の方が一枚も二枚も上手。それを考慮したうえで僕が勝ちをもぎ取るには、賭けに近いあのような戦術を取るしかなかった。
申し訳なさそうにする僕に、師匠は一つため息を吐く。
「分かっているのか? 神経が繋がっていたからよかったものの、下手をすればこの左腕は二度と動かなくなっていたんだぞ? もう少し自分の体を大切にしろ! だいたいハルはな……」
本格的なお説教が始まろうとしたその時、僕の救世主、お茶を淹れてきてくれたズーシャさんが口を挟む。
「まああま、良いじゃないか。勝てたんだから。それに、ハル君の言う通り、あの場面ではああする他になかったと私も思うぞ?」
淹れてくれたお茶を僕の前に置きながらそう弁明してくれる彼に、師匠は口を尖らせる。
「無責任なことを言うな! 勝てたからいいものの、死ぬ可能性すらあったんだ!!」
「だが勝てたろ?」
「それはそうだが……」
「それに、ソフィアだってハル君なら勝てると思ってたんじゃないのか?」
「むむむ……」
にやけながらそう言うズーシャさんに、師匠は頬を膨らませながら唸る。その状態でしばし二人はにらみ合っていたが、最終的には師匠が根負けしたかのようにもう一度ため息を吐いた。
「……そうだよ。ハルなら勝てると思っていたさ。何を隠そう、私自慢の弟子だからな」
彼女はそう言うと、顔をあげて僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「だが! 今後、二度とあんな無茶はしないこと。こんなことをやっていたら、命がいくつあっても足りないからな。約束してくれるか?」
真剣であり、少し不安げな、そんな表情をされたら頷くしかない。
師匠に向き直り、僕も彼女の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「はい。もう二度と、師匠に心配をかける様な事はしません。今回は本当にすみませんでした」
「うむ。分かればよろしい」
彼女は謝る僕を見て満足そうに頷くと、傷の手当てに戻る。
師匠は本当に優しい。どんなことよりも、僕のことを考えてくれている。誰よりも僕が強くなることを望んでくれているのに、何よりも僕のことを心配してくれている。だからこそ、多少の無茶をしてしまうという事情はあるけど。
一応、仲直りした僕と師匠を見て、ズーシャさんは嬉しそうに笑うと、一転して悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「それにしても、よくあの状態から勝てたな。正直、君が諦めていたら止めに入っていたぞ?」
「ああ。あれは、ガノンのおかげです」
「ガノン?」
突然の知らない名前に、師匠が疑問符を浮かべる。
「誰だ?」
「ガノンとは、うちの集落で門番をやっている奴だ。お前も一度会っているはずだぞ? ほら、私を連れてきた奴がいただろ」
師匠はそれを聞いて、「ああ、あいつか」と思い出す。
「そいつがどうしたんだ?」
「試練前日に集落を歩いていた僕に声をかけてくれたんです。それで、不安がる僕に色々アドバイスしてくれて。そのアドバイスが終わった後に少し雑談してたんですが、その時のある話が今回のヒントになったんですよ」
「ある話?」
「はい。ある昔話です」
僕はそう切り出し、あの時の光景を思い出す。
綺麗な白銀の光に照らされた広場で、僕とガノンはベンチに座り、今までのことを色々と話した。王都にいたこと、魔法学院という所にいたが魔法が使えなくなり退学したこと、一人で魔樹海に入ったこと、師匠に助けられたこと、色々なことを話した。
「じゃあ、ハルは王都にいたのか?」
「そうだよ。親がいなくて、やっとの思いで苦労して入った魔法学院も退学になっちゃったけどね」
「そうだとしても、うらやましいぜ。俺は王都というか、人間の街を見たことがないからな。一度は見てみたいんだ。――やっぱり王都はいい所か?」
ガノンの疑問に、僕は腕を組んで空を見上げる。
「うーん。難しいなぁ。いろんな物があるし、刺激も多いけど、生活していくにはお金が必要だし、お金を稼ぐには生まれた環境が恵まれてないといけないからなぁ。僕みたいな人間は生活しづらいかな」
「そっか……。お前も苦労してんだな」
「それほどでもないけどね。それより、僕はこの集落の方がうらやましいよ。みんな優しいし、強い人がいっぱいいるし、凄く暮らしやすいもん。僕もこの集落に生まれたかったよ」
それを聞いたガノンは大口を開けて笑うと、たくましい尻尾を地面にバシバシ叩きつける。
「そう言ってもらえると、俺も誇らしいよ。まぁ、ここしか知らない俺としては、こんな何もない場所は嫌だけどな」
悪戯っぽくそう言ったガノンは、「そうだ」と手を打つ。
「ハルは、この集落が出来た話しを知ってるか?」
「話し?」
「そう。この集落では必ず子どもに聞かせるおとぎ話なんだ」
昔から本が好きだった僕は、思わず前のめりになってしまう。
「へぇー。古種の人たちの物語か。聞いてみたい!」
「そんなに面白いもんじゃないけどな。まあ、そんなに興味を持ってくれるなら話してやるさ。――それは昔々、まだ古種が姿形にとらわれず、様々な種族が一緒に暮らしていた頃……」
ガノンはまるで見てきたことを思い出すかのように目を瞑り、そう紡ぎ始めた。
『それは昔々、まだ古種が姿形にとらわれず、様々な種族が一緒に暮らしていた頃まで遡る。
ある大きな樹海の中に、始祖の地と呼ばれる場所があった。
そこでは色々な種族が互いに協力しながら、日々幸せに暮らしていた。しかしある時、大変大きな魔獣がその地を襲った。魔獣は恐ろしく強く、そこに暮らす人々は協力して立ち向かったが、負けてしまい、その樹海の中でバラバラになってしまった。そんな中、後の鱗族の初代族長となるタタンはバラバラになった仲間が再び集まれる場所を作るため、村を作ることを決意する。
しかし、なかなかいい場所が見つからなかった。
暮らしていくには食べ物となる動物が多く、飲み水に困らないような川がある場所じゃなければならなかったからだ。
三日三晩歩き続け、やっと理想となる場所を見つけることが出来た。しかし、そこには一つの問題があった。
そこにも大きな魔獣が住んでいたのだ。
その魔獣は大きな爪に大きな口、大樹のような尻尾を携えた巨大なトカゲのような姿をしていた。
タタンはこれ以上の場所は今後見つからないだろうと、その魔獣を倒すことを決意する。だがその魔獣は大変に素早かった。始祖の地一の弓の名手と言われたさすがのタタンも、その魔獣には矢の一本も当てられなかった。そこで困ったタタンは、苦肉の策に出る。
相手と一定の距離を常に保ち、当たらなくとも気にせず、手持ちの矢がなくなるまでそれを放ち続けたのだ。矢がなくなれば次の日、次の日も矢がなくなればその次の日。こうして七日間ただ当たらない矢を射続けた。
そんなやり取りに相手が飽き飽きしたころ、タタンはいつも通り全ての矢を使い果たすと、相手の目の前で弓を捨てた。そんなことをすれば、今までのやり取りで苛立っていた魔獣はチャンスとばかりに襲ってくる。しかし、それがタタンの狙いだった。油断し、真っ直ぐ自分に向かって襲ってきた魔獣に対して、タタンは隠し持っていた剣を握ると、相手の大きく開いた口に突き刺した。苛立ち、弓しか使えないと油断していた魔獣はそのスピードを生かすことなく直進してきたのだ。タタンはそこを利用し、魔獣を一撃で仕留めて見せた。
こうしてタタンはその知恵と忍耐、そしてたぐいまれなる勇気によって勝利を手にし、今こうして我々は暮らすことが出来ているのだ。
――おしまい――』
「そのタタンっていう人凄いね。自分の得意な弓じゃなくて、剣で勝負したんだ」
「本当にそんなことをしたのか分からないけどな。でも、未だにこの物語を子どもたちに聞かせては、タタンのような知恵と勇気を持ちなさいって親から言われるんだ」
「じゃあ、ガノンもそうなりたいんだ?」
僕のその言葉に、ガノンは恥ずかしそうに頬を掻くと、顔を逸らして「さあな」とだけ答えた。
「タタンの英雄譚か」
ガノンから聞いた物語を話し終えると、ズーシャさんはポツリとそう呟く。
「なんだそれは?」
「この集落に古くから伝わる言い伝えだ。知恵と忍耐、勇気をもって戦えば勝てない相手にも勝利を手にすることが出来るという教訓だよ。――でもどうしてこれがヒントになったんだ?」
心底不思議そうにするズーシャさんに、僕は少し恥ずかしいながらも説明する。
「あの時の僕は左腕と右足を負傷していたんですが、少しの間なら耐える自信があったんです。攻撃のバリエーションが多いわけではありませんでしたし、攻撃も防げることが分かってましたから。ただ、決め手がなかったんです。時間を稼ぐことは出来ても、相手を倒す手立てがなかったんですよ。血を流し過ぎて、もう腕に力が入りませんでしたから……。そこで、もう一度相手が飛びかかってきた時に、その体重を利用することが出来れば、少ない力で相手にトドメをさせるんじゃないかと思ったんですよ。そこで、前と同じ場面に持っていこうと思ったんですが、どうすればいいかと考えたところで、ガノンの話を思い出したんです」
ズーシャさんは大きな手を打って、なるほどと納得する。
「それでヒートドッグと距離を詰めるという不利な状況を維持することによって、相手が距離を空けたくなるような状況を作り出したわけか」
「はい。まあ、足を怪我してたんで、本当は相手を突き飛ばして距離を空けたかったんですけど、それは出来ませんでしたね」
僕の言葉に、師匠はしかめっ面をし、ズーシャさんは手を叩いて笑う。そうして和やかな時間が過ぎ、師匠が僕の手当てを終えた頃、ズーシャさんが、さてと言って仕切りなおした。
「ハル君の手当も終わったことだし、そろそろ呪噤の授印に移ろうか」
僕はズーシャさんに向き直って正座する。
「はい! お願いします!!」
「痛くはないが、しばらく眠ることになるだろう。多分、起きるのは夜になるだろうな。――準備は良いか?」
「はい。大丈夫です」
ズーシャさんは返事を聞くと、その大きな指を僕の額に付ける。
「では、君の呪核によろしくな」
その言葉を最後に、僕の意識は暗転した。




