路地裏の歌姫②/女を抱かない女連れの客
「……私なんかに、随分と高い金を出してくれたようだね。感謝するよ」
「いえいえ、あなたの一晩を頂戴できるのであれば、安いものですよ」
イライザの牽制を込めた挨拶を、男は軽口でかわす。
やはり一筋縄ではいかない相手だと、イライザは気を引き締めた。
「ふん。それで、どうするんだい?」
「どうする、とは?」
次の言葉には、本当に意味が分からなかったようで、男はカクッと首を傾げた。
言うまでもなく、似合っていない。
「あんたが持参した子も、一緒にベッドに入るのかい? それとも横から見て社会勉強させるのかい? って聞いてるんだよ」
「ああ、なるほど。そういえばここは、男女が愛し合う事を目的とした部屋でしたね」
「あわっ、あわわわわっ」
なるほども何も、それ以外の目的はないはずなのだ。
それなのに男は、本当に意外そうに、そして少女も、今更認識したようにあわあわ言っている。
(……本当に何のつもりだろうね、この二人は)
疑問を抱く事にもウンザリしてきたイライザは、質問を止めて相手が説明するのを待つ。
「個人的には非常に残念だと思いますが、本日、我々があなたから時間を買った理由は、ベッドの上で愉しむためではありません」
故意に相手をいらつかせるような、無駄に長ったらしい説明だ。
特に「非常に残念」だという言葉には、全く心が籠もっていない。
人間性はまだ不明だが、少なくとも男としては信用に値しないとイライザは判断する。
「我々がここに来た理由――――」
「……」
「それは――――――」
「…………」
勿体ぶった喋りが、また癪に障る。
「あなたの『歌』を買うためです!!」
「………………はあ?」
イライラしすぎて男の話を聞き流していたイライザは、ようやく明かされた本当の理由に耳を疑った。
「歌って、なんだい? 私の喘ぎ声って事かい? それなら、ベッドに入るのと結局同じだろう?」
「いいえ、違いますよ。もちろんそれも魅力的な商品ですが、今回の商売相手はお子様なので刺激が強すぎます」
「こどもが、相手?」
男の説明は、さっぱり伝わってこない。
言葉の通じない狂人ならば、早めに店の用心棒を呼んだ方がいいだろう。
警戒したままのイライザは、ドアの近くから離れようとせずに様子を窺う。
「まあまあ、まずは一息つきましょう。夜は長いですしね」
疑いの眼差しを向けられた男は、飄々として懐から茶と菓子を取り出し、テーブルに並べていく。
そして気障ったらしく、頭上の高い位置からポットを傾けて茶を注いだ。
言うまでもなく、似合っていない。
「……面白い芸を持ってるね。もしかして、曲芸団からのお誘いだったのかい?」
「ははっ、そうですね、似たようなものかもしれません。さあ、どうぞ、紅茶は淹れ立てが美味しいですよ」
「…………」
この部屋には、ベッドしか置いてなかったはずだ。
つまり男は、茶だけでなく、テーブルと椅子まで用意していたのだ。
男の無駄な周到さに、ますます気味悪さが増していく。
「砂糖はお好みでどうぞ。さあ、ミシルも座って座って」
「はははいっ、いいいただきますっ!」
「…………」
立ち尽くしたままでは埒が明かないようなので、イライザは観念して席に着く。
(上品な香りがする茶に、美しい造形の菓子。そして、真っ白な高級の砂糖。……金持ちであるのだけは、間違いないね)
男が贅沢品の砂糖を三杯も注ぎ茶を飲んでいるのだから、毒の心配はなさそうだ。
そもそも、こんなお膳立てをしてまで自分を毒殺する理由などありはしないと、イライザは覚悟を決めて客の茶番に付き合う事にした。
「……苦みと甘さが混じり合った上品な味だね」
「素敵な感想ですね。俺の周りには甘味しか認識出来ないメイドや、風情の欠片もないお嬢様ばかりなので嬉しいです」
「わわわたしも、じょじょ上品な味だと思いますっ」
男のよく分からない褒め言葉に、少女が対抗して猿真似な感想を述べる。
(この二人は、どんな関係なんだろうね。親子には見えないし、この年の差で恋人ってのもないだろうし)
理解出来ない事ばかりであるが、男が促すように茶と菓子を口に入れると、心が和らいでいく感じがする。
そして、とにかく男の話を聞いてみようという気持ちになった。
「……もう十分落ち着いたよ。だから、私にも分かるようにちゃんと説明しておくれよ」
「はい、それでは――――」
またもやくどい喋り方だが、質問を挟みつつ辛抱強く聞き続けると、このような話であった。
お邪魔虫に見えた少女こそが主役であり、仕事の依頼主である。
少女は、付与魔法の使い手であり、動く人形を販売する商売を行っている。
付加価値を上げるために歌を追加して、歌って踊る人形を創りたい。
そして、歌を好む子供向け商品として販路を広めたい。
「それで目を付けたのが、よりにもよって、こんな店で体を売っている私ってわけかい…………」
素晴らしい踊りを披露する人形を前に、イライザは自嘲気味に呟いた。
どうやら芸を見込まれた有り難い話のようであるが、彼女の瞳は昏く淀んだままだ。
「ぶっ飛んだ話だけど、一応あんた達が言いたい事は分かったよ」
「ご理解頂けましたか。それでは――――」
「――――でも、私の歌なんかを選ぶ理由が分からないよ」
付与魔法が施された人形は、中に小人が入っているのではと疑うくらいに流麗な動きをしている。
しかも、長い時間、踊りっぱなしだ。
魔法や玩具に疎いイライザであっても、その完成度の高さは疑いようがない。
……それだけに、自分の歌なんかが釣り合うとは到底思えない。
「いいえ、あなたの歌こそが相応しいのです」
「――っ、……なんでっ、なんでそう言い切れるんだいっ!?」
自分は、ここで二十年近くも歌い続けてきた。
その間、歌を褒めてくれる者は少なかった。
偶に称賛されても、それは話のついでであり、結局は自分の容姿にしか興味がない男ばかりだった。
その容姿が衰えた今、客が寄り付かなくなったのが、何よりの証拠。
外見の変化はどうにも出来なくとも、せめて歌だけは毎日練習して磨き上げてきたのに。
結局、自分の歌には何の価値も無かったのだ。
そんな無価値なものに、すがりついていた自分が悪いのだ。
――――と、イライザは長い間抑えてきた感情をぶちまける。
その様子を、男は静かに、少女はおろおろとしながら聞き続けた。
「……そうですね。あなたが悪いのは、疑いようがないでしょうね」
「――――くっ」
全て聞き終わった男は、首を縦に振って肯定した。
イライザにとってそれは、分かっていたとはいえ、死刑宣告と同じ。
しかし――――。
「そう、あなたが悪い。
料理だけでなく芸術にも興味が薄い世界に生まれてしまった事が。
何もかも台無しにする酔っぱらい相手に歌い続けてきた事が。
これまで価値を理解出来る相手に巡り会わなかった事が。
――――そう、あなたは、運が、悪い」
「わ、私が悪いのは、運?」
「その通りです。これまでは、偶々縁が無かっただけです」
「で、でもっ、私の歌はっ……」
「我々は、たくさんの街を巡ってきました」
「えっ?」
「そこで、何十人もの歌を聞いては、首を傾げてきました」
「…………」
「そして、最後に辿り着いたのが、あなたの歌です」
「――――っ」
イライザは、思わず口を押さえていた。
「歌だけでなく芸術なんてものは、受け取る相手次第で傑作にも駄作にもなります。
だから、あなたの歌が、この世で一番素晴らしいとは、残念ながら断言出来ません。
……でも、この人形を必要とする子供達にぴったりな優しい歌声である事は間違いない。
そう、我々は思っています」
「――――――」
イライザは、思い出す。
若くて人気があった頃に、求婚を断り続けた理由は、何であっただろうか。
結婚という安泰を捨ててまで、この店に居続けたのは何故だろうか。
それは、きっと、歌っていたかったから。
ずっと誰かに、自分の歌を認めてもらいたかったから。
そして、その願いは今――――――。
……彼女にとって、その日は、決して忘れられない夜となった。




