黒い三連品 1/2
無い。無い。無い。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
彼の胸中には、そんな負の感情が膨れ上がっていた。
だけど、後悔し、絶望するのは、まだ早い。
いや、もう少しだけ、猶予が残されていると言うべきか。
とにかく、今できることをやろう。
ほんの断片でもいいから、間接的なヒントでもいいから、情報がほしい。
それが自分の知識と繋がり、答えを生み出してくれると信じて――。
「あのっ、少しだけお話しさせてもらってもっ、いいでしょうかっ」
馬車に同席した複数の乗客者に話しかけてみるが、会話が広がらない。
初対面の相手の心を開くには、こちらから話題を提供して信用を得なければならない。
こんな時、自分がいかに物知らずであるのか、痛感する。
この馬車のように、限られた空間で育ってきたので、知識や体験が不足しているのだ。
もっともっと、外の世界を見てみたい。
この狭い馬車の中から飛び出して!
「誰か、誰かっ」
最後の夜が来て、野宿するために停車した馬車から飛び出し、他の相手を探す。
同席した乗客には、下手に話しかけて警戒されているから、もう駄目。
乗客用の馬車はこの一台だけなので、他は運搬人と護衛役しか残されていない。
護衛役は、夜警の仕事があるから、談話している暇はない。
運搬人は、都合が良い情報を持っていそうだが、ある意味同業者なので、逆に聞きづらい。
他に誰か、気楽に話せて、物知りな相手はいないだろうか。
そんな、取ってつけたような、都合がいい相手が――。
「……これは、肉の匂い?」
その匂いに釣られたのは、晩飯時で腹が減っていたから、だけが理由ではない。
肉の他にも、とても香ばしい匂いが漂っていたからだ。
「あのっ、ご一緒してもいいでしょうかっ」
匂いと煙が流れてくる方向に足を向け、辿り着いたのは、大きな樹木の下。
そこでは、くすんだ緑色の髪と奇妙な服を着た中年男が、両足を組んで座り、鉢の上に置いた金網で肉を焼きながら、一人で食べていた。
「ああ、いいとも。肉と酒とおっさんだけの空間だが、ご一緒してくれ」
一瞬、嫌そうな顔を向けられた気がしたが、どうやら見間違いだったようで、中年男は笑顔を浮かべて歓迎してくれた。
奇妙な外見をしていて、怪しい雰囲気を漂わせる相手だが、戸惑っている時間はない。
おそらくこれが、最後の機会。
それに、腹も減っているので、二重の意味で有難い。
「運搬の方、もしくは、護衛の方ですか?」
「いいや、どちらも違う。恋人も仕事も無いから暇潰しに馬車の旅を楽しむ旅人だよ」
「だけど、乗客用の馬車には乗っていませんでしたよね?」
「人が多い場所は苦手でね。個室を借りているのさ」
通常、一般人が利用する馬車に個室なんてあるわけがない。
あるとすれば、馬車一台分を貸し切った金持ちか、それとも身分が高い者か……。
どちらにしろ、普段はあまり近づきたくない相手だが、本日この場面では喜びが勝る。
普通と違うということは、それだけ一般人が知らない情報を持っているはずだから。
「お話をっ。僕と話をしてくださいっ!」
「まあまあ、夜は始まったばかり。そんなに騒いだら、夜の女王様がびっくりしてしまう。ところで、晩飯は?」
「いえ、まだですがっ」
「だったら、食いねぇ食いねぇ、肉食いねえ。ほら、皿とフォークだ」
「でもっ、お話がっ」
「話なら、飯を食いながらでもできるさ。むしろ、飯と酒が一緒だとより話が弾む。これが商談のコツってヤツだよ。それに、商売相手が一緒の食事だと、全部経費で落ちるからな」
よく分からない言葉もあるが、なるほど、と思う。
会話のきっかけは、食べ物で作ればよかったのか。
誘われるがまま、肉を焼く鉢を挟んだ対面に座り、これまた勧められるがまま、肉と酒を口に放り込む。
「おっ、美味しいですっ。こんなに柔らかくて肉汁が溢れ出る肉は、家でも食べたことありませんっ」
「ははっ、肉は七輪で焼くと妙に美味しく感じるからなぁ。それに、外で肉を食いながら飲む酒は最高だよな」
中年男が言うように、普段味わえない雰囲気と、腹が減っているせいもあるだろうが、それにしても美味すぎる。
肉については、魔物がドロップする無味無臭な肉アイテムは論外のこと、鳥などの家畜や野生動物とも全く違う、高級な味わい。
酒についても同じで、甘さの中に酸っぱさも残されていて、厳選された奥深さが感じられる。
だけど、あまりの美味しさが、逆に悔やまれる。
既存品とは違う新たな商品、という縛りがなければ、この肉と酒の出所を聞くだけで、目的は達成されていただろうに……。
「――なるほどなるほど、本日馬車で出発したあの街には、商会で扱う新商品を探しに来ていたけど、お目当ての品が見つからないまま帰る時間になって焦っていた、って訳か」
「は、はい」
したり顔で頷く中年男を見て、知らず知らずに全部説明していた事実に気づく。
飯と酒があれば話が弾むというのは本当だったようで。
正確に言えば、弾むというより、滑らせたといった具合で。
どうやら怪しい雰囲気の中年男は、会話が得意というより、相手の話を聞くのが上手であるらしい。
その証拠に、自分の事情はべらべらと伝えてしまったが、反対に中年男の情報はまだ得られていない。
向かい合って座り、一時間以上経つのに、得た情報は、異様に美味しい肉と酒を持つおじさん、程度。
まさに、肉を焼く時に出る白い煙に巻かれた気分である。
「……正直なところ、売れるかもしれない、と思えた商品はいくつかありました」
「と、言うと?」
だけどもう、自分自身の口を止められない。
最早、愚痴と同じ。
一方的に情報を曝け出すのは、商人としてあるまじき失態だというのに。
「あの街に滞在していたのは三日間で、大きな都市で流通も盛んな場所だったので、様々な品を目にしました。だけど、それらは、僕が求める商品とは違ったのです」
「ふむ、商売において方向性を定めるのは大事だと思う。それで、求めるテーマとは?」
「狭い世界しか知らない僕の語彙で説明するのは難しいのですが、簡単に言うと『楽しくなる商品』でしょうか」
「それはまた、随分と曖昧だな」
「はい、自分でもそう思います。だけど、いま流通している商品は、生活の必需品や魔物と戦うための道具ばかりなのです。貴族や資産家向けの贅沢品もあるのですが、とても一般人には手が届かない物ばかり。もっと毎日使うような一般向けで、だけど絶対に必要ではなくて、無駄遣いになるかもしれないけど、ソレを使うと少し楽しく感じるような、そんな商品を僕は探しているのです」
「ほう? つまり、灰色の独身生活を彩り、心の余裕を生み出す商品ってことか」
そこで初めて、中年男は本当に興味を持ったように、その細い目を少し見開いた。
今までの中年男は、薄く微笑んで頷きながら話を聞いているものの、どこか無関心で、他人事で、それこそ本当に愚痴を聞いているように感じていたからだ。
「心の余裕を生み出す商品! 僕が言葉にできなかったイメージは、まさにそれです! 旅人さんは詩人でいらっしゃるのですねっ」
「ふっ、旅人はロマンチストだと相場が決まっているからな。スナフキン先輩がそれを証明しているのさ」
「すなふきん?」
「ともかく、それほど幅広いテーマなら、効果の大小はあっても見つけ出すのはそう難しくないと思うが?」
「それが、知識に乏しい僕にとっては漠然としすぎていて、具体的にどのような商品がどのような形で楽しさに繋がるのか、分からないのです」
悔しそうに俯きながら、自身の拳を握りしめる。
理想だけが先行し、現実が見えていない愚か者らしい葛藤だろう。
これもまた漠然としているが、おそらく、商売に必要な知識とは、単純な商品の良し悪しではない。
現実はとても曖昧で、しかし確固とした真実があるのだと、身を以て知る必要がある。
そうでなくては、人が人に、何かを売るなんてできないはずだから。
「うむ、その心意気や良し! こうして出逢ったのも何かの縁。人生とは一期一会。その人生の先輩であるこの俺が、『楽しくなる商品』の見つけ方、言うなれば『世界の真実』を伝授しよう!!」
「ほっ、本当ですかっ!?」
これまで聞き手に徹していた中年男は、自分の番が回ってきたとばかりに立ち上がり、芝居がかった仕草で偉そうに両腕を組み、口を開く。
果たして、世界の真実とは――。
「それはな、『楽しいモノほど身体に悪い』だ!」
「…………え?」
確かに聞こえたはずの中年男の言葉は、何故か理解できなかったようで、一拍置いた後に首を傾げた。
人生が楽しくなる商品、それは「良い」ことに違いないと信じていたところに、対極の意味である「悪い」が出てきてしまったので、脳が混乱してしまったのだ。
「よーし、口で言っても伝わらないから、実物を出して説明しよう」
そう言って、したり顔の中年男は、懐から三つの品を取り出した。
「これは、いったい?」
「俺の地元では誰もが知っている『楽しくなるけど身体に悪い商品』。その名は、醤油、珈琲、葉巻。この三つをまとめて『黒い三連品』と呼ばれ、税収にも貢献している大人気商品だ」
三つの品は、どれも初めて見る物だったが、そんなに特別な効用を秘めた商品には思えない。
「あの、確かにこの、ショーユとコーヒは真っ黒ですが、残る一つのハーマキは茶色の葉っぱに包まれていて黒くはないようですが?」
「葉巻という商品はな、外見じゃなくて、使った人の体の内側が黒くなるんだよ」
「ええっ!?」
「よし、順番に説明しよう!」




