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ラギネ村

 小高い丘から見下ろせば、森と森の間の僅かな隙間に畑が広がり、その周囲に幾つかの民家が見える。

「あれが……ラギネ村か……」

「はい、あれが……私の生まれ故郷です……」

 パーロゥに騎乗しながら、辰巳とカルセドニアは眼下のラギネ村を眺める。

 辰巳がちらりと隣の妻の様子を伺えば、カルセドニアの表情は複雑なものだった。

 懐かしさと、僅かばかりの恐怖心。それ以外にも、彼女の胸中ではいろいろな感情が渦巻いているのだろう。

「…………変わっていませんね。私の記憶に残っている通り……」

 幼い頃──年齢で言えば五歳ぐらいか──、旅の神官に連れられて彼女が最後に見た故郷の景色。

 それがこの丘から見下ろした故郷の姿だ。

 その時に見た風景と、今見下ろしている風景は季節の違いこそあれど、それほど変化ないようにカルセドニアには見受けられる。

「いつまでもこうしていても仕方ない。行こうか、カルセ」

「はい、旦那様」

 互いに微笑み合いながら、辰巳とカルセドニアは街道を下る。

 少し先を見れば、ジョルトとイエリマオのパーロゥ、そして、モルガーナイクが操る(ちょ)(しゃ)が見える。

 狩りの途中だったモルガーナイクは、パーロゥではなくより多くの荷物を運ぶためにオークが牽く猪車で王都を離れていたのだ。

 先行する仲間たちを追いかけながら、辰巳たちはようやくラギネ村へと足を踏み入れるのだった。




 四騎のパーロゥと、一台の猪車。

 突然の来訪者たちは、あまり外から人の訪れないラギネ村ではちょっとした事件だった。

 とりわけ、先頭で一行を先導するように進むパーロゥを駆る女性と、最後尾で猪車を操る男性に村人たちの視線が集まる。

 陽光を受けて、きらきらと輝く白金色の長い髪の美しい顔立ちの女性と、鮮やかな赤毛を短めに刈り込んだ、涼しげな印象の美形の男性。

 辺境の村で暮らす村人たちから見れば、それはまるで物語に登場する主人公のようだった。

 更には、身なりのいい男性とその付き人らしき少年。もしかすると、彼らは貴族かもしれない。

 貴族と言えば、まさに雲の上の存在。村人は徴税に来る役人ぐらいは見たことはあっても、実際の貴族を見るのは初めてという者も多い。

 そんな中、護衛と覚しき全身黒づくめの鎧の青年だけが、どう見てもぱっとしない。

 騎士や傭兵、そして魔獣狩りがその鎧を見れば、その素材の正体を見抜いて目を見開いて驚くだろう。

 しかし、このような辺境の村の住人が、鎧の素材など見抜けるはずもない。

 村人たちは美しい女性や美形の男性、そして貴族かもしれない人物を見て、くちぐちにあれこれと囁き合う。

 だが、黒い鎧の青年の話題だけは、村人たちの口に登る回数がかなり少なかった。




 一行がまず向かったのは、村の中心に存在するサヴァイヴ神殿であった。

 神殿とは言っても、当然ながら王都のサヴァイヴ神殿とは比べものにならない。

 民家よりも幾らか大きいと言った程度の建物でしかないが、それでもここは豊穣の神であるサヴァイヴ神に祈りを捧げる大切な場所である。

 神殿の庭や建物の中はとても清潔にされており、この神殿で暮らしている神官や村人たちが、念入りに掃除していることが容易に分かる。

 そんなサヴァイヴ神殿の礼拝堂で、一同はこの神殿の責任者と対面していた。

「遠い所をようこそおいでなさった」

 そう言って柔和な笑みを浮かべたのは、白い髪の老齢の男性だった。

「私がこの神殿を預かっております、司祭のベーギルと申します。よろしくお願いしますぞ、《聖女》殿、そして《天翔》殿。お二人のことは王都からの鳥便……しかも、最高司祭様直々の手紙で知らせていただきました」

 こんな辺境の地の司祭でしかない自分が、まさか最高司祭様直々の手紙を受け取ろうとは夢にも思いませんでした、とベーギル司祭は笑う。

「して、そちらの方々がトガに向かわれるという同行者の方々ですな?」

 ベーギル司祭は、柔和な笑みを浮かべたまま辰巳たちの背後にいたジョルトたちへと視線を向けた。

 おそらく、彼らがトガの視察へ向かうことも、ジュゼッペは手紙にしたためておいたのだろう。

 ジョルトやイエリマオを見ていたベーギル司祭の視線が、最後に控えていたモルガーナイクの所でぴたと止まる。

「はて、そちらの御仁は……? 最高司祭様からの手紙には、猊下の孫娘とその婿殿、そして王国の役人が二人同行するとありましたが……」

「こちらは旅の途中で同行してもらった方です。ジュゼッペさん……いえ、最高司祭様からの手紙に記されていたと思いますが、例の病気が最高司祭様のお考えのように魔獣が原因だった場合、自分とカルセドニア司祭だけでは手に負えない場合があるかもと判断しまして、彼に……《自由騎士》と名高いモルガーナイク殿に同行を願いました」

「確かに、病気に関しては最高司祭様のお考えが手紙に記されておりましたが……あなたが高名な《自由騎士》殿でしたか。いやいや、あなたのような方にお越しいただき心強い限りですな」

「訳あって神殿からは籍を外しましたが、旅の途中でこうして《聖女》殿や《天翔》殿と一緒になったのもサヴァイヴ神の導きであると判断し、彼らと同行して参りました」

 そう言って頭を下げたモルガーナイクに、ベーギル司祭の笑みが更に深くなる。

「いやはや、噂に違わず美男美女のご夫婦ですな」

「え?」

 きょとんとした顔の辰巳を余所に、ベーギル司祭は実に楽しげに言葉を続ける。

「このような辺境にも、《聖女》殿と《自由騎士》殿の噂は届いていますぞ。このようなお美しいお孫さんと逞しく精悍なその伴侶を得て、最高司祭様もさぞ喜んでおられるでしょうなぁ」

 ベーギル司祭とて悪気は全くないのだろう。

 だが、司祭の言葉を聞いたジョルトとイエリマオは、共に「あちゃー」といった表情を浮かべているし、モルガーナイクは片手で顔を覆って天を仰いでいる。

 辰巳はといえば、俯いてぷるぷる震えている自分の妻と、にこやかな表情を崩すこともないベーギル司祭を心配そうに何度も見比べていた。

 そして。

「ちっがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁうっ!! そっちじゃなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっっ!!」

 両手を思いっ切り振り上げて、カルセドニアは憤りを露にするのだった。




「いや……なんとお詫び申し上げればいいのか……本当に済みませんでしたな、《聖女》殿」

 おろおろと平謝りするばかりのベーギル司祭。

 だが、彼ばかりが一方的に悪いわけではないだろう。

 聞けば、ジュゼッペの手紙には「自分の孫娘とその婿を派遣した」と記してあったらしい。

 《聖女》がサヴァイヴ教団の最高司祭の孫娘であることは有名だし、その《聖女》と《自由騎士》が恋仲だという噂もそれほど昔のものではない。

 テレビもラジオもインターネットもないこの世界では、一度広がった噂を消すのは極めて難しく、それが地方ともなれば尚更だ。

 もしもモルガーナイクが辰巳たちに合流していなければ、ベーギル司祭も変な誤解はしなかっただろう。

 ジュゼッペも、まさかモルガーナイクが途中で合流するとは予想さえしていなかったに違いない。

「私の伴侶はこちらの《天翔》のタツミ・ヤマガタ様です。以後、同じ間違いは絶対にしないようにお願いします!」

「は、サヴァイヴ神に誓って」

 辰巳とカルセドニア、そしてベーギルは、神官としての位は共に司祭である。

 だが、やはり中央の本神殿に所属する辰巳やカルセドニアと、地方の司祭であるベーギルではややベーギルの方が地位が下がる。

 しかもカルセドニアは最高司祭の孫娘ということもあり、三人の中ではどうしてもカルセドニアが一番上の扱いになるのだ。

「ほら、カルセもそれぐらいにして。ベーギル司祭だって単に勘違いしただけなんだから」

「…………旦那様がそう言われるのなら……」

「それよりも、問題の病人について話を聞く方が先だろ?」

「あー、それならタツミ。一度旅の荷物を置いて、身軽になってからにしたら? この村にだって、宿屋ぐらいあるでしょ?」

 辰巳たちのやり取りを、背後で伺っていたジョルトが口を挟む。

「お、おお、そうでしたな。この神殿はご覧のように小さくて、とても五人もの客人をお泊めする余裕はありません。申し訳ありませんが、村の宿屋をご利用願えますかな?」

「そうですね。では、宿屋に荷物を置いてから、再びお話を伺いに来ます」

「承知しました。では、宿屋までご案内致しましょう。なんせこの村に宿屋は一軒しかなく、しかも少々分かりづらい場所にありますのでな」

「いえ、それには及びませんわ、ベーギル様。宿屋の場所ならば、私が存じておりますので」

 そう申し出たカルセドニアに、ベーギル司祭は不思議そうな顔をする。

「はて? どうして《聖女》殿がこの村の宿屋をご存知なのですかな? もしかして、以前にこの村に来たことがおありか?」

 あなたのような美しい方が、この村に来たことがあれば自分の耳に入らないはずがないが、とベーギル司祭が呟く。

 しきりに首を傾げる司祭に、カルセドニアはにっこりと笑う。

「ベーギル様。まだお気づきになりませんか? 私はこの村の生まれで、村にいた頃はベーギル様が語られたサヴァイヴ様のお話をこの神殿でお聞きしたのですよ?」

 そう言われて、ベーギルは改めてカルセドニアの姿を見る。

 そして、その両目が徐々に大きく見開かれていく。

「お、おおお……か、カルセドニア……? も、もしや……ベックリーとネメアの娘の……あのカルセドニアか……?」

「はい。私は間違いなくベックリーとネメアの娘だったカルセドニアです。お久しぶりですね、ベーギル様?」




 〔吹き抜けるそよ風亭〕。

 それがこのラギネ村にただ一軒ある宿屋の名前だった。

 一階はやはり酒場となっており、この村の数少ない娯楽である酒を村人に提供している。

 宿屋の規模としては、今回の旅で辰巳が見たどの宿屋よりも小さく、客室の数も八人用の大部屋が一つと二人用の部屋が二つしかない。

 そもそも、この村に来る旅人と言えば定期的に訪れる行商人ぐらいしかいないので、この程度の規模の宿屋で十分なのだろう。

 辰巳たちは五人と中途半端なこともあり、八人用の大部屋を借り切ることにした。

 神殿からこの宿屋に向かう途中、辰巳たちは村人たちからじろじろと無遠慮な好奇の視線を向けられたが、どうやら彼らのことは既に村中に広まっているらしい。

 中でもやはり一番注目されているのは、カルセドニアとモルガーナイクである。

 村の若い男性の中には、カルセドニアの美貌に陶然と見蕩れていたり、若い女性たちはモルガーナイクの整った容貌にきゃあきゃあと黄色い声を上げていた。

 宿の部屋に荷物を置き、辰巳はふうと溜め息を吐く。そして、隣の寝台に腰を下ろしているカルセドニアを見る。

 彼女に特に変わった様子はなく、いつものように荷解きをしている。

 ベーギル司祭にこの村の出身だと告げたカルセドニア。司祭も幼い頃の彼女を覚えていたようで、あまりの驚愕に言葉も出ない有り様だった。

 幼い頃に狂人扱いされて村を出た少女が、サヴァイヴ教団の最高司祭の孫娘になって戻ったとなれば、誰だって司祭と同じ反応を示すだろう。

「カルセ……何なら、司祭の話は俺一人で聞いてこようか?」

 突然の辰巳の言葉に、カルセドニアは思わずきょとんとした顔になる。

 だが、彼が自分を心配してくれていると分かると、すぐにふんわりと柔らかく微笑んだ。

「ありがとうございます、旦那様。ですが、私ならば大丈夫ですから、旦那様とご一緒します」

「じゃあ、俺とイエリマオ先生はこのまま宿で待っているよ。さすがにちょっと疲れたからね」

「ならば、俺は念のために二人の護衛に残ろうか」

 旅慣れていないジョルトとイエリマオは、宿屋に残ることにしたようだ。

 となると、護衛として雇われている以上、辰巳、カルセドニア、モルガーナイクの内の一人ぐらいは、ジョルトたちの傍にいるべきだろう。

「じゃあ、モルガーさん。ジョルトたちのこと、お願いしてもいいですか?」

「ああ。そちらも何かあればすぐに知らせてくれ」

 辰巳とカルセドニアは、後のことをモルガーナイクに任せて再び神殿に向かう。

 相変わらず、村人たちは珍しそうに二人を見ている。

 ただ、若い女性たちだけが明らかに落胆していたようなのは、モルガーナイクの姿が見えないからだろう。

 辰巳は飛竜素材の鎧と剣、そして『アマリリス』を装備している。カルセドニアも、いつもの魔封具のローブと手足に飛竜の防具、そして手には愛用の杖。

 村の中に脅威があるとは思えないが、それでも今は仕事中である。彼らが完全武装しているのはそのためだ。

「神殿でベーギル司祭に詳しい話を聞いた後は、村長とか村の代表者にも話を聞いた方がいいよな?」

「そうですね。例の病気がどの程度広まっているか、確認すべきだと思います」

 今後のことを軽く打ち合わせしながら、神殿を目指す辰巳とカルセドニア。

 そして前方に神殿が見えてきた時、辰巳たちの前を立ち塞がるようにしている男たちがいた。

 彼らは辰巳たち──いや、カルセドニアを見ると、揃って下卑た笑みを浮かべる。

「へえ、あれが本当にあの《嘘つきカルセ》なのか? こりゃまた、随分と別嬪になったものだな」

「ああ。まさかあの《嘘つきカルセ》がねぇ。正直、信じられねえや」

「こんないい女になるんだったら、村から出ていく前に村の奴隷にでもしておくんだったな」

 男たちはじろじろとカルセドニアを見ると、勝手なことを言い合う。

 そんな男たちの態度に辰巳が表情を険しくした時、彼らの内の一人が一歩前へ進み出た。

「よう、カルセ。俺のこと、覚えているか?」

 男はにたにたとした笑みを浮かべながら、カルセドニアの胸元や腰の周りに視線を彷徨わせている。

「…………ガルドー……」

 そう呟いたカルセドニアの顔には、はっきりと嫌悪の表情が浮かんでいた。


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