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カルセドニアの胸の内

「……申し訳ありません……」

 サヴァイヴ神殿から家へと帰って来たカルセドニアが、辰巳に向かって深々と頭を下げた。

 ジョルトからの依頼は一時保留として、辰巳とカルセドニアの二人は一旦家に帰ってきたのだ。

「……私の我が儘で、旦那様に不快な思いをさせてしまいました」

「いや、そんなことはないよ」

 辰巳はカルセドニアの不安を払拭するように、そっと彼女の身体を抱き寄せる。そして一度だけ強めに抱き締めると、すぐにカルセドニアを解放した。

「カルセの過去については、大体のことはジュゼッペさんから聞いている。やっぱり、故郷の村には帰りたくないのか?」

 居間へ移動し、テーブルに腰を落ち着けた辰巳は、同じように対面に座ったカルセドニアに尋ねる。

 いつもなら辰巳のことを正面から見つめるカルセドニアが、今日に限ってはその視線を膝の上辺りを彷徨わせている。それだけ、故郷の村について良い印象を持っていないのだろう。

 尋ねられたカルセドニアは、視線を彷徨わせるばかりで答えようとはしなかった。しかし、辰巳は黙って彼女からの返答をじっと待ち続ける。

 居間の中を沈黙が支配する。時折天井からことことと小さな音がするが、もしかしたらこの家のブラウニーが彼らのことを心配して見守っているのかもしれない。

 ただただ、静かな時が流れていく。

 どれぐらい沈黙の海に浸っていただろうか。ようやく、ぽつりぽつりとカルセドニアが言葉を零し始めた。




「……確かに……私は故郷にいい思い出がほとんどありません……ですが……それは私自身にも責任があることだと今は理解しています……」

 夢で見た前世の記憶。

 自身が小さな小鳥(オカメインコ)であったこと、そしてその飼い主にして主人である少年(タツミ)のこと。

 幼い頃の彼女は、それらのことを両親や村人にことある毎に告げていたため、遂には狂人だと思われるに至ったのだ。

 当時の彼女にしてみれば、夢のことを誰かに話すのがとても楽しかった。だが他者からすれば、夢のことばかりを口走る幼子など、気持ち悪い存在であったと今ならば理解できる。

「……故郷の村に赴いた時、私が村人たちからどのような目で見られようとも……それは自業自得だと思います。ですが……ですが、旦那様まで……いえ、ご主人様までもが村人たちから私と同じような目で見られるかと思うと……私はそれが嫌なのです」

 夢の中だけの存在だった少年(タツミ)。その少年は今、この世界に実在している。

 例え、辰巳が幼いカルセドニアが言っていた「夢の中の少年」であると村人に告げなくても、彼がカルセドニアの夫であることは、村を訪れれば程なく知れ渡るだろう。

 その時、自分だけではなく辰巳までもが、村人たちから冷たい目で見られるかもしれない。

 狂人を妻に娶った物好きな男、と陰口を叩かれるかもしれない。

 それがカルセドニアが怖れていることであった。




 カルセドニアの心境を聞いた辰巳は、思わずぽかんとした表情を晒してしまった。

 かつて冷遇された故郷の村。その村ではいい思い出がなく、それが理由でカルセドニアは帰りたくないのだ、と辰巳は考えていた。

 だが彼女の危惧はそうではなく、自分と一緒にいることで辰巳にも自分と同じ思いをさせてしまうから。

 それがカルセドニアの怖れていたことだったとは。

 辰巳の胸の中にある感情が湧き上がってくる。

 カルセドニア自身のことよりも、自分のことを気遣ってくれる彼女への感謝。

 そして何よりも、そんな彼女への愛しさが辰巳の胸を一杯に満たす。

 思わず緩みそうになる頬を意識して引き締めながら、辰巳は身を乗り出して項垂れたカルセドニアの頭へと手を伸ばす。

 触れた手には、柔らかな彼女の髪の感触。

 すっかり馴染みとなったその感触に、とうとう辰巳の頬が揺るんでしまう。

 さらさらとした彼女の髪の感触と、その髪から漂う芳香が、かつての小さかった頃の彼女の匂いを連想させる。

 今の彼女の髪の感触と、かつての羽毛の感触は決して同じではない。もちろん、髪の匂いも同様である。

 それでも、辰巳にはどちらの匂いも最愛の存在の匂いなのだ。

 そのままカルセドニアの髪の感触を楽しみながら、辰巳は彼女の頭をゆっくりと撫ぜる。

「……ありがとう、チーコ。チーコの気持ちがすごく嬉しいよ」

 夫に礼を言われてようやく顔を上げたカルセドニアだが、目の前に辰巳の姿はなかった。

 え? と疑問に思う間もなく、彼女はふわりと背後から抱き締められた。もちろん、それは辰巳である。《瞬間転移》でカルセドニアの背後に回り、そのまま彼女の身体を包み込むように抱き締めたのだ。

「チーコの気持ちは嬉しいけど、俺としてはチーコの故郷の村に行きたいんだよ」

 耳元でそう囁かれ、カルセドニアはすぐ傍にある辰巳の顔へと振り向く。

 その視線は、先程の彼の言葉の意味を無言で問うている。

「だって、その村にはチーコの両親がいるんだろ? だったら、俺としてはその村に行って、きちんと報告したいんだ。『俺たちは結婚しました』ってさ」

 既にカルセドニアと実の両親との間の絆は断たれていると言っていいだろう。それでも、カルセドニアの実の両親には違いないのだ。

「実は、前々からチーコの故郷には行かなくちゃって思っていたんだ。チーコの本当のご両親に正式に挨拶するためにね。本当なら、結婚する前に挨拶しなくちゃいけないんだろうけど……そこは考えない方向で」

 半ば冗談めいた辰巳の言葉を聞き、カルセドニアはようやく笑顔を浮かべた。

 そんな彼女のすべらかな頬を、暖かな透明な雫が流れ落ちていく。

 辰巳の暖かな心遣いが、いや、彼の存在そのものが、カルセドニアの心の中を温かく染め上げていった。

「だから……一緒に行こう。チーコが生まれた村に。チーコの両親に会うために」

「……はい……一緒に行きましょう、私の故郷へ……私、両親に胸を張って宣言しますね。『この方が私の旦那様だ』って」

「ああ、よろしく頼むよ」

 至近距離から見つめ合う二人。

 二人の間の距離がゼロになるまで、それほどの時間は必要なかった。




 翌日、辰巳はジョルトの依頼を受けることをジュゼッペに告げた。

「そうか、そうか。では、タツミ・ヤマガタ司祭よ。改めて今回の依頼についての詳細を告げる」

 「家族」から「最高司祭」へ。その立場を変えたジュゼッペが、姿勢を正した辰巳へと今回の依頼の仔細を伝える。

「今回の依頼主は王家であるレゾ家じゃ。レゾ家の所領に査察官を派遣するので、その査察官の道中の護衛と怪我や病気の際の治療要員として、おぬしとカルセドニア・ヤマガタ司祭の両名を派遣する。もちろん神官の派遣は有償であり、その報酬はレゾ家より我がサヴァイヴ神殿へと支払われ、一部はおぬしたち二人の報酬となる。具体的には報酬の半分が神殿の取り分で、残る半分がおぬしらの報酬じゃな」

「はい。承知致しました」

 姿勢を正した辰巳が一礼すると、ジュゼッペは満足そうに微笑んだ。

 ちなみに、貴族などが神官を一時的に雇い入れることは多々ある。

 今回のように旅の回復要員として雇う場合が多いが、〈魔〉が出現した際に魔祓い師を雇うこともある。

 どちらの場合もかなりの額の報酬を必要とするため、一般的な市民が神官を雇うことはまずあり得ないだろう。

 だが、〈魔〉が出現した場合に限り、神殿は無償で魔祓い師を派遣する場合もある。

 ちなみに、報酬は表向きは神殿への寄進であり、その寄進に対する返礼として、神殿は一時的に神官を派遣するという形を取る。

「おぬしらが依頼を受けたことを、すぐにでもジョルト坊主に伝えておこう。おそらく、出発は四、五日ほど先じゃろうから、それまでにおぬしらも旅の準備をしておくように。そういえば婿殿、おぬしはパーロゥに乗れるようになったかの?」

「ええ、国王陛下から賜ったパーロゥで猛特訓しましたからね。とは言っても、現状では何とか乗って走らせるのがやっとですけど。カルセが言うには、折角だから今後は騎乗戦闘の訓練も行ってはどうかと言われていますよ」

 辰巳が飛竜を倒した褒美として賜ったパーロゥたちは、しっかりと調教された一級品のパーロゥである。当然ながら戦場でも怯えることがないよう訓練されている。

 折角戦場にも適応できるように訓練されているのなら、それを活かさない手はないだろう。

「ふむ。パーロゥによる騎乗戦闘ならば、やはり王国騎士の訓練に参加した方がいいじゃろうな。タウロードを通じて訓練に参加できるように手配するがいい。なに、飛竜さえも倒す今のおぬしならば、王国の騎士団も無下にはせんじゃろうて」

 神官戦士は(かち)での戦闘が基本なので、神殿でも騎乗戦闘の訓練は行わないのだ。

 やはり、騎乗しての戦闘は騎士の本分だろう。

「そう言えば、カルセの故郷の村でおかしな病人が出たとのことですが……」

「うむ。その件じゃが……これはあくまでも、現地の神官からの報告を聞いた儂の推測なんじゃがの……」

 そう前置きをして、ジュゼッペは己の考えを辰巳へと告げる。

「……その病人はある日突然片足が全く動かなくなったそうでな。「枯れ枝病」と呼ばれる病気が似たような症状なのじゃが、儂はちと違うような気がしておるんじゃ」

 「枯れ枝病」とはその名前の通り、手足が枯れ枝のように干からびて動かなくなってしまう病気である。

 これは体内の精霊の力のバランスが崩れ、身体の末端の水の精霊の力が弱まることで発病する。

 かつては原因不明の病で、命を落とすような病気ではないもののこれと言った特効薬もなく、何らかの呪いではないかとも言われていた病である。

 だが、エルがこの世界を訪れて精霊魔法の使い手が現れたことで、精霊の力が生物の身体にも及んでいることが判明し、何らかの理由で体内の精霊の力のバランスが乱れたことがこの病の原因であることが明らかになった。

 まだまだ精霊魔法の使い手が少ないこともあり、完治は難しい病であるものの不治の病ではなくなったのだが、どうやらジュゼッペは問題の病人はこの「枯れ枝病」ではないと考えているようだ。

「……その症状を直接見たわけではないからはっきりしたことは言えんが、どうも「枯れ枝病」とは違うような気がしてならんのじゃ」

「病気でないのなら……何が原因なんでしょう?」

「これまた推測でしかないがの……儂は魔獣が関係しておるのではないか、と考えておる」

「魔獣……ですか?」

「左様。魔獣の中には他者の身体を石に変えるようなものもおるからの。他にも様々な能力を持つものもおる。今回の件も、そんな魔獣の特殊能力によるものではないかな? もちろん、儂とてこの世の全ての病気を熟知しているわけでもないので、儂の知らない病気という可能性もあるが」

 もしも本当に魔獣が原因だとすれば、他にも同じ症状の病人──いや、犠牲者が出るかもしれない。もしかすると、既に出ている可能性も少なくはない。

 仮にジュゼッペの推測が正解ならば、原因となった魔獣を退治しない限り、新たな犠牲者はどんどん増え続けるだろう。

「もしも実際に魔獣が原因であれば、速やかにその魔獣を退治せい。おぬしとカルセでは手が足りないようならば、現地で魔獣狩りを雇っても構わん。ジョルト坊主とも相談して、臨機応変に対処せよ。よいな?」

「はっ、承知しました」

 こうして、最高司祭からの直々の命を受けた辰巳は、数日後にカルセドニアやジョルトらと共に王都を旅立つことになる。

 目的地は王領であるトガの街。そして、カルセドニアの生まれ故郷であるラギネ村である。


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