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「餌」から「敵」へ

 大空に滞空する巨大な飛竜。その巨体に見合った大きな複眼に、辰巳は剣を全力で叩きつけた。

 その際、刀身に魔力を流して《魔力撃》も発動させる。

 振り下ろした剣は狙い通り飛竜の巨大な複眼に命中。だが、剣を通して辰巳の手に伝わって来たのは、まるで岩を殴りつけたような感触だった。

 確かに剣は当たったものの、これではほとんど打撃は与えられていないだろう。

 想定外の硬さに顔を顰めながら、辰巳は素早く再び《瞬間転移》を発動。空中にあった彼の姿が消えると同時に、城壁の上──カルセドニアたちの元へとその姿を現した。




 ずざざざざっという音と共に、再び出現した辰巳の身体が城壁の上を滑る。

 すぐに下半身に力を入れて体勢を整えた辰巳は、上空の飛竜を仰ぎ見た。

「────くそっ!! 複眼まであんなに硬いのかっ!!」

 飛竜の身体の中でも複眼は柔らかい方だろうと予想した辰巳は、真っ先にその複眼を狙った。

 確かに、複眼は飛竜の身体の中で最も柔らかい部分の一つに違いない。だが、それでもその硬度はかなりのもので、空中という不安定な姿勢ではとても破壊できるようなものではなさそうだ。

 見かけは間違いなくトンボそっくりであり、その身体能力もそれに近いものがあるだろう。

 だが、まがりなりにも相手は竜種。「最強」の看板を背負う生物である。単に地球のトンボが大きくなっただけの生物ではない。

「大丈夫か、タツミ?」

 辰巳の元へと駆け寄ったブラガングが声をかけてくる。その背後には、心配そうな顔のカルセドニアもいる。

「俺は大丈夫です。続けて行きますが……」

「何か問題があるようだな?」

 頷いた辰巳は、先程感じたことをブガランクに告げる。

「……なるほどな。空中では下半身の踏ん張りが利かないってわけか」

 二人は上空に滞空したままの、飛竜を見上げながら言葉を交わす。

 飛竜はゆっくりと辰巳たちの方へと近づいてきている。

 その無数の目の集合体は、じっと辰巳たちを見下ろしており、まるで彼らを値踏みでもしているかのようだ。

 もっとも、複眼の視点が本当に辰巳たちを見ているのか、今一つ判断しづらいのだも事実だが。

 ゆっくりと近づいてくる飛竜は、間もなく弓や魔法の射程距離に入るだろう。

 カルセドニアたち牽制組は、それぞれいつでも攻撃できるように準備を整えながら、ブガランクの指示を待っている。

「まだ一撃しか入れていませんが、《魔力撃》も体表が硬すぎて殆ど弾かれているみたいです」

「とは言え、他に有効な攻撃方法がないのも事実だしな……とりあえず、様子見も兼ねてもう一度やってみてくれ」

「分かりました」

 ブガランクに答えると同時に、辰巳の身体は再び城壁の上から消え去った。




 辰巳は再度飛竜の眼前へと転移した。

 目の前には巨大な複眼。無数の目の集合体の表情は全く読めない。

 その複眼から視線を逸らし、辰巳は別の攻撃目標を素早く探す。そして、飛竜の顔の中にそれを見つけた。

──複眼が駄目なら、単眼ならどうだ?

 トンボには複眼だけではなく単眼も存在する。そして、この世界の飛竜にもまた、単眼は存在した。

 巨大な複眼と頭部の境目辺り──やや強引に人間で例えるならば、目頭の辺りに該当するだろうか──から、ひょこんと飛び出した突起状の単眼。

 地球のトンボの単眼は三つだが、この世界の飛竜の単眼は二つのようだ。

 この時、既に辰巳の身体は落下し始めている。その落下速度を予め計算して飛竜のやや上方に転移した辰巳は、落下速度を振り下ろす剣の速度に加えて飛竜の単眼を斬りつけた。

 しかし、辰巳の剣が単眼に当たる直前に飛竜が動く。

 普通の生物では考えられない、トンボ特有の空中での横滑り。巨大な飛竜の頭部が、辰巳の目の前ですぅっと真横へと移動する。

 これだけ巨大な物体が空中で移動すると、当然ながらその周囲の空気は激しくかき乱される。

 突然発生したこの激しい気流に、辰巳の身体は抵抗する間もなく飲み込まれた。

「うわああああああっ!!」

 辰巳の身体は気流の中で翻弄され、彼の視界がぐるぐると回転する。

 それでも辰巳は、必死に周囲の状況を把握しようと試みる。ぐるぐると回り続ける視界の中を、黒くて巨大なものが横切った。

 それが何かと考えるより早く、辰巳の胸に大きな衝撃が炸裂する。どしん、と胸に突き刺さった重い衝撃に、思わず辰巳の呼吸が止まる。

 幸いにも、胸を覆っていた魔獣素材の鎧とその下に着込んでいた鎧下、そして咄嗟に構えた盾のお陰で肋骨が折れるようなことはなかったが、その衝撃は辰巳の身体を易々と弾き飛ばす。

 空中では身体を支えることも踏ん張ることもできない辰巳は、抗うこともできずにあっさりと弾き飛ばされた。




「だ、旦那様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 城壁の上で、カルセドニアが悲痛な叫び声を上げる。

 上空のできごとは、城壁の上からでもはっきりと見て取れた。

 辰巳の剣を回避した飛竜が生み出した激しい気流。その気流に飲み込まれて翻弄されている辰巳を、飛竜は薙ぎ払うような尾の一撃で吹き飛ばしたのだ。

 飛竜に比べて小さな辰巳の身体は、全く抵抗できずに弾き飛ばされた。

 弾き飛ばされた辰巳へ更なる追撃をしかけんと、飛竜の巨体が彼に向かって移動する。

 飛竜の驚異的な速度は、自ら弾き飛ばした辰巳へとあっと言う間に迫っていく。

「させないわよっ!!」

 ぎぃん、という甲高い弦の弾かれた音と共に、鋼鉄の矢が空気を引き裂いて飛竜へと突き進む。

 ジャドックのリュルンの強弓から放たれた鋼鉄の矢。その矢が途中で炎に包まれた。

 これがリュルンの強弓の特殊効果である。その弓から放たれた矢は、炎に包まれることで威力を更に増す。

 しかし炎に包まれるため、普通の木製の矢ではあっと言う間に燃え尽きてしまう。だからこそ、この強弓には鋼鉄製の専用の矢が用いられる。

 炎を宿した鋼鉄の矢が、辰巳へと迫る飛竜へと襲いかかる。

 だが、飛竜はその独特の機動性でもって、空中で急停止して迫る矢を易々と回避した。

「ミルイルちゃんっ!! 次の矢をっ!!」

「分かったわっ!!」

 矢が外れたことを確認したジャドックは、背後にいるミルイルへと手を差し出す。

 ミルイルは背負っていた矢筒から引き抜いた矢を、ジャドックのその手へと渡した。

 ぎちり、という音が聞こえそうなぐらい、ジャドックの全身の筋肉が膨れ上がる。

 逞しい二本の腕が強弓を支え、残る二本の腕が矢を番えた弦を引く。ぎちぎちという音を立てながら、常人では引くことさえできないリュルンの強弓が徐々にしなっていく。

 やがて限界まで引き絞られたリュルンの強弓から、再び鋼鉄の矢が撃ち出される。

 炎に包まれてながら空を飛ぶ矢。しかし、この矢もまた飛竜には回避されてしまう。

 だが、それでもいいのだ。

 ジャドックの端整な容貌に、不敵な笑みが浮かぶ。

 矢を回避した飛竜。その飛竜に向けて、三種類の攻撃魔法が集中したのは次の瞬間。

 広範囲型〈雷〉系攻撃魔法《雷雨》。

 貫通力特化型〈炎〉系攻撃魔法《炎槍》。

 そして、氷の精霊の力を借りた《氷雪嵐》。

 カルセドニア、モルガーナイク、エル。三人の魔法使いが放った強力な攻撃魔法が、微妙な差を生じさせながら飛竜を襲ったのだ。




 まるで矢を回避するのを予測でもしていたかのように、飛竜が移動した先に無数の雷が降り注いだ。

 咄嗟に更なる回避を試みる飛竜だったが、広範囲に効果を及ぼすカルセドニアの《雷雨》を完全に回避することは不可能だった。

 飛竜の巨体の一部──右側の翅──に《雷雨》が炸裂する。一見しただけでは薄くて脆そうな飛竜の翅だが、そこも最強生物「竜種」の身体の一部である。実際には鋼鉄以上の強度を持つ翅は、それなりの打撃を受けつつも《雷雨》に耐えきった。

 しかし、片側の翅に打撃を受けたことで、飛竜の機動性が一時的に低下。その隙を狙ったように、今度はモルガーナイクの《炎槍》が襲来する。

 飛竜は必死に空中で体勢を立て直そうと試みるが、それは適わない。高速で飛翔する《炎槍》は飛竜の胴体──トンボで言えば「胸」に該当する──に命中した。

 無意識ながらも見事な連携。長年コンビを組んでいたカルセドニアとモルガーナイクならではだ。

 かつての呼吸通りなのを感じ取り、二人は思わず顔を見合わせて笑みを浮かべる。

 だが、その直後に慌てたようにつんと顔を逸らすカルセドニアと、そんな彼女に苦笑を浮かべるしかないモルガーナイク。

 貫通力特化の《炎槍》だが、それでも強靭な飛竜の外殻を貫くには至らない。

 しかし、全く無効化されたわけでもない。人間ならば小石が当たった程度だとしても、ダメージは確かに入っている。

 空中で何とか姿勢を立て直した飛竜に、今度は雪と氷の嵐が襲いかかった。

 カルセドニアの《雷雨》よりも効果範囲の広い、氷の精霊の力を借りた《氷雪嵐》。もちろん、この魔法を放ったのはエルである。

 巨大な飛竜の身体の殆どを覆い尽くす吹雪が吹き荒れ、低温と吹雪に含まれた氷の破片が容赦なく飛竜を痛めつける。

 普通の魔獣ならば、これだけで絶命するほどの威力を誇る魔法だが、それでも強大な飛竜の生命力を全て刈り取ることはできない。

 巨大な四枚の翅を打ち震わせて、飛竜はすぐに《氷雪嵐》の効果範囲から脱出する。

 巨体のあちこちが僅かに凍りついているが、《氷雪嵐》に捕らわれていた時間が短いこともあり、おそらくは大した打撃にはなっていないだろう。

 だが、仲間たちが攻撃を仕掛けている間に、辰巳は空中で何とか転移を発動させていた。

 再び城壁の上に戻って来た辰巳は、まだ目が回っているのかしきりに頭を振っている。

 そんな辰巳へブラガンクが回復魔法を施す。

「大丈夫か?」

「はい……な、なんとか……」

 太陽神の最高司祭が辰巳を回復させている間も、カルセドニアたちは飛竜への攻撃を続けている。

 彼女たちの攻撃は、その殆どが回避されながらも時には何とか命中させており、辰巳が体勢を立て直す時間稼ぎの役割を十分に果たしていた。

「……大したものだな」

「え?」

「おまえさんの仲間たちだよ。本来なら当てることさえ難しい飛竜への攻撃を、結構な割合で命中させていやがる」

 ブガランクは回復魔法を使いながらも、その目は飛竜へと向けられたままだ。

 辰巳も実感したが、空中にいる飛竜の機動性は本当に異常だ。その飛竜へ、カルセドニアたちは結構な割合で攻撃を当てているのだ。

 全ては彼らの技量と連携による効果だろう。牽制組の四人は同時に攻撃を仕掛けるのではなく、微妙に時間や標的をずらして攻撃を仕掛けている。

 そのため、飛竜の異常な機動性を以てしても、彼らの攻撃を完全には回避しきれない。それでも、実際には牽制組の攻撃の七割以上が回避されているのだから、やはり飛竜の機動性は恐るべきと言えるだろう。




 僅かずつとは言え、カルセドニアたちは着実に飛竜にダメージを積み重ねていく。

 このままならば、いずれは飛竜にも致命的な打撃を与えられるのでは、と辰巳が淡い期待を抱いた時、唐突にそれは起こった。

 それまで回避ばかりだった飛竜が、まっすぐに辰巳たちのいる城壁へと迫って来たのだ。

 これまで、〈魔〉によって食欲だけを異常に肥大化された飛竜。しかし、そこへ新たなる感情が注ぎ込まれた。

 微々たるものとはいえ、自身に傷を与えてくる小さな生き物たち。その生き物たちに対して、怒りの感情が湧き上がったのだ。

 〈魔〉の影響を受けているとはいえ、飛竜も生物である。自身に危害を加える者に対して、生物の根源的な感情の一つである怒りを抱くのは当然であろう。

 〈魔〉によって肥大化された食欲と、自身を傷つけられたことによる怒り。その二つが飛竜の中で一つとなり、新たな目的として設定された。

 あの煩わしい小さな生き物たちを全て食い殺す。それが飛竜の新たな目的。

 それはある意味で、飛竜が小さな生き物たち──辰巳たちを「敵」だと認識したとも言えた。

 ただ食らうだけの「餌」から、倒すべき「敵」へ。

 飛竜は新たなる殺意を秘めて、城壁の上にいる辰巳たちへ──いや、彼らだけではなく城壁の上にいる全ての兵士や魔獣狩りたちへと襲いかかっていった。



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