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飛竜接近す

 王宮のとある一室。

 飾り気のまるでない石壁が剥き出しになったその部屋には、一つの大きなテーブルと数脚の椅子があるのみ。

 この部屋は王宮にある数多くの部屋の中でも、軍議にのみ利用される部屋なのだ。そのため、無駄な装飾は一切なされていない。

 そんなどこか寒々とした雰囲気の部屋の中には、今、ラルゴフィーリ王国の重鎮たちが集まっていた。

 国王バーライド・レゾ・ラルゴフィーリを始めとした、王国の軍と政を司る将軍や大臣たち。その中には、辰巳とカルセドニアの義兄であるタウロード・クリソプレーズの姿もある。

 そして、四つの教団の最高司祭たちの姿も。太陽神ゴライバ神殿のブガランク・イシュカン、海洋神ダラガーベ神殿のグルグナード・アーマート、宵月神グラヴァビ神殿のマイアリナ・キスカルト、豊穣神サヴァイヴ神殿のジュゼッペ・クリソプレーズ。

 彼らは皆、真剣な面持ちでその報告を聞いていた。

「────以上が本日、緊急の(とり)便(びん)により、もたらされた報告であります」

 重鎮の一人がそう告げると、居合わせた面々はそれぞれ重い溜め息を吐き出した。

「……辺境とはいえ、既に二つの村が壊滅しておったとは……」

「村の住人が一人残らず食われたことで、事態の発見が遅れたようだな」

「酷な言い方になってしまうが、終わってしまったことは今は後回しでも構うまい。それよりも、これからどうするかの方が重要だろう」

 集まっている者たちは一斉に頷くと、これからのことへと頭を切り替えた。

 これからのこと。

 そう。二つもの村が壊滅していることに気づいたその地方の領主からの緊急の知らせによれば、件の村々を壊滅に追い込んだ魔獣──巨大な飛竜が、現在この王都レバンティスへと向かっているのだから。




「……相手が飛竜となると、苦戦は免れまいな」

 部屋の最奥にある椅子に腰を下ろしたバーライド国王は、腕を組みながら深々と息を吐き出した。

「竜種ということもありますけど、何より相手が空にいるのではね。こちらからの攻撃方法が限られてしまいますもの」

 国王の言葉に応じたのは、宵月神教団の最高司祭であるマイアリナ・キスカルトだった。そして、居合わせた者たちは皆、彼女の言葉に頷いている。

 相手が空にいる以上、通常の剣や槍などの武器は当然届かない。届くとすれば弓や魔法となるが、普通の弓では飛竜の強固な外皮を貫くのは難しいし、高速で飛び回る飛竜に魔法を命中させることも簡単ではない。

「現在、レバンティスを囲む外壁に大型の弩を十数基準備中ではありますが……取り回しの悪い大型の弩では、飛竜に当てることは難しいと思われます」

 当たりさえすればその効果は期待できるのですが、と続けたのはタウロードだ。

 攻城兵器としても用いられる大型の弩は、一基につき兵士数人で運用する。

 威力こそ絶大だが、タウロードの言うように取り回しが悪いことが欠点であり、相手が動かない城や要塞ならばともかく、大空を自在に舞う飛竜に命中させることは極めて難しいだろう。

「何とか、飛竜を地上に引きずり下ろす方法はねえものかなぁ?」

「それができれば、ここでこうして論議を重ねる必要はなかろうが」

 海洋神ダラガーベの最高司祭であるグルグナード・アーマートが、隣の席でぼやく太陽神ゴライバの最高司祭ブガランク・イシュカンを窘める。

 その後も重鎮たちからあれこれと意見が出されるものの、どれも決定打とはなりえないものばかり。

 それでも尚、飛竜に対して有効な戦術はないものかと、この場にいる者たちは思い思いに意見を出していく。

 そんな者たちを、国王であるバーライドは黙って見つめている。

 いや、彼が見つめているのは彼が信頼するこの国の重鎮たちではなく、たった一人だった。

 自分に向けられている視線に気づいたその者は、訝しげに口を開く。

「バーライドよ。おぬし、先程からじっと儂の顔ばかり見ておるが……まさか、何か良からぬことを考えているのではるまいな?」

 国王にそう問い質したのは、他ならぬジュゼッペだ。

 ジュゼッペの発した言葉に、それまで喧々諤々と意見を交わしていた者たちは、静まり返って国王と豊穣神の最高司祭に注目する。

 そんな中、バーライド国王はそれまで考えていたことをジュゼッペに告げたのだ。

「ジュゼッペ。今回のこの飛竜の件、貴様の愛弟子に……例の〈天〉にがんばってもらうわけにはいかないか?」

と。




「どうして飛竜との戦いで、私の旦那様が正面に立たないといけないのですかっ!?」

 サヴァイヴ神殿の最高司祭の執務室の中に、怒りに満ちた声が響き渡った。

 一国の国王にも比肩する権威を持つと言われる、教団の最高司祭に遠慮容赦なく問い詰めているのは、もちろんカルセドニアだ。

 怒りの炎をその真紅の双眸に宿した今のカルセドニアは、普段の穏やかで《聖女》とまで呼ばれる彼女とはまるで別人のような迫力である。

「少しは落ち着かんかい。相変わらず婿殿のことになると、おぬしは過激になるのぅ」

 噛みつかんばかりの勢いで顔を近づける孫娘に苦笑しながら、ジュゼッペはカルセドニアの額をぺしんと指で軽く弾いた。

「ひょえっ!?」

 可愛い悲鳴を上げて額を押さえつつ、カルセドニアは思わず数歩後ずさる。

「儂とて婿殿を飛竜との戦いの最前線に送りたくなどはないわい。じゃが、他に人材がいないのもまた、事実なんじゃよ」

 そう言ったジュゼッペは、改めて辰巳へと目を向ける。

「無論、無理強いはせん。じゃが、王国の軍はもとより四教団も全力を上げておぬしを援護し、共に戦う。おぬしが望むならば、どんな助力もすると約束しよう。もちろん、飛竜を見事に討伐した暁には、それに見合う褒美を出すと国王もはっきりと言うたわい」

 口調こそ普段と変わりないが、そう告げたジュゼッペの表情は真剣そのもの。辰巳もまた、冗談やふざけ半分でジュゼッペが言っているのではないことがよく理解できた。

「ジュゼッペさんの言うことは分かりました。でも、どうして俺なんですか? それに、飛竜が人の集落を襲うなんて、まずないことだとジュゼッペさんも以前に言っていましたよね?」

 辰巳にしてみれば、自分ではなくとも他に人材がいそうなものなのだ。数は少ないとはいえ、この街にはそれ相応の魔法使いだっているし、腕の立つ魔獣狩りだってたくさんいるだろう。

 それに、以前にジュゼッペから聞かされた講義の中で、飛竜を始めとした竜種は人里離れた深い森の中や、険しい山岳などを縄張りにするという。そして、その縄張りから出ることは滅多になく、人里に近づくこともまずないそうなのだ。

「それなんじゃがの……壊滅した村々の領主からの報告には、その飛竜の眼が赤かったとあったんじゃ」

 今回の飛竜襲撃の一件が明るみに出た経緯は、壊滅した村のある土地の領主からの鳥便にことを発する。

 鳥便とはいわば「伝書鳩」である。こちらの世界で伝書の空便に使われているのは鳩ではなく、より速度に優れたピアリと呼ばれる隼によく似た小型の猛禽で、このピアリを緊急の伝達手段として用いるものである。

 その領主の領内に存在する、とある村の住民や家畜などが全て食い荒らされているのを、その村を定期的に訪れていた行商人が発見したのがことの始まり。

 そして、行商人から報告を受けた領主は、直ちに兵を派遣してその村とその周囲を調べさせたところ、森の中で大量の魔獣や野生動物が殺害されているのを発見したのだ。

 殺害されていた魔獣や野生動物は全て食い荒らされ、残されていたのは身体のほんの一部のみ。文字通り骨も残さず貪られていた。

 兵たちはその後に先の村と同様に壊滅した村をもう一つ発見し、その村から悠然と飛び去る巨大な飛竜の姿を目撃したという。

 その報告を受けた領主は、直ちに緊急の鳥便を用いてこのことを王都に知らせた。その飛竜が飛び去った方向が王都が存在する方角であり、更にはその飛竜の眼が真紅に染まっていたという追加の情報と共に。

「眼が赤かったって……それじゃあ……」

「うむ。どうやら〈魔〉に憑かれておるようじゃな」

「で、ですが、〈魔〉は人里に近づくことはあまりないって言っていませんでしたか?」

「その通りじゃよ。じゃからその飛竜は〈魔〉に憑かれたものの、逆転を起こしておるのではないか、というのが国の重鎮たちと儂らの考えじゃ」

 取り憑かれた生物の力が強く、逆に取り憑いた〈魔〉の力が弱かった場合、ごく稀にだが〈魔〉の方が支配の優位性を失うことがあるのだとジュゼッペは語った。

 そうなった場合、取り憑かれた生物は自我を失い、ただ単に欲望に突き動かされるだけの極めて危険な存在になる。

 それが今回の飛竜襲来の原因だというのが、王国と四教団の首脳陣の推測なのだそうだ。

「……飛竜がこの街に迫っている理由は分かりました。ですが俺じゃなくても、空を飛ぶような魔法が使える魔法使いはいないんですか?」

「《飛行》と呼ばれる空を飛ぶ魔法ならば、確かに《風》系統にある。じゃが、その魔法で飛ぶ速度はそれほど速くはないんじゃ。そのため、飛竜が飛ぶ速度にはとてもついていくことができず、下手をすると空中で飛竜に捕捉されて食われるのがオチじゃな」

 他にも六亜人の一種であるケットシーは、種族の特殊能力として空中を歩くことができるが、これもまた単に空中を歩いたり走ったりするだけの能力であり、飛竜の速度にはとても敵わない。

 そもそも、ケットシーは戦うよりは逃げることを優先する種族なので、飛竜との戦いに駆り出すことはまず不可能だろう。

「そこで儂らが考えておるのは、おぬしが転移で空中の飛竜に接近し、《魔力撃》で攻撃を入れては転移で離脱。これを繰り返すというものじゃ」

 その際、カルセドニアを筆頭に数人の回復要員が辰巳に付き従い、彼の回復に専念することをジュゼッペたちは考えているらしい。

「先程も言うたが、決しておぬし一人に全てを任せるわけではない。王国軍と各教団の魔祓い師と神官戦士たち、そして市井の魔獣狩りにも協力を要請し、それぞれできる限り飛竜を迎え撃つ準備を進めておる最中じゃ。じゃが、相手が空にいるというのが問題でのぅ」

 やはり、飛竜が空にいることが最大の問題のようだ。これが地に足を付けた他の竜種ならば、ここまで悩むこともないのだ。

 現時点で限定的とはいえ飛竜に肉薄できるのは、《瞬間転移》が使える辰巳ただ一人というのが現状らしい。




「旦那様……」

 それまで黙って辰巳の背後で彼とジュゼッペのやり取りを聞いていたカルセドニアが、心配そうに自らの伴侶に呼びかけた。

「……旦那様は……もう……決心してしまったんですね?」

 彼女には分かる。彼女の伴侶が、こんな場合にどのような決断を下すのか。そして、そんな決断を下せるような人物だからこそ、彼女は彼に惹かれるのだ。

 例え前世からの因果がなくとも、彼女はそんな彼に心惹かれ、間違いなく今と同じように恋に落ちただろう。

「ああ。俺はやるよ。俺なんかが飛竜なんて強敵とどこまで戦えるのか分からないけど……それでも、俺はやる。そもそも、俺がやらないと言っても飛竜はこの街にやってくるんだ。だったら、ここを……俺たちの家があるこの街を守らなくちゃな」

 辰巳はカルセドニアへと振り返ると、にこりと笑った。

 そう。ここレバンティスの街は、既に辰巳にとっても大切な場所なのだ。そして、この世界に来て出会った、大切な人たちも住んでいる。

 バースやニーズたちと言った同僚を始め、エルやジャドック、ミルイルたち魔獣狩りの仲間や知り合いたち、そして自宅の近所に住む気のいい住人たち。

 それになにより、ここには辰巳にとって最も大切な女性がいる。

 ならば、この街を飛竜から守ることに辰巳が協力しない理由はない。

「だから……カルセも俺に協力してくれ。手を貸してくれ。一緒に……飛竜を倒そう」

「はい! もちろんです! 旦那様が飛竜と戦うのであれば、私も共に戦います!」

 二人は互いに信頼しきった笑みを浮かべ合う。

 互いが互いを守るためならば、どんな苦境にも立ち向かい、これを乗り越えてみせるだろう。そんな思いと決意が第三者からでもよく理解できる、透き通った笑みだった。

 そして、そんな二人を満足そうに眺めているのは、もちろんジュゼッペである。

 彼らの身内として、そして結婚の守護神であるサヴァイヴ神の信徒として、辰巳とカルセドニアが互いを信頼する気持ちは素直に嬉しい。

 だが、ここで喜んでばかりもいられない。脅威はすぐそこまで迫っているのだ。

「幸いと言うか、飛竜はのんびりとこちらへ向かっておると、飛竜を監視しておる斥候から報告が入っておる。途中で目についた魔獣などを食らいながらこちらへ向かっておるそうじゃ」

 国王は緊急の知らせを受けると、直ちに数多くの斥候を王都周辺に派遣した。

 そしてその斥候の一部から、すぐに飛竜発見の報が届いたのだ。

「このままならば、日数的に飛竜がこの街に到達するまであと一日は猶予がある。その間にこちらももっと具体的な策を練らねばのぅ。儂にも一応の腹案はあるしの。ということで婿殿や」

「何ですか?」

「おぬしの魔獣狩りの仲間に、確か膂力に秀でたシェイドがおったの?」

「ジャドックのことですか?」

「おお、確かそんな名前じゃったな。そのジャドックとやらを呼んで来てはくれんか?」

「それは構いませんが……」

 不思議そうに首を傾げる辰巳。そんな彼の隣では、カルセドニアも夫と同じような表情を浮かべている。

 仲のいい夫婦や長年連れ添った夫婦が、時に同じような仕草をしたり同じような行動を同時にすることがある。もしかすると、今の彼らもそれに該当するのかもしれない。

「儂が収蔵しておる魔封具の中に、常人では扱えん武器があっての。じゃが膂力に秀でたシェイドならば、それを使うことができるのではないかと思ってのぉ」

 ジュゼッペが個人の趣味として、魔封具を収集していることは辰巳も知っている。そんな収集品の中に、今回の飛竜戦で役立ちそうなものがあるのだろう。

「分かりました。すぐにジャドックを呼んできます」

 今まさに転移でこの場を立ち去ろうとする辰巳を、ジュゼッペは呼び止めた。

「まあ、待つんじゃ婿殿。そのジャドックとやらを呼びに行くのは、カルセに任せるがよい。そしてその間に、おぬしには儂と一緒に行ってもらいたい所がある」

「ジュゼッペさんと一緒に行く所……ですか?」

「左様。おぬしには太陽神ゴライバの神殿まで足を運んで欲しいんじゃよ」



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