支配逆転
カルセドニアを抱き抱えつつ、慌てて家の中に駆け込んだ辰巳。家の中に入って安堵の溜め息を零しつつ、辰巳は腕の中のカルセドニアを解放した。
もちろん、露出している彼女の胸は極力見ないようにしつつ。
そしてそのカルセドニアは、どことなく残念そうにしつつも破れてしまった服を着替える。
「……結局、何がどうなってあんなことになったんだろうな?」
「うーん……やっぱり、旦那様の魔法……〈天〉の魔法が関与しているのでは?」
「どうかな?〈天〉って移動特化の魔法だし……あんなことができるだろうか?」
着替えなどを終えて一息つき、自宅の居間でお茶を飲みつつ先程の現象の原因を考える辰巳とカルセドニア。
辰巳の言うように、彼の魔法系統である〈天〉は《瞬間転移》に代表されるように、移動に特化した系統である。
彼が使える魔法の中には、《魔力撃》と命名した攻撃系の魔法もある。剣や拳に魔力を纏わせ、それを一気に炸裂させるものだ。
だが、言い換えればそれは〈天〉の魔力である必要はない。どんな系統の魔力でも、魔力を直接操れば可能なのだ。ただ、魔力を直接操るということが滅多に行われないため、実際には使い手は殆どいない。《魔力撃》よりももっと効率的な詠唱魔法が他にはいくらでもあるのだから。
実際、伝説とまで言われる〈天〉だが、その実体は伝承や御伽噺ほど華々しい効果はない。そのことについて、辰巳は以前にジュゼッペに尋ねたことがあった。
彼の魔法の師であるジュゼッペが言うには、〈天〉は長らく使い手がいなかったため、具体的な魔法の内容を知る者は少ない。そして、〈魔〉に対しては〈聖〉や〈光〉よりも更に高い効果を発揮する。
その辺りが、長い年月の間に「神聖化」されることで伝説とまで言われるようになったのだろう、とのことだった。
「だから、〈天〉には直接的に相手を傷つけるような効果はないと思うんだ」
「御伽噺だと〈天〉の攻撃魔法は頻繁に登場しますが、それはあくまでも御伽噺ですし……だけど、旦那様の魔法についてはまだまだ未知の部分がありますから、もしかすると何か新しい効果が目覚めつつあるのかもしれませんよ?」
「ははは。だといいんだけどな。俺もカルセみたいに攻撃魔法とか使ってみたいし」
確かに辰巳の〈天〉は、使い方と状況次第では強力な魔法となる。だが、それでもやはり見た目の派手な攻撃魔法に憧れる面もあるのだ。
「でも、木剣で棍を斬ったのが本当に〈天〉の魔法なら……今後は今以上に魔力の制御に気をつけないとな」
幸いにも、今回は斬れたのが棍や服だけだった。しかし、一歩間違えばカルセドニアに怪我を負わせていたかもしれないのだ。
最近ではかなり魔力の制御にも慣れた辰巳だが、それでもカルセドニアやジュゼッペの域に達しているわけではない。もしも本当に先程の現象が〈天〉の魔法ならば、今以上に魔力の扱いに慣れないととんでもない事故を起こしかねない。
今後も剣も魔法もより精進だな、と決意を新たにした辰巳だった。
「飢え」を満たす感覚。それは飛竜の中に巣くったそれを大いに喜ばせた。
満たされた「飢え」は、更に大きな「飢え」を招く。取り憑いた飛竜が「満腹」という感覚に捕らわれないよう、常にそれが新たな「飢え」を呼び起こしているからだ。
だが、そもそも飛竜は非常に貪欲な魔獣であった。
食べられる獲物は何でも食う。地を走る獣だろうが、空を飛ぶ鳥だろうが、生きていようが、死んでいようが。飛竜に捕らえられたら最後、ただ貪られるのみ。
獰猛で悪食。それが飛竜という魔獣なのだ。
今も手頃な大きさの鳥を空中で捕え、空を飛びながらむしゃりむしゃりと貪る。飛竜の鋭い牙と強靭な顎は、どんなものでも齧り取ってしまう。
飛竜の中から湧き上がる新たな欲望は、飛竜に憑いたそれを喜ばせた。
もっと、もっと。更なる欲望を。それはそう望み、飛竜の「飢え」を更に刺激する。
「飢え」を刺激された飛竜は、甲高い咆哮を上げると新たな獲物を探し求めて空を飛ぶ。
新たに湧き上がった欲望を感じて、それはにんまりと微笑む。
だが、注意しなくてはならない。飛竜が食欲の赴くままに、ヒトと呼ばれる生き物たちの集落に近寄り過ぎないようにしなくてはならないのだ。
それにとって、ヒトはある意味で天敵であった。ヒトにとってもそれとそれの同胞たちは天敵であるが、逆もまた然りなのである。
なんせヒトどもは、魔法という技術を持っている。実体を持たないそれとそれの同胞にとって、唯一の刃となる技術を。
魔獣の中にも魔法とよく似た特殊能力を持つ種類もいるが、そんな魔獣の数はそれほど多くはない。
だが、ヒトの中には魔法を使う者がそれなりにいて、しかもそれを狩るための技術や智恵を蓄積している。
そのため、同胞の中でもよほど力の強い個体でもない限り、ヒトの集落には近寄らない。
確かにヒトが抱える欲望は、野生の動物や魔獣よりも上質で美味である。だが、我が身を危険に晒してまでありつく必要はないのだ。
現にこうして、それは納得のいく「餌」を手に入れることができたのだから。
それは飛竜の感覚を絶妙に操作しながら、より「飢え」を刺激していく。
更に更に、強烈な欲望を味わうために。
辰巳は手にしていた物──斬り落とされた棍の先端を、ことりとテーブルの上に置いた。
「やっぱり、ここで二人で話していても結論は出ないか」
「では、お祖父様に相談されてはいかがですか?」
「そうだな。こういうことはジュセッペさんに相談するのが一番だよな」
ジュゼッペならば、今回のこの現象にも何か心当たりがあるかもしれない。例え心当たりがなくとも、彼ならば人脈などを活かしてあれこれと調べてくれるだろう。
仮にも一教団の頂点に立つ人物である。その知識や人脈などは辰巳などでは到底足元にも及ばないのだ。
普段の気さくな好々爺とした振るまいとカルセドニアの祖父ということで、辰巳はついついその事実を忘れがちになってしまうが。
「お祖父様ならば〈天〉の伝承などにも詳しいので、きっと何かご存知ではないでしょうか」
「そう言えばジュゼッペさんって、以前に〈天〉について研究していた時期があったんだっけか?」
「はい、私もそう聞いております。何でも、子供の頃から〈天〉という系統に憧れていて、自分なりにあれこれと調べた時期があったとか。今では若気の至りだとおっしゃっていますけどね」
祖父から聞かされた昔話を思い出し、カルセドニアはくすりと笑う。
辰巳もまた、ジュゼッペによる魔法の座学の折、師匠の過去について聞いたことがあった。
御伽噺や伝承などに登場する、先代の〈天〉の魔法使いティエート・ザムイ。《大魔道師》という二つ名でも呼ばれるティエートに憧れた若き日のジュゼッペは、彼に少しでも近づこうとして〈天〉に関する様々なことを研究したのだという。
ジュゼッペが〈天〉についていろいろと詳しいのは、最高司祭という立場上のこともあるが、そんな過去があるからなのだそうだ。
「じゃあ、次のジュゼッペさんとの座学の時、今日のことを話してみるよ」
「では、この件はこれまでとして、私は朝食の準備をしますね」
「うん、大至急頼む。朝食前の鍛錬だったから、実は腹ペコだったんだ」
辰巳が大袈裟に自分の腹を撫で回すと、カルセドニアが柔らかく笑う。
「しばらくお待ちください。すぐに美味しい朝食を用意しますからね」
「カルセの作る料理に外れはないからね。毎回毎回、俺は期待しっぱなしだよ」
辰巳のその言葉に、カルセドニアは嬉しそうに相好を崩す。何であれ、辰巳に誉められることは彼女にとっては至福なのである。
「では、旦那様のその期待、見事に添ってみせますわ」
ちょっと芝居がかった仕草で一礼したカルセドニアは、そのまま厨房へと姿を消した。
その厨房からいい匂いが漂ってくるのは、それから間もなくのことであった。
じわり、と湧き上がる欲望。その欲望を啜りながら、それは僅かな違和感を感じた。
次々に湧き上がってくる「飢え」という名の欲望。それは、いい。そうなるように、それが仕向けているのだから。
だが、いくらなんでもこの「飢え」は異常ではないだろうか。
いくら飛竜が悪食で貪欲であっても、それが更に欲望が湧くように刺激しているとしても、生物である以上はおのずと限界はある。いずれ「飢え」は「満腹」に取って代わるものなのだ。
だが、飛竜から湧き上がる「飢え」は留まるところを知らなかった。
次々に湧き上がる欲望。それを啜り上げながら、それは困惑していた。
大きすぎる。湧き上がる欲望が大きすぎる。このままでは、逆に自分が飛竜の欲望に飲み込まれてしまう。
生き物の欲望を糧とするそれだが、時として逆転現象のようなことが起こり得る。
取り憑いた生物が抱える欲望が余りにも大きすぎた時、湧き上がった欲望の方がそれを取り込んでしまうのだ。
それの制御を離れた生物は、ただ単に湧き上がる欲望のためだけに動く危険極まりない生物と化す。
魔獣でもなければ魔物でもない。言うなれば、狂獣とでもいうべき欲望にのみ忠実な恐ろしい存在となる。
次々に溢れてくる欲望に翻弄されながら、それは自分が何に取り憑いたのかをようやく悟った。
すなわち、竜の名を冠するもの。この世界において、誰もが最強と認める生物たち。
それ──ヒトが〈魔〉と呼ぶものたちの中でも底辺に近いその個体は、竜という生き物がどのようなものなのかを知らなかった。
もしもそれが、もう少し年を経ていれば。もしもそれが、もう少し力と知識を得ていれば。
竜種に取り憑くなど、間違っても絶対にしなかっただろう。
竜種が抱える欲望は、単純なだけに極めて強力なのだ。それこそ、逆に〈魔〉さえも飲み込んでしまうほどに。
「飢え」という名の欲望に飲み込まれ、自身を薄れさせながら、それはそのことを嫌と言うほど悟るのだった。
だが、そう悟るのは遅すぎた。もはや、それの意識はほとんどなかったのだから。
〈魔〉によって肥大化された「飢え」は、〈魔〉の意識が消えても飛竜の中で途切れることはない。
正確に言えば、〈魔〉は飛竜の内部に巣くったままなのだ。ただ単に、それまでは〈魔〉が飛竜の意識を制御していたのだが、その制御が失われた状態なのである。
言わば、高速道路を猛スピードで走る車の運転手が、何らかの理由で意識を失ったようなものだ。制御を失った車は、暴走を続けて遠からず事故を起こすだろう。
本来ならば飛竜にも意識や本能というものがあり、無闇に危険に近づいたり自身の縄張りから離れたりすることはない。
だが、今のこの飛竜は違う。肥大化した欲望──食欲──に突き動かされるだけの、極めて危険な暴走車となってしまった。
食欲に支配された飛竜は、赤く禍々しい光を帯びた両の眼で、新たな獲物を探し求める。
そしてその赤い眼が映し出したもの。それはとある生物の巣だった。大きさこそ小さいものの、数多くの生物がその巣の中には存在していた。
飛竜はその生物を食らうため、巣を襲撃する。飛竜がその巣の中にいた生物を全て平らげるのに、それほどの時間はかからないだろう。
飛竜の糧となった生物の巣。それは「人間」と呼ばれる生き物たちが、群れて暮らすための「村」と呼ばれるで巣であった。
年内の更新は今回で終了。年末年始は執筆活動を停止させ、冬ごもりをします(笑)。
執筆再開は新年の5日以降。7日か8日ぐらいに更新できるといいなと考えています。
本年中は本当にお世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。




