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呪い

 小さな金属音の次は、集まった人々の大歓声だった。

 辰巳の求婚の言葉は、ジュゼッペと同じように〈風〉の魔法使いがその声を飛ばしている。

 そのため、礼拝堂に集まった人々は、辰巳がカルセドニアに何を言ったのか理解できた。

 だが、人々が上げた大歓声は、辰巳がカルセドニアに求婚したからではない。

 カルセドニアが辰巳の求婚の言葉に見せた反応。それこそが、この場に居合わせた人々の大歓声の理由だった。




「お、俺と……………………………………今、この場で……け、結婚して欲しいっ!!」

 辰巳がその言葉を口にした途端、カルセドニアは手にしていた聖別された水の入った壷を取り落とし──いや、放り捨て、一瞬たりとも考える素振りを見せることなく飛び込んだのだ。

 辰巳の胸へ、と。

 そして辰巳の胸に額を擦り付けるように、涙を流しながら無言で何度も頷く。

 当然ながら集まった人々には、カルセドニアのその態度が言葉はなくても何を意味しているのか明らかで。

 《聖女》が異国の青年からの求婚に応じた。

 その事実に、人々は思わず歓声を上げたのだ。

 礼拝堂の壇上で、結婚の守護神であるサヴァイヴ神の最高司祭に見守られながら、ぴったりと寄り添う二人に向けて。




 カルセドニアの気持ちが落ち着いたのを見計らい、辰巳は優しく彼女の身体を少しだけ引き離した。

「俺は……まだまだ、こっちに来て日が浅い。だから、こっちの結婚の作法をよく知らないから……えっと、その……ここから先は俺の国のやり方でやりたいと思う……もちろん、ジュゼッペさんの了解も取り付けてある」

 カルセドニアが祖父へと目を向ければ、ジュゼッペは優しげに頷いている。

 実を言えば、ラルゴフィーリにおける結婚式は結構地味なのだ。

 以前に日本における結婚式の様子を辰巳がジュゼッペに語って聞かせた時、ジュゼッペはそれに大層興味を示した。

 おそらくは、その時からジュゼッペは考えていたのだろう。

 辰巳の言う日本式の結婚式を、いつか自分でも執り行いたい、と。そして、いつかはそれをこの国にも根付かせたい、と。意外と派手なことが好きなジュセッペがそう考えたのも、辰巳には理解できることだった。

 だからと言って、そのテストケースを自分たちでやらなくてもいいのに。

 正直言えば、そんな思いも辰巳にはある。だけど、ここまでカルセドニアが喜んでくれているのなら、多少恥ずかしい思いをするのも我慢できる。

 辰巳がそう思っていると、彼らの元へと年配の女性神官が二人ほど近づいて来た。

「先程この若者が言ったように、これからこの二人の婚姻の儀は、彼の故郷の風習に従って執り行う。カルセドニアがこの若者──タツミの元へと嫁ぐのだ。ならば、嫁ぎ先の風習に従うのも自然な成り行きと言えるであろう」

 壇上のジュゼッペが、礼拝堂に集まっている人々に説明する。

 そうしている間に、いまだ涙に濡れた顔のままのカルセドニアが、二人の年配の神官と共に礼拝堂を後にした。

「これより、花嫁は一旦下がって衣装を整えてくる。なに、女の支度に時間がかかるのはいつものこと。諸君らは気長に待ってもらえるとありがたい。ちなみに、これをタツミの国では『オイロナオシ』と言うそうじゃ」

 冗談めいたジュゼッペの言葉に、聴衆たちから笑い声が上がる。

 厳密に言えば、今のカルセドニアはお色直しとは言わないだろう。だが、当たらずしも遠からずだし、そこまで厳密に日本式を再現する必要もないだろうと辰巳は思っていた。

 そもそも、辰巳自身もそれほど結婚式の手順に詳しいわけではないのだ。

 彼も日本ではただの高校生。親戚がほとんどいなかったので、結婚式に出る機会もなかったのだから。




 待たされることしばらく。

 礼拝堂の出入り口が再び開いた時、そこにいた人々は思わず息を飲み込んだ。

 壇上で待つ青年同様、見慣れぬ意匠の白で統一されたドレスを纏った女性が、そこにいた。

 白金の髪は複雑に結い上げられ、その髪をレース地のベールが飾っている。

 胸元は大きく開き、女性の豊かな胸が強調されて深い谷間が覗いているが、そこに下品な嫌らしさはない。

 細く括れた腰から足元にかけて、ドレープとレースをふんだんに使ったスカートがふわりと拡がっている。所々に鏤められた宝石とコサージュが、礼拝堂のあちこちに灯されている魔法の光をきらきらと反射させる。

 細い腕には肘上までのレース地の長手袋。その手に握られているのは、これまた辰巳にはお馴染みだがこの国では見かけられないブーケだ。

 人々は初めて目にする純白の衣装──ウエディングドレスに身を包んだ、花嫁の美しさに言葉も出ない。

 この国、ラルゴフィーリ王国にはウエディングドレスがない。

 婚姻の儀の際には正装するものの、結婚式のための衣装を用意するという風習がないのだ。

 儀式の方も実に簡素なもので、神に結婚を誓い、花婿と花嫁が結婚の証となる耳飾り着ければそれで終り。婚約している場合には互いの耳飾りを交換し、それまでとは逆の耳に着けることで婚姻が成立したとみなされる。

 儀式自体はそこまでで、後は家族や友人たちと自宅や酒場などで宴会を行う。それがこの国の一般的な結婚式であった。

 もっとも、最近は日本でも神前の式はあっさりと終わらせ、披露宴を派手に行う場合が多いかもしれない。

 花嫁衣装というものを知らないこの国の人々は、ウエディングドレス姿のカルセドニアに、思わず目を釘付けにしてしまっていた。

 花嫁を壇上までエスコートするのは、正装した彼女の義兄のタウロード。本来ならば養父であるジュゼッペの役目なのだろうが、今回はジュゼッペが式を執り行うため、義兄にこの役目が回ってきていた。

 顔を伏せながら、花嫁は義兄にエスコートされて礼拝堂の中をゆっくりと歩く。

 人々は目の前を通りすぎる花嫁の、純白の衣装と彼女自身の美しさに溜め息を零すばかり。

 やがて、花嫁は花婿の待つ壇上へと到着する。

 ウエディングドレスに身を包み、自分の前に立ったカルセドニア。辰巳は、その彼女を呆然と眺めていた。

 辰巳が何も言わないことに、カルセドニアが首を傾げる。そのことに辰巳も気づき、ようやくその口を開く。

「…………やっぱり、カルセは綺麗だな」

「え?」

「初めてこの国に来た時に初めてカルセと会って……その時からカルセのことは美人だと思っていたけど……まさか、ウエディングドレス姿のカルセがここまで綺麗だなんて……そして、そんな綺麗なカルセが俺の花嫁だなんて……正直、まだ信じられないよ」

 辰巳の直球すぎる褒め言葉を真っ正面から受けて、カルセドニアは思わず真っ赤になる。

 だが、すぐに彼女はふわりと微笑んだ。

「何をおっしゃいます? 私は生まれた時から……いえ、生まれる前から旦那様のものではありませんか」

「うん、そうだった。カルセは最初から俺のカルセだったな」

 しんと静まり返る礼拝堂に、二人の会話だけが響く。

 この時、辰巳とカルセドニアはお互いのことを思うばかりですっかりと忘れていた。

 今の自分たちの会話が、〈風〉の魔法使いにより、この礼拝堂の隅々にまで届けられていることを。

 後日、バースやジャドックたちからこのことを聞かされ、恥ずかしさで悶絶する辰巳だったが、それはもう少し後の話。

 更に、この場面をこっそりと魔封具で記録していたジュゼッペから、結婚記念にとその魔封具を贈られ、それを見た辰巳が再び悶絶したりするのも後の話。

 更に更に、今日のこの場面を吟遊詩人や役者たちが「《聖女》の婚姻」という題の演目として後の世に残していくことになるのだが、辰巳とカルセドニアの今のやり取りが「《聖女》の婚姻」の中で最も有名なシーンとして、後世に語り継がれていくことになるのも、これまた後の話であった。




 婚姻の儀──いや、結婚式は順調に進む。

 式の執行人であるジュゼッペの台詞などは、多少の違いはあれどもほぼ日本の結婚式でお馴染みのものだ。

 これに関しては、ジュゼッペと辰巳が紹介したエルとの間であれこれと入念な打ち合わせが行われたらしい。

 自身も結婚式を挙げた経験があり、また、知人の結婚式にも出席したエルの知識が、最大限に役立ったと言えるだろう。

 そして、いよいよ結婚式は最大の山場を迎える。

 ラルゴフィーリ式の結婚式の山場と言えば、それは結婚の証となる耳飾りの交換だ。

 だが、今回は日本式ということで、耳飾りの交換は行われない。

 辰巳はカルセドニアと向かい合うと、懐から小さな小箱を取り出した。

 掌に乗るのどの大きさの、細かい起毛の布で包まれた小箱。これも日本人である辰巳にはお馴染みのものだが、ラルゴフィーリの人々は初めて目にするもの。

 辰巳はカルセドニアに向けて、小箱を開いて見せる。

「……指輪……ですか?」

 カルセドニアの言葉通り、箱の中には大小二つの同じデザインの指輪。

「うん。俺の国では左手の薬指に指輪をするのが結婚した証なんだよ」

 白金製で特に飾りのないシンプルな二つの指輪。

 婚約指輪と違って、結婚指輪には()()を付けないか、もしくはリングの中に小さな宝石を埋め込む場合が多い。

 これには諸説あるが、宝石が飛び出したものだと日常の家事などの邪魔になるからだとも言われている。

「さあ、カルセ。左手を出して」

「……はい」

 おずおずと左手を辰巳へと差し出すカルセドニア。辰巳はその手を優しく握ると、その細い指に小さな方の指輪をそっと押し込んだ。

 もちろん、サイズが違うなどということはない。この辺は事前にしっかりとリサーチしてある。

 自分の左の薬指の根元で白金の指輪がきらりと光り、その輝きに思わずカルセドニアは魅入ってしまう。

「今度はカルセが……俺に指輪を嵌めてくれるか?」

「はい……もちろんです」

 カルセドニアは大きな方の指輪を手に取ると、辰巳の左手の薬指へと嵌め込んだ。

 辰巳と自分の左手に輝く、同じ意匠の指輪。それを見たカルセドニアの心に、言い表しようのない喜びが沸き上がる。

「カルセ……これは(のろ)いだよ?」

「呪い……ですか?」

「そう。これでカルセは俺という呪縛から逃れられない。俺もカルセを逃すつもりはないからね。つまり……カルセは俺に未来永劫解けない呪いをかけられたんだ」

 最初こそきょとんとした顔のカルセドニアだったが、辰巳の言いたいことを理解してその紅玉(ルビー)のような瞳に再び涙を溢れさせた。

 もちろん、それは冷たい涙では決してなく。

「……はい。こんな幸せな呪いならば……私は喜んで呪われましょう。でも……私も同じ呪いを、旦那様にかけますよ?」

「ああ、構わない。俺もカルセの呪いならば、喜んで引き受けるさ」

 どちらともなく、二人は更に寄り添い……そして、唇と唇を触れ合わせた。

 それまで黙って二人のやり取りを見守っていたジュゼッペは、集まった聴衆に向けて宣言する。

「今、この時をもって、この二人は夫婦となった! これはサヴァイヴ神も認められたものであり、この夫婦の絆は未来永劫断たれることはないであろう! さあ、若い二人に今一度祝福を!」

 ジュゼッペの言葉の終りと同時に、サヴァイヴ神殿の鐘が荘厳な音色を響かせる。

 そして、この場に居合わせた人々も、鐘の音に負けないぐらいの歓声を上げて手を打ち鳴らす。

 こうして。

 たくさんの人々の祝福と共に、晴れて夫婦となった辰巳とカルセドニア。

 唇こそ離したものの、いまだにしっかりと抱き合う二人を、サヴァイヴ神の神像が無言で見守っている。

 いつもは無表情のはずのその神像が、なぜかこの日だけはとても優しげだったと、この儀式に参加した人々は後に口々に語るのだった。


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