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新年祭、最終日。その午後。
サヴァイヴ神殿の礼拝堂では、今年生まれた赤子を抱えた母親や父親で溢れ返っていた。
ラルゴフィーリ王国における、新生児の死亡率は決して低くはない。どんな未熟児で生まれても、かなりの高確率で無事に成長できる現代日本とは違うのだ。
そのため、我が子が健やかに育つようにと、日々サヴァイヴ神に祈りを捧げるのは、子供の無事な成長を願う両親にとっては重要な行為なのである。
そして本日。そのサヴァイヴ教団の最高司祭が、貴族といわず庶民といわず、分け隔てなくサヴァイヴ神の加護を授けてくれるというのだから、そこに赤子を抱えた両親が集まるのも無理のないことだろう。
とはいえ、最高司祭が何らかの魔法を使うわけではない。単に子供たちの成長を神に祈願し、そして子供の一人ひとりに手ずから神の祝福を与える。それだけの儀式でしかない。
それでも、我が子にサヴァイヴ神の祝福を願わない親がいるはずもなく、多くの親が我が子と共にサヴァイヴ神殿に押しかけていた。
中には赤子ではなく、大きなお腹を抱えた妊婦の姿もある。子供が元気に生まれますようにと、最高司祭より下される神の加護を求めているのだ。
やがて、サヴァイヴ教団の最高司祭である、ジュゼッペ・クリソプレーズが礼拝堂に姿を見せた。
金糸銀糸をふんだんに使った豪奢な儀礼用の神官服。手には最高司祭の位を現す錫杖を持ち、威厳を纏って歩く姿はまさに威風堂々。
普段はなかなか目にすることのできない最高司祭の登場に、集まった人々は自然と口を閉じ、深く頭をさげる。
その最高司祭の後ろには、同じく儀礼用の神官服に身を包んだ数人の司祭が付き従っている。その中には高名な《聖女》の姿もあり、礼拝堂に集まった人々は今日の儀式でより一層篤い加護が得られるとその顔を輝かせる。
そして、礼拝堂の壇上に上がったジュゼッペは、朗々とした声で儀式の開始を宣言した。
粛々と儀式が進む中、カルセドニアは不思議そうに礼拝堂の中を見回していた。
礼拝堂の所々には、武装した神官戦士の姿が見受けられる。だが、そのことは不思議ではない。このような儀式の際、もっと言えば最高司祭であるジュゼッペがここにいる以上、警備の神官戦士がいるのは当然のことなのだから。
彼女が不思議そうにしているのは、その中に辰巳の姿がないからだった。
昼時に一緒に昼食を食べた際、彼は確かに神官戦士として武装した姿でいた。午前中は街を見回っていたので、それも当然だろう。彼と一緒に見回りをしたバースも、やはり同じように武装していたし。
そして、辰巳はこの儀式の手伝いをジュゼッペから頼まれたとも言っていた。そのため、カルセドニアは辰巳は警備に駆り出されているとばかり思っていたのだ。
(…………旦那様、どこにいるんだろ?)
儀式の最中でありながらも、ついつい彼女の目は辰巳の姿を探してしまう。
ふらふらと礼拝堂の中を彷徨うカルセドニアの視線。
「ぅおほん」
と、彼女の隣にいたやや年嵩の高司祭が咳払いをする。もちろん、落ち着かないカルセドニアを注意するためだ。
慌てて意識を切り替え、儀式に集中しようとするカルセドニア。
だが、結果を言うとそれは成功しなかった。
なぜなら、集まっている人々の中に、ここにいるはずのない人物を見つけてしまったからだ。
「あ。カルセちゃん、アタシたちに気づいたみたい」
鋭い視力の持ち主であるジャドックは、壇上にいるカルセドニアが目を見開いたのを確かに見た。
「ウフフ。驚いている、驚いている。どうしてアタシたちがここに、って顔しているわン」
「あのね、ジャドック。『どうしてここに』は私の気持ちでもあるんだけど?」
ミルイルは口を尖らせながら周囲を見回す。
周囲にいるのは赤子を連れた若い夫婦が多い。はっきり言って、未婚であり子供もいない自分たちはかなり場違いだろう。
現に周囲の者たちからは、時々訝しげな視線を向けられたりする。
「……もしかしてカルセったら、私が妊娠したとでも勘違いしてないかしら?」
その可能性は大いに有りうると、ぶつぶつと呟くミルイル。
「それで? どうして私をここに引っ張ってきたの? そろそろ理由を教えてくれない?」
「実はタツミちゃんに頼まれたよ。アタシとミルイルちゃんに、この儀式に来て欲しいってね」
「タツミが? どうして? ジャドックは何か聞いているの?」
「ええ、聞いているわ。でも、今はヒ・ミ・ツ。もうすぐ分かるから、少し待っていなさいな」
ばちん、と四つある瞳の内の一つを、器用に閉じてみせるジャドック。
と、二人がそんなことをしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「あーっ、ジャドックさんとミルイルさんっ!? お二人がどうしてここに?」
名前を呼ばれて振り返れば、そこには〔エルフの憩い亭〕の従業員のナナゥと、その恋人であるバースの姿があった。
「あら、あなたたち……って、二人でここにいるってことはまさか……」
ミルイルの視線が、小柄なナナゥの腹部へと向けられる。彼女の視線が何を詮索しているかなど、説明するまでもない。
「違いますよ。俺たちもタツミに呼ばれたんです」
「え? あなたたちもタツミに?」
呼ばれた理由を知っているバースとジャドックは、意味ありげな笑みを浮かべて頷き合う。
だが、理由を知らないナナゥとミルイルは、互いに不思議そうな顔をするばかり。
そんな彼女たちの気持ちを余所に、新生児へと祝福の儀式は終盤へと差しかかっていた。
ジャドックとミルイル、そしてバースとナナゥたちが会話をしていた頃。
同じ礼拝堂の中にはジョルトの姿もあった。
そのジョルトの横には、平服に剣だけ腰に佩いたガイルもいる。
ガイルは顔に貼られた軟膏の付いた布が痒いのか、落ち尽きなくしきりに顔を撫でていたが。
「大丈夫、ガイル? 結構酷い怪我だったんでしょ?」
「でん……いえ、ジョルト様。怪我の方は試合会場に詰めていた神官殿に治療してもらいましたので、もう大丈夫ですが……」
「じゃあ、どうしてそんなに落ち着きがないのさ?」
「そ、それは……」
何のことはない。昨日、辰巳に騎乗槍の試合で優勝してみせると大見得を切ったガイルだが、あっさりと本戦の初戦で負けてしまったため、辰巳と顔が合わせづらいのだ。
「それよりも、これから何が起こるのか……聞いているでしょ?」
「はぁ……タウロード隊長より聞かされておりますが……」
「だったら、友達の大勝負をしっかりと見届けないと」
「そ、そうですな。私が騎乗槍の試合で負けたのと、これからのタツミの大勝負は別ですからな」
「まあ、確かに大勝負には違いないけど、結果はほとんど見えている大勝負だよねぇ」
「左様でございますな」
楽しそうに笑う二人。
しかし、この時彼らは気づいていなかった。
子連れの夫婦や妊婦ばかりというこの礼拝堂の中、楽しそうに微笑む青年と少年という二人組が、どれだけ浮いているのかを。
彼らの近くにいた母親たちが、ひそひそと彼らの関係を邪推していたり。
そのことに気づかなかったのは、二人にとって幸いなことと言えよう。
「──サヴァイヴ神のご加護が、この者の将来を明るく照らさんことを」
祈りの言葉を呟きながら、ジュゼッペが聖別した水に浸した指先で、母親に抱かれた赤子の額に触れて神の祝福を授ける。
今の赤子が本日最後の赤子であり、最高司祭の祝福を受けた赤子の親たちは、嬉しそうに礼拝堂を後にしようとした。
だが、儀式を終えた最高司祭が急に言葉を述べ始めたので、礼拝堂に詰めかけた人々は何事かと足を止める。
「本日の儀式はこれにて終わったが、実はまだちょっとした行事があっての。時間のある者は、できれば今しばしここに留まって欲しい」
サヴァイヴ教団の最高司祭の言葉を無視することもできず、礼拝堂に留まった親子たちは、近くにいる者たちとざわざわと言葉を交わし合う。
そしてそれはここに集った親子たちだけでなく、ジュゼッペの背後に控えた司祭たちも同様だった。
「おい、このような予定、猊下から聞いていたか?」
「いや、私は聞いておりませんが……」
「カルセドニア殿。あなたは猊下より何か聞いておいでか?」
「い、いえ、私もお祖父様からは何も……」
儀式に使った聖別された水の入った金属製の小さな壷を持ち、ジュゼッペの背後に控えていたカルセドニアは、近くにいた高司祭より尋ねられたが首を横に振るばかり。
実際、彼女は何も聞かされていないのだからそれも当然。
カルセドニアを始めとした司祭たちが困惑している間も、ジュゼッペの口上は続いていた。
「皆も知っての通り、我がサヴァイヴ神は豊穣の神、子宝の神であると同時に結婚の守護神でもある。今回、とある若者から一つの申し出があった。その若者には大切な女性がおり、今日のこの場において重大なことをその女性に伝えたいと、な」
ジュゼッペの声が礼拝堂の隅々にまで行き渡る。彼の背後に控えている司祭の一人が、〈風〉系統の魔法でその声をより遠くまで届かせているのだ。
「儂はサヴァイヴ神の最高司祭として……いや、サヴァイヴ神に仕える神官の一人として、その若者の背中を押してやることにした。カルセドニア・クリソプレーズよ」
「は、はいっ!!」
突然名前を呼ばれ、飛び上がらんばかりに驚くカルセドニア。
「こちらへ来るがよい」
祖父であり、最高司祭であるジュゼッペに手招きされて、よく理解できないままジュゼッペの傍らへと歩いていく。
その際、その手に聖別された水の入った壷を持ったままなのが、彼女も困惑している証拠だろう。
「さて……では、そろそろその若者にここに来てもらおうか」
ジュゼッペが合図を送ると、礼拝堂の出入り口に控えていた神官戦士たちがその扉を開いた。
礼拝堂に居合わせた大勢の親子やサヴァイヴ神殿の関係者、そしてこれから何が起こるのかを知っている極一部の者たちが、一斉に開けられた扉へと視線を向ける。
そして。
扉の向こうには一人の青年が立っていた。
その青年は見たこともない白い衣装を身に着けていたが、その顔は対照的に真っ赤だ。
「え? え? だ、だんな……さ……ま?」
それが辰巳だと分かったカルセドニアは、思わず呆然とその姿を見る。
見たこともない意匠のその服──白いタキシード姿の辰巳は、ジュゼッペやカルセドニアのいる壇上に向けて足を踏み出した。
彼が進むにつれて、礼拝堂につめかけた人々は彼の行き先を示すかのように道を開けていく。
その途中、見知った者たちが親指を突き出したり、口を動かすだけで声援を送ってくれたり、はたまたただ呆然と見つめていることに気づいて、辰巳は頷くことで自分の覚悟を示した。
ジュゼッペに導かれて壇上に上がった辰巳は、真っ赤な顔のままとある人物の前に立つ。
それはもちろん。
「え、えっと……旦那様? こ、これは一体……」
いまだに何が起きているのか分かっておらず、おろおろとするカルセドニアの前。
「か、カルセ…………い、いや……カルセドニア・クリソプレーズ!」
真っ赤な顔のまま。でも、視線は真っ直ぐにカルセドニアの瞳を射抜いて。
辰巳は大勢の人々がしんと静まった中、自らの運命を決定する言葉を解き放つ。
「お、俺と……………………………………今、この場で……け、結婚して欲しいっ!!」
がしゃん。
小さな金属音が礼拝堂に響く。
それはカルセドニアが取り落とした、聖別された水の入った壷が礼拝堂の床に激突した音だった。




