準備進行中
新年祭二日目の午後。
辰巳とカルセドニアは、連れ立って王宮の練兵場に足を運んでいた。
本日ここでは、騎乗槍試合の予選が行われている。今も辰巳とカルセドニアの視線の先では、煌びやかな鎧と騎乗槍を装備した騎士たちが、激しい勢いで激突していた。
騎乗槍の試合は、文字通り騎獣に乗った状態で互いに正面からぶつかり合い、高速で交差する瞬間に相手を騎乗槍で突き、騎獣から落下させたら勝利となる。
地球にもかつては似たようなものが存在したが、当然ながら地球のそれとは幾つか相違点があった。
中でも一番の違いは、騎士たちが跨っている騎獣が馬ではない点であろう。
この国の騎士たちが騎獣として使用しているのは、駝鳥を二回りほど大きくした翼の退化した鳥の仲間だ。
駝鳥よりも全体的に丸っこいシルエットを持つその鳥は、この国ではパーロゥという名前で呼ばれている。
そして。
「……なぜに、全体のカラーリングが雀なんだろう……」
このパーロゥを初めて目にした辰巳は、そんな呟きを零していた。
白と茶色、そして所々に黒の入ったパーロゥの羽毛の色は、確かに辰巳の言うように雀を連想させる。
だが、雀よりも精悍な印象の鳥でもある。
パーロゥは足も速く持久力にも優れるが、ものを引く力はやや劣る。
そのため、ラルゴフィーリ王国では「馬車」ならぬ「鳥車」は存在せずに、「猪車」とでも言うべきものが一般に普及していた。
猪車を牽くのは文字通り猪によく似た、オークという名前の家畜化された魔獣である。
オークと言えば、日本では多くのファンタジー小説などに登場する豚人間とでもいうべき魔物が一般的だが、どうやらこの世界ではオークと言えばこの猪の魔獣を言うようだ。
ラルゴフィーリ王国では牛や馬などは野生種は存在するものの家畜としてはあまり利用されておらず、代りにパーロゥやオークが家畜として様々なジャンルで活躍している。
特にオークは猪に似て力が強くて見てくれも厳ついが、性格は温厚で人によく懐くことから、この国の過去の人々は野生の牛や馬よりもオークを家畜として選んだらしい。
ちなみに、上位貴族の間では猪車よりも馬車を好む傾向にあるようだ。この国における馬車は、辰巳の感覚で言えば高級外車に相当するだろうか。
金属と金属がぶつかる甲高い音と共に、騎士の一人が煌びやかに飾りつけられたパーロゥから落下する。
落下した騎士は悔しそうに拳を地面に叩きつけ、逆にその騎士をパーロゥから突き落として勝利を手にした方の騎士は、兜を脱いで素顔を晒しつつ観客に手を振って己の勝利を誇示する。
勝利した騎士が誇らしげに会場を退場しようとした時、一般観客席の前方に陣取っていた辰巳たちの近くを通りすぎていく。
「あれ……? あの騎士は……」
辰巳はその騎士に見覚えがあった。それも、彼と初めて出会ったのは他ならぬこの練兵場で、だ。
どうやら騎士の方も辰巳たちに気づいたようで、騎士は微笑みを浮かべると観客席の方へと跨ったパーロゥを寄せてきた。
「おお、タツミ! 見に来ていたのか!」
「勝ったんですね、ガイルさん! おめでとうございます!」
彼──ガイル・ユトリロスはこの練兵場での事故の時、辰巳にくってかかってきた騎士である。だが、その後に和解した今では、二人は良き友人となっている。
「順調に明日の本戦に進むことができた。できれば、明日も見に来てくれ」
「あ、明日ですか……明日はその……」
隣のカルセドニアをちらちらと見ながら言葉を濁す辰巳。そんな辰巳を、ガイルは不思議そうに首を傾げつつ見る。
「あ、明日は神殿の方で少々用事がありまして……お、俺としても騎乗槍の試合の決勝は見たかったのですけど……」
「そうか、神殿の務めとあれば仕方ないな。だが、明日は必ず優勝してみせるからな! その時は酒の一杯も奢ってもらうぞ?」
辰巳の態度から何かを察したのか、ガイルは朗らかに笑うと手を振りつつ練兵場を後にした。
見えなくなるまでガイルの背中を見送った辰巳は、改めて試合会場へと目を向ける。
だが、彼の注意はどうしても隣に座る最愛の女性へと向いてしまう。
爽やかな新春──この国では春は「海洋の節」と呼ばれる──の空気が、カルセドニアの白金の髪をふわりと揺らす。
それだけで、彼女の周囲に光が舞い踊っているような錯覚に捕らわれる。
明るい陽光がカルセドニアの美貌を照らし、いつも以上に眩しく感じるのは、きっと辰巳だけじゃないだろう。
その証拠に、辰巳たちの周囲に座っている年若い男性たちの殆どが、騎乗槍の試合をそっちのけでカルセドニアに見惚れているのだから。
そして何より特徴的なのは、紅玉の如き真紅の双眸だろう。春の麗らかな光のせいか、彼女の二つの宝石は本物にも負けないくらい光り輝いている。
そんな女性と一緒にいることが、誇らしいやら照れ臭いやら。辰巳が内心でそんなことを考えていると、不意にカルセドニアと目が合った。
どうやら、辰巳が自分を見ていることに気づいたようだ。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、な、なんでもないよ……っ!!」
辰巳は赤くなりながらも、慌てて騎乗槍の試合会場へと視線を向ける。
だが、実際には騎乗槍の試合などまるで頭に入らない。今の彼の胸中は、明日のジュゼッペの例の仕掛けのことで大半が占められていたからだ。
明日のことを考えると胃に穴が空きそうだ。もしも明日のジュゼッペの仕掛けに失敗したら、大恥をかくだけでは済まないだろう。
まさかカルセドニアを相手に失敗するとは辰巳も思っていない。だが、もしかしたら……とついつい最悪の事態を考えてしまう。
だが、そんな不安と同時に、期待に胸が膨らむ部分も確かにあるのだ。
不安と期待という真逆の感情を抱えながら、辰巳は明日のことを考えながら深い溜め息を吐き出した。
騎乗槍の試合を見終えた辰巳とカルセドニアは、そのまま祭りに浮かれる街の中を寄り添いながら見て歩く。
街角で芸を披露する吟遊詩人や曲芸師の技量に感心して銀貨を投げ込んだり、屋台で売られている食べ物を買い食いして堪能たり。
ふらりと入った店で果実酒などを楽しんだりと、二人は気ままに祭りを楽しんでいく。
そして陽が沈む時間になった時、ようやく辰巳たちは我が家へと足を向けた。
電気などないこのラルゴフィーリ王国では、本来ならば日没がその一日の終りを意味する。
歓楽街などの例外を除けば、十分な照明の得られない夜間は早々に寝入ってしまうのが普通なのだ。
だが、この祭りの間だけは違う。祭りの期間中は街中で篝火が焚かれ、夜でも喧騒が絶えない。
さすがに現代日本のようにはいかないが、それでも普段と比べれば日没後もかなり賑やかだ。
家に帰った後も、家の外からは絶え間なく喧騒が聞こえてくる。
「……こうして夜に賑やかなのって……久しぶりだなぁ」
かつて、日本にいた頃ならば当たり前だったこと。
24時間営業の店舗が町中に溢れ、街灯は一晩中明るく灯されている。
例え真夜中でも出歩く人間がいて、まさに「眠らない町」と呼んで差し支えなかった場所。
「そうですね。私も覚えています。かつて旦那様……いえ、ご主人様と一緒に暮らした町のことを……本当に夜でも賑やかな所でした……」
窓から街を眺める辰巳の横に立ち、彼の肩にそっと頭を預けるカルセドニア。
彼女もはっきりとではないが覚えている。
夜道を通過する自動車のエンジン音。電気のお陰で家の中は昼のように明るく、テレビを点ければ深夜でも賑やかな番組が放送されていたし、時にはパトカーや救急車、消防車のサイレンが煩いほどだった。
祭りに浮かれる夜に日本を照らし合わせた二人は、互いの手と手を握り締めながらいつまでも眠らない街を眺めていた。
翌朝。新年祭も最終日。
祭りも今日で終りということで、早朝から街は賑やかであった。
いつものようにカルセドニアが用意してくれた朝食を食べ終わった辰巳は、午前中の警備の仕事のために神殿へと向かうために家を後にする。
「じゃあ、行ってくる」
「お勤め、がんばってくださいね。お昼は用意しておきますから、神殿のいつもの場所でご一緒しましょう」
午前中は家に残るカルセドニアに手を振りながら、辰巳は神殿を目指す。
だが、辰巳は神殿へと向かう道を途中で外れ、神殿とは逆方向へと足を向けた。
神殿からどんどんと遠ざかるが、辰巳の歩みには全く迷いがない。
そうして辰巳が到着したのは、彼のよく知る一軒の宿屋軒酒場。入り口の横に掲げられた看板には、相変わらず日本語で〔エルフの憩い亭〕と記されている。
辰巳は緊張した面持ちで扉を潜ると、カウンターの奥にエルの姿を見つけて彼女へと近づいていった。
「あ、タツミさん、いらっしゃい。待っていましたよ」
いつものように、にこやかに出迎えてくれるこの店の女主人。彼女は辰巳の姿を確認すると、一旦奥へと引っ込んですぐに店へと戻ってきた。
その腕に何やら荷物を抱えて。
「こちらが用意された衣装です。でも、流石はサヴァイヴ神殿の最高司祭様が紹介してくださった服飾店だけありますねー。私が見せた幻覚をこんなに忠実に再現させるなんて」
そう言いながらエルが広げた衣服は、ラルゴフィーリ王国ではまず見ることのできない意匠のもの。だが、それは辰巳にとっては見慣れたもので。
もっとも、それに実際に袖を通したことは、彼も今まで一度もないのだが。
「カルセさんの衣装の方も、私が見せた幻覚を元にしてクワロート公爵家に出入りするお針子さんたちが、総力を上げて仕上げたそうですよ?」
「ありがとうございます、エルさん。今回は本当にいろいろと助力してもらって」
「いいんですよ、気にしないでください。ああ、衣装の方はサヴァイヴ神殿に運んでおきますけど、これだけはタツミさんが直接持っていてください」
そう言いながらエルが取り出したのは、掌大の小さな箱。これもまた、エルの顔馴染みの職人に特注で作ってもらったものである。
この小さな箱も、辰巳や日本で暮らした経験のあるエルには馴染みのものだ。
「儀式の後、このお店で一席設けておきますから。楽しみにしていてください」
「あはは。いわゆる二次会って奴ですか……うう、なんか余計にプレッシャーが……」
渋い顔をしながら、辰巳は胃の辺りを片手で押さえる。
「ふふふ……そう言えば、ヤスタカさん……いえ、亡くなった主人も、当日の朝に同じようなことを言っていましたねぇ」
昔を思い出したエルは、少し懐かしそうに微笑んだ。
そんなエルに何度も頭を下げた辰巳は、改めて神殿に向かうために〔エルフの憩い亭〕を後にする。
出入り口の扉から店の外へと出ていく辰巳。彼のその背中を見ていたエルは、これまでに味わったことのない不思議な感情に囚われていた。
「……もしかして、これが一人前になった息子を送り出す、母親の心境って奴ですかね?」
誰に聞かせるでもなく、エルは呟く。
夫のとの間に子供を設けることのなかったエル。当然ながら、これまでの200年以上の彼女の人生の中で、そんな感情を抱いたことは一度もない。
だからエルは。
なりたくてもなれなかった「母親」の心境を僅かにでも抱かせてくれた辰巳に、心の中で感謝の言葉を述べたのだった。
※本日は所用で家を留守にするので、感想などの返信は月曜日以降に行います。




